トップダウンかボトムアップか、前回までの議論はどこにたどり着いた?
村上静香さんを迎えたシリーズは、アート鑑賞では制作者の意図と鑑賞者の解釈のどちらを重く見るべきか、という問いから始まりました。4週目の最終回は、渡邉康太郎さんによる前回の振り返りから始まります。
前回、渡邉さんは「美術館を楽しむアートワールドへの憧れ」と「自分が主語になる表現や、身近な人の表現」の両方があったほうが楽しいのではないか、と問題を立てました。荒木博行さんはこれに応えて、アートワールドの知識を学ぶだけだと権威に染まりかねないと指摘しました。自分の価値を信じたり、自分で作ってみたりするボトムアップの動きも大事だ、という話です。
村上さんからは、知識の有無に関係なく心をつかまれる作品がある、という話が出ていました。渡邉さんはそこから一等星と五、六等星のたとえを出し、自分にしか見えない五等星の輝きがあったほうが人生は楽しいのではないかと話しています。
(五等星の輝きは)弱すぎて恥ずかしいとか言い出しにくい、他の人に理解されないんじゃないかっていう恐怖がある。
渡邉さんはさらに、ビジネスの世界にいるとランキングで上位に入る価値観に染まりやすいと振り返ります。そのうえで、ヴァージルアブロー ── アメリカ出身のデザイナー。ルイ・ヴィトンのメンズ部門のアーティスティック・ディレクターを務めました。既存のデザインを少しだけ変えて新しさを出す「3%ルール」という考え方で知られますの3%ルールのように、受けるものと新しいものを自分なりに混ぜていくのがよい、とまとめました。
振り返りを受けて村上さんは、自分もトップの方向に目が向きがちだと改めて感じたと話します。自分軸だけで何かを探す時間は意識しないと取りにくいものの、その時間はとても価値が高い、というのが村上さんの感想です。
(自分だけの人生を手にする時間は)ビジネス界で成功するための近道から最も遠いかもしれないけど、でも楽しく生きるためにはむしろそれが大事なんじゃなかったっけ?
なぜ美術館を出た人は絵を覚えていないのか
荒木さんは、知識と感性のバランスを取るための鍵として、村上さんのアートゼミで行っている「対話」を挙げます。ただし荒木さん自身は、アート以外の場で対話の難しさも経験してきたといいます。
結構やっぱりその知識ドリブンの人が支配してしまうみたいなことがあったりとか、弱い人がなかなか弱さを出せないみたいな。
で、強い人の意見を内面化してしまって、私もそう考えてましたみたいな、そういうことを言ってしまうみたいなこともあるんですよね。
荒木さんは、一人ひとりが弱い感性をフラットに扱える場をどう作るかが大事な論点だと話しています。
村上さんはここで対話型鑑賞 ── 1枚の作品を複数人で見ながら、気づいたことや感じたことを言葉にして話し合う鑑賞方法。解説を聞くのではなく、見る人自身の観察と解釈を重視しますの成り立ちを紹介します。この鑑賞方法は、ニューヨークのMoMA ── ニューヨーク近代美術館。近現代美術を代表する美術館の一つで、教育プログラムにも力を入れていますで生まれたものだそうです。
調査
MoMAが美術館の出口で来館者を調べた
発見
ぐるっと見てきたはずなのに、どの絵も覚えていない人が多かった
問い
作品が鑑賞されていないのではないか、どう見れば心に残るのか
技法の誕生
話しながら1枚の絵を見ていく鑑賞の技法が生まれた
村上さんは年間80回ほど対話型鑑賞を行っています。その経験から、初めて作品を見る人は声の大きい人の意見に合わせがちだといいます。面白かったのは野球部の人たちで、上の人の意見に「自分もそう思います」とみんなで合わせていたそうです。
そこで村上さんは、ファシリテーターとして細かなニュアンスを聞いていきます。「寂しそう」と言った人には、どういう寂しさなのか、10段階でどのくらいなのか、例えるなら何か、と尋ねます。そうすると自分だけの小さな感情がぽっと出てきて、他の人との違いが見える瞬間があるそうです。
「みんな違っていい」の一言で議論はどう変わる?
