ミネルバ大学のリーダーシッププログラムとは?
番組の冒頭で、荒木博行さんは最近の近況として、教える場がまた1つ増えたと話します。その場は、ミネルバ大学 ── 2014年に開校したアメリカの大学。固定のキャンパスを持たず、学生は世界各地の都市を移りながら少人数のオンライン授業で学ぶ形式で知られますのリーダーシッププログラムです。
渡邉康太郎さんが「ハーバードより難しいみたいな記事」を思い出すと、荒木さんは、学生がみんなで各地を回りながら授業だけはオンラインで受けるユニークな大学だと説明しました。
荒木さんが加わったのは、日本人向けに日本語で教えるプログラムです。仕組みはミネルバ大学のものをそのまま使っていて、Zoomのような形式ながら、受講生がどれだけエンゲージしているかが分かるなど、学習に最適化されたツールで授業を進めるといいます。
荒木さんによると、プログラムの特徴は「リーダーシップとは何か」を問い直すところにあります。キーワードはアダプティブリーダーシップ ── 正解のない課題に対して、周囲の人々が適応し変化していくのを促すことに重きを置くリーダーシップの考え方。ハーバード大学のロナルド・ハイフェッツらが提唱しましたで、既存の力強いリーダー像ではない、この時代に即したリーダーシップを教えるものです。
(リーダーシッププログラムは)僕もなんかやりながらめっちゃ学んでます。
渡邉さんが「今日の話と関わってくるのか」と振ると、荒木さんは笑いながら、そのプログラムの日本展開を担うゲストを紹介します。
「準備しない」荒木さんが準備に追われる理由
ゲストの黒川公晴さんは、ラーナーズラーナーという会社を立ち上げ、ミネルバ大学のリーダーシッププログラムを日本で展開しています。黒川さんはふだんからこの番組を聴いていて、出演を喜びました。
荒木さんと黒川さんの出会いは「本つながり」です。黒川さんが『ミネルバ式最先端リーダーシップ』を出したのと近い時期に、荒木さんも同じ出版社から『構造化思考のレッスン』を出していました。そこからフライヤーの場で対談するなどの縁が生まれ、黒川さんが荒木さんをプログラムのファカルティ(講師陣)に誘ったといいます。
熱烈ラブレターをお送りして、なんとかうまく。
ところが荒木さんにとって、ミネルバでの授業は想像以上に大変でした。荒木さんはふだん準備をしないフリースタイルで授業をしますが、ミネルバではカリキュラムが細かく決まっていて、アクティビティも分刻みだからです。
僕の授業スタイルって基本的にフリースタイルなんで、準備なんかしないんですよ、大体どんなセッションでも。
渡邉さんが「進行はどこまで講師に委ねられているのか」と尋ねると、荒木さんは究極的には委ねられていると答えます。ただ、全11回のプログラムを複数のファカルティがバトンリレーで担うため、前の回で伝えたメッセージを前提に進めることが大事になるそうです。
黒川さんは、ミネルバの特徴を「学びを徹底的に科学して仕組み化している」点にあると補足しました。学習者のモチベーションだけに頼らず、学びを作る側が集中を保たせるために、問いの順番やアクティビティの構成まで細かく設計しているといいます。
(講師の皆さんは)人の書いた台本なので、居心地の悪さみたいなのが生じるのが大体最初っていう感じなんですけど。
それでも回を重ねると、荒木さんのような講師の強弱の付け方や好みがにじみ出て、それぞれの個性になっていくと黒川さんは見ています。
外交官から起業へ。黒川さんはなぜこの問いを持ち込んだのか
黒川さんがこの回に持ち込んだ問いは「リーダーシップって誰のものなの?」です。渡邉さんに背景を聞かれ、黒川さんは自己紹介から話し始めました。
黒川さんのキャリアは外務省の外交官から始まります。外交官として12年働き、そのうちおよそ半分を海外で過ごしました。帰国後は霞が関で外国政府との交渉にあたり、安倍総理や岸田外務大臣時代の英語通訳もよく務めたといいます。
黒川さんの経歴を、話された順に並べると次のようになります。
黒川さんが外務省を辞めたのは、人と組織の関係がどうあるべきか、仕事を通じて人がどう成長し、組織がそれにどう責任を持つのかに関心があったからだといいます。
黒川さんは数多あるリーダーシップの定義を突き詰め、リーダーシップは一言でいうと影響力だと伝えています。1人1人が他者や世界に対して、意図して及ぼしていく前向きな影響力という定義です。
