機能の欠損はなぜ力になるのか
この回は、ドキュメンタリー映画『燃えるドレスを紡いで』に主演したファッション・デザイナーの中里唯馬さんをゲストに迎えたシリーズの4回目で、最終回です。冒頭では、渡邉康太郎さんがこれまでの議論を振り返ります。
前回は、荒木博行さんの「あえて機能を欠けさせるとストーリーが増幅する」という指摘から話が始まりました。蒸気船やiPhoneのように、イノベーションは多くの場合に何らかの機能の欠損を伴うのではないか、という論点が出ています。
中里さんからは、葉っぱと枝でつくる衣服という事例が示されました。使い捨てと割り切るなら、これまで衣服に求められてきた耐久性という機能は要らないかもしれない、という話です。
荒木さんはそこから、中里さんは答えを出すのではなく、問いからデザインを始め、問いそのものを提示しているのではないかと観察しました。暫定的な仮説を示し、未完成の状態で世の中と向き合うという態度です。
答えを出さなきゃならないと思うと苦しいんだけど、でも進まなければならないので、みんなで考えていこうって、その巻き込みがある。
渡邉さんは、3週目の「未完成のまま世の中と向き合う」という話と、2週目の「機能の欠損」や「不完全性の美しさ」の話は、どちらも「何かが失われていることの力」でつながると整理します。渡邉さん自身も著書で、不完全性や欠損について考える章を書いていたといいます。
人は変わり続けるのに、服は完成しすぎていないか
中里さんが最初に投げかけたのは、人間と衣服の間にあるずれです。人間は生まれてから死ぬまで常に変化しているのに、買って手に入れた服は、多少朽ちていくとはいえ、ほぼ同じ形のまま維持されてしまう、と中里さんは話します。
中里さんの考えでは、人間が未完成で変化し続ける存在なら、衣服ももう少し未完成な状態であるほうが理にかなっているのかもしれません。中里さんはそれがどういう状態かはまだ難しいとしつつ、「動いている」感覚に近いのではないかと語っています。
生まれてから死ぬまで常に変化し続け、未完成とも言える
買った時点で完成しており、ある程度の時間、同じ形のまま維持される
この問いの手がかりとして、中里さんは昔の日本にあったボロ ── 擦り切れた布に端切れを継ぎ足し、繕い続けて使った衣服や布。主に東北地方の庶民の暮らしから生まれ、近年は美術・ファッションの分野でも評価されていますを挙げます。破れた箇所に後から布を足していくボロには、どこかでデザインが完成するという概念がありません。
中里さんの例では、左利きの人は左袖だけ早く傷み、そこにだけ布が足されていくかもしれません。持ち主の生活習慣に応じて衣服が絶えず変化していく状態を、中里さんはとても面白いと感じているそうです。
一方で中里さんは、今は直すという行為があまりされず、壊れたら役目を終えることが多いとも指摘します。変化し続ける衣服を今の価値観に合った方法で実現できれば、それは人間にとって理想的かもしれない、と中里さんは考えています。
欠損は愛着を生むのか
中里さんが変化し続ける衣服を「細胞っぽい」と表現したことを受けて、渡邉さんは人間の体を連想します。体は一生付き合い続けるもので、老いて動かなくなっていくのに、人は愛着を持ってメンテナンスを続けます。
その愛着を持つっていうことの感覚、つまりそれは欠損があるんだけれども、必ずね。欠損が愛につながるみたいな側面もやっぱあると思うんですよね、体のことを考えると。
渡邉さんは、体が交換可能になる扉を開けてしまえば、人間はもはや人間と言えるのかわからない存在になるとも話しています。洋服とのつながりにはかなり飛躍があると断りつつ、欠損があること自体が愛着につながるという感覚を示しました。
中里さんはここから、人間だけが服をまとうという事実に目を向けます。植物でも動物由来の素材でも、人間は他者から何かをもらってきてまとい、足りない部分を補おうとしている、という見方です。
中里さんは、もし人間が体毛のように自分の体から衣服を自己生成できていたら、今のゴミ問題とはまったく違う未来があったかもしれないと語ります。髪の毛のように体から生え、カットでデザインが決まり、抜け落ちてもタンパク質として自然に返っていく状態です。