村上さんの話を受けて、渡邉さんは15年ほど前に社会人向けワークショップで試した方法を紹介します。チームのクリエイティビティを上げるために、文字の出てこない絵本を無言で読んでもらい、そのままグループで話し合うワークです。
最初のワークでは、ほとんど全員が同じ感想になってしまいました。ファシリテーションを間違えたと考えた渡邉さんは、別の回で始める前に一言添えるようにしました。
前置きなしで読んでもらうと、大体みんな同じ感想になった
「一人一人で感想が全然違くなると思います」と伝えると、違う解釈がたくさん出た
違う意見を持っていていいんだっていう許しとか前提みたいなのをみんなが共有できてるかどうかで、喋りやすさが変わってくる。
荒木さんも、ビジネスの授業で同じことに気をつけていると話します。解答例を作らず、見せず、スライドも極力なくしているそうです。
正解は荒木さんが出してくれるんでしょ?っていうモードの議論と、そうじゃない議論の質がね、全然違うんですよ。
村上さんが、枠の中で考える時と枠が外れた時とで向き合い方が変わるのかと尋ねると、荒木さんは私たちがトップダウンの怖さを内面化しているからだと答えます。
さっきの野球部の話じゃないけど、あの人が言ったらそうかもしれないみたいな、とりあえず従っておこうみたいな、そういうところがやっぱりあるよね。
荒木さんによれば、この思い込みをどう「武装解除」していくかが、アートを考えるうえでも大事なテーマなのかもしれません。
男女2人の絵を見ると夫婦に見えてしまうのはなぜか
村上さんは、知識はアートワールドの知識だけではないと話します。自分が持っている前提や経験も必ず鑑賞に影響しますが、だからこそその人だけの見方が生まれます。村上さんは、自分の経験に軸足を置いて鑑賞してよいのだと、多くの人に知ってほしいと考えています。
対話型鑑賞をしていると、その人が当たり前だと思いすぎていることが表に出てくる場合があるそうです。たとえば男女2人の絵を見ると、自動的に夫婦だと言い、そこから離れられない人がいます。
村上さんは、そういう時に「なんで夫婦だとどこから思ったんですか?」と絵に戻ります。確証がないとわかると、本人は自分のものの見方に気づき、自分の経験を振り返るきっかけになるといいます。
渡邉さんは、自分の世界観がいつの間にかアートの解釈に投影されている例として、七尾旅人 ── 日本のシンガーソングライター。弾き語りを軸に、実験的な作品から物語性の強い楽曲まで幅広く発表していますさんの曲「CircusNight」の話をします。車の中で友達と歌詞の解釈を話し合っていたそうです。
そのセリフから語られるシナリオがもうみんな違いすぎて、結構度肝を抜かれるみたいな現象があって。
話題になったのは「目の前で魔法が解けていく」という一節でした。渡邉さんは、片思いの相手に別のパートナーが現れ、2人の関係が自分だけの幻想だったと気づいていく場面だと解釈しました。すると友達からは「それは悲観的すぎるだろ」と言われたそうです。
ほかには、シンデレラのかぼちゃの馬車のように、楽しい時間が終わっていく瞬間だという読みも出ました。荒木さんが、それでも正解はわからないと言うと、渡邉さんは「わかんないんだけど、なんかよくわかんないけど反省したりした」と笑いながら振り返っています。
職場ではできない「フラットな語り合い」と、10秒の間
荒木さんは、互いの違いをフラットに語り、違いの根源を理解して楽しめる空間はとてもリッチだと話します。一方で、職場ではヒエラルキーがあるためにそれが難しいと言います。
村上さんは、職場では小さな違いが受け入れられにくく、同じ目線が求められることもあると付け加えます。渡邉さんも、ビジネスでは意思決定が必要なので、多様な意見の次に何をするかが求められてしまうと応じました。
村上さんは、そうした場がないと自分だけの小さな解釈に目が向かなくなり、自分だけの五、六等星を永遠に見つけられなくなると話します。荒木さんは「あなただけのジャックニコルソンもね」と返しました。
