パリのオートクチュールで発表を続けるデザイナーとは?
超相対性理論の今回のゲストは、ファッションデザイナーの中里唯馬さんです。中里さんは、日本人として唯一、パリのオートクチュール ── パリ・クチュール組合の基準を満たしたメゾンだけが参加できる高級注文服のコレクション。一点ものの手仕事が中心で、ファッションの最高峰とされます・ファッション・ウィークで現在もコレクションを発表しています。
荒木さんと中里さんが最初に出会ったのは、早稲田大学で開かれたドミニクさんのゼミの発表会でした。とても暑い夏の日に、中里さん、荒木さん、渡邉さん、東京大学で研究する石田浩平さんの4人で、学生の作品を見て回ったといいます。
そのつながりから、荒木さんと渡邉さんは中里さんの服をお揃いで買っています。中里さんによると、それは「アトリエシリーズ」と呼ばれる、普段の作業着として着る服をコンセプトにしたシリーズです。
ユイマさん、映画ね、今上映されてますけれども、あそこで(アトリエシリーズを)着てましたもんね、あれを。
中里さん自身、アフリカへの旅や東京とパリの往来のあいだも、毎日のようにアトリエシリーズを着ていたそうです。荒木さんは「ユイマさんが着るとかっこいいけど、自分が着ると何だろう」と笑います。
これに対して中里さんは、服づくりで目指していることを語りました。理想は、着物のように同じ型紙でも誰にでもなじんでしまう服だといいます。
着物みたいに同じパターンというか、型紙なんだけど、どんな人にもこう合わさってしまうというか、着れてしまうみたいな。そんな服って究極だななんていつも思っていて。
中里さんは、老若男女の誰が着てもその人になじむデザインを心がけているものの、とても難しく、どこまでできているかはわからないとも話しています。
映画『燃えるドレスを紡いで』は何を追いかけたのか
今シリーズのテーマについて、渡邉さんは「ファッションという言葉に誘われるがままに、いろんなテーマを少しずつホッピングしていく」と説明し、仮題を「ファッションを通して考えるゴミ、矛盾、ジェンダー」としました。
話の入口は、中里さんが主演するドキュメンタリー映画『燃えるドレスを紡いで』です。荒木さんと渡邉さんは試写会に足を運んでいます。
渡邉さんの説明によると、映画の舞台の一つはケニアのゴミ集積所です。世界中から衣服のゴミが集まり、見渡す限り積み上がった山がところどころで自然発火しています。中里さんはそこに行き、現地の人と直接話しました。
映画はその光景を見た中里さんが、その年のオートクチュールでどんなデザインを発表するのかまでの一部始終を追いかけています。中里さんによれば、映画は3月16日から劇場公開され、上映地域は順次全国に広がっていくとのことです。
荒木さんは映画と舞台挨拶を見て、「こんなすごい人と友達付き合いしちゃっていいのか」と感じたと打ち明けます。中里さんは、パリコレという言葉は知られていても、その裏側や作り手の思いを見る機会は少ないと話しました。
今回映画になったことで、パリコレのイメージがまた少し変わっていくと面白いななんて思ったりしてたんですけど。
監督の問いかけが、ケニアの風景をどう変えたのか
映画『燃えるドレスを紡いで』には、創作者としての葛藤から、ファッション産業やグローバル経済の歪みまで、個人と社会のさまざまな尺度が描かれていると渡邉さんは言います。そのうえで渡邉さんが印象に残ったのは、中里さんの声でした。
映画の中では、ディレクターが質問を投げかけ続け、中里さんが「大変だな」という顔をしながら懸命に答える場面が続きます。中里さんは、関根光才 ── 映像作家・映画監督。広告映像やミュージックビデオのほか、社会的なテーマを扱うドキュメンタリーも手がけています監督とともにケニアを旅していました。
中里さんにとって、目の前で起きていることを言語化するのは簡単ではありませんでした。「作ることをもうやめた方がいいのではないか」という考えと、パリコレに向き合わなければならない立場の矛盾も、自分の言葉にしていく必要があったといいます。
でも質問がなかったら、本当にさらっと旅をして、衝撃的な風景を見て終わってしまったかもしれない。
中里さんは、監督の問いかけによって考えが深まり、目の前の景色が違う風景に見えていったと振り返っています。
荒木さんは、中里さんの話し方やテンションに「開かれている感じ」があると言います。荒木さんの偏見では、トップデザイナーはトップダウンで物事を決めるカリスマ的な存在でした。
カリスマ的で、有無を言わせないインスピレーションでトップダウンに決めていく
フラットでオープン、ときに自信なさげ。大変な場面でも落ち着いて微笑みを絶やさない