その影響力を育てるために、黒川さんはシステム思考やEQ、課題の分析法といった具体的な思考習慣を支援しています。ミネルバのプログラムは、すでに約1000名が卒業したそうです。
活動を続けるうちに、黒川さんは、意思を持って世界に影響を及ぼす姿勢はビジネスの成果を超えて、人生の充実そのものの土台ではないかと考えるようになりました。いまは東京の学童のカリキュラム監修や、福岡の公立小学校での4年生から6年生向けプログラムにも関わり、子どもたちの変化に手応えを感じているといいます。
一方で黒川さんは、リーダーシップは良いものだという考えが自分の中で凝り固まっている感覚にも気づいたと話します。だからこそ、2人に別の解釈や見えていない側面を「料理」してもらいたいと考えたのです。
こういうなんか考えとか良いものみたいなものに対して考え凝縮する時って、他の可能性に視界が行きづらくなるものなので、一旦こう立ち止まって、何か他の解釈の仕方とか、見えてない側面とか、そんなものをお二人に料理していただいて、
黒川さんの着地点は、反証を経たうえで、それでもリーダーシップの考え方を広めることに厚みを持たせることです。
幼なじみ6人で一斉に退職。「あり得ない」起業の話
渡邉さんは、黒川さんが国のリーダーたちの影響力を間近で見てきた点に期待を寄せます。通訳した首脳だけでなく、その相手や表に出ない人たちもリーダーであり、ビジネススクール的なリーダーシップ論とは違う要素が出てきそうだと話しました。
荒木さんが特に面白がったのは、黒川さんの起業の仕方です。黒川さんは、3歳から一緒の幼なじみを含む自分以外の5人、全員で6人そろって会社を辞め、起業しました。
それで一斉にそれでみんなで辞めて起業するって、なんかちょっとあり得なくない?みたいな。
なんか浦沢直樹の漫画であってもおかしくない。
黒川さん本人も、いろんな人に「やめとけ」「あらゆるセオリーに反している」と言われ続けたと振り返ります。それでも会社は10年続いているそうです。
全員がリーダーシップを発揮したら「やかましい」社会になる?
荒木さんは、黒川さんの問いにはアンチテーゼがあると読み解きます。一般にリーダーシップは、個人が発揮するもので、個人のマインドセットやスキルが大事で、組織を変えても持ち運べるもの、というニュアンスで語られるからです。
黒川さん自身も、リーダーシップは肩書きや組織から与えられた権限に基づくものではなく、全員が発揮しうるものだと捉えてきました。自分の半径3メートルでも5メートルでも、意図を持って世界を眺め、行動で変化を作る営みそのものがリーダーシップだという考えです。
しかし黒川さんは、その考えを突き詰めると2つの疑問が出てくると話します。全員がやるべきなのか、そして本当に個人が所有する特性なのか、という疑問です。
要は全員が全員世界こうあるべきだって言って、自分なりの意図を持って行動を起こしまくるみたいな世界観だったとすると、単純にやかましいよねみたいなのがあって。
さらに黒川さんは、影響や変化は最終的に周囲の人の受け取り方によって完結するとも指摘します。そのプロセス全体をリーダーシップと呼ぶなら、個人が所有する部分はどこまでなのかがぼやけてくるのです。
2つの捉え方を並べると、黒川さんが抱えている揺らぎが見えてきます。
意図を持って世界を眺め、行動で変化を作る営み。全員が発揮でき、個人や子どもに教えられる
影響は周囲の受け取り方や作用で最後に完結する。個人が所有する部分の境界がぼやける
個人や子どもに考え方を伝えたい思いがあるからこそ、その境界がぼんやりする感覚をどうすればいいのか。黒川さんは答えが出ないまま、この問いを番組に持ってきたと話しています。
トルシエ監督の通訳ダバディさんは、誰の怒りを伝えていたのか
渡邉さんが最初に連想したのは、元サッカー日本代表のフィリップ・トルシエ ── フランス出身のサッカー指導者。1998年から2002年まで日本代表監督を務め、日韓ワールドカップでベスト16に導きました監督と、通訳のダバディさんです。ダバディさんは、トルシエ監督が檄を飛ばすと、隣で同じテンションで叫びながら日本語で伝えていました。
なんか知んないけどトルシエより長く語ってる気がするみたいな。
渡邉さんは、通訳は脇に控えるものと思われがちなのに、ダバディさんはリーダーより前に出ている印象さえあったと振り返ります。冷静に「監督は今非常に不満を持っています」と訳すこともできましたが、それは正確でも通訳としては失敗だったかもしれない、というのが渡邉さんの見立てです。
