スベることから生まれる「ゲームと遊びの間」とは?
最終回の冒頭で、渡邉さんは前回までの流れを振り返ります。発端は、高橋晋平さんの会社員時代の成功の秘訣である「誰よりも多くボツネタを考える」という話でした。
晋平さんには、社内でプレゼンするときに「イケてるボツを生み出す」というマイルールがあります。その根っこには、学生時代のお笑いで身につけた「スベることでしか新しいものは生まれない」という信念があるといいます。
ただし、晋平さんのプレゼンはスベるためではなく、通すためのものです。確実に通る安パイでは面白くないので、自分の個性が生き、人に笑われるような提案をどう通すかを考える、という心意気だと説明されました。
荒木さんはこの話を受けて、晋平さんは社会の規範やルールをわかったうえで、それをずらして遊びに見立てる人生の楽しみ方を知っているのではないか、と見ていました。
話は晋平さんの音声配信にも及びます。数字を追うのではなく「笑ってもらえる放送をしたい」という晋平さんの配信は、ゲームなのか遊びなのか。晋平さんはこの問いに、実は遊びとゲームの間こそ大事なジャンルだと答え、前回は終わっていました。
ゲームの中だけで生きると、なぜ幸せになれないのか
荒木さんは、前回の最後に出てきた「モーマ」という言葉に注目します。晋平さんが何か変わったトーナメントをやっていることは知っていたものの、話を聞いてあらためて「やっぱりそこなんだ」と感じたといいます。
僕らがゲームそのものっていうもので、多分長期的には幸せになれないんだよね。
荒木さんによれば、ゲームで上位に行くとアドレナリンは出ます。けれど勝ち続けるのはとても難しく、勝者は限られていくので、だんだん殺伐としてくるといいます。
ゲームの中で一生終わっちゃうと、そのゲームのプレイヤーとしてランキングがつけられるみたいなことになっちゃう。
荒木さんは、ゲームの構造をメタに理解したうえで、そこからどうずれていくかに自分らしさや人生が表れると考えています。この「ずらし」がゲームなのか遊びなのかという問いから、晋平さんの話へ移ります。
上位に行くとアドレナリンは出るが、勝ち続けるのは難しい。勝者が限られて殺伐とし、プレイヤーとしてランキングがつけられる
ゲームの構造をメタに理解し、そこからずれていく。その人らしさや人生が見えてくる
妄想商品アプリ「モーマ」はどんな仕組みなのか
高橋晋平さんは、SNSをはじめとするゲームらしきものに人が疲弊していると感じていました。その仮説から作ったのが、妄想商品マーケット「モーマ」というウェブアプリです。
晋平さん側の目的は、斬新な商品アイデアやビジネスアイデアをいろいろな人に考えてもらい、集めることです。そのためのゲーミフィケーション ── ポイントや競争、報酬などゲームの要素を、ゲーム以外のサービスや仕事に取り入れて、人の参加意欲を高める手法のことですとして、モーマを設計しました。
モーマでは実現性は問われません。自分の出品履歴と、他の人の購入履歴がそろっていくことで、「できるかわからないけど、できたら欲しい」という人間の欲求が集まる仕組みになっています。晋平さんは、モーマを欲しいものが集まるアイデアメモアプリだと説明します。
モーマで最も重要な仕掛けは、関係が一方通行になっていることです。自分の商品を誰が買ったかはわかりませんが、自分が買った商品の出品者のプロフィールは見られます。
そのため、モーマの参加者は「もしかしたらこの人が自分の商品を買ってくれたのかもしれない、気が合いそうだ」と想像しながら、正解がわからないすれ違いを続けることになります。売れた金額は出品者に入るので、アイデアを出すほどお金が増えていきます。
晋平さんによれば、モーマの楽しみ方は人それぞれです。良いアイデアを集める人、金額を増やすマイルールを楽しむ人、自分の商品が売れる打率を見る人もいます。一方で、モーマではフォロワーも増えず、DMも送れません。妄想商品を出したい気持ちがなければ続かないアプリです。
多くの人は1か月ほどでモーマから離れていきます。それでも5年間ずっと出品を続けている人もいて、妄想商品は10万件を超えるデータになっています。
長く続けている人たちは、一円の得にもならないのに「本当に楽しい」と話し、Xのスペースで集まってしゃべっているそうです。年に1回は、その年いちばん面白かった妄想商品をXの投票機能を使ったトーナメントで決めて、みんなで喜んでいるといいます。
晋平さんは、モーマでは誰も傷ついておらず、ハマった人は幸せになっていると話します。晋平さん自身も、自分では思いつかないアイデアを集めて楽しんでいます。
スケールさせると大事なものが失われるのか?
