コペンハーゲンから香港へ、行き先だけ決まった旅?
番組の冒頭は、パーソナリティの渡邉康太郎さんと荒木博行さんの近況トークから始まります。荒木さんは十勝や長崎など国内の地方の仕事を楽しく回っているそうです。
渡邉さんのほうは海外での動きが多く、コペンハーゲンやロンドンを経て、これからニューヨークへ向かうところだと話しています。講演やトークイベントにゲストとして呼ばれたり、自分でホストを務めたりしているといいます。
いやーいいね。相変わらずおしゃれでいいよ。
おしゃれなのかわかんないけど、まあなんちゅうか、泥臭くやっていますよ。頑張ってる。
渡邉さんは、日本文化系の話をなるべくたくさん海外でしていきたいと考えているそうです。ニューヨークの帰りには、トランジットで香港に寄るという「全然近くない寄り道」も予定しています。
偶然にも荒木さんも同じ時期に香港へ行く予定で、深井龍之介さんも香港にいるという噂まであるとのこと。ただ、3人とも旅の計画は一切話しておらず、現地集合になりそうだと笑い合っています。
誰も企画するとかそういうタイプの人いないのかしら。
荒木さんは、現地で収録できればその回を放送できるかもしれないので「あんまり期待せずに」待ってほしいと、リスナーに呼びかけています。
1年越しの出演と、毎日しゃべり続けるという「狂気」
この回から登場するゲストは、株式会社MIMIGURI代表取締役Co-CEOの安斎勇樹さんです。安斎さんは開口一番「やっと来れましたよ」と話します。
安斎さんの出演は、実は1年ほど前の冬に予定されていました。ところが、インフルエンザから気管支炎のような状態になって咳が止まらず、リスケジュールしても声が出せないまま、泣く泣く断念したといいます。
その悔しさから、安斎さんはこの1年、免疫を上げるさまざまな取り組みで体調ケアをしてきたそうです。満を持して、ようやくこの番組にたどり着いたというわけです。
荒木さんと安斎さんがランチをしたのは、さらにその前の秋ごろでした。そのとき安斎さんは「Voicy ── 日本発の音声配信プラットフォーム。個人が声で番組を配信でき、ビジネスパーソンや専門家による毎日の発信も多く見られますを始めようかな」と荒木さんに相談していたそうです。安斎さんはその後4月にVoicyを始め、現在も配信を続けています。
毎日配信してみてわかった大変さについて、安斎さんはネタよりも、生活リズムのなかで収録の時間を確保することや、話すモチベーションを保つことの難しさを挙げます。誰とも話したくない日もあるなかで、公開される音声を毎日発し続けるのは「結構狂気的な営み」だと改めて感じたといいます。
毎日配信の先輩である荒木さんも、その大変さに深く共感します。荒木さんは基本的に朝に収録しているため、出張で朝の時間が読めないときは撮りためることになるそうです。
何今日俺3本取らなきゃいけないの?とかなんか。ちょっと軽く絶望する。
渡邉さんは、以前に荒木さんや深井さんと出雲を旅行したときの思い出を語ります。旅館の部屋にチェックインした直後、荒木さんだけが縁側に出てガラス戸を閉め、一人で収録を始めていたそうです。
(荒木さんが)「はい、それでは今日のコメントを開始していきましょう」とか言って。
安斎さんも、家族旅行では子どもが起きる前にベランダで収録していることがあるそうで、「めっちゃわかります」と応じています。渡邉さんはこれを「デイリー配信のあるあるな姿」とまとめています。
組織論の本を書き終えたら、組織論に飽きていた
荒木さんに促され、安斎さんがこの回のテーマを発表します。安斎さんはこれまでに『問いのデザイン』という本も書いており、問いの話にするか迷ったといいます。
1年前の出演予定時に安斎さんが最初に考えていたのは、組織の話でした。ただ普通の組織論では面白くないので、「組織っていらないんじゃないか」という前提で3人で話したら面白そうだと思っていたそうです。
ところがその後、超相対性理論には哲学者の谷川さんがゲスト出演し、組織と衝動の相性をテーマに話していました。安斎さんはその回を聞いて「僕がめちゃくちゃ話したいテーマそのものじゃん」と感じたといいます。
さらに安斎さんには、集大成的な単著として書き続けてきた『冒険する組織のつくりかた』の出版が控えています。この本は、軍事的な組織論から脱却し、個人も組織も知的探求を続ける「冒険型」の組織のマネジメントモデルを体系化したものだと安斎さんは説明しています。
谷川さんの次には三宅香帆三宅華穂さんも出演し、働きながらノイズを取り入れるというテーマで話していました。安斎さんは自著で三宅さんの本を引用していたこともあり、こちらも「大好物のテーマ」だったそうです。
安斎さんの見立てでは、2つの回はどちらも、組織・競争・労働といった資本主義的でトップダウンなものと、衝動・表現・ノイズといった文化創造的でボトムアップなものを対立的に置きつつ、行き来しながら脱構築 ── 哲学者デリダに由来する考え方。二項対立を固定せず、その前提を揺さぶって組み替えていく思考の手法を指しますしていくセッションでした。
組織、競争、労働
衝動、表現、ノイズ
安斎さんは、このまま自分が組織のテーマで話すと、組織に非組織的なものをどう持ち込むかという同じような話になりそうだと予期しました。その途端、自分が話したいことは谷川・三宅回でもう「お腹いっぱい」なのでは、という気持ちになってきたといいます。
加えて安斎さんは、本の誤字脱字を直しながら組織について語り尽くした結果、最近はマネジメントや組織の話題を少ししんどく感じていたそうです。組織のことを話したい気持ちもあるのに、組織論に飽きている自分もいると、収録の直前にメタ認知したといいます。
そこで安斎さんは、この話したいような話したくないような気持ちを抱えたまま、人間にとっての「飽きる」という感情とどう付き合うかを話してみたいと提案します。飽きるとは何なのか、なぜ飽きるのか、飽きることは良いことなのか悪いことなのか。安斎さんの目には、荒木さんと渡邉さんも飽き性に見えるそうです。
具体では飽きっぽく、抽象では飽きていない?