渡邉さんも、中里さんと札幌の牧場を訪ねたときの写真を挙げて同意します。札幌のアート展示で中里さんが展示した際に足を延ばした牧場で、馬と戯れる中里さんの笑顔は慈愛に満ちていたそうです。
馬の優しい目を見てると、何にも会話できないのに微笑んでしまうというか、気がつくとこっちがこう微笑んでしまっていたみたいな感じがあって、不思議な体験でした。
衣服のゴミの山に潜む、いくつもの矛盾
渡邉さんは、映画『燃えるドレスを紡いで』にはさまざまな矛盾が描かれていたと話します。ケニアのゴミの山はかなりディストピア的な光景なのに、そのシーンだけを切り取ると、なぜか美しく見えてしまう瞬間があります。
ゴミの山は、先進国の消費サイクルの速さと量の行き着く先でもあり、自分たちの消費生活を考えさせられます。一方で現地には、ゴミの山から鉄くずを集めて生計を立てる人や、ゴミをついばんで生きる鳥もいます。
さらに、ファッションに携わる中里さんが新しい衣服を作り続けることを、ゴミの山の前でどう正当化できるのかという葛藤もあります。渡邉さんは、映画を「その葛藤を続ける映画」とまとめました。
- ディストピア的な光景なのに、切り取ると美しく見えてしまう
- 先進国の消費の結果でありながら、それで生かされている人や鳥がいる
- ゴミの山を前にしても、デザイナーは新しい服を作り続ける
渡邉さんが挙げた映画の矛盾は、上の3つに整理できます。
ゴミは物質ではなく「意味」なのか?
中里さんは、ケニアで衣服のゴミの山に遭遇したとき、あまりの物量に何を見ているのかわからなくなったと振り返ります。激しい匂いと暑さの中で意識がもうろうとしながらも、その状況を言語化しようとしました。
そのもの自体が別に物質として変化しているわけではなくて、でもなんかいらないって人が決めると、それがなんかこう、汚いものとか排除するものに変わっていく。
ゴミの山には鳥や牛もいました。中里さんは、動物たちにはあの山が餌場や自然の丘と同じように見えているのかもしれないと考え、ゴミとは一体何なのかがわからなくなったといいます。
そこから中里さんは、ゴミの山に行く手前の、まだきれいだが廃棄される衣服を日本に持ち帰りました。それを再生してドレスにし、パリで人が美しいと思うか、価値を感じられるかを試したことが、映画の主題になっています。
ケニア
世界中から送られた衣服がゴミの山になる手前で、廃棄予定の衣服を確保する
日本
持ち帰った衣服を再生し、素材にする
ドレス
再生した素材を服、ドレスにする
パリ
オートクチュールで発表し、人が美しいと思うか、価値を感じるかを試す
渡邉さんは、アートは必ず問いを含み、矛盾に気づく契機になる面があると話します。そのうえで、廃棄寸前のものからできたドレスを「何と呼ぶのだろうか」と問いかける点で、あのドレスはアートだったと感じたそうです。
中里さんは、物質ではなく意味としてゴミになっているなら、意味としてものを変えていくことこそが、再生や循環を考えるうえで重要なのではないかと語りました。
場所を移動させると、ものの価値は変わるのか
意味を変えるために中里さんが注目したのは、加工を加えることと、場所を変えることでした。ケニアのゴミの山にあった衣服を東京へ、さらにパリへと物理的に移動させると、その意味合いが変わるのではないかと考えたのです。
この物理的に距離を移動させればさせるほど、もしかすると価値が高まっていくんじゃないかっていう仮説もあったりして。
中里さんによれば、日本から出ていく衣服なら、港で止めて再生しても同じかもしれません。それでも、日本からケニアへ渡り、日本に戻って再生され、パリへ運ばれるという移動があると、人がそこに物語や思いを馳せられるといいます。
渡邉さんは、意味の付与でものが変わる可能性を認めつつ、逆の見方も示しました。日本で意味を失ったものが、ケニアのようなグローバルサウスの地域で再び意味を持つからこそ、衣服がそこに集積してしまうという話もあるからです。
さらに渡邉さんは、回収とリサイクルには高度なテクノロジーが必要で、とても難しいと映画で感じたといいます。安いアパレルほど、品質の面でリサイクルしにくいという点も挙げました。
安い素材に高い価値を与えることは、服でもできるのか
中里さんは、元の素材が安価だと、どれだけ加工しても従来の価値観では「価値がない」と感じられてしまうと答えます。そのたとえとして挙げたのが料理です。
安価な食材のものを高級な何か料理にしていくっていうのは、なかなかこう、ハードルが高いというか、いろんな味を加えたりとか、いろんな工夫をしていかないと、どうしてもそれをおいしいっていう風に感じられなかったり。