一方で晋平さんは、モーマをビジネスにしようとすると人がどんどん離れていくと認めます。長く残るのは、選ばれし変態とも言える妄想家たちだけだからです。
集まった10万件のアイデアを売るかどうかは、晋平さんはあまり考えていないそうです。モーマで得ているのは、自分の実験とアイデアの収集、そして何年も妄想を出し続けられる人たちとの出会いだといいます。
晋平さんは、モーマを大きくするには、もっとゲーム寄りのゲーミフィケーションを足す必要があると考えています。ただし、そうするとアイデアは多分つまらなくなります。ポイントなどの目的がなく、それぞれがマイルールで考えているからこそ、本当に面白いものが集まっていると話します。
ビジネスとして伸ばす
スケーラビリティや収益を求める
ゲーム要素が強まる
よりゲーム寄りのゲーミフィケーションを足す
面白さが失われる
マイルールで考える余地が減り、アイデアがつまらなくなる
荒木さんは、モーマの話にビジネスの宿命を感じたといいます。ビジネスの人が聞けば「こうすればもっと儲かる」という話になりますが、そうするほどモーマはゲームになっていきます。
この宙吊りにしないで極に行けば行くほどゲームとして成立するかもしれないんだけど、なんか大事なものが失われていく。
荒木さんは、モーマが拡張性をあえて限定している点にこそポイントがあると見ています。晋平さんも、「もっとスケールしろ」という命題が与えられていたら、モーマという企画は成立しなかっただろうと応じました。
晋平さんがモーマで大事にしたのは、本筋のリアルゲームに対して自分のマイルールを作り、妄想ゲームを遊ぶことで、リアルゲームの目的も同時にかなえるバランスです。そのためモーマを、マイルールを作りやすい設計にしたといいます。
渡邉さんはこれを、晋平さんのゴールと遊ぶ人のゴールがベン図のように重なりつつ、完全には一致していない状態だと整理しました。
自分でゲームを作り、宙づりのまま保てるか?
高橋晋平さんは、今回の対話を通じて、妄想ゲームを作れる人は幸せだが、それが個人の技量に寄った話になってきていると感じていました。誰もがマイルールを妄想で作れるように、メッセージや仕掛けで社会に浸透させられれば幸せが広がるかもしれない、というのが晋平さんの仮説です。
渡邉さんは、お笑いでいう芸人の仁 ── お笑いの世界で、その芸人らしさや人柄、キャラクターを指す言葉です。同じネタでも、仁に合うかどうかで受け止められ方が変わるとされますのように、誰にでも自然と求めてしまう遊び性があるはずだと話します。いつも同じようなアイデアに寄ってしまうときは、気づいていないマイルールが隠れているかもしれず、それを見つけると自分を喜ばせる術に一歩近づくといいます。
荒木さんは、全人類が幸せになる道を平たく言えば、自分でゲームを作れるようになることではないかとまとめます。他者が作ったゲームに無自覚に参加するのではなく、自分でゲームを作る技量を持つことが大切だといいます。
渡邉さんが「ハックしない」ということかと聞くと、荒木さんは強く同意します。ゲームを作ると、その先、その先と進めたくなり、だんだんつまらなくなってしまうので、宙づりにとどめることがとても難しいと話しました。
晋平さんは、大勢を巻き込むゲームはそうそう作れないと前置きします。そのうえで、自分のために小さなゲームを作り、何十人かが参加してくれて一緒に幸せになれればいいと考えています。たくさんの人に遊んでほしいと思わなくても、「これやってみようぜ」と誰かと遊ぶだけでも幸せで、そこから偶発的に別の目的がかなうこともあるのではないか、と語りました。
伝わると伝わらないの間で、何が起きるのか
渡邉さんは、二人の話を聞いて、自分の中の遊びの1つに気づいたといいます。それは、人とのコミュニケーションにおける「伝わると伝わらないの間」「届くと届かないの間」を大事にしていることでした。
その実験をして失敗して常に滑り続けているって状況が俺の人生なんだけど。多分。
なんか分かりやすいとつまんない。あとはなんか全然わかんないのもつまんなくて、それってなんか自己満足に終わっちゃうから。
渡邉さんは、ズバッと一言で言い切る話し方も大事なスキルだと認めつつ、自分は得意ではなく、面白いとも思っていないといいます。わかるとわからないのぎりぎりの間で、互いに「通じたかもしれない」と思い込めるとき、幸せな場が生まれていると考えています。
「届く・届かない」の例として、渡邉さんは以前作った石鹸のギフトを挙げます。使っていくと中からキャンバス地の布が現れ、実は手紙になっているという贈り物です。
