札幌の牧場に、それぞれが仲間を連れて訪れていた
番組の冒頭で渡邉康太郎さんは、超相対性理論を「1つのテーマを複数の視点から語り合い、知の点と点をつないで新しい星座を描く番組」と紹介しています。
一つの視点でなく、複数の視点から見ることによって、物事が多面的な複層的な見え方がしてくる。
9月に入ってもまだ暑いという話題から、荒木博行さんは9月4日・5日にクライアントを連れて札幌のホースローグ ── 札幌の牧場で馬と過ごす体験を通じ、対話や内省を行うプログラム。番組では過去にもたびたび話題に上がっていますへ行ってきたと話します。参加者は事務局を含めて40人ほどで、最適人数が6〜7人程度とされる場では大規模な訪問でした。
(参加者は)40人ぐらい連れてったのよ。
荒木さんは参加者を2つに分け、対話を担うダイアローグチームを自分が母屋で一手に引き受けました。アクティビティチームは馬場で3チームに分かれて活動したため、荒木さん自身はほとんど馬場に出なかったといいます。
遠目にみんなが馬で戯れているのを(母屋の)ガラス越しに見るみたいな、そんな感じだった。
実は渡邉さんも、8月半ばに同じ牧場を訪れていました。九州で校長先生をしている人や、横須賀出身の哲学者など仲間を連れて行き、近所の民泊を借りて料理をしながら牧場との往復を繰り返したそうです。
滞在先にはギターやピアノがあり、みんなで歌いながら過ごした濃い時間だったと渡邉さんは振り返ります。そこで一緒にいたのが、今回のゲストである医師の金子拓人さんでした。
病気でなくても行けるクリニックとは?
金子拓人さんは、美容クリニック表参道の院長です。もともと麻酔科医として約10年、心臓の大きな手術で麻酔を管理する心臓麻酔を専門にしてきたという、少し珍しい経歴を持っています。
臨床を10年続けたころに新しいことをやりたい気持ちが芽生え、コロナ禍が終わりかけた時期にご縁があって、表参道でクリニックを開いたと金子さんは語ります。
金子さんのクリニックを一言で表すと「栄養のクリニック」です。血液検査を中心に、普段の食事で栄養が適切に取れているか、バランスが崩れていないかを分析し、海外のサプリショップなどで買われるサプリの量や種類が適切かまでを細かく見ていくといいます。
来院するのは30代から50代の女性が多く、ほかに経営者、プロのアスリート、トレーニーなど幅広い層です。荒木さんが「予防医療的に、病気ではないけれど自分は大丈夫かと確かめに来る人か」と尋ねると、金子さんはそうした人も、何らかの疾患を持つ人も来ていると答えました。
金子さんの根底には、病院の概念を変えたいという思いがあります。今の保険診療は病気になってから病名がついて治療する仕組みですが、病名がつかない状態でも完璧に健康な人はむしろ少ない、というのが金子さんの見方です。
そこで金子さんは、今よりもいい状態を目指す医療を「ゼロプラス医療」と呼んでいます。疲れにくくなる、睡眠の質が上がるなど、仕事のパフォーマンスを高めるために体調を顧みる場所としてクリニックを使ってほしいと話しています。
保険診療とゼロプラス医療の違いを、金子さんの説明に沿って整理すると次のようになります。
病気になってから受診し、病名がついた症状に対して、それを抑える薬を一対一で処方するのが中心
病名がつかなくても受診でき、栄養を整えて疲れにくさや睡眠の質など、今より良い状態を目指す
金子さんによれば、慢性的な疾患の治療でも栄養という観点がすっぽり抜け落ちていることが多く、その背景には6年間の医学部教育で栄養を学ぶ機会がほとんどないことがあります。昔から言われる「しっかりご飯を食べて寝なさい」が、そもそもできていない人が多いといいます。
