前回までの「飽き」の議論はどこまで来たか?
「飽き」といかにつきあうかをテーマに、MIMIGURI代表の安斎勇樹さんを迎えた全4回のシリーズは、この回で最終回を迎えます。冒頭では、前回までの議論が丁寧に振り返られました。
前回は、千葉雅也 ── 日本の哲学者・作家。著書『勉強の哲学』で、勉強とは周囲のノリから自由になり、新しい自分になる過程だと論じていますさんの『勉強の哲学』を手がかりに、周りのノリを理解し、窮屈さを感じ、そこから抜け出して新しいノリをつくるという勉強のサイクルが語られました。安斎さんはそれを「環境との癒着を剥がす」ことと捉え、剥がすことは一時的に「キモくなる」ことでもあると話していました。
さらに、組織論の本を書いた安斎さん自身について、周囲が冒険的な世界観に慣れてしまうと、かえって本人が飽きてしまうのではないかという仮説も出ていました。人は複数の自分を分人 ── 作家・平野啓一郎さんが提唱した考え方。人は唯一の本当の自分ではなく、相手や場ごとに異なる複数の自分を持つとするものですとして運用し、飽きた後に昔の自分へ戻ることで、その解釈が更新されるのではないかという話も振り返られています。
毎年本を出す理由は「乗れる何か」を探すため?
振り返りのあと、ここまでの手応えを聞かれた安斎さんは、だいぶ満足していると答えます。自分がなぜそのまま本の宣伝をしたくなかったのか、そして渡邉さんが冷めて見える理由がわかり、「謎が2つ解けた」と話しています。
安斎さん自身も冷めているのかと問われると、安斎さんは、冷めているようでいて、ノリの悪い自分へのコンプレックスもあると明かします。毎年新しく本を書くことにしているのは、乗れる何かを探し続けているからかもしれない、と自己分析しました。
安斎さんによれば、放っておくと1つのテーマに没入せず、雑草的にいろいろつまみ食いしてしまうそうです。テーマを決めて出版することを自分に課すと、かろうじて乗れるといいます。
安斎さんはもう1つの理由も挙げます。いろいろな本を出し続ければ、自分へのニーズが分散し、「問いのデザイン」の話しか求められない状態を避けられます。外部からの要求に飽きないための自己防御だと、安斎さんは少しネガティブな言い方で表現しました。渡邉さんはそれを「生き残りの1つのスタイル」と受け止めています。
企画書を書いた瞬間に飽きるのはなぜか
話題は、前回渡邉さんが頭出ししていた「わかりやすい飽き」に移ります。安斎さんは、企画通りに進めることが大嫌いで、自分で企画をつくった瞬間にもう飽きている、と打ち明けました。
安斎さんの例は本の企画書です。書かなければならないから書いて出すものの、書き終えた瞬間に「この通り絶対書いてやるか」と思ってしまうそうです。パネルディスカッションで、企画者から最終的なメッセージや段取りを細かく指定された瞬間にも、その未来に飽きてしまうといいます。
安斎さんは、企画とはその時点で見えている世界を語るものであり、見えてしまっているから面白くない、と説明します。わからないから本を書いて理解したいのに、最初に目次を立てるのは矛盾している、という指摘です。渡邉さんはこれを「正真正銘の飽き性」「オフィシャル飽き性」と笑いながら受け止めました。
この話は、探究が終わって作業になってしまうことへの抵抗としてまとめられます。安斎さんは、作業にしたくない、ずっと探究し続けたい、と話しています。
わからないことを分かろうとして進む。先が見えないから面白い
企画書や目次で見えている世界をなぞる。予測可能で飽きてしまう
渡邉さんは、友人の研究者石田耕平さんが博士論文で同じ悩みを抱えていた話を紹介します。その友人はVRを「夢の形」と捉えたいと考えていましたが、論文の冒頭で夢を定義しなければならないことに強い抵抗を感じていたそうです。
最終的に夢の定義にたどり着きたいんだから、最初に(夢を)定義できるわけないじゃんみたいなことを言う。
安斎さんは、最初に定義して論を展開する論文というフォーマットは人を飽きさせる、と応じます。その対極の例として挙げたのが、コルクの佐渡島庸平 ── 編集者で、クリエイターのエージェント会社コルクの代表。『宇宙兄弟』などのヒット作を担当してきましたさんの『観察力の鍛え方』です。冒頭で観察を定義しながら、書き進めるうちに最終章でその定義が変わっていくプロセスが、ほぼそのまま本になっているといいます。
飽きはゲームのルールを変えるのか?
