なぜ「弱さ」はこの番組のホームグラウンドなのか?
超相対性理論の今回は、井上慎平さんの著書『弱さ考』をもとに「現代の理想的なビジネスパーソン像って強すぎない?」を考える対談の2回目です。収録は終始リラックスした空気で始まりました。
井上さんは、体力も落ちて疲れていることを「そういうことも言っちゃうのが弱さです」と話すつもりだったものの、渡邉さんのほうが疲れていそうだったので「ちょうどいい」と思ったと笑います。
渡邉さんは、弱さについて話すことは自分にとって「ホームグラウンド」のように感じると話します。これを受けて荒木さんは、この番組の会話そのものが、なんだかんだ弱さの話なのではないかと言い切りました。
やっぱりさ、その競争とかさ、その評価とか、そういうところからいかに逃れるかみたいな、(番組の)通奏低音であるわけじゃない。
荒木さんは、競争が強さを前提にしているのに対し、以前のゲストの三宅香帆三宅香穂さんが語った「競争と表現」という対比でいえば、表現は弱さとセットで語られるものではないかと続けます。
ビジネスは「なる」を許さない「する」の世界
渡邉さんから前回の体感を尋ねられた井上さんは、「海に浮かぶクラゲのようにふにゃふにゃ話していいんだ」という嬉しさが残ったと答えます。
そのうえで井上さんが振り返ったのは、番組でよく語られる「なる」「なりゆく」という考え方と、ビジネスの世界とのギャップでした。
何ともなりませんでしたって言ったら、いやお前何とかしてこいっていう世界じゃないですか。
井上さんによれば、ビジネスでは「こうなりました」という言い方は許されず、「する」だけが求められます。渡邉さんはこれを「不可能な再現性を求められるところがある」と言い表しました。
物事は自然とそうなっていく、という受け止め方
「何ともなりませんでした」は許されず、何とかしてこいと求められる
『弱さ考』は読む人を語り部にする本?
渡邉さんは前回を振り返り、『弱さ考』を冒頭から涙と嗚咽が出てくるような「赤裸々な本」と紹介します。荒木さんは読みながら自分の記憶を反芻し、渡邉さんは応答したくなって手紙を書いたといいます。
渡邉さんは、誰もが自分の体重を乗せて読んでしまうのは、井上さん自身が体重を乗せて書いたからかもしれないと話します。そこで持ち出したのが、渡邉さんが提唱するコンテクストデザイン ── 渡邉康太郎さんが提唱する概念。作品やサービスに触れた一人ひとりの中に、それぞれの解釈や物語が生まれるようなものづくりを指しますの考え方です。
コンテクストデザインでは良い映画は見た者全員を語り部にするとかってことを僕は言っていて。
渡邉さんによれば、人が映画を語るとき、映画に描かれていない世界まで自分の解釈で語ります。解釈が正しいかどうかより、同じ作品を見ながら違う景色を見る同床異夢 ── 同じ場にいながら、それぞれが別々の考えや夢を抱いていること。もとは同じ床に寝て違う夢を見るという意味の四字熟語ですのような状態が立ち上がることが大事だといいます。
渡邉さんは『弱さ考』にもそうした余白があり、編集者のコンノコンノさんからも同じような感想が多いと聞いたと付け加えました。
前回のまとめ: 伝記のナラティブと「雨が降っても自分の責任」
井上さんの問いかけをきっかけに、渡邉さんが前回の内容をまとめ直します。前回は、渡邉さんの弱点の話や、組織のリーダーとして弱さを見せられなかった荒木さんがそのレースから降りた話が出ていました。
渡邉さんは、社会でよく認められるドミナントなストーリーは小学校で読む伝記から始まり、「歯を食いしばって頑張ればうまくいく」というナラティブに縛られているのかもしれない、と整理します。
さらに、荒木さんが通う一次産業の現場の話も振り返られます。自然は人為的にコントロールできないので、人間の弱さを前提にするところからしか始まらない、という点が『弱さ考』第5章の自然災害と無常観の話につながっていました。
荒木さんがかつて感動した「雨が降っても自分の責任だと思う」というスピーチも話題になりました。若い頃は感動したものの、今では傲慢でもあると感じるといいます。
渡邉さんはこれを、シンプルな因果関係で物事を短絡させるのは若さの強さでもあり弱さでもある、とまとめます。一方で社会で行動を起こすには、一度問題を狭く捉える必要もあり、そこが難しいという地点で前回は終わっていました。
リアルタイムこうたろうさんまとめ聞けた。めっちゃ嬉しい。
人の成長とは因果を複雑に捉えられるようになること?
