ボツを「価値があった」と思える大人力はどこから来るのか
この回は、おもちゃクリエイターの高橋晋平さんを迎えたシリーズの3回目です。冒頭で渡邉康太郎さんが、前回までの議論を振り返ります。
前回は、ルールのない曖昧な遊びが、いつの間にか明確なルールのゲームに変わっていく現象が話題になりました。荒木博行さんの会社員時代の話がその例です。お客さんを喜ばせる自由な楽しみから始めたのに、ルールの不確かな出世競争に巻き込まれていったといいます。
さらに、ゲームは日常のルールをいったん止めて別の世界に浸るものだという見方も出ました。この見方では、ゲームは本来、非日常のものです。そのゲームが日常になってしまうとつらくなるのではないか、という論点です。
ゲームが長引くほどつらくなるという話は、アテンションエコノミー ── 人々の注目や関心を、お金と同じように奪い合う資源とみなす経済のあり方。SNSや動画サービスの設計を説明するときによく使われる言葉ですのSNSや企業活動にも当てはまるのではないか、と渡邉さんは整理します。そこでホイジンガ ── オランダの歴史家。著書『ホモ・ルーデンス』で、遊びを人間文化の根源と捉え、時間と空間が区切られていることを遊びの特徴に挙げましたの議論を思い出したといいます。
前回の小さな結論は、ゲームだけでなく遊びも含めたポートフォリオを持とう、というものでした。ルールのない場も必要だ、という考えです。
そのうえで渡邉さんが取り上げたのが、高橋さんの会社員時代の成功の秘訣です。誰よりも多くボツネタを考え、5000個の小さなボツと、爪痕を残したいくつかのボツがあったといいます。
高橋さんは、役員が怒ってまで「違う」と言ってくるボツにも一定の価値があった、と受け止めていました。渡邉さんは、この受け止め方を相当な大人力のある振る舞いだと評します。
(役員に怒られるのは)直接的には怒られてるし、しかも多くの人がそれを見てるっていう、ちょっと一見すると恥ずかしい場でもある。
何が良い、何が悪いっていうのを会議の成功だけに置いていないっていう意味で、独自の、それこそルールを定めていたのかもしれないと思うんですよ。
渡邉さんの問いは、高橋さんのこの独自のルールがどこから生まれたのか、という点にありました。
お笑いはスベることからしか生まれない?
マイルールの出どころについて、高橋さんは学生時代の経験を挙げます。大学4年間、素人ながら落語、漫才、コントに取り組んでいたことが大きいといいます。
高橋さんがお笑いから学んだのは、スベることからしか新しいものは生まれず、面白くもならない、という感覚です。
ただし、どんなスベりでもよいわけではありません。高橋さんは2種類のスベりを区別します。ちゃんとできるはずの落語を適当にやってスベるのは、意味のないスベりです。大きな笑いが起きるかもしれないと考えて実験し、思いきりスベるのは、まったく別の意味を持つといいます。
高橋さんは、スベることに快感を覚えられたのは自分が特殊だからだと話します。そのため、ボツの話は万人には勧められないと、いつも前置きしているそうです。
一方で高橋さんは、誰もが自分にとって心地よい形でマイルールを作ったほうがいい、とも考えています。前回話した妄想ゲームを勧める理由も、そこにあるといいます。
荒木さんは、スベりっぱなしではダメなはずだと確認します。スベりは長いフィードバックの過程の一段階で、そこから少しずつ調整してウケるところまで持っていく。そういう意味かと尋ねると、高橋さんは「そうです」と答え、ウケるためにやっていて、スベるためには一瞬たりともやっていないと話しました。
実験する
新しいウケを狙って、ウケるかもしれないことを試す
スベる
お客さんの反応というフィードバックを受け取る
振り返る
自分で振り返り、自分自身にもフィードバックをかける
チューニングする
ウケるところまで少しずつ調整していく
高橋さんは、フィードバックにはお客さんからの「他人フィードバック」と、自分で与える「自分フィードバック」があると話します。お笑いに夢中だったから、興味が尽きずに続けられたといいます。ただ、誰もがすべての分野で、それほど執念を持って失敗を糧にできるかはわからない、とも付け加えています。
