機能、デザイン、そしてストーリー。商品が選ばれる3つの層とは
この回は、パリ・オートクチュール・ファッション・ウィークでコレクションを発表し続けるデザイナーの中里唯馬さんをゲストに迎えたシリーズの2回目です。冒頭では渡邉さんが、中里さんの取り組みを追ったドキュメンタリー映画『燃えるドレスを紡いで』を踏まえた前回の議論を振り返ります。
前回の中里さんの話の柱は、ゴミとは「いらないと決めたものの集合体」だという見方でした。物質そのものは変わらず、人が不要と決めた瞬間に排除の対象になるため、加工や場所の移動によって意味を変えれば、かつてのゴミにも再び価値が生まれうる、という話です。
もう一つの柱は、服と物語の関係でした。渡邉さんは「服を着ることは物語を着ることに近い」と話し、中里さんは「服をデザインすることは物語を書くことに似ている」と応じていました。
この流れを受けて荒木さんが持ち出したのが、元パナソニックのビジネスデザイナーである浜口秀司さんの本『シフト』で示された、消費者が商品を選ぶ3層構造です。
機能
利便性や性能で選ばれる段階。ここが飽和すると次の層へ移る
デザイン
情緒性や見た目で選ばれる段階。ここも飽和すると最後の層へ移る
ストーリー
意味や物語で選ばれる段階。最終的な競争はここになる
荒木さんは、この枠組みが正しいなら、意味で勝負できるのは機能とデザインが満たされたあとだと考えます。ファッションでも同じことが言えるのではないか、という問題提起です。
やっぱり意味の勝負ができるのは、機能とデザインが満たされていてのことであるっていう話は、やっぱファッションでもあるのかなと思うわけですよね。
この3つが揃うっていうのは結構稀有なことなのかもしれないなっていうのは、こうたろうの話を聞いててちょっと思ったんですよね。
荒木さんの例えでは、友人が作った服がストーリーとしては魅力的でも、機能が不十分だったり見た目が好みでなかったりすると、選ぶのは難しくなります。3つの層がすべて揃うのは珍しい、という見立てです。
あえて機能を欠く服は美しくなれるのか
荒木さんの3層構造の話に対し、中里唯馬さんは自身の少し特殊なやり方を紹介します。量産品では最低限の機能を必ず担保するところを、中里さんはあえて機能性を欠如させ、デザインとストーリーに振り切ることがあるといいます。
中里さんによると、機能性を担保するとデザインが尖らず丸くなっていく側面があります。逆に機能を極端に欠かせると、極端に美しいものになる可能性がある、というのが中里さんの考えです。
中里さんが挙げた例は、めちゃくちゃ重たい服や、ガチャガチャと音が出てしまう服です。普通なら着られない服ですが、重い服を着ると人の動きが変わり、その特殊な動きが美しく見えるかもしれないと中里さんは話します。こうした試みは、オートクチュール ── パリで発表される、一点ものの高級仕立て服、またはその発表の場。厳しい基準を満たしたメゾンだけが参加でき、実験的な表現も多く見られますやパリコレクションのような特殊な衣服を発表する場だからこそ遊べる部分だといいます。
ただし中里さんは、ストーリーだけは絶対に欠かせないとも話しています。デザイン性を削っても成り立つ場面はあるものの、物語だけは担保しなければならない、という優先順位が中里さんの中にはあります。
渡邉さんは、そもそも機能とデザインはそこまできれいに分かれるのか、という疑問を投げかけます。合理的なデザインもあり、フォームフォロースファンクション ── 「形態は機能に従う」という意味の、近代建築・デザインの考え方を表す言葉。建築家ルイス・サリヴァンの言葉として知られますのような考え方に立てば両者は分かちがたく、歴史があればストーリーもおのずと積もっていく、というのが渡邉さんの見方です。
そのうえで渡邉さんは、不完全性や機能性の欠如は自分にとっても大好きなテーマだと語ります。日本は美しさをしばしば不完全性の中に見出し、わびさびや、割れた茶碗を金継ぎ ── 割れたり欠けたりした器を漆で接着し、継ぎ目を金粉などで装飾する日本の修復技法。傷跡を景色として楽しむ美意識と結びついていますで直す文化がある、と渡邉さんは指摘します。
渡邉さんが最近見た例は、日本橋の橋を貸し切って開かれていたクラシックカーの展示です。ガタガタしてすぐ壊れ、燃費も悪く、カーナビを付けるとダサいから付けない。利便性とは違う価値観を求める人たちの文化がそこにある、と渡邉さんは話します。