体から生まれ、抜け落ちても生分解して自然に返る
不完全な体を外から補い続けるため、負荷が起こり続ける
これに対して渡邉さんは、動物は捕食によって他者から食物を得るしかないので、他者から借りること自体は否定しなくてもいいのではないかと応じます。大事なのは、借りる連鎖がうまく続いていくことだという考えです。
新しいストーリーを求めすぎると何が起きるか
渡邉さんはここで、シリーズ初期に出た「機能・デザイン・ストーリー」の話に戻ります。自分もストーリーを重視する立場だとしたうえで、新しいストーリーを求めすぎると新しい消費を駆動しすぎてしまう、という潜在的な悪影響に思いを馳せたといいます。
他者から借りるかどうかっていうよりも、どこまで私たちは(物事を)更新したいのかっていうか、なんか新しいものが欲しくなっちゃうのかみたいなところは一個あるよなと思ったよね。
渡邉さんは、著書『コンテクストデザイン』で不完全さや余白を扱ったときのテーマは、個人のイマジネーションだったと振り返ります。他者の作品の欠けている部分をきっかけに、受け手が自分なりの創造性を高めていくという話です。
渡邉さんによれば、このシリーズで出てきた話は抽象的には似ているものの、より社会的なテーマに立脚している点が面白いといいます。衣服やゴミとは何かという問いを、ものづくりによって一度宙吊りにし、他の人のインスピレーションを刺激する「思考の招待状」にしているという整理です。
渡邉さんは、その招待状からコラボレーションや新たなものづくりが生まれるかもしれないと話します。テーマに社会性を持たせることで、表現は一つのムーブメントになり得る、という受け止めでした。
消費の矛盾から逃れられるのか
話題は映画『燃えるドレスを紡いで』の問いに移ります。新しいものを欲しくなる気持ちが結果としてゴミを生み、それがケニアに行き着くというサイクルを、そもそも止められるのかという問いです。
価値観の更新
これまでのものが古く、かっこよくないと感じられるようになる
物欲の刺激
新しいものがどんどん欲しくなる
大量のゴミ
消費のサイクルが速まり、衣服のゴミが生まれ続ける
ケニアへの集積
行き場を失った衣服がケニアに行き着く
ファッション業界の立場から見ると、服をつくらなければ売れず、そのためには需要を喚起しなければなりません。中里さんは、ゴミを抑えたい思いと、消費のサイクルを速くしたい力が衝突することを、業界の中にいると常に降りかかってくる大きな矛盾だと語ります。
中里さん自身が手がけるオートクチュール ── パリで認定されたメゾンが顧客一人ひとりのために仕立てる高級注文服。手仕事による一点物が中心ですのような一点物は、時代に逆行しているとも中里さんは話します。大量につくるプレタポルテ ── 既製服のこと。あらかじめ決めたサイズで量産される服で、現在のファッションの主流ですのほうがビジネスとして効率がよく、利益も生むからです。
これに対して渡邉さんは、その矛盾は前提にしてしまってよいのではないかと応じます。人は新しいものが欲しいし、何かをつくりたい。その欲求を否定せず、無思考にやらないことが大切だという考えです。
何か作ったり欲したりする行為の中でリテラシーを上げるっていうのは全然両立できるような気がしていて。っていうか、そういう道を探していくことでしかないと思ってるんですよ。
渡邉さんはサステナビリティ ── 持続可能性。環境・社会・経済などが将来にわたって続いていける状態を目指す考え方ですを環境だけの話とは捉えていません。新しいものづくりを一切やめれば、伝統的な技の伝承が止まり、人間の歴史や文化も止まってしまう。環境も社会も経済も文化も続けながら、持続可能性を高める道を探すことだと渡邉さんは語ります。
中里さんも、つくったり表現したりする行為そのものを否定すればすべてを否定することになると応じます。リテラシーを上げながら、最もクリティカルな点を改善していく。中里さんは、思考を止めずに考え続けるしかないのかもしれない、と話しています。
五感で感じる問いは人を動かすのか