渡邉さんは、予測可能な作業に飽きる話をチクセントミハイ ── ハンガリー出身の心理学者。人が活動に完全に没入する「フロー」の概念を提唱し、課題の難しさと能力の釣り合いが重要だと示しましたのフロー理論につなげます。難易度が下がると退屈の領域に入るため、ある範囲にとどまり続けられることがフローの最低限の要件になる、という話です。
そこから渡邉さんは、飽きることはゲームのルールごと変えていく力にもなるのではないか、と考えを広げます。佐渡島さんの本で観察の定義が変わっていったように、枠組みそのものが更新されるという見方です。
サッカーに飽きてラグビーが生まれ、手で走り始めるとか、ラグビーに飽きてアメフトが生まれ、より戦術的になっていくとか。
渡邉さんはサスペンスドラマも例に挙げます。豪華キャストが出ていると「この俳優がちょい役のはずがない、犯人だろう」と分かってしまい、フレーム自体が予測可能の範囲に収まってしまいます。そこから、犯人を最初に明かし、どう追い詰められるかを描く倒叙もの ── 最初に犯人と犯行を見せ、探偵役が真相に迫る過程を描く推理ものの形式。『刑事コロンボ』『古畑任三郎』が代表例ですが生まれた、と渡邉さんは説明します。聞き手からはコロンボや古畑任三郎の名前が挙がりました。
型に慣れる
サスペンスの配役で犯人がわかるなど、展開が予測できる
飽きる
フレーム自体に既視感を覚える
ルールが変わる
倒叙もの、ラグビー、アメフトのように新しい形式が生まれる
予測可能性を求める経営で、冒険はできるのか?
ここで聞き手から安斎さんに質問が向けられます。経営、とくに上場企業では説明責任が求められ、いつまでに何をするかという将来を合意することになります。論文のように最初に定義してしまう世界で、冒険的な組織はどう成り立つのか、という問いです。
安斎さんは、株主がいて説明責任がある世界では、基本的に計画的・軍事的になる力学が働くため、それにどう抗うかの世界になると答えます。MIMIGURIは外部資本がなく、共同代表の南部さんとの対話で決められるため、ロードマップを立てつつ壊すこともできるといいます。
安斎さんがヒントとして挙げたのが、経営学者の伊丹敬之 ── 日本の経営学者。一橋大学名誉教授で、日本企業の経営を長く研究してきましたさんが2022年に出した『中二階の原理』です。株主主権やトップダウンの権力を「一階の原理」、現場で働く人々の原理を「二階の原理」としたとき、日本ではその間に謎の「中二階」が挟まり、矛盾を中和しているという議論だそうです。
株主主権やトップダウンの権力。欧米では基本的にこちらに従う
そこで働く人々や従業員の原理。日本では中二階を介して一階と共存する
安斎さんの解釈では、株主に嘘をつくわけではなく、説明上のロードマップが、実は現場の冒険心や熱量を守る言い訳にもなっている状態です。白黒をはっきりつけすぎず、相反するロジックを「ぬめっと」共存させることが、冒険する組織をつくる鍵になるのではないか、と話しています。
なぜ日本で特にそうなるのかと渡邉さんが尋ねると、安斎さんは、理由まではっきり理解できていないと前置きします。そのうえで、クリスマスの翌週に正月を祝うように中心となる原理がない「中空」の文化として、本の中で説明されていると紹介しました。聞き手からは、言葉に頼らずノンバーバルにカルチャーを共有してきた面もあるのでは、という見方も出ています。
得意なことより「苦手だけどやりたいこと」を任せる組織
経営を冒険的にする話は、社員を作業化させず飽きさせないという論点に戻ります。コミットするという立て付けを保ちつつ、探究している世界観をどうつくるか。その二律背反だからこそ面白い、と聞き手は話します。
安斎さんは次の単著『冒険する組織のつくりかた』でも、組織としての探究と個人の探究の両立にはさまざまなジレンマがあると書いているそうです。組織として価値を最大化するなら、その業務が一番得意な人に任せるのが合理的ですが、その人はとっくに飽きているかもしれません。
安斎さんは乱暴な言い方だと断りつつ、得意で飽きてしまったことをやらせず、苦手でもやりたいことに機会を提供し続ける必要があると語ります。短期的な価値創出の観点からは非合理に見えても、中長期や共同体として見れば熱量が生まれる、というのが安斎さんの考えです。
一番得意な人にその業務を任せる。ただし本人はすでに飽きている
苦手でもやりたいことに機会を与える。中長期で熱量が生まれる
