メールを速く送れる人は幸せなのか?
荒木さんと渡邉さんの雑談は、資本主義経済の新しい形を考えるブレストとして3回目を迎えました。きっかけは、荒木さんが十勝で暮らしながら町おこしに関わるなかで、「成長」の一言ではくくれない価値観とどう折り合いをつけるかという問題意識です。
これまでの回では、リジェネラティブ農業 ── 土壌や生態系を回復させながら行う農業の考え方。収穫量の最大化より、土地の再生力を高めることを重視します、脱成長、ケイト・ラワース ── イギリスの経済学者。社会の土台と地球環境の上限の間に経済を収める「ドーナツ経済」を提唱しましたのドーナツ経済、ラトゥーシュの10の政策提言、長沼さんの資本主義論などが話題に上がってきました。
今回の渡邉さんの問いは、新しいKPIや価値観の設定がどうすれば可能か、というものです。渡邉さんがまず思い出すのは、元GoogleでGmailのプロダクトマネージャーだったトリスタン・ハリスの講演でした。
トリスタン・ハリスがGmailの開発チームにいたころ、KPIは「単位時間内にどれだけメールを受信・送信できるか」でした。メールを効率的に書けるほどプロダクトが成長している、という価値観です。
これってめちゃくちゃメール送れる人間って幸せなんだっけ?みたいなことをトリスタンハリスは疑問に思う。
トリスタン・ハリスは、オンとオフがはっきりしていて、オフの時間はメールに気づかなくていいほうが人は幸せなはずだと考えました。そこから、企業やサービス目線のKPIはそもそも良くないのではないか、という問題意識を抱いたといいます。
カウチサーフィンが測った「生まれなかったはずの時間」
トリスタン・ハリスが講演で事例に挙げたのが、自分のソファを無料で貸せる人と、泊まる場所を探す旅行者をつなぐカウチサーフィンです。トリスタン・ハリス本人とは関係のないサービスとして紹介されていました。
マッチング数を目標にすると、カウチサーフィンはただのメッセージングサービスと変わらなくなります。そこでカウチサーフィンは、会ったことのない人同士の間にサステナブルで前向きな体験や関係性を生み出すことを目標に掲げ、2007年ごろにはそれをKPI化しました。
渡邉さんは測り方の例を挙げます。ウズベキスタンからの旅行者が検索と予約に1時間を使い、東京でソファを貸す荒木さんの家に泊まって、ワインを飲みながら2時間半語り合ったとします。
この1.5時間を、カウチサーフィンは「ネット・オーケストレイテッド・コンビビアリティ」と呼んでいます。経済指標のような響きの言葉を、共に生き生きと過ごす時間の測定に使っている点を、渡邉さんは面白がります。
いい言葉すごいな。
荒木さんは、効率性や売上・利益だけに依存せず、幸福度や創造性といった人の体感を含む指標である点を評価します。渡邉さんはさらに、企業の目標と利用者の目標が一致しているかが大事だと付け加えました。
なんか企業側だけがWINしてるっていうか、企業だけが売り上げをめちゃくちゃ上げてるのって、多分利用者にとってそんなにハッピーじゃない可能性があって。
荒木さんは、新規事業の担当者が普通は1年間の売上や利益の目標を課されることに触れます。企業側のWINだけを追うと、ユーザーのウェルビーイングを考えなくても数字を達成できる方向へ流れてしまう、という懸念です。
渡邉さんは、ユーザー1人あたりの売上を上げすぎるとかえって負担になる「分水嶺」があるかもしれないと話します。Gmailでいえば、1時間に20通以上送る人にこれ以上の効率化がどれだけ意味があるのか、と疑えるかどうかが問われます。
人間の感じられる量には天井がある
荒木さんは、Gmailの話が第1回の議論に戻ってくると感じます。人間も自然の一部であり、できることも、美味しいと思えることも、幸せと思えることも限界がある、という指摘です。
やっぱそこをさ、天井としてなんか賢く設定しないと、どんどんどんどんなんか今まではメール1本打ってたから、次に10本、30本、100本みたいな、なんかそういう世界に行ってしまうとさ、おかしくなんだよね。
荒木さんにとって、この天井の話はドーナツ経済の「天井を作ろう」という発想と同じものです。ここを狂わせてはいけない、というのが荒木さんの受け止めでした。
キャンプファイヤーではなく焚き火を
荒木さんは、元電通のクリエイターであるサトナオサトナオさんと話した経験を紹介します。サトナオさんは2018年ごろに「ファンベース」という概念を提唱し、本を書いた人物です。
サトナオさんの主張は、企業はまずファンを作るべきで、そのファンをむやみに拡大しようとしてはならない、というものです。アテンションから入り、ファネルのように人を絞り込んでいくマーケティングはもう限界だと、業界の内側の人が言ったことに荒木さんは面白さを感じています。
荒木さんは、友達の数にたとえます。FacebookやXでは何千人もつながれますが、本当に友達と言える人は片手に収まる範囲ではないか、というのです。
やっぱどんだけテクノロジーが効率的になっても、僕らが友達と本当に言える人ってなんか片手に収まる範囲じゃない?
サトナオさんは、少子高齢化や人口減少も踏まえ、むやみに広げないことを志すべきだと語ったといいます。そのメタファーが「ビジネスでキャンプファイヤーをするな、焚き火をやれ」という言葉でした。
イベントで多幸感に包まれるが、終われば盛り下がって後片付け。100人集めたら次は200人と規模を追う
イベントはなくても火を囲んで楽しく語り合い、その関係をずっと続けていく
(サトナオさんは)キャンプファイヤーをやりましょうって言ってるの?
