熱い土鍋の蓋は離すべき?「高度な心身一致」への素朴な問い
『ナチュラル・リーダーシップの教科書』の刊行記念イベントは、最後に会場から質問を受け付けました。最初の参加者が尋ねたのは、本に出てくる「高度なレベルで心身が一致する」という表現の意味です。
この参加者は、料理中に熱い土鍋の蓋をつかんだ場面を例に挙げました。熱さを我慢してそっと置くのと、熱すぎて手を離すのと、どちらが「心身が一致している」状態なのか、という問いです。
渡邉さんは、自分も30分前に同じ疑問を抱いていたと応じます。そのうえで、渡邉さんの解釈では、この本の論点は熱いものを離すかどうかではないといいます。
都市の非常に組織的な社会的な場で暮らしていると、知らず知らずのうちにいろんな感覚器をオフっちゃってるんだっていうことの話をしていて。
自分がいろんなものをセンシングできる体だったことを思い出そう、人間の体の中の動物をちゃんと取り戻そうっていうメッセージだというふうに僕は解釈しました。
渡邉さんによれば、ゴールを達成しなければならない場面で、人は「やらなきゃいけない」という考えに従ってしまいがちです。その結果、自分が何を感じているのかや、人間関係のどこに違和感があるのかに蓋をしすぎてしまう、というのが本の問題意識だといいます。
小日向さんは、土鍋の例は触覚という外部センサーの話だと補足しました。小日向さんが重視するのは、お腹が痛い、心拍数が上がった、手に汗を握ったといった体の内側の感覚です。英語で勘を「ガッツフィーリング」と呼ぶように、腸の中にもセンサーがあるといいます。
小日向さんは、こうした内受容感覚 ── 心拍、呼吸、内臓の状態など、体の内側の変化を感じ取る感覚のこと。感情や直感の形成に関わると考えられていますの情報を、多くの人が無視しまくっていると指摘します。その情報をキャッチし、自分にとってどういう意味なのかを解釈することが重要だと話されています。
土鍋の問いをめぐる議論は、感覚をどう扱うかという2種類の場面の違いとして整理できます。
誰でも簡単にできる反応で、ここは問題になっていない
「この人の隣にいると圧を感じる」といった感覚を、人はしばしば無視しがちで、ほとんど気づけていない
渡邉さんはこの違いを踏まえて、本の問いかけはほぼ気づけていないことに気づけるかという点にある、と受け取ったと話しています。
最初の参加者は続けて、嬉しくなくても笑ってみると嬉しくなるので笑うことがある、それは心身が一致していると言えるのか、とも尋ねました。小日向さんは「ちょっと違うかもしれない」と答えます。
自分は今ハッピーじゃないけど笑ってみようっていうことを気づいてる時点でOKなんですよ。それ(心身の一致)はクリアしてる。
ギリギリのところの、まだ自分の感覚器が追いついてないものとか、感情が言葉になってないものっていうのをちゃんと見つめようって、そういう投げかけでした。
登壇者からは、嬉しいと自分が認知することがまず大事で、笑うかどうかはまた別の判断だという意見も出ました。例えばお葬式のように、嬉しいことがあっても笑うのが適切でない場もあるからです。
渡邉さんは、こうした疑問が必ず生まれるので、「心身の一致」と言わなくてもよいのではないかと率直に提案します。忘れている感覚を呼び覚ます、と言ったほうが意味が伝わるのでは、という考えです。
小日向さんは「もう一回よく考えてみます」と受け止めつつ、脳と体のもっと物理的なつながりを感じているかどうかとして見てほしい、と自分の意図を説明しました。
言葉はすべて解釈なら、黙るしかないのか
2人目の質問者は、広島から来た高校の国語教員です。この教員は、言葉で事実をどれだけ正確に表せるかにずっと取り組んできましたが、最近は言葉そのものがすべて解釈なのではないか、と感じているといいます。
国語教員の考えは、そうであれば結局は黙るしかないのではないか、というものでした。何もしゃべらずに行うホースコーチングにも、やってみたい気持ちがあると話しています。
登壇者は、言葉がすべて解釈だという点には「おっしゃる通りです」と同意しました。ただし、だから黙るしかないという結論には考えが違うと答えます。
その登壇者によれば、人が感じてしまうことに対して、私たちが持つ言葉はメッシュが粗すぎて、感覚を完全には表せません。自分の感情も5パーセントも表現できていない感覚で話している、と語っています。
それでも人間が共同生活をするための道具は、言葉、表情、ボディランゲージなど限られています。その中で何パーセントかでも高めて伝えられればよい、というのがこの登壇者の考えです。
さらにこの登壇者は、言葉がさまざまな解釈を生むこと自体に人間のコミュニケーションの良さがあると指摘します。考えを100パーセントそのまま相手に移すことが幸せにつながるとは限らず、相手が解釈することが関係を幸せにする可能性もある、と話されています。
議論はこの考えをさらに進め、誤解や誤読にこそ意味があるという方向へ広がりました。言葉のずれが価値を生む流れは、次のように整理できます。
言葉は粗い
感じていることを言葉で完全に表すことはできない
解釈が生まれる
受け手がそれぞれに解釈し、ちょっとしたずれが生じる
議論が始まる
伝わらないからこそ議論が始まり、新しい感想が呼び覚まされる
登壇者は、グレゴリー・ベイトソン ── イギリス出身の人類学者・思想家。「情報とは差異を生み出す差異である」という定義で知られ、コミュニケーション論やシステム論に大きな影響を与えましたの言葉として知られる「情報とは差異を生み出す差異である」という表現も持ち出しています。
