衝動は「やる気」で片付けられるのか?
このシリーズは、谷川嘉浩さんの著書『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマー新書)をきっかけに、会社や大学といった組織の中で衝動を生かせるのかを考えています。冒頭では渡邉康太郎さんが前回の内容を振り返りました。
前回の谷川さんは、衝動を「そんなことをそんな熱量で」という非合理な情熱として説明しました。読者には「そもそも衝動が見つからない」という人が意外に多く、荒木博行さんは、人と一緒に反応し合いながら火種を大きくしていくのが実際のところではないかと話していました。
渡邉さんは今回、本の36ページあたりの記述に質問を向けます。ダニエル・ピンク ── アメリカの作家。著書『モチベーション3.0』で、報酬や罰ではなく、自分の内側から湧く動機(内発的動機付け)が現代の仕事で重要になると論じましたの『モチベーション3.0』でいう内発的動機付けだけでは衝動を説明できない、という主張がよくわからないというのです。
なんか非合理であっても内発的動機付けだよって言っちゃうこともできるんじゃなかったっけみたいな。その辺がちょっとよくわかってないですね。
谷川さんの答えは、伝統的なクラフトの作り手の例から始まります。「やりたいからやっている」とは言えても、それにしては自分のリソースや思いを過剰に投影しているように見え、何かがにじみ出ている感じが拭えないというのです。
谷川さんはさらに、かつて信仰を真摯に持っていた人々の献身を挙げ、それを「やる気」という言葉で片付けられるのかと問いかけます。内発的動機付けである程度は説明できるものの、微妙に収まりきっていない、というのが谷川さんの立場です。
谷川さんはその感覚を、詰めすぎたクローゼットから袖がちょっとだけはみ出ている様子にたとえました。渡邉さんはこれを受けて、衝動について「異常さが漏れ出てる」と言い直しています。
ただのやる気で片付けるにはちょっと不安あるね。
「やりたいからやっている」という、やる気の言葉で語れる動機
内発的動機付けを含みつつ、やる気では片付けられない過剰さや献身がにじみ出ている部分
谷川さんは、ずっとアリを見つめている子どもを例に、それを「内発的動機付けがある」と言われると「ほんまに?」と思ってしまうとも話しています。やる気があるから見ているとは限らない、という感覚です。
衝動は感情の高揚とどう違うのか
渡邉さんは谷川さんの説明に共感しつつ、それだと衝動の範囲が狭くならないかと疑問を出します。一見過剰に見えないまま何十年も続いている活動や、だんだん強まっていつの間にか献身的になった活動もあるのではないか、という指摘です。
もしくは最初は内発的動機っぽかったんだけど、意図的に自分はこれに狂ってみたいっていう風に理性的に決めてガンガンやるみたいなパターンもあるかも。
谷川さんは、そうしたパターンも衝動に含めているつもりだと答えます。本の中で谷川さんが区別しているのは、音楽ライブでの盛り上がりや衝動買いのような、感情的な高揚のほうです。
谷川さんの定義では、感情的な高揚とは無関係に成立し、合理的に説明できない部分が残る活動の背後にあるものが衝動です。
音楽ライブでの高揚、買い物での「これ欲しい」といった感情的な盛り上がり
感情の高揚とは無関係に成立し、合理的に説明しきれない部分が残る活動の背後にあるもの
谷川さんはもう1つのポイントとして、活動Aを支えていた衝動が、10年後にまったく別の活動Bに生きることもあると話します。アリを見つめることを50歳まで続ける人は少なくても、そのときの衝動が別の形で生きるかもしれない、という見立てです。
荒木さんが「生物への愛につながっているかもしれない」と応じると、谷川さんは、アリへの衝動というより観察への衝動や、群れを眺めることへの衝動だったのかもしれないと付け加えました。
自分の衝動に気づけないのはなぜか?
