海外講演で見えた「抽象論」への反応の違い
この雑談回は、荒木博行さんが渡邉康太郎さんに「最近何か変化はあったか」と尋ねるところから始まります。渡邉さんは最近、中国、ニューヨーク、コペンハーゲン、スイスと海外出張が続き、次はフランス、秋にはまたコペンハーゲンとニューヨークへ行く予定だと話します。
渡邉さんの海外出張は講演が中心です。中国では企業を2つほど回って講演し、デンマークでは企業向けカンファレンスに登壇する予定で、1〜2年前の登壇を客席で聴いていた企業の人が声をかけてくれたといいます。
荒木さんが「講演は想定通りにいくのか」と尋ねると、渡邉さんは中国では反応がまったく違うと答えます。抽象的な話や思想的な話をしても、「明日のビジネスにするにはどうしたらいいか」という方向に質問が傾きがちだったそうです。
(どうしたらいいかは)どっちかっていうとあなたの仕事知らないんで、自分で考えてほしいですっていうふうに思うじゃん、こっちとしては。
渡邉さんによれば、中国の講演でも意思決定者は抽象的な話を楽しんでくれる一方、日々の数字目標に追われる若手は、心では共感しても自分事にするまでの心理的な壁が高いのかもしれないといいます。
荒木さんが「それは地域性なのか」と聞くと、渡邉さんは地域というより文化圏の違いだと整理します。面子を大事にする、必ず交渉する、契約の途中で枠組みを変えることを良しとするなど、日本とは違う商習慣があり、渡邉さんにとっては驚きに満ちていると話しています。
抽象的・思想的な話を楽しんでくれる
日々の数字目標に追われ、共感しても自分事にする心理的な壁が高い
行きたくなかったカンファレンスが楽しかった理由とは?
荒木さんは海外出張こそ少ないものの、先日とあるカンファレンスに参加しました。集まっていたのはほとんど初対面のエグゼクティブクラスの人たちで、荒木さんは本気で行きたくなかったと打ち明けます。
なんか行きたくないなって思ってたんだけど、結果的に行ってすごい楽しかったっていうことで、事前の予測とは全然違う着地になってさ、面白かった。
初対面のエグゼクティブばかりで気後れし、行きたくなかった
行ってみたらすごく楽しく、予測と違う着地になった
荒木さんが参加したカンファレンスのグループディスカッションでも、抽象的な話が大好きな人と「で、明日どうするの?」にこだわる人との間に差が出たといいます。荒木さんはそれを心地よいコンフリクトとして楽しめた一方、予想外の差があまりに大きいとストレスになるだろうとも感じています。
渡邉さんも、中国での講演は自ら望んだというより招待を受けて行ったものでした。JIDA ── 日本インダストリアルデザイン協会(Japan Industrial Design Association)の略称。インダストリアルデザイナーの職能団体ですが企業向けに日本人デザイナーの講演を定期的に組んでおり、一度断った後に再び打診を受け、Takramの上海オフィス訪問も兼ねて引き受けたといいます。
現地ではTakramのメンバーのシャンシャンさんと、中国各地の顧客を回ることも組み合わせたそうです。荒木さんはJIDAに立川立川さんが関わっていたはずだと話し、渡邉さんは会長かもしれないと応じています。
いや、でも俺そういうの本当苦手なんだよな。まあ行けば楽しむんだよ。楽しめんだけどさ、事前の心理的ハードルが高くてさ。
渡邉さんも、イベントごとは約束したものの気が重くなることが多いと共感し、飲み会も含めてよくあることだと話しています。
意味は「行ってから」わかる?予想から逸れることの価値
荒木さんは、前回の深井龍之介さんとの対話で出た「型」の話を引き合いに出します。事前には予測できないけれど、やってみて初めて意味があったと時間差で気づく、という話です。
