前回の議論はどこまで進んでいた?
この対談のテーマは「アート作品の鑑賞では、制作者の意図と鑑賞者の解釈のどちらに重きを置くべきか」です。3回目の冒頭で、渡邉さんが2回目までの議論を振り返りました。
2回目では、村上さんが「知識と感性の地続き感は何をもたらすのか」という視点を出していました。あわせて、鑑賞者が自分を投影して読む「誤読」が、正解から離れて個性を生む動きになりうるという話も出ています。
村上さんは対話型鑑賞 ── 作品について参加者同士が見たことや感じたことを言葉にして話し合いながら鑑賞する方法。解説を聞くより、自分で見て考えることを重視しますを通じて、人生に残る何かを届けたいと考えています。歴史的な物語を読み込んだその先に、自分が主語になって意味を深める段階がある、と渡邉さんはまとめました。
さらに、西洋のアートは宗教芸術や宮廷芸術の時代を経て、ブルジョア以降に受け手が個人になったことで、個人の解釈がしやすくなったのではないかという話題も振り返られました。
少なくとも西洋のアートは、民衆、大衆を喜ばせるために発達したものではないっていう、その現実がある。
渡邉さんによれば、大衆はアートワールドの権威に憧れと不満、コンプレックスを抱えながらも魅了され続けています。ただ、一部の人の権威が定めたものだけで自分の感性が測られるわけではないはずで、身近な人の作品や、自分で評価軸を決めるものづくりも大事にしてバランスを取れないか、というのが前回の到達点でした。
ボトムアップは「自分で作る」ことでしか成り立たない?
荒木さんは前回の自分の発言を補足します。トップダウンとは、アートワールドの権威が「これがいい絵だ」と示すものを学び、ダウンロードしていくことです。
(トップダウンを学ぶことは)その見る目を養うし、とても大事なことだと思うと。一方で、そればっかりに終始しちゃうと、その権威性に取り込まれるだけであり、本質的なアートにはなり得ない可能性がある。
荒木さんは、自分の価値基準を弱いながらも発信するボトムアップを重ねることで、トップダウンとの間に双方向のサイクル、つまり対話が生まれるのではないかと考えています。
権威が示す「いいアート」を学び、見る目を養う。偏りすぎると権威性に取り込まれる
自分の価値基準を弱いながらも発信し、権威の外にあるものに価値を認めていく
村上さんは、知識をつける側だけで楽しんでいても感性は伸びないとして、「自分の軸ってどう作っていけるんだろう」と問いかけました。これを受けて荒木さんは、さらに踏み込んだ考えを口にします。
自分の感性と言いながらも、そこには多分にそのトップダウンを吸収するみたいなニュアンスが含まれてしまう。だから本当に自分が作らないとボトムアップにはなり得ないんじゃないかっていう気も今してきたのよね。
少なくともあの展覧会に配置されて、出されているっていう時点で、もはやトップダウンを吸収するっていう文脈に取り込まれているわけであって。
荒木さんは、自分で生み出さなくても、展覧会の文脈と関係ないものに価値を認める行為によって初めてボトムアップが成り立つのではないか、と話しています。
一方で村上さんは、何も知らなくても心をつかまれる作品はあると指摘しました。権威から外れたものだけを愛でればボトムアップになるわけではなく、もう少し近道もあるのではないか、という問いです。荒木さんは自分がラディカルなことを言っている自覚はあるとしつつ、そこから考えないと自分の中でブレイクスルーが起きない感覚がある、と応じました。
オリオン座ではなく、自分だけの5等星を見つける
渡邉さんは、自分のアートの捉え方を星空にたとえます。山奥で星空がきれいに見えるのは、オリオン座が見えるからではなく、都会では見えない5等星や6等星が肉眼で見えるからだ、という話です。
アートヒストリーの中で残っているオリオンとかも全員見えてるんで、そうじゃない5等星とか6等星をいかに見出すのかっていうのは一人一人の仕事で。
自分だけが見えてる星っていうのに出会えるかっていうのが、やっぱ人生の結構大事なポイントになるのかなっていうふうに僕は思うんですよ。
荒木さんは「何そのおしゃれ」と思わず反応し、村上さんも、頭の中に星空が浮かんだと驚いていました。
渡邉さんはデュシャンもピカソも好きだとしたうえで、それだけでいいのかと問います。まだ誰も知らない後輩を応援しているような側面が人生にあったほうが楽しく、みんなが推す人気者のアイドルだけを推すのは「みんなと同じ目線で生きてるだけ」になってしまう、という考えです。
村上さんはこの比喩から地域のことを考えたといいます。愛知県出身の村上さんによれば、地域はスターバックスのような「1等星」を欲しがり、その結果、スタバとイオンがあればハッピーという都市が増えていく。まちづくり系の会社で働いた経験とも重なり、強い納得感があったと語りました。
渡邉さんは、5、6等星だけで生きるのも難しいので、1等星と5、6等星の両方があるといいと付け加えています。
ウケなかった話にこそ自分の価値がある?