ある得意な人の下で必ずしも経験を積んでない人がチームの中に入って、そばでそれを身につけるみたいなのは(我が組織では)結構日常的に起こってますね。
安斎さんは、それをルールやカルチャー、仕組みにしないと、人材を道具化する軍事的なパラダイムに戻ってしまうと続けます。道具化された瞬間に人は飽きる運命にある、という指摘です。聞き手は、100円を入れたらコーラが出る自動販売機のようになってしまう、と表現しました。
安斎さんは、上場企業でもこれに抗っている例としてリクルートを挙げます。意図的なカオスを生み出し続けることが創業期からのポリシーで、人が固着化したら異動させ、その機会から学ぶカルチャーを全体で保っているといいます。聞き手は、濱口秀司 ── ビジネスデザイナー。イノベーションの方法論を研究・実践し、著書『SHIFT:イノベーションの作法』で知られますさんの『SHIFT:イノベーションの作法』にある「ストラクチャードカオス」、つまり設計されたカオスという言葉を重ねました。
人は矛盾した欲求を抱えたまま生きている
安斎さんは、前年に出した著書『パラドックス思考』の内容に触れます。人間の無意識はカオスで、どんな人も矛盾した2つの欲求を併せ持っています。合理的に片方の欲求だけを取り上げて「このためにやっている」とされた瞬間、もう片方の感情が無意識下で悲鳴を上げる、と安斎さんは説明します。
だからこそ、人を活性化するには矛盾した感情を矛盾したまま保つ必要があり、構造化されすぎた組織とは相性が悪い、というのが安斎さんの見立てです。安斎さんはウサギとカメのカメを例に、勝ちたいわけではないのに家の周りを散歩するのではなくレースには参加している、という微妙な矛盾を語りました。
渡邉さんはこの話を、意味づけの範疇に収まってしまう問題と結びつけます。自分の中ではただの細かいこだわりにすぎないものも衝動の種になりうる、という以前の回で受けた指摘が面白いヒントだったといいます。理由を説明しきらず、自分にも人にも意味不明なものを持ち続けることが、閾値を超えるとアートになったり、ゲームのルールを変えたりするという見方です。
渡邉さんは「飽き足らずにやる」ときの心理にも目を向けます。それはできるからやるのではなく、まだできない部分があると思うからやっている状態だ、と渡邉さんは考えます。
できている実感とできていない実感が矛盾したまま残り続けるから飽きない。その状態を他者の助けも借りて見出していくことが面白いのではないか、と渡邉さんは締めくくりました。安斎さんは、4回分のラップアップのようなまとめだと評しています。
組織の話に飽きた安斎さんは、なぜまだ飽きていないのか?
クロージングで、もともと別のテーマを考えていた安斎さんがこのテーマに着地したことを振り返ります。安斎さんは、組織について話したいような話したくないような気持ちだったが、4回目でしっくりきたと語ります。
安斎さんによれば、組織をメタ認知して相対化しきって本に書いたからこそ、組織の話にはもう飽きています。一方で、相対化して飽きたと認識できたからこそ素直に語れる部分もあり、組織の話を振られると楽しくなってしまう自分もいるそうです。
さらに安斎さんは、本に書いたことはまだ世の中で全然実現できておらず、自分の運動はまだ終わっていないから、飽きていないのかもしれないと話しました。聞き手はそれを「めんどくせえなって感じでいい」と笑って受け止めています。
最後に、紹介された本として『冒険する組織のつくりかた』『パラドックス思考』『観察力の鍛え方』『中二階の原理』が挙げられました。出演者たちは「飽きるっていい」「飽きるの話は飽きない」と言い合い、シリーズを終えています。
まとめ
この最終回では、企画書や論文のように先が見えた瞬間に探究が作業へ変わり、人は飽きるという構造が語られました。その視点は経営や組織づくりにも広がり、矛盾を無理に解消せず抱えたまま続けることが、飽きとつきあう鍵として浮かび上がっています。
- 安斎さんは、毎年本を出すことで乗れるテーマをつくり、外部からの要求に飽きない工夫をしている
- 企画書や目次、冒頭の定義は見えている世界をなぞる作業になり、飽きを生みやすい
- 飽きはサスペンスやスポーツのように、ゲームのルールそのものを変える力にもなる
- 冒険する組織には、得意なことより苦手でもやりたいことを任せる非合理さと、矛盾を中和する工夫が必要とされる
- できる実感とできない実感が矛盾したまま残るから、人は夢中を続けられる