荒木さんはもう1つ、対話の方法について気づいたことを話します。収録中、渡邉さんの問いかけから村上さんが答えるまでに10秒ほどの間があったそうです。
間を埋めたくなっちゃうんだけど、その間には意味があるし、その間の後に出てくる言葉にもすごく大事なことがあったりとか、大事なことのような気がするな。
村上さんは「やっちゃったなって思ってた」そうですが、渡邉さんは自然な間だったと答えます。実はその問いは渡邉さんの自問自答で、答えを期待していなかったものを村上さんが拾ってくれた、と笑い合っていました。
「虐殺されたモーツァルト」とは誰のことか
渡邉さんは、社会の中で自分だけの解釈やクリエイティビティを発揮する場面が少なくなっていることに関連して、サン=テグジュペリ ── フランスの作家で飛行士。『星の王子さま』の作者として知られ、飛行士としての経験をもとにした作品も残していますの『人間の土地』の一節を紹介します。
渡邉さんが読み上げたのは、君が作られている粘土はもう乾いて硬くなり、君に宿っていたかもしれない音楽家や詩人や天文学者を目覚めさせることはできない、という内容の文章です。この文章は、自分を苦しめるのは貧困でも醜さでもなく「人々の各自の中にある、ある虐殺されたモーツァルト」だ、と続きます。
我々の血肉を成している本当は柔らかいはずの粘土が乾燥して硬くなってしまっているっていう、この中に何かが宿って眠っているんだっていうことを信じたい。
村上さんは、カラカラに乾いた粘土の様子が目に浮かんだと話します。それではもう大きくもならず、柔軟に動くこともできなさそうだ、というのが村上さんの受け止め方でした。
渡邉さんがこの一節を思い出したのは、荒木さんが村上さんの趣味について「あなただけのジャックニコルソン」と言ったのがきっかけでした。村上さんは、自分の中のジャックニコルソンが虐殺されないように、心を柔らかくし続けたいと話しています。
「どっちも大事」の先にあった、知識と感性の相互作用
4回の対談を終えて、渡邉さんは、それぞれが自分の取り組みや背景を丁寧に語ったことが面白かったと振り返ります。冒頭で荒木さんが「どっちも大事っていう話なんでしょ?」と切り出したことで、議論のギアが上がったとも話しています。
村上さんは、制作者の意図と鑑賞者の解釈は「どっちも」というのがスタートだとしても、それで終わりではないと考えるようになったそうです。自分を干からびさせないために、知識が感性を増幅させたり後押ししたりする面もあります。村上さんの結論は、知識と感性の相互作用をどれだけ強く生むかが大事なのではないか、というものでした。
村上さんは大人の優しいアートゼミという名前で、オンラインの対話型鑑賞セッションを主に開いています。知識がなくても参加でき、自分の中のモーツァルトを蘇らせたい人に向けて参加を呼びかけていました。
最後に渡邉さんが、今回の話に関連する本を紹介しました。
| 書名 | 著者 | 渡邉さんのコメント |
|---|---|---|
| 人間の土地 | サン=テグジュペリ | 新潮文庫版が好き。モーツァルトの一節は冒頭近くと終盤に出てくる |
| 反解釈 | スーザン・ソンタグ | 意味付けせずそのまま受け止める、わかるところにアートを押し込めない話が出てくる |
| みんなの現代アート | グレイソン・ペリー | 皮肉の効いたポップな本。アートワールドの話のインスピレーション源 |
まとめ
最終回では、対話型鑑賞の現場の話を手がかりに、権威や周りの声に合わせず、自分だけの解釈を出せる場の大切さが語られました。知識と感性はどちらか一方ではなく、互いに作用させるものだという着地になっています。
- 対話型鑑賞はMoMAで、来館者が作品を覚えていないという調査結果から生まれた
- 声の大きい人に合わせがちな場では、ニュアンスを細かく尋ねることで個人の感情が出てくる
- 「違っていい」という前提を共有するだけで、議論の質が大きく変わる
- 解釈には自分の経験や思い込みが映り、それに気づくことも鑑賞の価値になる
- 知識と感性を相互作用させて、心の中の「モーツァルト」を乾かさないことが大事