キャンプファイヤーをやるなと言ってる。
荒木さんは、焚き火のたとえも身体性に根ざした関係のあり方を示していると考えます。3回の議論が、身体感覚に根ざした程よい成長という一本の線でつながる感覚があると話しました。
スープストック東京は規模の代わりに何を追うのか?
渡邉さんが思い出したのは、スープストック東京を創業した遠山さんです。具体的な数字は記憶があいまいとしつつ、当初から70店舗以上は増やさないと決めていたらしい、と紹介します。
渡邉さんの想像では、ある規模を超えると自分の目や手が及ばなくなるため、規模より同じ売上の中で質を保つことを優先したのではないか、ということです。余力があれば別のビジネスを始めたり応援したりする、という考えもあるのではと話します。
なんか足るを知るっていうのが多分いろんなところであってよくて、それがちょっとウエットの言葉でいうと美意識じゃないけれども。
荒木さんは、上限に達したあとのモチベーションをどう維持し、組織を健全に保つのかは、次元の違う難しさがありそうだと問いかけます。
渡邉さんはその答えとして、スープストックで出会った「ゴッホの玉ねぎのスープ」を挙げます。ゴッホの油絵「皿と玉ねぎのある静物」を見て、この絵を描いたゴッホはどんなスープを食べていたのかを想像して開発したメニューです。
オニオングラタンスープのようなそのメニューは、店舗のトレーに敷く台紙か冊子に、誕生の逸話が文章とイラストで描かれていたといいます。
結局それって拡大するところにモチベーションを見出すんじゃなくて、それこそ美意識で自分たちはこういうのを大事にしてるんだよっていうのを据えながらメニュー開発する
渡邉さんは、新しいゴールの設定の仕方そのものがスープストックらしさ、スマイルズらしさだと考えます。そうした価値観の人にとっては、数だけを追うことのほうが野暮でモチベーションにならない、という見方です。
なんかさ、裏を返すと、その美意識がないと、すごく分かりやすい指標の成長っていうことにしか答えを見いだせなくなるっていうことでもあるよね。
KPMGコンサルティングが掲げる「ビオトープ」とは
渡邉さんは、Takramとして関わったKPMGコンサルティング ── 大手会計事務所グループKPMGのコンサルティング会社。KPMGはいわゆるビッグ4と呼ばれる国際的な会計事務所の一つですの仕事を紹介します。社長やパートナー、社員の話を聞きながら、成長だけに答えを求めない世界観を言語化するプロジェクトでした。
リクルーティングサイトで公開されているその文章を、渡邉さんは番組内で読み上げました。文章では、KPMGコンサルティングの目指す姿が次のように示されています。
文章には「効率だけを追い求めると環境変化に弱くなり、長期的な生存性が犠牲になるかもしれない」とあり、目指すのは「いわばビオトープのようなビジネスのあり方だ」と続きます。ビオトープは「自然を意のままの管理下に置くのではなく、ありのままで放置するのでもない」とも書かれています。
渡邉さんは漁業のたとえで補足します。よく釣れる漁場に全投入していると、温暖化で魚がいなくなった瞬間に収入源がすべて断たれるリスクがあり、効率の追求は長期的には自分たちを危うくすることがあります。
この文章には、前代表の宮原さんがよく語っていた「いたずらな成長のみを追わない」という考えが反映されているといいます。経済成長は大事だが、そこだけを追って失われるものがあるなら、それだけは追求しないという姿勢です。
いたずらな成長っていうのは、まさに本当はつながっているものを分断して、ある特定のものだけを育てようとするみたいな、そういうことだったりするじゃない。
荒木さんは、この文章を企業の人たちと対話しながら言葉を編んでいくプロセスこそが大事だと話します。渡邉さんは、行為として取り組み続ける意味を込めて、名詞のビオトープを動名詞にした「ビジネスビオトープイング」という造語を付けたと説明しました。
美意識を言葉にする対話が足りない
荒木さんは、この回の議論で第1回の話がようやく理解できたと語ります。立ち止まり、みんなで美意識を考えて言葉にしないと、人は誰かが決めたわかりやすい単一指標に引っ張られてしまう、という結論です。
だからこういう対話が少なすぎんだろうね、僕らの社会の中でね。
渡邉さんは消費者の側にも目を向けます。服にはこだわるが食にはこだわらない人もいるように、あらゆる買い物に意識を払うことを全員に強いるのは酷です。そのうえで、美意識を持って粋なビジネスを追求する企業が増え、そういう企業だから選ぶ人が少しでも増えるとよい、と話しました。
最後に荒木さんは、本の企画を出版社と練っている段階で、編集担当者を裏幌裏幌まで連れて行く予定だと明かします。次回は深井龍之介さんが登場予定であることを予告して、雑談は締めくくられました。
まとめ
脱成長をめぐる3回目の雑談では、売上や効率に代わる目標の立て方が、具体的な企業やサービスの事例から浮かび上がりました。共通していたのは、人間の身体感覚に天井があることを認め、その中で質を追う姿勢と、それを支える美意識です。
- カウチサーフィンは、サービスがなければ生まれなかった良い時間をKPIにした
- サトナオさんは、規模を追う「キャンプファイヤー」ではなく関係を続ける「焚き火」を勧めている
- スープストック東京は店舗数の上限を設け、美意識に基づくメニュー開発をゴールにしている
- KPMGコンサルティングは、効率一辺倒ではない「ビオトープ」のようなビジネスを掲げている
- 単一指標に流されないためには、立ち止まって美意識を言葉にする対話が必要とされた