渡邉さんは、無思考・無批判でいられなくなるようなインスピレーションの場の例として、六本木ヒルズで見た現代アートの展示「アウェイエコロジー」を紹介します。床一面にホタテの貝殻が敷き詰められ、来場者がそれを踏んで歩くインスタレーションです。
渡邉さんの説明では、この作品はホタテを食べた後に副産物として出る貝殻が処理しきれず、再利用にも大きなコストがかかっているという環境問題を表現しています。シャリシャリと踏む音を通して感じるものがあり、渡邉さん自身もホタテの貝殻の問題をあまり知らなかったといいます。
我々自身も何らかのこう、五感を通じて感じるみたいなものも、なんか社会的な問いの投げ方として必要なのかなっていうのは、ちょっと今感じた。
渡邉さんは、中里さんもケニアの現場を匂いとともに五感で感じたからこそ強い問いの意識が生まれたのではないか、とも話しています。中里さんは、写真や映像では伝えきれない情報量が現地にはあり、それを伝えられれば受け止め方や行動の変化にも大きく影響するのではないかと応じました。
渡邉さんは話しながら、映画『燃えるドレスを紡いで』自体がまさにそうしたインスタレーションだと気づいたといいます。渡邉さんにとって、映画の時間は無思考ではいられない強烈な体験だったそうです。
モヤモヤしたまま終わることは悪いのか
締めくくりとして、渡邉さんは4週間の議論を振り返ります。ゴミの意味を変えること、消費者がものを選ぶ基準、機能・デザイン・ストーリー、不完全性、そして問いという招待状で人を思考の場に誘うことが、展示や映画の話へとつながりました。
渡邉さんは、具体例は行ったり来たりしたものの、最終的には一つの筋でつながっていたと話します。中里さんは、まだ霧の中にいるようなモヤモヤがあると打ち明けつつ、わかりそうでつかめない部分が見えてくる状態はすごくいいとも語りました。
(このポッドキャストは)そういう意味で日本一人をモヤモヤさせる音声番組だというね。欠損のメディアですね、これはね。
渡邉さんにとって、未完成や不完全さを抱えたまま人がどう歩き続けられるかは、最近の個人的なテーマでもあります。最近始めた写真は上手ではなく、新しい表現に挑むときは誰でも下手から始まる。その上手じゃない自分とどう付き合うかが、今回の話と重なったといいます。
なんかおせっかいで絡み合い続けるみたいなコミュニケーションが、なんか完璧なものを提示し合う世界よりもなんか楽しいような気はするんだよね。
渡邉さんは、みんなが自分の不完全さを公表でき、それをジャッジせず、むしろ面白いと受け止める社会のほうが楽しいはずだと話します。そこから「この人と会ってみよう」「一緒に考えよう」という会話が始まるからです。
最後に、中里さんが次のパリコレに向けて準備中であることが話題になります。中里さんによれば、発表の時点では自分なりの最高到達点に行っているつもりでも、終わった瞬間にまた不完全さを見つけてしまい、それが次に向かう原動力になるそうです。
発表
その時点での最高到達点として作品を出す
不完全さの発見
終わった瞬間に、まだ届かなかった部分を見つける
次への原動力
不完全さが、尽きない衝動や創造性につながる
番組の最後には、渡邉さんの著書『コンテクストデザイン』と、上映館をウェブサイトで調べられる映画『燃えるドレスを紡いで』が紹介され、4回にわたるシリーズは幕を閉じました。
まとめ
ファッションを入り口にした全4回の対話は、最終回で「不完全なまま進む」という一本の筋にまとまりました。変化し続ける人間に合った未完成の衣服、欠損が生む愛着、消費の矛盾を抱えたまま思考を止めない姿勢、そして問いを五感で届ける表現が、すべてそこにつながっています。
- 中里さんは、変化し続ける人間に対して服は完成しすぎているのではないかと問い、繕い続けるボロに手がかりを見ています
- 渡邉さんは、欠損があるからこそ愛着が生まれ、完璧が手に入ると愛はなくなるのではないかと話しています
- 服をつくって売る業界の矛盾は消せないとしたうえで、欲求を否定せず、リテラシーを上げて考え続ける道が語られました
- ホタテの貝殻を踏む展示や映画のように、五感に訴える体験は社会的な問いを届ける方法になり得ます
- 中里さんにとって、発表のたびに見つかる不完全さが、次の創作へ向かう原動力になっています



