白湯をすすりながら話す対談で、前回は何が語られた?
超相対性理論の井上慎平さんゲスト回は3週目に入りました。井上さんは強いビジネスパーソンを目指して鬱になった経験から、『弱さ考』という本を書いています。
対談3回目の居心地を聞かれた井上さんは、酒でテンションを上げて話すのではなく、白湯をすすりながら話している感じだと表現しました。リラックスした空気のまま、この回も進みます。
冒頭で渡邉さんは前回の内容を振り返ります。ビジネスでは「なる」ではなく「する」を強いられやすく、本来は不可能なはずの再現性を求められがちだという話がありました。
さらに、人間の成長とは因果が複雑だと学ぶことなのかもしれない、という論点も出ていました。逆上がりは練習すればできても、テストで1番になるには他者が関わり、因果はだんだん複雑になります。
勝ち上がり続けた人ほど「頑張ればいい」というシンプルな因果に固着しかねない、という指摘もありました。井上さんは30代前半で鬱になったからこそ、複雑な世界を捉えられているのかもしれない、と振り返りの中で語られています。
前回の最後に井上さんが投げた問いは、大事な場面でもふざけたり、さらけ出したりするのは簡単ではない、ではどうするのか、というものでした。
組織に「穴」があると、なぜポテンシャルが上がるのか
井上さんの問いに対して、荒木さんは本の中のエピソードを挙げます。ドミニク・チェンさんがプロデュースした『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』に登場する、若年性アルツハイマーになった丹野さんの話です。
本の中の丹野さんの話では、丹野さんが記憶を保持できなくなったとき、個人に記憶の責任を押し付けず、周りの全員で覚えればいいという形に変わりました。荒木さんによれば、それをきっかけに組織のポテンシャルが上がったと書かれています。
丹野さんが穴になったっていう表現してるんですけど、穴があるとみんながそれを埋めようとする。そこで組織としてのスイッチが押されて。
荒木さんは、身近な職場にも同じことがあると話します。新人や異動してきた人がいると、しっかりケアしよう、できないことを代わりにやろうという組織のスイッチが押されるといいます。
本人としてはね、迷惑かけちゃってんな、ごめんなさいみたいな気持ちかもしれないんだけれども、それ(穴があること)は実は組織のポジティブな要素になりうるのだっていう。
井上さんは、その見方は考えたこともなかったと受け止めつつ、別の側面も指摘します。井上さんや丹野さんには病名というわかりやすいラベルがあり、誰が見ても穴だとわかる状況でした。
一方で井上さんは、実は穴が開きかけていても、理想的なビジネスパーソン像から外れるのを恐れて隠し、歯を食いしばって生き延びている人も多いだろうと話しました。
荒木さんは自身もいた経験から、強さを求める組織では穴がネガティブでしかないと語ります。トップが完璧で「俺みたいになれ」というメッセージがある組織では、かえって自分がいなくてもいいように感じてしまうといいます。
トップが完璧で「俺みたいになれ」。穴はネガティブでしかなく、自分がいなくてもいいように感じる
穴があるとみんなが埋めようとしてスイッチが入る。穴が誰かの役に立つ場所になる
失敗を語るイベントは、なぜ人気になったのか
荒木さんの穴の話を受けて、渡邉さんはビジネスライクな話とパーソナルな話を思い出します。ビジネスの話は、ある西洋人の社長から聞いた大企業の事例です。
その大企業では、うまくいったベストプラクティスを発表する場を四半期や半年ごとに開いていました。途中から、それを失敗を語る場に変えてみたといいます。
最初は「恥ずかしいので無理です」という反応で全くうまくいきませんでした。それでも浸透させると決めて続けた結果、年単位の時間はかかったものの、今では一大人気イベントになったそうです。
ベストプラクティスをドヤって発表する場。失敗を語る場に変えても「恥ずかしいので無理です」
年単位で続けた結果、一大人気イベントに。いい失敗をシェアできることが格好いい文化へ
いい失敗をシェアできることがいかに格好いいかみたいな。そこのカルチャーに変わっていったっていうのを、すごい嬉しそうに教えてくれたんですよ。
渡邉さんは、トップが自ら相当な自己開示をしてミスを語ることがスタート地点として大事なのでは、と考えました。そこで自身も社内で、昔の大きなミスの話をしてみたといいます。
やっぱね、カルチャーになってないから、一発だと全然ダメで。僕は喋るんだけど、周りの人はちょっと引くみたいな。
井上さんは、短絡的な解決策を求めがちなのも強いビジネスパーソン像のあるあるだと指摘します。文化は長く影響するものなので、渡邉さんが20個ほど話してネタが尽きたころに、ようやく芽が出るくらいだろうといいます。