衝動に感情の高揚が伴わなくてもよいなら、荒木さんは、多くの人が自分の持っている衝動に気づいていないだけかもしれないと考えます。谷川さんも学生を見ていてそう感じると同意しつつ、他人だけでは衝動を掘り下げられない難しさを挙げました。
荒木さんは、自分に問いかけるのが下手な場合に衝動探しが難しくなると話します。問いが大ぐくりすぎるという問題です。
自分が大好きなものは何?みたいな問いを自問自答しても、そんなストレートな問いで答えなんか出ねえよみたいな。
谷川さんは「大好きなものがYouTubeになったら、YouTubeに就職しようという結論しか出てこない」と笑いを交えて応じます。荒木さんはさらに、衝動は本人には無自覚でナチュラルなことが多く、世の中から見るとずれていても自分ではノーマルに感じるため、なおさら難しいと付け加えました。
谷川さんの分析では、衝動探しでつまずく人の問いは「私の大好きなものは何か」という極端に抽象的な問いと、「A社はどうか」「デザイナーはどうか」という極端に具体的な問いの2つしかありません。本来は抽象と具体の間に無数のレベルがあるのに、その間が埋まっていないというのです。
抽象的すぎる問い
「私の大好きなものって何だろう」と漠然と問う
間が抜け落ちる
抽象と具体の間にある無数のレベルを考えない
具体的すぎる問い
A社、B社、デザイナーなど、会社や職業を代入して当てはまるか試すだけになる
谷川さんによれば、その中間を自然と考えられている人はいても、考えるのが得意だと自覚している人、特に学生にはあまり出会いません。荒木さんは、得意な人は自己完結していて悩みを表に出さないのだろうと推測しています。
レゴとぬいぐるみを混ぜて遊んだ子ども時代
谷川さん自身も、振り返って持続している衝動に気づくことはあるといいます。例に挙げたのは、谷川さんの文章の書き方です。
谷川さんは一般書を書くとき、哲学者や研究書のフレーズと漫画の会話を区別せず、どちらも「他人の言葉の引用」として並べます。今回の本でも、ジョン・デューイが出てきたかと思えばウオトさんの字という漫画が出てくる構成になっています。学術論文では逆に、引用すべきものとそうでないものを意識的に分けて書いているそうです。
谷川さんは、この傾向が子どもの頃の遊び方とつながっていると気づきました。レゴとぬいぐるみのように、ジャンルの違うおもちゃを混ぜて遊んでいたのです。
ミニ四駆 ── モーターと電池で走る小型の自動車模型。ラジコンのような遠隔操作はなく、コースを走らせて速さを競いますでも、谷川さんは厳しいレギュレーションを一切取り払い、どうやって速く走らせるかばかりを考えていたといいます。谷川さんはこれを「フレームを意識しない」性質として捉えています。
谷川さんはこの気づきを、自分の文体について人と話す中で得ました。ただ、自然とできていたからこそ、衝動の見つけ方という問いにつまずかずに済んだのであり、自分の衝動を見つけるのが得意な人間だったわけではないとも話しています。
「強み」も「夢」も、探すほど見つからない
荒木さんは、衝動探しにはある種の逆説があると指摘します。
谷川さんも、それらしいものを探そうとするとき、あらかじめ想像する姿が固まりすぎていると応じます。荒木さんはその原因の1つとして、「衝動」という言葉そのものの影響を挙げました。
荒木さんが例に出したのは、就職活動中の学生との会話です。学生は「強みは何ですか」とよく聞かれるものの、「強み」という言葉に手垢がつきすぎていて、自分のこれを強みと呼んでいいのか迷ってしまうといいます。
いや、だってさ、すごいなんかいろいろひらめいて、いろいろなこと聞いてくるじゃん。それってすごいことだと思うよとか。それはでも強みではありませんみたいな。
だから言葉が持つすごいイメージみたいなものを元に、強みって何?強みって何?って見つけると余計見つからないみたいな。
谷川さんはこれを、「強みならこういうものであるはず」というリストから外れるものを、自分から火種として捨ててしまっている状態だと言い表しました。
渡邉さんは、本の前半にある「将来の夢」の話と同じ構図だと指摘します。夢も強みも、社会的に許容されるあらかじめ決まったリストに収まるかどうかで判断され、収まらないものは強みや夢と捉えられないというのです。
そっくりそっくり。それだよそれ。
谷川さんは「周りに気に入られそうか」といった無意識の選別が入ってしまうのかもしれないと話します。そのうえで、本ではレゴとぬいぐるみを混ぜて遊んだ話を衝動や、その種である偏愛の例として挙げているので、「こんなんでいいんや」と思ってほしいと付け加えました。
「衝動」ではなく「ボイス」と呼んだら?