金子さんが扱う領域は分子栄養学 ── 体を構成する分子レベルで栄養素の働きをとらえ、個人ごとの不足や過剰を整えて健康状態の改善を図る考え方と呼ばれるものです。ただ、最初にそう名乗ると相手が思考停止してしまうので、あえて「栄養のクリニック」と説明しているそうです。
渡邉さんと金子さんは、牧場で初対面でした。蓋を開けてみると、金子さんのオフィスは表参道ヒルズの向かいにあり、渡邉さんの通勤路の途中という「超ご近所さん」だったことがわかります。牧場で「タクティ」と呼ばれていた金子さんは、番組内でもその呼び名で親しまれます。
なぜ「馬から見た現代人」がテーマなのか
金子さんが持ち込んだテーマは「馬から見た現代人、私たちは自由か家畜か」です。金子さん自身も「ちょっと尖っている」と認めるこのテーマに、荒木さんは即座に面白がりました。
人間こそが家畜なのではないか的な。
金子さんは最初に結論を示しています。現代人は一見選択肢が増えたようでいて、人間自身も家畜化したことで弱体化した部分があるのではないか、そして栄養のバランスも容易に崩れうるものになっているのではないか、という問題提起です。これを、馬を中心に医学的な観点も絡めて話したいといいます。
テーマに馬が出てくる理由は、ホースローグでの体験が金子さんにとって非常に新鮮だったからです。馬は自然と人間の間に存在する動物であり、牧場のオーナーの素子さんが言うように人間の鏡のような面もある、と金子さんは話します。
金子さんによれば、馬は感覚が非常に発達していて、人間の所作や感情の表情を敏感に読み取る生き物です。金子さんはそうしたつもりで馬に接したことがなく、その経験を通じて初めて知ったといいます。
さらに、金子さんは栄養の医学を扱う中で、ナチュラリスト的な考え方や腸内細菌について考える機会が多くあります。牧場での体験は普段の医学とリンクする部分がたくさんあり、そこから「馬から見た現代人」というテーマが浮かんだそうです。
馬の糞は、なぜ汚く感じなかったのか
荒木さんが牧場の体験と医学との共通点をもう少し詳しく尋ねると、金子さんは馬小屋の掃除の話を挙げました。医療者は普段、特に手術の場面で、清潔な領域とそうでない領域を厳密に区別し、アルコール消毒を多用します。
馬小屋にはそうした区別も消毒もありません。それでも金子さんは、馬小屋を不潔だとは感じなかったといいます。馬は草しか食べない動物なので、出てくる糞もそれほど汚いものには思えなかったそうです。
金子さんはこの体験を、医療者として持っていた清潔・不潔の概念が覆され、スイッチが切り替わったものだと表現しています。普段の自分が限られた概念の中にいることに気づき、馬の糞を掃除しながら腸内環境についても考えたと語ります。
渡邉さんは、この「馬小屋の糞尿をあまり不潔と思わない問題」に強く興味を示します。夜の間に馬房で用を足した跡を朝見れば、汚いと思っても不思議ではないはずだからです。
なんで(馬小屋の糞尿を)不潔と感じないことになったんだろう。
金子さんはまだ不思議な部分もあるとしたうえで、駅のトイレで知らない人の便が体についたら悲鳴を上げるのに、馬の糞は少し触れても何も感じなかったと対比します。後から言語化すると、馬がより自然に近い存在であり、自分の感覚も自然のほうへシフトしていったからかもしれない、と話しています。
飛行機に乗って遠く離れた場所に来て、牧場までやってきて、そこで触れる環境って、やっぱり都会のスイッチとモードが切り替わってる感はありますよね。
きれいになりすぎた社会が、腸内細菌の多様性を奪う?