渡邉さんも、失敗を語るには相当な心理的安全が必要だと応じます。自分の中で問題を処理できていないと、ただ傷を広げるだけになりかねないからです。
戦略的に弱さを見せるリーダーはありなのか
ここで荒木さんが問いを投げます。弱さというキーワードは、ブレネー・ブラウン ── アメリカの研究者。人の弱さや傷つきやすさ(vulnerability)を研究し、TEDトークや著書で広く知られるようになりましたがTEDで話して本になったあたりから、10〜15年ほど前から少しずつ出てきたと荒木さんは認識しています。
僕が聞きたいのは何かって、(弱さを)テクニカルにやるリーダーはありなんでしょうかっていう。
渡邉さんは、荒木さんの言う戦略的な自己開示について、作為性への違和感は荒木さんが常に持っているテーマだと指摘します。そのうえで渡邉さん自身は、人間には作為しかない部分もあるのだから、それでいいと考えています。
わかんない。わかんないんだけど、めっちゃ気になんだよ。っていうか僕は気に入らないんだよ。ぶっちゃけ言うと。
荒木さんが気に入らないのは、強い人が「こうすればいいんだろ」と弱さを見せる態度です。ただ、そのモヤモヤの正体は自分でもよくわからないと話しました。
井上さんは、荒木さんのモヤモヤに強く共感します。井上さんは小学生のころ、「君のことを思って」と言いながら意味不明なルールを押し付けるような、作為や欺瞞のある教師が大嫌いだったといいます。
一方で井上さんは、今は作為的にしか生きられないという気もしていると話します。それなら「作為的にそうしている」ところまで自己開示したほうがいいのでは、というのが井上さんの考えです。
井上さんによれば、リーダーが失敗を語っても「リーダーだからだろう」というツッコミは必ず入りうるし、本当に苦しいことは言えないものです。それを真の自己開示のように扱い、相手にもできるはずだと求めるのは欺瞞だといいます。
さらに井上さんは、自己開示をしようと言われ、本当に苦しい人は表面的なことしか言えていないのに、チームには分かり合えた空気が漂う状況にモヤっとすると語りました。
荒木さんはこれに似た話として、友人の心療内科医である鈴木悠介さんの「自己開示ヤクザ」という表現を紹介します。
自己開示ヤクザっていう言葉を言ってたんだけど、俺自己開示したぞと。お前の番だみたいな。
荒木さんが問題にしているのは、普段強い人が弱さを語ること自体ではありません。それを強いコミュニケーションで相手に強いることです。渡邉さんも、強要は悪手だと応じています。
なんか俺が脱いだんだからお前脱ぐよねみたいな。自己開示ヤクザ(の)心境もわからなくもないから。
自己開示しない自由は、どこまで認められるべきか
渡邉さんは、誰にも強要はできないし、言わない話があることは尊重されていいと話します。井上さんも、自己開示しない自由がセットでなければきついと続けます。
井上さんは、職場で「9時5時で生き延びるためだけにやっている」という生き方も認められていいと話します。ドライな人とウェットな人は必ず同じ組織にいて、井上さん自身はウェット派ながら、ウェットなマネジメントで失敗したこともあるそうです。
渡邉さんはここで、社会学者立岩真也 ── 日本の社会学者。障害や生命倫理、福祉をテーマに多くの著作を残しましたの『人間の条件 そんなものない』に出てくる議論を紹介します。運動会の駆けっこで、障害のある子もみんなと一緒に走るのか、別に走るのか、という悩みを扱ったくだりです。
渡邉さんによれば、立岩さんはこの議論で答えを示さず、互いに矛盾する2つの考えをどちらも言わなければならない、と提案しています。
見ればわかる違いを無理に隠そうとしても、いいことはない
走るのが遅いことを知られたくないなら、その意思は尊重されるべき。周知の強要はよくない
これ答えはないんですけど、そのいずれも大事にできないかっていう提案をするんですよ。
渡邉さんは、自己開示しない自由をめぐる今の会話も、この議論にとても近いと感じています。荒木さんも、割り切れない難しさがあると応じました。
井上さんは、自己開示しないことの中にも、強制されてたまるかという人間の尊厳の話と、穴がバレたら評価が下がるという恐れが混ざっていて、本人の中でも割り切れないと付け加えます。
渡邉さんは、先ほどの失敗を語る話はあくまで、語りたい人が自由に語れる場が面白いという意味だったと補足します。全員が失敗を語るワークショップのような強要ではない、という確認です。
井上さんは、渡邉さんの「おもろい」という言葉がいいと受け止めました。正しさにこだわると止まらざるを得ないこともあるので、面白いからやってみるという姿勢が現実には大事だといいます。
欠けているものにしか、クリエイティビティはない?