だからこの手のイベントとかカンファレンスとかもさ、事前に説明って不可能だよね。その面白さとかその意味合いとかって。
大抵のものって、その意味って行ってわかるとか、行って1年、2年してわかるとかさ、なんかこういろんな時差を持って感じるものだからね。
荒木さんが「これは永遠にそういうことなのか」と問うと、渡邉さんは、人はむしろ予想から逸れることを求めているのではないかと答えます。
本はなぜ「事前に予測できないパッケージ」なのか
荒木さんは、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の著者である三宅香帆三宅香帆さんと対談した話を紹介します。本に直接そう書かれているわけではないものの、事前予測性を嫌う、つまり読む前に得られるものがわからないものを避ける風潮が強まっていると荒木さんは感じたといいます。
荒木さんによれば、わかりやすいビジネス書は事前予測性にあふれている一方、カラマーゾフの兄弟 ── ロシアの作家ドストエフスキーの長編小説。父殺しをめぐる家族の物語を通じて、信仰や自由などを問う古典ですのような作品にはそれがほとんどありません。「これを読んで人生にどう役立つのか」と問うのは野暮だとされる種類の本です。
荒木さんの見立てでは、インターネットによってノイズのない情報が取りやすくなった結果、本の事前予測不可能性が相対的に高まりました。そのため時間がネット検索やChatGPTへとシフトし、本が後回しになっていくといいます。
ネットの普及
ノイズのない情報が取りやすくなる
相対的な変化
本の事前予測不可能性が目立つようになる
時間のシフト
ネット検索やChatGPTに時間が移る
結果
本が劣後していく
荒木さんはさらに、谷川嘉久谷川嘉久さんが以前話していた、ライトノベルのタイトルが「透明化」しているという指摘を紹介します。転生ものなどはタイトルだけで大体のストーリーが読めるようになっていて、中身の見える透明パッケージにしないと手に取ってもらえないという話です。
圧としては事前予測性の圧っていうのがどんどん高まってんだろうなっていう気はしたね。
ネットの答えは本当に「ノイズレス」なのか?
荒木さんの話を受けて、渡邉さんは「ノイズ」という言葉の捉え方が難しくなってきたと、自分の中で面白い混乱が起きていることを語ります。ネットで検索すればすぐ答えにたどり着けるので、目的以外の副次的な情報は確かに少ないといえます。
一方で渡邉さんは、オンライン上の信頼できる情報の量はそれほど多くないのではないかと指摘します。エビデンスが曖昧なものや、誰かが適当にキュレーションしてまとめたものも混じっているからです。
自分たちがゴールだと思ってるもの自体がそもそもノイズの集まりでしかなかったとかっていうのが非常に起こりやすいのがネットなんじゃないかなとも思うのね。
渡邉さんは、ノイズが悪いと言いたいわけでも、本の価値を否定したいわけでもないと前置きします。言いたいのは、どこからどこまでをノイズと決めるかによって、捉え方がいかようにも変わるということです。
渡邉さんによれば、出版物も玉石混交ではあるものの、校閲や編集会議という関門をくぐっているぶん、多少は信頼できるという信念を込めて手に取れます。ただし本を開いても、タイトルから想像したものと直接出会えるとは限りません。
余計な情報は少なくすぐ答えに着くが、答え自体の信頼性が怪しいことがある
校閲や編集を経て一定の信頼性はあるが、想像した内容と直接出会えるとは限らない
荒木さんもこの整理に同意し、ネット検索の結果は一見ノイズレスでも、信憑性という意味では全体がノイズかもしれないと受け止めます。そのうえで、ChatGPTにも同じ意味で高いリテラシーが求められると話しています。
ChatGPTを使いこなす人は何が違う?
