前回はどこまで話したのか
この対話は、椋本湧也さんが手がけた『日常をうたう』をきっかけに始まっています。『日常をうたう』は、祖母の8月15日の記憶を受け継ぐことを目的に、椋本さんが編んだ本です。
第2回の冒頭で、渡邉康太郎さんは前回の流れを振り返りました。椋本さんは大学時代に野火 ── 大岡昇平の戦争小説。のちに映画化もされ、原作と映画で語りの視点が異なる作品として比較されることがありますを研究していました。その研究で、小説は主観的な「私は」で書かれ、映画は客観的な「彼は」で描かれていることに気づいたといいます。
椋本さんはこの違いから、書き手が体験しているかどうかで書き方が変わると感じました。そこから、他者の体験を語り継ぐことの難しさを考えるようになったという経緯です。
渡邉さんは、個人の物語には面白さと同時に責任が生じるとも整理しました。戦争や災害の話では誰かの傷に触れる可能性があるため、配慮が必要になります。一方で、あまり考えずに当事者へ踏み込むほうがかえって良い場合もある、という引用も前回出ていました。
初回は、戦争や災害のような災禍の言葉に最初から絞らず、より広い個人の物語に触れてもよいのではないか、というところで終わっています。
他人の歯の痛みは「わかる」のか?
前回を振り返った荒木博行さんは、他者の体験を語ることは究極的には無理なのではないか、と率直に切り出しました。戦争かどうかや、傷があるかどうかは関係ない、という立場です。
荒木さんは例として、ウィトゲンシュタイン ── 20世紀の哲学者。他人の「痛み」のような内面の感覚を本当に知ることはできるのか、という私的言語をめぐる議論で知られますの痛みの議論を挙げました。誰かに「歯がズキズキ痛む」と言われると、人はそれを解釈します。しかし、その痛みを自分が感じているわけではありません。
その人の痛みというのは、私は感じてないからやっぱわからない。でもそれをあたかもわかったかのように、いや、こうたろう歯痛いらしいよみたいなことを平気で言えてしまう。
荒木さんは、他人の痛みをわかった気になれることを、人間の共感能力の表れと捉えています。そのうえで、ためらいなく語れてしまうところに問題も潜んでいる、と話しました。
渡邉さんはこの話を受け、ケアする努力は尊いとしつつも、だから何も語らないということにはならないと応じます。間違いを犯す前提で語り続けたい、という考えです。
ただ、それ(間違えてもという条件)がなくなっちゃう瞬間ってあるような気がするのよね。
荒木さんが問題にしたのは、語る人が自分の間違いの可能性に気づけなくなる瞬間です。他人の痛みを自分が感じたかのように語り、そこに誤りがあると思えなくなってしまうことがあります。荒木さんはそれを人間の傲慢さとも、共感能力の高さとも言えると話しました。
『日常をうたう』は原典と解釈をどう並べたのか
椋本さんは、荒木さんが挙げた語れなさの問題に、『日常をうたう』を作るときに深く悩んだと話しました。そのうえで、この本で取ったアプローチを説明しています。
『日常をうたう』では、まず祖母の語りをそのまま収録しました。次に、その語りを聞いた戦争未体験の人たちが、自分の日常にどう重ね描くかを集め、アンソロジーにしています。オリジナルの語りといくつもの解釈を、声も含めて一冊に入れることで、解釈は一つではないことを示そうとしたといいます。
『日常をうたう』の構成は、次の組み合わせとして整理できます。
荒木さんは、この着想に強く反応しました。渡邉さんは、普段どおりの表情だった荒木さんが急に瞳孔を開いたようだったと、その様子を伝えています。
祖母の体験をみんなに伝えたいとか、そう思った時にどうするかなと思った時、この手法は僕の中では出てこないんだよね。
荒木さんが自分なら選ぶと考えたのは、祖母の体験を客観的に、あるいは一つの主観で語る方法でした。それぞれの主観で自分の世界を語らせる手法はまず思いつかないとして、荒木さんはそのユニークさに「ひれ伏した」と話しています。
椋本さんは、荒木さんが語った「本当にわかることはできない」という前提こそ根本で押さえるべきだと考えています。そこから連想したのが、スーザン・ソンタグ ── アメリカの批評家・作家。写真や戦争報道をめぐる論考で知られ、ボスニア紛争中のサラエボで演劇を上演したことでも知られますの『他者の苦痛へのまなざし』です。
椋本さんの説明では、ソンタグはユーゴ紛争の外で報道が重ねられても、現地の人々のことは外からは本当には理解できないと考えました。そのうえで紛争の真っただ中に入り、『ゴドーを待ちながら』を上演したといいます。『他者の苦痛へのまなざし』も、離れた場所にいる「特権的な人々」には本当に理解することはできない、と締めくくられると椋本さんは紹介しました。
椋本さんは、この前提を自分の深いところに握ったまま語り継いだり引用したりできるかが大事だ、と話しています。
『日常をうたう』のような手法が生まれた背景として、椋本さんは大学のゼミの影響を挙げました。最初の課題は、法隆寺の宮大工の棟梁・西岡常一さんの本『木の心 木の命』正式書名を読むことでした。印象に残ったフレーズを自分の記憶や考えと重ねながら各章20個ずつほど抜き出し、小論を大量に書くという課題だったといいます。
椋本さんは、原文に自分の解釈や記憶を重ね描き、二つの読みを同時に持つ訓練を重ねてきました。椋本さんは、その経験が『日常をうたう』の発想につながったのだろうと振り返っています。
一つの問いに、なぜ多くの答えを集めるのか?