金子さんのクリニックでは、腸内環境を調べる便検査も行っています。腸内細菌はいろいろな菌が仲良く存在する多様な状態が最も良いとされますが、何らかの疾患を持つ人の検査結果には偏りが出やすいといいます。
金子さんによると、アトピーのある子どもや、自己免疫性疾患・慢性疾患のある人の便を調べると、いわゆる悪玉菌の一部が増え、多様性が失われた状態がよく見られます。その原因の1つとして金子さんが挙げるのが、消毒をしすぎてきれいになりすぎた環境です。
アトピーについては清潔仮説 ── 幼少期に微生物や感染症に触れる機会が減ると、免疫の働きが偏り、アレルギー疾患が増えやすくなるという仮説。衛生仮説とも呼ばれますという考え方があり、都会のほうが患者が多いと金子さんは説明します。発展途上国から先進国になるほど、欧米諸国を含めどの国でもアトピーは増えてくるといいます。
金子さんが語った流れを整理すると、次のようになります。
消毒のしすぎ
社会や暮らしの環境がきれいになりすぎる
菌の多様性の喪失
腸内環境を含め、体の菌の多様性が失われる
体の弱体化
アトピーやアレルギーなどが増え、人間の体がある意味で弱くなる
金子さんは、これは家畜化とは少し別の話だとしつつ、人間が弱体化したところの1つだと位置づけています。渡邉さんも、都会の人がアレルギーを持ちやすいのは、清潔な環境で免疫機能を持て余し、いろいろなものに反応してしまうからだという話を挙げて同意しました。
健康分野では、アトピーやアレルギーが増えた原因として添加物や農薬を挙げる人もいます。しかし金子さんは、そうした主張は証明されていないとし、添加物に間接的な影響がある部分は認めつつも、きれいになりすぎたことの影響のほうが大きいと考えていると話しています。
牧場オーナーの素子さんも、アトピーの人が牧場に来ると喘息やアトピーの症状が軽くなることが多いと話していたそうです。渡邉さんが、アレルゲンとの接触が一線を越えると症状が出なくなるのかと尋ねると、金子さんはそれに加えて、いろいろな菌に触れることも大きいと答えました。
漆作家も最初はみんなすごい発疹が出るけれども、しばらく時間が経つともはや出なくなるっていうのがありますよね。
荒木さんは、清潔と不潔の境目とは何かという問いに共感し、都会の消毒文化はコロナ禍で加速したのではないかと話します。他人と接すること自体が不潔だという感覚が生まれ、つり革に触れない、ドアの取っ手を触ったら手を洗うといった人もいると指摘しました。
僕つり革触ったりする人ですけれども、温泉とか大浴場で裸になるのが怖いっていう気持ちがあります。
牛のお尻に手を入れる体験と、母から受け継ぐ菌
荒木博行さんは仕事で一次産業に触れる機会が多く、牛のお尻に手を入れる体験をよくするといいます。渡邉さんが「お産でもないのに何のために」と驚くと、荒木さんの答えは意外なものでした。
いや、そこ(牛のお尻の中)のユニバースを体験するために。
荒木さんによれば、実際に妊娠している子牛の存在を確かめる作業を、体験として一緒にやらせてもらうことがあるそうです。それは糞が通る道を逆流していく経験でありながら、不潔さという感覚はあまりないといいます。
(牛のお尻に手を入れると)生命のダイナミクスさとか、なんかそこに新たな世界が広がってるみたいな感覚があって。
間違いなく都会の清潔不潔感だと手突っ込めないんだけど、なんかあの環境にいると全然ありなんだよね。
金子さんは、荒木さんの体験もスイッチの切り替えが起きている例だと受け止め、人間が生まれてくるときにも似たところがあると続けます。お腹の中の赤ちゃんは無菌状態で、生まれるときに初めてお母さんの菌に触れて菌を獲得するといいます。
金子さんによると、帝王切開で生まれた場合はお母さんの菌に触れないため、最初に抱きかかえた医師の菌に触れるといった差が出ます。人によって腸内細菌は異なりますが、その最初の出どころはお母さんであり、お母さんから最初にもらうものの1つが菌なのだそうです。
収録の終わりに、金子さんは「馬から見た」という問題設定そのものへの興味を改めて口にしました。次回は人間を馬から見るとどう見えるのか、そして家畜とは何かという問いに入っていく予定です。
まとめ
シリーズ初回となる今回は、テーマの入り口として、馬小屋の糞を不潔と感じなかった医師の体験から、清潔・不潔の感覚が環境によって切り替わること、そしてきれいになりすぎた社会が腸内細菌の多様性を失わせ、人の体を弱くしている可能性が語られました。
- 金子拓人さんは元心臓麻酔の専門医で、病名がなくても受診できる「ゼロプラス医療」として栄養のクリニックを営んでいる
- 馬小屋の糞を汚いと感じなかった体験が、医療者としての清潔・不潔の概念を揺さぶるきっかけになった
- 金子さんは、消毒のしすぎによる菌の多様性の喪失が、アトピーなどの増加と人間の弱体化につながっていると考えている
- 赤ちゃんは生まれるときに母親の菌に触れて腸内細菌を獲得するなど、菌との接触は人の体の土台に関わる
- 次回は「馬から見た人間」と「家畜とは何か」という問いへ進む