ルールの中で、あえてずらす遊び
荒木さんは、自分も設定されたゲームの中で遊ぶのはあまり心地よくないタイプだと明かします。そのうえで、杉本杉本さんの話にも高橋さんの話にも共通点があると指摘します。
社会的規範とか、なんかこうすべきだとかっていう、そういうもの(ルール)をまず理解するわけよね。で、そのルールを理解した上でずらす。
これは社会からずれていくんだけれども、ただその辺に粋な生き方みたいなことをちょっと感じたりするじゃない。
荒木さんの見方では、高橋さんのボツも、通る案のパターンをわかったうえで「ずらした」ものです。思いつきで言ったのではなく、ルールを理解したうえでずらすところが、遊びの領域だといいます。
高橋さんは、ボツネタはあくまで通すつもりで出していた、と補足します。最初からボツを狙ったものはダメだといいます。そのうえで、自分は2つのルールを同時に持っていた、と説明しました。
商品化され、売れて、会社に利益をもたらすこと
イケてるボツり方をすれば「イケてるボツコレクション」が1つ増えること
高橋さんは、マイルールを達成することが、現実のルールの目的達成にもつながればいいとずっと思っていたそうです。2つのルールが並行していること自体が大事な気がする、と話しています。
通すだけなら誰でもできる、と思っていた理由
荒木さんは、イケてるボツが糧になって、だんだん企画が通りやすくなったのかを尋ねます。高橋さんは、今でもボツはあると答えます。そして、全部を通しにいこうとすると面白いものは生まれない、というのが経験則だといいます。
高橋さんは、日本の玩具業界の現状を例に挙げます。今の日本の玩具業界はほぼキャラクタートイで、人気アニメの版権を取ってグッズを作るのが勝ちパターンだといいます。
企画を通したいなら、売上を作りたいなら、キャラクタートイをやればいい。しかし高橋さんは、開発者としてそれをやっていなかったといいます。業績の評価はそれほど高くなかったと思うものの、人を笑わせるジョークトイをやりたいという方向性があったそうです。
荒木さんは、毎回渾身の企画は、人を半分置いてけぼりにするくらいまで飛ばさないと、高橋さん自身が満足できないのかと尋ねます。高橋さんは「そうです」と答えます。
高橋さんは当時、通すだけなら誰でもできると思っていたといいます。自分にしかできないものをやってこそ、おもちゃ開発者として存在意義がある、という考えです。この感覚も、お笑いには一人一人の個性が必要だという学生時代の経験から来ているそうです。
高橋さんは自分を「人に笑われたい化け物」になっていたと表現します。マイルールというより性のようなもので、もはやゲームでもなく、人としてそうだったのかもしれない、と振り返りました。
笑われるのと、笑わせるのは何が違う?
高橋さんが「人に笑われることの喜びにもいろいろある」と話すと、渡邉さんは紙一重の笑いについて尋ねます。ただバカにされているのか、面白いことを言っていると評価されているのか、その違いはどこにあるのか、という問いです。
高橋さんは、ゲームのたとえで答えます。効果があると考えて出したカードが狙いどおりに効いた、というフィードバックを得たときに嬉しいといいます。
自分が切ったカードが想像どおりに機能した。快感を覚える
しくじってスベったことを笑われた。あまり気持ちよくない
高橋さんは、これはあくまで自分の場合で、人によって違うと思うと断っています。
渡邉さんは、ここからゆる言語学ラジオ ── 言語学をテーマにした雑談系のYouTube・Podcast番組。編集者の水野さんと、言語学を専攻した堀元さんの2人が話す番組ですの水野さんの話を連想します。水野さんは大学時代、仲間内で笑ってもらうことに喜びを覚えていて、いじられ方に自分なりの美学があったそうです。笑ってもらう喜びにもいろいろなパターンがあるのか知りたくなった、と渡邉さんは話しました。
Voicyで笑いを取るとフォロワーが減る?