熱ごと伝えることが目的だったなら、忠実な訳とは感情までセットにすることかもしれません。そう考えると、発する側と受け取る側の境目が柔らかくなると渡邉さんは話します。
怒ろうと決めたわけじゃないけど、怒らされたっていうわけでもないっていうか。何かが自分の中を通過していく。
渡邉さんはこの感覚を、中動態 ── 能動でも受動でもない動詞の態。行為が主体の内側で起こる状態を表すもので、日本では國分功一郎さんの著書を通じて広く知られるようになりました的なものとして思い浮かべたといいます。
米大使への抗議会談で、黒川さんはどう通訳したのか
ダバディさんの話を受けて、黒川さんは外交官時代の通訳体験を思い出します。岸田外務大臣の時代、黒川さんは沖縄の米軍基地を担当する部署にいて、米軍関係者が起こす事件や事故への対応を担っていました。
その部署にいた時期に、米軍属が日本人女性を殺害するという、めったに起こらないほど深刻な事件が起きました。岸田外相は当時のケネディ駐日米大使を夜の外務省に呼んで抗議する会談を急遽設け、黒川さんが通訳として入りました。
黒川さんによると、通訳には流派があります。2つの考え方を並べると、次のようになります。
言語をそのまま正確に訳すことを善とする
場の空気や感情をまとって、そのまま再現する
抗議会談で、黒川さんは直感的に後者を選びました。日本政府の怒りと、事件をどれだけ深刻に受け止めているかを、トーンや単語の選び方まで含めて全身全霊で表現したといいます。
それは何か通訳やってるというよりは、この場で何を目的として、どんな雰囲気を最後読後感として達成したいのかみたいなところから逆算してる感覚もあって。
渡邉さんが「通訳しながら自分の気持ちも同調していくのか」と尋ねると、黒川さんは同調も起こると答えます。通訳がうまくいくときは、話者の内容が自分の中で絵になっていくそうです。
逆に、一言一句メモを取って訳すときはたいていうまくいかないと黒川さんは話します。憑依したり、同期したりする感覚があるときほど、通訳はうまくいくのです。
リーダーシップは「現象」なのか。150年の研究がたどった道
荒木さんは、黒川さんの通訳の話がリーダーシップにとても近いと感じました。リーダーシップを、人と人との関係の中で立ち現れる「現象」と捉える考え方があるからです。
リーダーシップって現象であるみたいな考え方があると思うんですよね。だから今の話でいけば、その通訳も現象であるみたいな。
荒木さんによれば、黒川さんの通訳は、文脈の中でコミュニケーションがどうあるべきかをメタ的に捉え、創発的に対話していくものでした。リーダーシップも同じで、文脈から切り離されて商品化された「リーダーかくあるべき」ではなく、結果として発揮されていたと言われるものだと荒木さんは話します。
黒川さんは、この論を突き詰めると自分の活動の否定になりかねないと認めつつ、だからこそあえて持ち込んだと話しました。そのうえで、約150年といわれるリーダーシップ研究も、まさにこの方向をたどってきたと紹介します。
ここで黒川さんは、次の問いにたどり着きます。リーダーシップが関係の中の現象だとすれば、冒頭で示した「影響力」としてのリーダーシップを、どうやって再現性高く育めばいいのか、という問いです。
荒木さんは、いい問いが出たところで初回を締めくくりました。黒川さんは、次回はハンナ・アーレントや平家物語の話もしたいと予告しています。
まとめ
初回では、黒川公晴さんが「リーダーシップは誰のものか」という問いを持ち込み、通訳体験を手がかりに、リーダーシップを個人の能力ではなく関係の中で起こる現象として捉える見方が浮かび上がりました。最後に残ったのは、関係の中で起こる現象としての影響力をどう育てるのか、という次回への問いです。
- 黒川さんはリーダーシップを「他者や世界に意図して及ぼす前向きな影響力」と定義し、子どもから大人まで育成に関わっている
- 全員がリーダーシップを発揮すると「やかましい」社会になるのではないか、影響は受け手の側で完結するのではないか、という疑問が出された
- ダバディさんの通訳や、米大使への抗議会談での黒川さんの通訳は、言葉より熱や雰囲気ごと伝える営みとして語られた
- 荒木さんは、通訳もリーダーシップも文脈の中で立ち現れる「現象」だと指摘した
- リーダーシップ研究は、特性から行動、状況、型を経て、関係理論へと移ってきたと紹介された