渡邉さんは、椋本さんのゼミの課題を、一冊の本に自分だけの脚注を付けていく営みだと受け止めました。そのうえで、自身が立ち上げる本屋の構想に話をつなげます。
一個の棚のテーマは「一つの問い、多くの答え」っていう棚を作ろうと思ってて。
渡邉さんが「一つの問い、多くの答え」の例に挙げたのが、都築響一 ── 編集者・写真家。市井の人々の暮らしや趣味、ロードサイド文化などを記録した著作で知られますさんの「捨てられないTシャツ」や「ネバーランドダイナー 二度と行けないあの店」です。どちらも一つの問いに対して、多くの人のエピソードを集めた本です。
渡邉さんによると、一つの問いを投げかけると、その人の人生の一つのエピソードを通して、その人らしさが浮かび上がってきます。半生をだらだら語ってもらうより、よほど個性と違いが表れるといいます。
あらゆる人生は、あらゆる恋は、あらゆる本棚は、平凡さと非凡さを重ね合わせていると思ってて、そういうのを捉えてくれるっていうのが物語のオムニバスなんじゃないかなと思うんですよね。
読みそれる読書会では何が起きたのか?
椋本さんは、渡邉さんが語った物語のオムニバスの話から、『日常をうたう』の刊行後に開いた読書会を思い出しました。秋田のある短大の先生から、この本で読書会をしないかと依頼されたといいます。
読書会の参加者は、18〜19歳前後の学生およそ70人です。依頼は、本の読み方の面白さや楽しさを感じられる会にしてほしい、という内容でした。そこで椋本さんは本の内容を論じるのではなく、本から想像したことや思い出したことを語り合う「読みそれる読書会」を開きました。
読みそれる読書会は、次のように展開していったといいます。
本を読んで臨む
学生たちは『日常をうたう』をちゃんと読んだうえで参加する
描写から記憶へ
「この描写は昨日家でしたことに似ていた」と個人的な話が始まる
昨日の一日を語る
小グループで、それぞれの昨日の生活を語り合う流れになる
場のアンソロジー
偶然の重なりも生まれ、その場で一つのアンソロジーができる
椋本さんによれば、語り合いの中では「あの時あの店にいたんだ」といった偶然の重なりも起きました。学生たちからは、オリジナルを自分の語りや記憶で語り直していいのだと感じた、という感想が寄せられたといいます。
椋本さんはこの経験から、読書体験や個人の物語を面白いと思える場を作ることの大切さを感じたと話しています。
「べき論」は体験の継承をどう妨げるのか
読書会の話を受けて、教条的になることの危うさが話題になりました。8月15日や祖母の体験を聞いたとき、聞き手が「日本人はこう生きるべきだ」といったメッセージを伝えたくなることがあります。そうなると、体験よりも解釈のほうが重くなってしまうという指摘です。
教条的な語りについて、渡邉さんは少し違う角度も示しました。教条的な場にはあまりいたくないとしつつ、言いたいなら言えばいいのでは、という気持ちもあるといいます。
椋本さんは、意見を言うこと自体はかまわないとしたうえで、他の人が違うことを言うのを認めることが条件として必須だと考えています。一つの解釈が教科書に載るほど絶対的なものになるのは危険なので、解釈を分散させることが大事だといいます。その意味で、読書会のような場は良い場なのだろうと話しました。
荒木さんは、場が教条的に傾いていく過程を、語り口の「圧」から説明しています。
教条的になる瞬間って、やっぱり感情が入り込むじゃないですか。そうすると語尾とか語り口とかの圧がなんか変わってくるような気がするんですよね。
荒木さんが描いた、場が体験から離れていく流れは次のとおりです。
感情が入る
語り手の言葉に感情が入り込む
圧が変わる
語尾や語り口の圧が強くなる
周囲が呼応する
刺激を受けた人が同じトーンと圧で話し始める
過激化する
テーマがセンシティブなほど反応も過激になり、体験の継承ではなくなる
荒木さんは、成熟した参加者が「そういう意見もあるよね、でも私はこう思った」と自分のペースで語り直せば、場は落ち着くとも話しています。
渡邉さんは、感情が入ることを否定しきれない、とも投げかけました。新聞記事と語りのどちらを残すかと言えば両方がよいとしつつ、感情を圧と同一視するのは寂しいといいます。人の語りはどうしても感情を伴うもので、渡邉さんはその点を受け止めたいと話しました。
いや、そうなんだよ。この辺ちょっと難しいんだよね。
椋本さんは、教条的な意見に出くわしたときの身のこなしを荒木さんに尋ねました。荒木さんの答えは、場の目的次第だというものです。祖母の体験を主観的に語り継ぐ場であれば、教条的な発言は趣旨と違います。荒木さんは、ファシリテーターなら何か手を打ち、参加者なら自分のペースで語り直すだろうと答えました。
誰もが平凡で、誰もが非凡?