荒木さんは前回最後の因果関係の話に強く共感し、人の成長とは因果を複雑に捉えられるようになる過程なのではないかと話します。
荒木さんが挙げる例は逆上がりです。仕組みを理解して何回か練習すればできるようになる、というシンプルな因果を獲得するのが成長の一歩目です。一方、クラスのテストで上位になるには、他の人も頑張るので要因がずっと複雑になります。
逆上がり
練習すればできる、というシンプルな因果を獲得する
テストの順位
他の人も頑張るため、要因が複雑になる
複雑な世の中
因果を自分なりに読み解けるようになる
ただし荒木さんは、シンプルな因果で勝ち上がってきてしまうと、成長しているように見えて認知が成長していないこともあると指摘します。
なんかその認知のまま行っちゃう人が強くもあり危険でもあるなみたいな気がするよね。
荒木さんによれば、どこかでつまずき「世の中は単純じゃない」と理解したときに、複雑性の扉が開いていきます。
渡邉さんはここで、マイケル・サンデル ── アメリカの政治哲学者。ハーバード大学教授で、正義や能力主義をめぐる議論で広く知られていますの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』を挙げます。社会的に成功した人ほど成果を自分の実力によるものと信じ、家庭環境や受験できる環境といった運の要因を見ずに、努力のナラティブを強めてしまうという話です。
方程式を変えられない苦しみと中年の危機
井上さんは、うつになって休んだ経験が早い時期に来たからこそ今こうした考えを持てているが、そうでなければ認知も因果もシンプルなままだったかもしれないと話します。
その体って絶対衰えていくじゃないですか。脳みその体力もあるし、なんかそこでゲームチェンジできないっていう苦しみ。
荒木さんはこれに強く反応し、ミッドライフクライシス ── 中年期に、これまでの生き方や価値観に行き詰まりを感じ、心理的な危機に陥ること。「中年の危機」とも呼ばれますの要因の一つはまさにそこではないかと応じます。
シンプルなロジックで来ちゃったが故に、今のできないっていう状態を今までの方程式だと受け入れられないと。
荒木さんは、方程式を変えなければと思えるうちはまだよく、そもそもメタ認知ができない状態に陥ることも多いのではないかと話します。
頑張れば成功する、というシンプルな方程式で勝ち上がってきた
体や脳の体力が衰え、今の「できない」状態を今までの方程式では受け入れられない
失ってはじめて「生きている」と感じる
井上さんは、続けてきたナラティブが事故のような出来事で続けられなくなると深く傷つく、と話します。ただ、しんどい日常であっても、今のほうが生きている気がするといいます。
やっぱなんだろう、ベタにその、何かを失って一回戻ってくると、あるんだってことに驚けるんですよね。
この感覚に強く共感したのが荒木さんです。井上さんの経験と比べるのはおこがましいと断ったうえで、足首と腰を痛めた些細な経験を語ります。
俺には体があんだってやっぱ思うんだよね。つまりね、今までシームレスに動いてくれてたから、(体の)存在を認識しなかった。
荒木さんは、半年、一年とケアしても治らない体と本腰を入れて向き合うことになったとき、初めて「体のある人間なんだ」と感じたといいます。井上さんも、順調なときには気づかなかった感覚が突然立ち上がってくると応じました。
日々引き裂かれている: 「生きる」と「生き延びる」
井上さんは渡邉さんに、繊細な感受性を持ちながらズタボロにならずにいるのはなぜか、自分の傷つきにどう応じているのかと尋ねます。
渡邉さんは、初めて井上さんに会ったときにも同じことを聞かれ、「日々引き裂かれてますよ」と答えたと振り返ります。井上さんも、引き裂かれていることが二人の共通項だと話しました。
渡邉さんが手がかりにしたのは、『弱さ考』でも引かれている穂村弘 ── 歌人。短歌のほか、エッセイや評論でも知られています大村博さんの『はじめての短歌』です。渡邉さんは大学の授業でもこの本を使っており、特に大事にしているのが「生きる」と「生き延びる」の対比だといいます。
渡邉さんによれば、ご飯を食べる、落としたコンタクトレンズを探す、朝起きて仕事に行くといった「生き延びる」価値観には、誰もが合意できます。一方の「生きる」は、生き延びることと矛盾することがあるといいます。
例えばその雨にずぶ濡れになって楽しむ時って、風邪引いちゃうかもしれないから、生き延びることを半分放棄しているとも言えるんだけど、
今この瞬間にしかできない生の喜びを一番感じてるかもしれない。
渡邉さんは、穂村さんがこの対比を「詩人」と「新聞記者」として描いていると紹介します。面白いのは、世の中に二つのタイプがいるのではなく、一人ひとりの中に両方の人格がいるという点で、渡邉さんはそれを「リアリティ」だと話します。
雨にずぶ濡れになって楽しむように、全員が合意しないかもしれない今この瞬間の喜び
ご飯を食べる、仕事に行くなど、誰もが合意できる社会通念上の大事なこと
渡邉さんは、ビジネスの世界が新聞記者の側面だけで語られるようになると辛くなる、と指摘します。本来は両輪のはずが片方だけになるからです。
起業は「生きる」で始まり、「生き延びる」に偏っていく
渡邉さんは、効率よく生きるなら会社に就職して給料をもらうのが一番だが、それでは新しい会社は生まれないと話します。誰かが失敗してもいいからとリスクを取り、生き延びることを半ば放棄しながら起業しているのかもしれません。
ところが、毎年の売上と利益を確保するリピートになったり、人数が増えて共通言語が数字に収斂したりすると、会社は「生き延びる」に偏っていきます。渡邉さんは、そうなると「生きる語彙」が忘れ去られやすくなると話します。
起業
夢を重ね、リスクを取って「生きる」で始める
拡大
売上と利益の確保が繰り返しになり、人数も増える
偏り
共通言語が数字に収斂し、「生きる語彙」が忘れられて辛くなる
渡邉さんは、面白い仕事はどんな場面でも生きる性を持っているはずで、違う価値軸を差し込むことでしか仕事は面白くならないといいます。だからこそ、引き裂かれていないと本当は生きないとすら思うと語りました。
井上さんはここで、自分は本の中で、生き延びるというビジネス的な世界観がプライベートの「生きる」に侵食していないかを問題提起したつもりだったと明かします。
僕もこれから小さな会社を作るんですよ。二人でですけど、生きるで始めるんですよね。
井上さんは、生きるで始まった企業がいつの間にか生き延びるにほぼ埋め尽くされる例が多いと感じており、渡邉さんにバランスを取る工夫を尋ねます。
答えは「ブラックジャックのアッチョンブリケ」?