中里さんによると、安価な素材には手をたくさん加えなければ価値が出ず、その価値を人が認めてくれなければ、手をかけた意味もなくなります。このことが、衣服の循環を起きにくくしているといいます。
一方で中里さんは、元の材料がゼロ以下になったものに大きな付加価値を与えることは、現代アート ── 20世紀後半以降の美術の総称。素材や技法の価値よりも、作品が投げかける問いやコンセプトが重視される傾向がありますの観点では十分に起こり得ると考えています。原価よりも、付与された意味が価値になるからです。
原価はあまり関係なく、付与された意味が価値になるため、十分に起こり得る
同じことが本当に起こせるかが挑戦。固定概念から認められない可能性がある
中里さんが難しいと感じているのは、それを衣服やファッションで起こせるかどうかです。現代アートなら認められることが、衣服では認められないという固定概念がどこかにあるのかもしれない、と中里さんは話しています。
知り合いの服を着ることは、物語をまとうこと
渡邉さんが普段着ている服の多くは、友人や知り合いが作ったものです。元三宅デザイン事務所のデザイナーである高橋祐介さんのブランド、中里さんの服、インディゴ望月さんが作るニット、イノウエブラザーズなどが例に挙がりました。
そういう知り合いの服を着るっていうのは物語を語るためでもあるなっていうのはすごく思うんですよ。
渡邉さんによると、イノウエブラザーズのニットには、南米のペルーやボリビアのあたりでアルパカと暮らす遊牧民の人々の物語があります。大きな資本に搾取されがちだった人々が自立できるよう、10年ほどかけて現地の人々と交配から加工まで研究を重ねたニットだといいます。
渡邉さんは、普段からその話をするわけではありません。それでも、ニットの肩の革のパッチを褒められると、ここぞとばかりにその物語を話し始めるそうです。
渡邉さんがこの秋冬に使っていたストールは、テルアビブを拠点に、イスラエルとパレスチナのクリエイターが共同で制作するストリートブランド「ADISH」のものです。タグには、素材の産地、加工、刺繍、最終調整の場所が地図上のピンで示されています。
その地図を見ると、制作の過程でイスラエルとパレスチナの境界線を何度も越えていることがわかります。渡邉さんは、衝突がある中でも志を共にする人々がリスクを冒していいものを作ろうとしている点に強く惹かれていると話しました。
いろんな人にそれいいね、何なの?っていうふうに聞かれることが多くて。そうするとやっぱりこういう長い話を始めたくなるんですよね。
服をデザインするのは、脚本を書くことに近い?
渡邉さんの話を受けて、中里さんは、自分は服を作りながら物語を書いているようだと話します。映画の脚本を書いているような感覚で服を作っているかもしれない、と感じることがあるそうです。
やっぱ全部は服だけだと伝えきれないですよね。
中里さんは、映画の登場人物や着ているもの、周囲の風景、住んでいる街、ライフスタイルなどを想像しながらデザインしているのかもしれないといいます。服に込めた物語は、発表後のインタビューや展示会で来場者に話すことで伝えています。
さらに中里さんは、着る人が「実はここにはこんな物語があってね」と誰かに語ってくれることを面白い行為だと感じています。服を通じて対話が生まれていくことに、中里さんは面白さを見いだしています。
渡邉さんは、ものに物語を寄り添わせる方法や、ものに込められた物語をひもとく方法を面白いテーマだと受け止めました。このテーマを手がかりに、対談は次回へ続きます。
まとめ
今回の対談では、映画『燃えるドレスを紡いで』を入口に、中里唯馬さんがケニアの衣服ゴミの山で感じた違和感から、ゴミは物質ではなく意味の問題かもしれないという考えが語られました。さらに、廃棄寸前の衣服に新しい価値を与える難しさや、服をまとうことが物語を語ることにつながるという話へと広がりました。
- 映画『燃えるドレスを紡いで』は、ケニアの衣服ゴミの山を見た中里さんが、パリのオートクチュールで何を発表するかを追ったドキュメンタリー
- 中里さんは、ものは人が「いらない」と決めた瞬間にゴミになると考え、意味を変えることが再生や循環の鍵だと語った
- 廃棄寸前の衣服をケニアから日本、パリへ移動させることで、価値が変わるかを試した
- 安い素材の服に高い価値を与えることは難しく、現代アートでは起こり得ることが服では認められにくいという課題がある
- 渡邉さんは知り合いの服を物語ごとまとい、中里さんは脚本を書くような感覚で服をデザインしている