言葉の重さの話を受けて、谷川さんは意外な打ち明け話をします。書き手は代替案を考えながら書いているので、読者ほど「衝動」という言葉にこだわりはなく、他の呼び名が見つからず便利だから使っているというのです。
谷川さんは、クリエイティブディレクターの古川祐也さんと話した際の言い換え案を紹介します。「狂気」という案に加えて出てきたのが「ボイス」でした。
古川さんが聞いたというエピソードでは、ハリウッドのシナリオライターが会議室でプロデューサーから最初に言われた一言が「What's your voice?」だったそうです。谷川さんはうろ覚えと断ったうえで、ボイス、つまり声やその人固有の言い方という表現は全然いいと話しました。
衝動を見つけるのが下手な一当事者からすると、衝動っていう言葉の重さに縛られちゃうっていうのは結構あるので、さっきヒロさんが言ってた学生のこれは違うみたいな気持ちもすごいよくわかるんですよね。
渡邉さんは、日本語の「衝動」には内なる炎がたぎっているような雰囲気があり、日本的なイメージの職人や近代的なイメージの芸術家のように、人生を捧げるテーマを見つけた人が思い浮かぶと話します。努力や楽しさ以前に、テーマを見つけられていること自体がすごいと感じるというのです。
続く発言では、テーマが見つからず「熱がそもそもない」と感じている人にとって、ボイスのような小さなささやきに注目して育ててみる入り口はかなりいい、という意見が出ました。荒木さんも、ボイスに置き換えると突然救われる人が結構いるのではないかと話しています。
谷川さんは、刊行記念対談の場だったので「時すでに遅し」と笑いつつ、どんな他者に囲まれ、どんな環境で育ったかは双子でも違うので、誰にでもその人なりのボイスがあるはずだと語ります。教育や相性の悪い組織によって抑圧されたり、自分で押し殺したりしているかもしれない、という見方です。
衝動派とボイス派、そして本のタイトルの裏側
一方で荒木さんは、本のタイトルとしては「衝動」でいいと考えています。言っている中身はボイス的なことだと認めたうえで、「衝動」には憧れを喚起する力があるというのです。
ボイスだとギャップがあるからいいと思う。衝動的な生き方したいみたいな。なんかちょっとロックンロールでいたいみたいな、なんかそういうような心をくすぐるんで。
これはだからそういう意味でのジレンマだと思うんだけどね。だからこそ、なんか私には持てないと思っちゃうという側面と。
ロックンロールのような生き方への憧れをくすぐる一方、言葉が重く「私には持てない」と思わせてしまう
その人固有の声という小さな入り口になり、熱がないと感じる人も近づきやすい一方、本のタイトルとしては何の本か伝わりにくい
谷川さんは、この本がもともと「欲望の哲学」といった仮タイトルの欲望論だったと明かします。ただ、消費や広告の話ではなく、それらによって見えなくなっている固有の欲望をどう拾うかを書きたかったそうです。
さらに谷川さんは、自己啓発本と間違えて手に取ってほしかったため、自己啓発本に擬態したタイトルとして強めの言葉を選んだと話しました。次回は、固有性とボイスから連想する話と、学生目線で衝動が見つからない理由のエピソードを取り上げる予定です。
まとめ
この回では、谷川さんが衝動を内発的動機付けや感情の高揚と区別する理由が語られ、そこから「衝動」という言葉の重さが、かえって自分の衝動を見えにくくしているのではないかという論点が浮かび上がりました。
- 谷川さんは、衝動を内発的動機付けを含みつつ、やる気では説明しきれない過剰さがにじむものとして捉えている
- 衝動は感情的な高揚とは区別され、ある活動を支えた衝動が年月を経て別の活動に生きることもある
- 衝動探しは、抽象的すぎる問いと具体的すぎる問いの間が抜け落ちると行き詰まりやすい
- 「強み」や「夢」と同じく、「衝動」も言葉のイメージが強すぎると、自分の火種を自ら捨ててしまう
- 「ボイス」という言い換えは入り口として魅力がある一方、「衝動」には憧れを喚起する力があるというジレンマも語られた