さらに渡邉さんは、中判フィルムカメラのハッセルブラッド ── スウェーデンのカメラメーカー。500Cは1950年代に登場した中判一眼レフで、ウエストレベルのファインダーをのぞいて撮影します500Cを使い始めた体験を語ります。左右が反転したファインダー越しに構図を作り、自分でミラーを上げてフィルムを巻く不便さの中で、写真を撮ることの身体性がようやくわかってきたといいます。
(ハッセルブラッドは)もうね、めっちゃ不便なんだけど、なんかね、なんかやっとわかってきたんですよね。写真を撮ることの身体性みたいなのが。
便利に撮ろうと思ったら、もうiPhoneでいくらでも綺麗な写真が撮れちゃうんで、もう機能とかで言ったらそこなんだけど、なんかその一連の儀式の中に何か得も言われぬ満足感を得ちゃう部分があって。
砂漠のビーズとマイナスドライバー。なぜ人は機能を優先するのか
中里唯馬さんは、渡邉さんのハッセルブラッドの話が映画の一場面とつながると話します。映画『燃えるドレスを紡いで』では、ゴミの山を訪れたあと、気候変動で雨が降らなくなった砂漠の地域で伝統的な暮らしを続ける人々に会いに行きます。
中里さんによると、暑く乾燥した砂漠の人々が着ている服は色鮮やかで、ビーズの装飾をまとっていました。そのビーズには体を守る機能はほとんどないのに、大切に身に着けられている。その姿こそ、機能ではなくストーリーをまとっている状態ではないか、と中里さんは考えます。
一方で中里さんは、現代社会では機能性のないものが「無駄」「合理的でない」とされ、身の回りがどんどんシンプルになっていく流れも感じています。人々がこの先、もう一度ストーリーを身に着けたいと思うようになるのかどうかに、中里さんは強い関心を寄せています。
荒木さんは、マスは低価格で機能性のあるもので十分という方向に行きがちだと認めつつ、砂漠での生活でさえストーリーが追求されている点に心を動かされたと話します。
人間がその、まあ、ある根源的な究極的な生き方をしても、ストーリーというものをやっぱり追求しているという姿がすごく印象的でしたね。
渡邉さんは、ベルガンティ ── イタリア・ミラノ工科大学の教授ロベルト・ベルガンティ。製品の「意味」を革新する「意味のイノベーション」を提唱したことで知られます教授が語っていた話として、どんなに貧しい暮らしの家にも装飾の施された皿がある、という例を挙げます。そのため渡邉さんは、機能・デザイン・ストーリーが順番にやってくるという話は一部では成り立つものの、法則ではないと考えています。
渡邉さんの例えはマイナスドライバーです。年に2、3回しか使わない工具にはデザインもストーリーも求めない人が多い一方で、だからこそ良い工具を選びたい人や、祖父の工具を大事に手入れする人もいます。人生のどこにストーリーを求めるかが人によって少しずつずれているだけではないか、と渡邉さんは話します。
中里さんはここで、なぜ機能が第一に来る思考回路になるのかがわからなくなってきた、と疑問を口にします。中里さんの見立てでは、機能は「2倍暖かい」のように数値化できて直感的にわかるのに対し、「2倍美しい」とは言えません。
荒木さんは、その分かりやすさこそが答えだと応じます。「この軽さと暖かさでこの値段」という数字は解釈のいらないユニバーサルランゲージであり、ファッションにこだわらない人にとってはそれで十分なのだろう、という考えです。渡邉さんも、機能には「この太さのドライバーで回る」という正解があり、ゴールイメージを共有しやすいと補います。
数値化しやすく、正解がある。解釈が不要で、万人に伝わりやすい
基本的に正解がなく、多様な選択肢の中から好みで選ぶ余地がある。共感はニッチになりやすい
荒木さんは、この違いから、ストーリーで勝負するものはニッチにならざるをえないと直感的に感じると話します。
万人が共感するストーリーっていうのは多分難しいんじゃないかなって直感的に思うんですよね。
渡邉さんは、確率としてはその通りだとしつつ、逆の流れもあると指摘します。iPhoneが広く普及した結果、スタンフォード大学でのスピーチや、自ら招いた社長に会社を追われた話など、スティーブ・ジョブズのエピソードは多くの人が語れるようになりました。シェアを取ったもののストーリーは、自然とメジャーになっていくというわけです。
装飾は排除されるべきものなのか
荒木さんは、ここまでの話で中里唯馬さんの問題意識が見えてきたと話します。機能ありき、デザインありきで決まっていく一般的な順番をバグらせ、ストーリードリブンなものをどうすればマスに浸透させられるか、という挑戦です。