渡邉さんの答えは、意外にもブラック・ジャック ── 手塚治虫による医療漫画。無免許の天才外科医ブラック・ジャックと、助手のピノコが登場します。「アッチョンブリケ」はピノコの口癖ですの「アッチョンブリケ」でした。井上さんも荒木さんも、最初は意味がわからなかったといいます。
シリアスな病状を描いた後、1ページでそれが埋め尽くされる前に一回ピノコがアッチョンブリケつって変顔するんですよ。
渡邉さんによれば、手塚治虫は話が真面目になりすぎると、読者が離脱しないよう意味のない冗談を挟みます。その抜けを作ることが一つの美学になっているといいます。
渡邉さんは、喧嘩の途中でもダジャレを挟んで一度笑ってしまうカップルを例に挙げ、一つのモードに支配されていると気づけば、それを少し軽くする技があるはずだと話します。
なんか生き延びる作法の中で少しでも生きるを注入できないか。これって結構自然な考えだと思うんですよ。
乗り気でないトークイベントに登壇する場合でも、せっかくなら楽しもうと考える。渡邉さんはそれを、割り切るけど割り切りきらない態度だとまとめました。
混ぜられる人だと思われること、そして紋切り型を揺さぶること
井上さんは、アッチョンブリケを入れていける人だと周りから認知されていることが大事だと話します。しそうにない人が急にやると驚かれるからです。
でもなんかアッチョンブリケの部分持ってるのに、我はアッチョンブリケなどせぬみたいな振る舞いでこう、社会人やっちゃうことありますよね。
渡邉さんが「基本的にダジャレで生きてますけどね」と返すと、井上さんは、そう言っておくと楽だと応じます。井上さん自身も「僕も弱いんです」と言ってから、ずいぶん生きやすくなったといいます。
荒木さんにとって、その役割を担っているのがイラストです。メッセージが骨太であるほど空気を抜きたくなり、緩めたくなるのだと話します。
いろんなグラデーションあると思うんだけど、それ(抜け)をなんか挟み続けるってことなんだろうね。
渡邉さんはさらに、軸をぶらし、「こうあらねばならない」に揺さぶりをかけたいと話します。
「仕事を楽しまなきゃ」という新しい支配と、次回への問い
井上さんは「混ぜる」という言葉の大切さに共感しつつ、注意点も挙げます。全部の仕事をうっすら楽しくできるという幻想を持つと、今度は「仕事を楽しんでいます」と言わなければならない空気に支配されてしまうからです。
井上さんの考えは、つまらないこともあると認めたうえで、そこに自分なりの変顔やダジャレを混ぜていこう、というものでした。
さらに井上さんは、読者から聞こえてきそうな声を想像して二人に投げかけます。入社したばかりで居場所もスキルもなく、会社への貢献を示すことに必死な人は、ふざけたり弱さをさらけ出したりできないのではないか、という問いです。
その生き延びるに必死で生きるを混ぜる余裕がありません。
荒木さんはこの問いを次回の冒頭で扱うことを提案し、収録はここで締めくくられました。紹介された本は、サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』と、穂村さんの『はじめての短歌』です。荒木さんによれば、後者は文庫が電子書籍のみになっていたそうです。
まとめ
今回の対話は、「する」ばかりを求めるビジネスの世界で、弱さや「生きる」をどう扱うかを掘り下げる内容でした。因果を単純に捉える強さの危うさから、失って気づく生の実感、そしてアッチョンブリケのような抜けの効用へと話が広がりました。
- ビジネスは「なる」を許さない「する」の世界で、不可能な再現性が求められがちです
- シンプルな因果のまま勝ち上がると、体の衰えなどで方程式が通用しなくなったときに苦しむと語られました
- 穂村さんの「生きる」と「生き延びる」は、一人の中に両方ある両輪だと渡邉さんは話します
- 仕事の中に冗談やイラストのような抜けを挟み続けることが、「生きる」を混ぜる知恵として挙げられました
- 生き延びるのに必死な新人はどうすればよいか、という問いが次回へ持ち越されました