話は小沢健二さんの曲にもつながりました。1993年のデビューアルバム『犬は吠えるがキャラバンは進む』に収められた「ローラースケート・パーク」には、あらゆる言葉を知って何も言えなくなるような過ちはしない、という一節があると紹介されます。
登壇者によれば、私たちは自分の語彙の範囲でしか考えられないことが多いといいます。言語以外の感覚がたくさんあれば、思考の参照点を言葉の外にも置けるようになり、自然や馬はその感性を蘇らせてくれる存在だと話されています。
一方で、会社や組織、都会にいることは、今できることの中で何をやるかに人を縛り続ける圧力でもある、と指摘されました。これは小日向さんが常々語る言葉の檻から逃れるという話とつながるといいます。
小日向さんは、言葉の檻の外に出て感覚から生き直すと、英語を話せなくてもビジネスのやり取りが成り立つことがあると語ります。言葉以外のサインから相手のポイントを読み取って伝えると、「言わなかったのに分かった」と驚かれ、関係がうまく展開した実感があるそうです。
合宿で感覚を開くと、チームの合意はなぜ早まるのか
質疑応答のあと、渡邉さんは会場に来ていたTakramの仲間を紹介しました。Takramのメンバーは、小日向さんのプログラムを実際に合宿で体験し、そのWebサイトを制作しています。
Takramの高井さんによれば、チームは去年8月に4日間の合宿を行い、参加者と3頭の馬とともにプログラムを体験しました。理論ではなく感覚でプログラムの価値を体に染み込ませたうえで、その潜在価値をWebで伝える形に落とし込んだといいます。
高井さんが例に挙げたのは、Webサイトの上部にある言葉の対比です。渡邉さんの説明では、人が重視しがちなものを左半分に、軽視しがちなものを右半分に並べています。高井さんは、この日のトークを聞いて、自分たちで作った対比を改めて「その通りだよな」と確認できたと話しました。
ステートメントの執筆を担当したメンバー幹さんは、サイトの文章を意図的に長めにしたと明かします。Webサイトは分かりやすく端的にするのが原則ですが、それではこぼれ落ちるものが多すぎると感じたからだそうです。
幹さんは、読んでもしっかりは分からないかもしれない、その分からなさやもがいている感じこそ伝えたかったといいます。「得られること3つあります」と端的にまとめる伝え方ではない、という姿勢です。
渡邉さんもこの考えに同意し、ここに書いてあること以外の何かが得られると信じる人に来てほしい、と応じました。
ビジュアルを担当したTakramのヤマダさんは、デザインの方向性がほかのプロジェクトに比べて驚くほどすんなり決まったと振り返ります。チームメンバーの意見がまとまり、小日向さんも納得する案が、みんなでパッと出てきたそうです。
ヤマダさんによれば、ビジュアルのような抽象的なものに思いを変換するのは、自分の中でも見えにくく、メンバー間で共有するのも難しい作業です。合宿で感覚を開き、それを深掘りして共有したことで、ただ現地の空気を感じるだけの何倍もスムーズに進んだといいます。
渡邉さんは、合宿の前と後でプロジェクトの進み方が大きく変わったことを、次のように語っています。
非言語の何かみたいなので我々の心が動いていて、これをどうやったら伝わるかっていうふうな手段としてビジュアルを組んだったら、ビジュアルこうでしょみたいなのがもう話し合う前に何か合意してたみたいなね。
渡邉さんは、Zoomミーティングが全盛の時期に、あえて遠くまで行ってキャビンに泊まる合宿は一見非合理的だったと話します。それでも、Webサイトの対比でいえば右側の感覚寄りの体験に身を投じたことで、プロジェクトの進み方が大きく変わったといいます。
渡邉さんは最後に「合宿せよってことです」と言いかけ、「札幌に行けってことか」と言い直して会場を和ませました。
著者自身が「本を書き直したくなる」と語った締めくくり
イベントの終わりには、小日向さんがクロージングの言葉を述べました。この日の対話を受けて、小日向さんは「私も本を書き直したくなる」と率直に語っています。
会場から「アンラーニング」という言葉が上がると、小日向さんも「アンラーニングしていきたいね」と応じました。本に書いた内容の意味を、荒木さんと渡邉さんが違う言葉で表現してくれたことで、著者自身も学びを得たと感謝を述べて、イベントは幕を閉じました。
まとめ
この回は、会場からの質問をきっかけに、本が語る「心身の一致」が、熱さへの反射のような分かりやすい反応ではなく、日常で見過ごしている感覚に気づくことだと掘り下げられました。言葉は粗く不完全だからこそ解釈と議論を生むこと、そして感覚を開いた合宿がチームの合意を早めた実例も語られています。
- 本が問う「心身の一致」は、人間関係や環境の中で無視しがちな感覚や内受容感覚に気づけるかという問いだと解釈された
- 言葉はすべて解釈であり粗いが、だから黙るのではなく、そのずれが議論や新しい気づきを生む価値になると語られた
- 言葉の檻の外に出て感覚を参照点にすると、言葉に頼らないコミュニケーションが成り立つこともあるという
- Takramのメンバーは、馬との合宿で感覚を共有したことで、ビジュアルの方向性が話し合う前に合意していたと振り返った
- 著者の小日向さん自身が、対話を通じて本を書き直したくなるほどの学びを得たと語った