荒木さんは、自分だけの推しを持ちたい人は多いものの、弱すぎて言い出しにくく、説明できずに強い文脈に絡め取られてしまうと指摘し、その思いをどう育むかを問いかけました。
渡邉さんの答えは、友達との会話で話がスベった瞬間に注目することです。自分は価値を感じているのに周りがピンと来ていないなら、それは自分だけが知っている価値かもしれない、と考えるようになったといいます。
「なんなら」っていう言葉が日本語の中でだんだん用法が増えてきてるっていうのの研究論文の話を、飲み会、二次会の場でビール飲みながら5分くらい語ったら誰も聞いてなかった。
全員が熱狂するネタじゃないけど、自分はなんか魅力を感じてしまってるんだなっていうことに客観的に気づくっていうのが、そういった失敗の瞬間の中にあるんじゃないかなと思ってるんですよ。
村上さんは、そこが自分の観点だと共感しつつ、ウケることやいいねの多さを誰もが求めがちなので出しにくくなる、と話します。例に挙げたのは、最近ハマっているジャック・ニコルソンです。
村上さんによれば、ジャック・ニコルソンの映画をいくつも観ると、彼のエッセンスが自分の中に入ってきて、大事な人になっていく。けれども誰ともシェアできていないといいます。
渡邉さんは、ジャック・ニコルソンがアカデミー賞受賞俳優で『シャイニング ── 1980年公開のスタンリー・キューブリック監督のホラー映画。ジャック・ニコルソンが狂気に陥る主人公を演じ、その表情は映画史に残る名場面として知られています』でも知名度が高いことに触れ、その知名度の裏側にあるニッチな部分に注目するのが村上さんの見方だと整理しました。
語り口を変えていく実験とか、聞き手、別の人に聞いてもらう実験とかをやりながら、一体この興味って何なのかっていう、自分自身の中で自分自身の意味付けを更新していく運動でもあるのかなと思うんですよね。
ランキングと再生回数の引力からどう逃げるか?
荒木さんは、ビジネスの世界でもトップダウンを内面化することが励行されていると指摘します。いいねの集め方やバズる法則はその典型で、そればかりでは自分が大衆化していく危険があるといいます。
渡邉さんも、自分だけの交換できない性を誰もが望んでいるのに、そこから遠ざかるのはつまらないと応じました。誰も聞いてくれないからジャック・ニコルソンの話をしない、となったら寂しい、ウケなくてもいいじゃないか、という考えです。
ウケることばっかりに引力強すぎよね、最近本当に。なんか放送とかしてもさ、すぐにランキングとか再生回数とかさ、そういうのが、もうだからもう一切見ないようにしてんのよ。
(数字を見ると)本当にそれでスイッチ入っちゃう人多いじゃん。それでじゃあ今日1000だったら明日1500とかさ。
荒木さんは、Voicy ── 音声配信プラットフォーム。個人が番組を配信でき、ランキングや再生数などの指標も表示されますでランキングの話題を自分にメンションしてくる人に「そのためにやってねえよ」と感じつつ、そうした数字が大事な面もあると認め、どう逃げればいいのかと悩みを口にしました。
渡邉さんは、完全に逃げるのではなく、生きるために追いかける部分とそうでない部分の両方があっていい、ただ両方あることの良さを忘れがちなのだと整理します。荒木さんも、自分で作るのが最も根源的なボトムアップだとしたうえで、村上さんがいま注目されていないジャック・ニコルソンを応援するのも小さなボトムアップ運動であり、いろんなレイヤーがあっていいと話しました。
村上さんは、ランキングや再生回数だけを見ているとどこかで頭打ちになり、すべてが同じ感じになって魅力がなくなるのではないかと述べ、荒木さんはそれを「日本全国イオン化問題」と呼びました。一方で荒木さんは、聞かれなければ意味がない、本は売れなければ届かないという面もあり、トップの引力は強いと難しさを認めています。
ヴァージル・アブローの3%ルールが示すちょうどいい比率
渡邉さんは、トップとボトムを二項対立で捉えるより、その間くらいが面白いのではないかと提案します。手がかりにしたのは、ヴァージル・アブロー ── ファッションデザイナー。自身のブランド「Off-White」を立ち上げ、ルイ・ヴィトンのメンズ・アーティスティック・ディレクターも務めました。2021年に死去の3%ルールです。
渡邉さんの説明によると、ナイキのスニーカーを作るならスタンダードな形の3%だけを調整すれば十分で、それ以上変えるとナイキの靴だという認知から遠ざかってしまう、という考え方です。
渡邉さんは、自分なりのカクテルを作っていければいいと話します。荒木さんも「ゼロかイチかの話じゃない」と同意しました。
目に入るけど見ないということで、まあ周辺視野で見てるっていうぐらいの感覚でバランスが取れんじゃないかっていう気はしてる。
荒木さんは、領域ごとにトップとボトムの程よい比率は違うはずで、それを考えることが大事だとまとめます。村上さんも、自分にとっての最適なバランスを考え、ボトムを意識的に探索したいと応じました。
最終回となる次回は、積み残していた「知識と感性の地続き感は何をもたらすのか」と、村上さんが挙げた「何も知らなくても心をつかまれる作品」の話を、つなげて掘り下げることになりました。
まとめ
3回目の対談は、権威に学ぶトップダウンと、自分の価値基準を育てるボトムアップをどう両立させるかを、星空の比喩や身近な体験から考える回でした。ゼロかイチかではなく、自分なりの比率を探ることが結論として共有されています。
- 権威から学ぶことは見る目を養うが、それだけでは権威性に取り込まれてしまう
- 渡邉さんは、誰もが見えるオリオン座ではなく、自分だけに見える5等星・6等星を見つけることが豊かさにつながると語った
- 話がウケなかった瞬間は、自分だけが価値を感じているものに気づく手がかりになりうる
- ランキングや再生回数の引力に対し、荒木さんは「周辺視野で見る」くらいの距離感を提案した
- 3%ルールのように、型に少しだけ自分の要素を混ぜる「自分なりのカクテル」が一つの落としどころになる