ストーリードリブンであるとか、なんかそういうことがいかにしてよりマスに浸透しうるかのチャレンジとかね。
荒木さんは、映画に出てくるケニアの現状も今のモデルが積み重なった結果であり、それを変えるためにストーリーの力に出番はないのか、と問いかけます。
中里さんは、機能の対義語として「装飾」があるのではないかと話します。砂漠の人々のビーズのように、装飾そのものに機能はなくても、祈りなどさまざまな意味が込められています。
中里さんによると、スポーツウェアやミリタリーウェアのように命や行動に直結する服では機能が優先され、装飾は邪魔なものとして排除されていきます。大きなフリルのついた服では逃げ遅れたり敵に見つかったりする、という理屈です。中里さんはそこに抗いたい気持ちがあり、装飾を意図的にデザインへ仕込んでいるといいます。男性の服に装飾性が非常に少ないことも、中里さんは意識しています。
そのうえで中里さんは、逆の見方を提示します。装飾をまとって自由に過ごせる状態こそ平和なのかもしれず、歩きにくい靴や服でも助け合えば成り立つかもしれない。中里さんは、装飾が成り立つ社会のほうが平和なのではないか、というビジョンを語ります。
渡邉さんは、装飾の歴史的な起源をたどります。渡邉さんによれば、装飾はもともと権力の象徴でした。イスラム教のモスクの複雑な幾何学文様のタイルや、王宮、カトリック系の教会の華やかな装飾は、職人の力が注がれていること自体が場に権威を与え、人に畏怖の念を抱かせる、という見方です。
渡邉さんは対照的な例として、日本のわびさびを挙げます。モダニズムよりもはるかに早く引き算の美の探索を始めたことが面白く、ハイコンテクストな美しさでありながら、日本の文化圏で暮らしていると言葉にできなくても見分けられる、と渡邉さんは話します。
中里さんは、権力とは別の装飾のあり方として、日本の歌舞伎やバサラ ── 南北朝時代に流行した、派手で華美な装いや身分秩序を軽んじる振る舞いを指す言葉。「婆娑羅」と書き、大名の佐々木道誉などが知られます、祭りを挙げます。華美に装うことで存在感を示す装飾もあり、国や地域によって装飾の意味が大きく変わるのが面白い、というのが中里さんの反応です。
モスクのタイル、王宮、カトリック系の教会など。職人の力を投じた華やかさで権威を示し、畏怖を抱かせる
歌舞伎、バサラ、祭りなど。華美に装うことで自らの存在感を示す
話題がさらに広がりそうになったところで、渡邉さんの提案により、装飾をめぐる続きは翌週に持ち越されることになりました。
番組で紹介された本
最後に、この回で話題になった本が紹介されます。荒木さんが3層構造の出典として挙げた浜口秀司さんの本は『シフトイノベーションの作法』で、Kindleでしか出ていない電子書籍のため、番組の「超相対性理論書店」には入れられないと説明されました。
渡邉さんによると、超相対性理論書店はVALUEBOOKSを通じた仕組みで、リスナーが購入するとその書店分の利益を番組の編集などの運営費に充てられる約束になっています。
渡邉さんは、装飾と権威の話の出典として、原研哉さんの新書を挙げました。渡邉さん自身の記憶では新潮新書か何かで、書名は『日本のデザイン』だったかもしれない、という紹介です。あわせて、無印良品のウェブサイトに残る原研哉さんのオンライントークの文字起こしも、「無印良品 原研哉 装飾」で検索すると見つかるはずだといいます。
中里唯馬さんは、機能性の話に関連して『軍服の歴史五千年』書名表記を紹介しました。5000年分の衣服、特にミリタリーウェアの歴史が図解で載っていて非常にためになる本だといい、荒木さんがこちらを書店に入れることになりました。
まとめ
この回は、機能・デザイン・ストーリーという商品選びの枠組みを手がかりに、あえて機能を欠く服の美しさ、機能が優先される理由、そして装飾の意味へと話が広がりました。中里唯馬さんは、機能の効率に抗って装飾とストーリーを重んじることに、平和な社会へのビジョンを重ねています。
- 浜口秀司さんの3層構造では、競争の軸が機能、デザイン、ストーリーの順に移っていく
- 中里唯馬さんはあえて機能性を欠かせることで極端な美しさを狙うが、ストーリーだけは欠かさない
- ハッセルブラッドやクラシックカーのように、不便さの中でしか味わえない美しさや満足感がある
- 機能は数値化でき正解があるため選ばれやすく、ストーリーはニッチになりやすい
- 装飾は権威の象徴としても、民の存在感の表現としても使われ、装飾が許される社会は平和なのかもしれない