渡邉さんは、ChatGPTの回答のどこが間違っていてどこが良いかを見分けられるほど、使い手の解像度が高ければ上手に使えそうだと話します。例に挙げたのが、大学時代の恩師でデザインの授業を持っていた奥出先生です。
渡邉さんによると、人文的な知見を得意とする奥出先生は、アリストテレス ── 古代ギリシアの哲学者。論理学、倫理学、政治学、自然学など幅広い分野の基礎を築きましたなどの読み解きをChatGPTとともに日々行っています。元のデータを教え込みながら対話すると、回答のクオリティが非常に高くなるそうです。
ChatGPTこれこれで使えないっていう風にその棄却するんじゃなくて、むしろどうやったら使えるようにするかっていうのを日々探りまくっているっていう取り組みをしてて、すごいなんか興味深いんだよね。
渡邉さんの観察では、奥出先生の強みは深い知識に根差して、勘違いがある箇所と良いことを言っている箇所を見分けられる点です。奥出先生のFacebookには、ChatGPTとの超長文のやり取りが毎日投稿されているといいます。
荒木さんはこれを「この時代の大事なリテラシー」と受け止めつつ、話しているうちに「ノイズとは何か」が改めて気になってきたと語ります。ノイズすら楽しもうという考え方もあれば、本当にしょうもないノイズがあるのも確かだからです。
荒木さんは、誤配を楽しむという意味でのノイズには大きな意味があると整理します。一方で、誤配の中にフェイクやいかがわしいものが混じると、それはまた別の問題になるとも話しています。
誤配的な出会いとして楽しめるもの
フェイクやいかがわしいものが混じったもの
休み時間を削らないワークショップの知恵
渡邉さんは、コミュニティデザイナーの山崎亮 ── 地域の課題を住民参加で解決する「コミュニティデザイン」を実践するデザイナー。各地で住民ワークショップを手がけていますさんのインタビューで知ったエピソードを紹介します。地域のための公共ワークショップでは、アジェンダの合間の休み時間をかなり長く取るそうです。
山崎さんのワークショップでは、役所の担当者から「休み時間を極限まで削ってアジェンダを長くしていいか」と言われても、休み時間を死守するといいます。真面目なトピックの合間の雑談で、地元の人がアジェンダ中には話せなかった悩みや考えを語ってくれるからです。
渡邉さんは、休み時間の話は地元の人に限らず一般的に言えることではないかと考えます。目的を目指して合理化するほど心がきつくなり、本音が言えず余裕を失い、追い詰められると合理化そのものが人間の尊厳を奪いかねないといいます。
ベル研のイノベーターに共通した「ランチの相手」
荒木さんは、山崎さんの話に重なる例として『カルチャーコード ── ダニエル・コイルによる組織文化に関するビジネス書。強いチームに共通する行動や環境を事例から分析しています』という本に書かれていた話を紹介します。かつてのベル研究所で優秀なイノベーターたちの行動特性を洗ったところ、ある共通項が見つかったという話です。
荒木さんによれば、人数ははっきり覚えていないものの4人ほどのイノベーターに共通していたのは、ハリー・ナイキストという人物とランチをしていたことでした。ナイキストさん自身はイノベーターではなく、話をよく聞き、質問しながらモチベートしてインサイトを引き出すタイプだったようだといいます。
いわゆる仕事のパフォーマンスから見ると、ひょっとしたらナイキストさんはわかんないけどさ、あんまりパフォームしてないから、ちょっと異動した方がいいんじゃないかとか、そういうことになってたかもしれない。
渡邉さんは、ナイキストさんは単体で見るとスキルの高低はよくわからないが、つながりをたどると非常に大事な存在だったのかもしれないと応じます。
荒木さんは、効率だけを見れば昼休みを削って研究に没頭したほうがよく見え、成果の見えない人を排除したくもなるが、それが正しいとは限らないと語ります。ベル研のランチの話もまた「ノイズとは何か」という問いにつながるといいます。
ぼんやりする時間が創造性を高める?
最後に渡邉さんは、創造性が高まるときの脳はデフォルトモードネットワーク ── 脳が特定の課題に集中していない、ぼんやりした状態のときに活発になる神経回路のネットワークのことですの状態、つまりぼんやりした状態にあるとよく言われることに触れます。
渡邉さんによれば、目的に向かって考え込んでいるときより、ボーっとしているときや散歩中にアイデアを思いつくのは、目的に向かっていない時間のほうが実は創造性を高めていることの表れだといいます。
この話を受けて荒木さんが「そろそろ時間」と締め、雑談回の第1回は次回へ続く形で終わります。
まとめ
この雑談回では、行きたくなかったカンファレンスが楽しかったという予定不調和の体験から、ネット検索と本の違い、そして「ノイズとは何か」という問いへと話が広がりました。ノイズは一概に悪いものではなく、何をノイズとみなすかで価値が変わることが、さまざまな具体例を通じて語られています。
- 意味は事前に説明できず、行ってから、あるいは時間が経ってからわかることが多い
- ネット検索は一見ノイズレスでも、答え自体の信頼性がノイズかもしれない
- ChatGPTは、正誤を見分けられる知識と解像度がある人ほど上手に使える
- 休み時間やランチのような一見無駄な時間が、本音や創造性を生むことがある