石鹸のギフト
使うと中から手紙が出てくる石鹸。友人のネパールの女性支援プロジェクトと連動
思わぬ共感
単体のビジネスとしては大きくならなかったが、イッセイ ミヤケのデザイナーの宮前さんが面白がる
フロリオグラフィー
花のコサージュを包む紙が手紙になる商品を共作し、11か国で3年連続のグローバルキャンペーンに
渡邉さんにとって、この展開はまったく予想していなかったものでした。個人的な趣味で始めた手紙の試みが、たまたま面白がってくれた人を通じて国境を越える仕事につながったことは、晋平さんの言う「偶発的に別の何かにつながる」ことの実例だったといいます。
晋平さんもこの話にとても共感していました。クリエイター仲間やビジネスの先輩から「わかりにくいのが好きだね」と言われると喜んでしまうそうです。ストレートに届いてウケるより、思いがけない受け取られ方で笑ってほしいと感じてきたといいます。
晋平さんによれば、モーマも一部の人には「天才だ」と言われる一方、ほとんどの人には理解されていません。それでも誰かに届くことを、晋平さんは幸せに感じています。
渡邉さんは、大学で教える建築家の知人から聞いた話も紹介しました。建築を学ぶ学生には「みんなは評価していないけれど自分はここが好き」と語る文化があり、少しずつ違う価値観を持つこと自体が共通の基盤になっている。渡邉さんはその「違うことが共通している」状態を面白がっていました。
荒木さんは、教育に携わる立場から、届く・届かないの間がとても重要だと話します。
荒木さんによれば、教育ではどれだけ余白を残すかがスキルになります。余白があれば誤読も起きますが、それが教員を超える示唆につながることもあります。
完全にわかったっていうすっきりで終わるんじゃない、でもマジわかんねえ最悪で終わるのでもない。その中間ね。
荒木さんは、学生の「モヤモヤしました」という言葉をネガティブに捉えがちな中で、健全にモヤモヤしてもらう比率をいつも考えているといいます。
社会を幸せにするゲームへの一歩目は?
荒木さんは最後に、シリーズの最初のお題「社会を幸せにするゲームとは何か」に戻り、高橋晋平さんに総括を求めました。
晋平さんは、みんなを幸せにする1つのゲームを作るのは難しいと前置きします。そのうえで、まず自分が本当に心地いいゲームを妄想の中で作り、リアルゲームと妄想ゲームの間で生きることを提案しました。
晋平さんによれば、自分だけのゲームを世の中にポンと放ると、そこに入って幸せになる人が現れ、マイ妄想ゲームがスモールゲームとして誰かを幸せにするかもしれません。
自分が心地よいゲームを作る
妄想の中で、自分のためのゲームをつくる
間で生きる
リアルゲームと妄想ゲーム、遊びとゲームの間で過ごす
世に放る
ルールをがちがちにせず、遊びとゲームの間のまま差し出す
スモールゲームになる
受け取った人が自分に合う遊び方で楽しみ、幸せが広がる
晋平さんは、ルールを固めて「この通りに遊べ」と放るのではなく、正しく伝わらずに別の遊び方へ発展する余地を残すことが大切だといいます。それが社会を幸せにするゲームの一歩目ではないか、という結論でした。
荒木さんと渡邉さんも「めっちゃやろう」と応じ、元気をもらったと話します。昔のノートを見返すと当時のほうが妄想力があった、いろいろ知ると妄想が止まってしまうので日々筋トレのように鍛えたい、という話でも盛り上がりました。
シリーズ初回の冒頭で、晋平さんは渡邉さんがワンピースを読んでいると思って話を振り、スベってしまったそうです。晋平さんは「終わったかと思った」と振り返りつつ、最終回では夢の果てにたどり着いた感覚があると話して、4回の対話は締めくくられました。
まとめ
高橋晋平さんを迎えた最終回では、勝ち負けが明確なゲームでも目的のない遊びでもない「間」に、幸せの手がかりがあるという考えが深まりました。自分のためのマイルールを作り、それを宙づりのまま世に放つことが、社会を幸せにするゲームへの一歩目として示されています。
- ゲームの中にとどまり続けると、ランキングと殺伐さに疲弊しやすいと語られています
- 妄想商品アプリ「モーマ」は、拡張性を限定しているからこそ5年続く面白さを保っています
- 自分でゲームを作る技量と、それをハックせず宙づりにとどめることの両方が大切だとされています
- 伝わると伝わらないの間に余白を残すと、偶発的なつながりや新しい示唆が生まれることがあります
- 自分が心地よいマイゲームを世に放つと、スモールゲームとして誰かを幸せにするかもしれません