渡邉さんは、教条的になる話だけで終わるのはもったいないと考えました。そこで「こんなのあったよ」という発露としての、いろんな人の物語に話を広げています。
渡邉さんは例として、ただ誰かの人生を記録した「東京の生活史」や「大阪の生活史」を挙げました。都築響一さんの本も、苦しみがあるかどうかは関係なく、問いを中心にしているといいます。
さらに渡邉さんは、谷川俊太郎さんの詩「普通の人々」を手元の本から読み上げました。「普通の人々」は、街ですれ違う人が考えているかもしれないことを、15人分ほど次々に書いていく詩です。
渡邉さんが注目したのは、詩の中の「淳」という人物です。詩の中で淳は「自分を平凡だと思う」のですが、その直後に「シダの化石をもらう」と書かれています。本人には平凡な日でも、シダの化石をもらわない大多数の人から見れば、かなり特殊な一日です。
渡邉さんは、自分の当たり前は自分にとっての当たり前でしかないので、他人の当たり前は究極的には分かりきれない、と続けました。この見方は、冒頭で荒木さんが語った「他者の体験はわからない」という問いにもつながっています。
椋本さんも、『日常をうたう』の書き手や読書会の学生たちに同じことが起きていたと話しました。「これでいいの?」「何が面白いのか自分ではわからない」と本人が言う何気ない一日でも、読み手や周りの学生からは「めっちゃ面白いね」という声が上がったといいます。
教科書の一行の背後に何があるのか?
渡邉さんは、戦争を語り継ぐかどうかという大きなテーマ以外の部分も大切にしたいと話しました。大事にしたいのは、純粋な「こんなのあったよ」の精神だといいます。
子供がセミの抜け殻を家に持って帰ってきて、お母さんに見せるように、もしくは牛乳瓶のキャップを永遠に集めてコレクションをするように、もしくは飼い猫がネズミを飼い主に持ってくるように。
渡邉さんにとって人々のストーリーとは、どこまで行ってもこの「いいでしょ?」という差し出しに尽きるといいます。荒木さんは「おもろいね。なんとなくわかってきた」と応じ、何がわかったのかは次回に持ち越されました。
椋本さんは第2回を振り返り、歴史の教科書に載らない一人の生活も歴史に含まれうるのではないかと考えたと話しています。年表に1945年の終戦と玉音放送が一行で書かれていても、その背後には、聞いた一人ひとりや聞かなかった一人ひとりの、記述されないまま消えていった営みが必ずあります。
渡邉さんは、時代を遡るほど当時の日常を知る手がかりが雑誌や新聞に限られていくと指摘しました。本や歴史として記録されるのは国や統治者、お金持ちの話に偏りがちです。しかし、記録されない側面こそ世界の99パーセントだとして、なぜそちらが残らないのかとただ疑問に思うといいます。
椋本さんは、自分も含めて日常を形に残し、それが誰かの日常に触れて連鎖していくような作品の展開ができたらいい、と話しました。第3回は、荒木さんが何をわかったのかを起点に話を展開することになっています。
まとめ
この回では、他者の体験は究極的にはわからないという前提が確認されました。そのうえで、一つのオリジナルに多くの解釈を重ねる方法が、記憶を受け継ぐ手がかりとして語られています。教条的な一つの解釈に偏らず、平凡に見えて非凡な一人ひとりの日常を残すことの意義が、さまざまな本や体験を通して浮かび上がりました。
- 他者の痛みや体験はわかった気になれても、本当にはわからない。その前提を深く握ったまま語ることが大切だと話されています
- 『日常をうたう』は、祖母の語りと複数の解釈を声も含めて一冊に収め、解釈が一つではないことを示す構成になっています
- 体験を語る場では、感情の圧やべき論が強まると継承から逸れやすく、違う解釈を認め合う場が重要になります
- 誰もが自分を平凡だと思いながら、他人から見れば非凡な部分を持っている、という見方が示されました
- 教科書の一行の背後にある、記録されない一人ひとりの日常も歴史として捉え返せるのではないか、という問いで回が締めくくられています