高橋さんは音声配信サービスVoicy ── パーソナリティが音声番組を毎日のように配信できる日本の音声プラットフォーム。ビジネスや学びの話題を扱う番組が多いのが特徴ですで配信を続けています。目的は、笑ってもらえる放送をすることです。この目的を他のパーソナリティに話すと理解されないことが多く、何のためにやっているのかと何度か聞かれたといいます。
高橋さんが至福の喜びとしているのは、「電車の中でニヤニヤしちゃったからやめてください」といったリスナーのコメントです。特に、自分がウケるだろうと狙ったところを「そこめっちゃ笑いました」と言われると嬉しいそうです。
高橋さんによれば、Voicyの多くのパーソナリティは、再生回数やフォロワー数を追ったり、自分のビジネスにつなげたりと、それぞれのルールでゲームをしています。荒木さんは例外かもしれない、とも言い添えています。
高橋さんも、Voicyを自分にとってのゲームだと捉えています。笑いをコメント数とコメントの内容で見ているからです。逆に、意図しない形で「声が変でしたね」と笑われても、あまり嬉しくないといいます。
高橋さんによると、ふざけて笑いが取れたときには、フォロワー数が必ず減るそうです。再生回数もその回は特に多くありません。意識の高い、役に立ちそうなタイトルを付けた回のほうが、通常より100ぐらい多く聞かれるといいます。
フォロワーが減る理由について、高橋さんは、Voicyに集まるリスナーは笑いではなくお役立ちを求めているのだろうと推測します。一人でボケて突っ込むのを寒いと思って去る人がいるのは当然だ、とも話しています。
それでも高橋さんは、笑いを取りたいという原動力で毎日続けています。いつかそれでたくさん聞かれるようになればいい、という構造で配信しているそうです。
それはゲームなのか、遊びなのか
荒木さんは、高橋さんのVoicyはゲームではなく遊びなのではないか、と問いかけます。
ゲームっていうのは、例えばその再生回数だとかフォロワー数みたいなわかりやすいさ、Voicyの中でのなんか価値基準があるっていう。で、それをいかにハックしていくのか。
ルールの設定者は自分だけであり、そこの参加者も別に明確な人がいるわけでもなく、競争があるわけでもないっていう意味でいくと、それ(笑いを取ること)は遊びなんじゃないの。
高橋さんは、この問いを「めちゃくちゃ面白い」と受け止めます。そのうえで、自分にとってVoicyは「一人ゲーム」だと答えました。一番笑えると言われたいという目標があり、それを達成しようとしている時点でゲームに寄っているのではないか、という考えです。
荒木さんは、ゲームには勝敗や競争がつきもので、遊びでは自由や自己表現が大事だと整理します。そのうえで、直感的には高橋さんは「Voicyを使って遊んでいる」ように見える、と話しました。
自分だけのルールで「一番笑える」という目標を目指し、数字やコメントも見ている
ルールの設定者は自分だけで、競争も明確な参加者もなく、自由な自己表現に近い
2人の見方の違いを受けて、高橋さんは自分が作っているものを紹介しようとします。高橋さんは、遊びとゲームの間で人を幸せにするものを作ることに挑戦しているといいます。その一つが、妄想商品マーケット「モーマ」というウェブアプリです。
渡邉さんは「面白そうすぎる」として、モーマの話を次回に持ち越すことを提案しました。荒木さんもこれに賛成し、この回は締めくくられます。渡邉さんは、遊びとゲームの間という考え方は、話を聞きながら自分も思っていたことだと話しています。
まとめ
今回のエピソードでは、高橋晋平さんがボツを楽しめた理由をたどりました。その根には、お笑いで身につけた「狙ってスベり、調整してウケる」感覚と、現実のルールと並行して持つ自分だけのマイルールがありました。最後は、高橋さんのVoicyはゲームなのか遊びなのかという問いを経て、遊びとゲームの間にあるもの作りへと話が進みます。
- 高橋さんがボツを喜べたのは、大学4年間のお笑い経験で、スベることからしか新しいものは生まれないと理解していたため
- 意味があるのは、ウケを狙った実験のスベりで、振り返って調整することが前提になる
- 高橋さんは「売れる」という現実のルールと「イケてるボツを集める」マイルールを並行して持っていた
- 高橋さんのVoicyは、本人の見方では一人ゲーム、荒木さんの見方では自由な遊びで、捉え方が分かれた
- 遊びとゲームの間で人を幸せにするウェブアプリ「モーマ」の話は、次回に続く