渡邉さんは話を少し抽象的な方向へずらします。完璧で完全であることが理想的なビジネスパーソン像だとしたら、そこ自体はあまり面白くないと考えているそうです。
渡邉さんは、自分は社会的に常に引き裂かれていて、理想的に強くはあれないという自覚があり、むしろそれに誇りを持っていると語ります。異なる価値観や価値軸を持つことが、クリエイティビティの源泉でもあるからです。
渡邉さんによれば、みんなが合意しやすいものは大体怪しく、面白くもありません。面白いものは賛否両論で、全員が合意するとは限らないといいます。
渡邉さんはここで、茶人村田珠光 ── 室町時代の茶人で、わび茶の祖とされる人物。簡素で不完全なものに美を見いだす茶の湯の考え方につながりましたの「月も雲間のなきは嫌にて候」という言葉を引きます。満月がそのまま見えるより雲間の月がいい、つまり不完全なものの中にこそ美しさがあるという提案にも読めると話しました。
井上さんは、完璧に近い人はごく少数で、むしろ欠損の多い人ほど、理想的なビジネスパーソン像にならねばという焦りが強いと感じています。
逆に井上さんは、自分の特徴の生かし方を知り、自分を安心させるだけの成果や作品を残せている人ほど、欠損に対してゆったりと構えられるようだと話しました。
角のへこんだMacは、なぜ「君のMac」になったのか
渡邉さんは、不完全なものがなぜいいのかを、日本の金継ぎを例に考えます。その中で、自身の大事な体験を語りました。
渡邉さんはイギリス人の友人と飛行機に乗る際、タラップで新品同様のMacを落とし、角をへこませてしまいました。ショックを受けていると、友人はにこにこしながら声をかけてくれたそうです。
(友人が)ニコニコしながら、それでやっと君のMacになったねって言って、なんかよかったじゃんって言ってくれたんですよ。
渡邉さんにとって、Macの凹みは自分だけに訪れた固有の体験です。ツルツルの完璧なMacにも新品の美しさはあるけれど、それはみんなが持っているMacでもあります。
渡邉さんは、金継ぎ ── 割れたり欠けたりした器を漆で継ぎ、継ぎ目を金などで装飾して仕上げる日本の修理技法には、大事なものが割れた思い出も含めて携え、共に暮らしていこうという姿勢があるとし、だからこそ自分らしさが流れ込むと語りました。
井上さんは、金継ぎなら不完全さを素直に受け入れられるのに、社会には不完全な自分を完全に近づけるサービスがあふれている、と指摘します。それは固有性をなくすことでもあるのに、サービスとして大きなポテンシャルがあるというギャップです。
割れた思い出も含めて携える。不完全さを素直に受け入れ、固有性が生まれる
不完全な自分を完全に近づける。固有性をなくすことにもなるが、需要は大きい
井上さんは、ビジネスパーソンは日々課題解決思考で過ごしているため、外に向けた課題解決を自分にも向け、自分を改善対象にしてしまうと話します。それでも、その人も金継ぎの話を聞けば共感するはずだといいます。
渡邉さんは、このテーマを次回の冒頭で深めようと提案し、最終回への一番いい導入になったと締めくくりました。
まとめ
井上慎平さんを迎えた対談3回目は、組織の「穴」が誰かの存在意義になりうるという話から始まり、自己開示の作為性と強要の問題、自己開示しない自由、そして不完全さが固有性を生むという金継ぎの話へと進みました。強いビジネスパーソン像をどう緩めるかという問いは、最終回へ持ち越されています。
- 荒木さんは、穴があると周りが埋めようとして組織のスイッチが入り、穴が誰かの存在意義になると語った
- 失敗を語る文化は一度では根づかず、トップの自己開示と年単位の継続が必要だという話が出た
- 弱さを見せながら相手にも開示を強いる「自己開示ヤクザ」には、強さのナラティブが潜んでいると荒木さんは指摘した
- 自己開示する自由と、しない自由の両方を大事にする必要があると3人は話した
- 渡邉さんは、角のへこんだMacや金継ぎを例に、不完全なものこそが人やものを固有にすると語った