渡邉さんから、もともと飽きについて考えていたのかと問われた安斎さんは、自分は飽き性だと認識していると答えます。ただ、その飽き性が自分のクリエイションの源泉になっている感覚もあり、飽きるという感情を前向きに捉えているところもあるといいます。
安斎さんに「二人は飽き性なんですか?」と聞き返された荒木さんは、「難しいテーマだな」と考え込みます。荒木さんは、どのレイヤーで見るかによって見え方がまったく違うと話します。
荒木さんの例はVoicyです。毎日飽きずに何年も配信を続けている点では、飽きっぽさとは対極に見えます。一方で、話すテーマは雑食型で、1つのことを話すと飽きて別のテーマを話したくなるといいます。
安斎さんはこれを、点としてのコンテンツや対象には飽き続けているが、運動そのものには飽きていない状態だと整理します。荒木さんも、知的好奇心や知的探求のレイヤーでは全然飽きていないと応じています。
話すテーマや探求対象、表現手法はピボットし続け、対象には飽きる
Voicyの毎日配信や知的探求という運動そのものには飽きていない
荒木さんも安斎さんと同じく、対象に飽きることを悪いことだとは思っておらず、むしろ創造の源泉のような感覚があると話しています。
安斎さんが「もう『裸眼思考』には飽きてるんですか?」と荒木さんの著書について尋ねると、荒木さんは言いにくそうにしながらも安斎さんと同じ感覚だと認めます。本は、真剣に考えるフェーズと出版されるタイミングにタイムラグがあるからです。
だから(本が)出た後でなんかそれ話すのってなんかだいぶ昔の気がするなみたいなことがあって。
安斎さんは、出版後こそその話をする機会がいちばん増えるというジレンマを指摘します。荒木さんも、売らないとという気持ちで自分のお尻を叩いているところがあると話しています。
さらに渡邉さんが、自分では飽きていても説明を重ねた先で他者との対話から別の見方が得られるのは、もっと後のことだと付け加えます。荒木さんはこれに強くうなずき、本を書くことは「毎回後悔の連続」だと打ち明けます。
執筆
真剣に考え抜き、書き終えたと思う
出版
本が出る頃には別のことを考えている
対談
出版後に話す機会が増え、新しいインサイトに出会う
後悔
なぜあの話を入れなかったのかと悔やむ
出版後にいろんな人とその対談した、あ、このインサイトめっちゃ大事じゃん、俺なんで入れてないの?とか。もうね、もうずっと後悔してんのよね。
安斎さんも、谷川さんが番組内で「衝動じゃなくてボイスにすればよかった」と話していたことを思い出し、著者に共通する感覚として受け止めています。
「ハマれない病」と、すぐ消えるマイブームのチャンク
安斎さんに飽きとの向き合い方を聞かれた渡邉さんは、自己分析は苦手だとしつつ、自分には「なかなかハマれない病」のようなところがあると話します。
なんかものすごい雷に打たれたと思ってたのに、打たれてなかったみたいな。
渡邉さんは、短期間ある本を夢中で読み、ずっと考えていると思っていたのに、しばらくすると全く考えなくなることがよくあるといいます。本当はこういうときに熱中できる自分でありたかった、としょっちゅう思うそうです。
渡邉さんが具体例に挙げるのは、人と会う場面です。1週間のうちに何度も同じ盛り上がる話をしていることがあり、そのときは自分の中に、伏線やオチまでそろった面白い話の塊、つまり「チャンク」が漂っています。
マイブームが去った瞬間にそのチャンクのひとかけらも覚えてないみたいな感じになっちゃうから、もったいないなと思ってて。
渡邉さんは、すぐに忘れていく瞬間的なハマりを記録できたほうが人生は豊かになりそうだと考えつつ、それができていないと話しています。
荒木さんは、チャンクができる点は同じでも、少し違う感覚を持っているそうです。シナプスが強くなりすぎて、何かあるとすぐその話をしてしまう自分に嫌な感情を覚えるといいます。
また俺この話してるなみたいな。もういい加減嫌だなみたいな。
安斎さんは、渡邉さんと同じく、熱中しかけていたものが立ち消えてしまう残念さをずっと感じていたといいます。ただ安斎さんの場合、その悩みはVoicyでかなり解決したそうです。毎日一定の長さのパッケージで話すことが、ネタ帳をストックし周りに共有する行為になったからです。
荒木さんは、安斎さんがVoicyで「これ何番で話した件なんですけど」と放送番号を挙げて過去回を参照していることに毎回驚いていたといいます。安斎さんによれば、覚えているわけではなく、話すときに自分の放送リストを手元に置き、スクロールしながら参照しているのだそうです。
安斎さんにとってVoicyは、流れ去っていく日々のショートネタの外部記憶装置になっています。ただ一方で、外の場で困ったときにVoicyで擦ったネタをもう一度話すと、話しながら自分の話に飽きているとメタ認知することもあるといいます。荒木さんも「それある。もうめっちゃある」と強く同意しています。
荒木さんは、断片を外部装置にしっかり残しておくことの大切さをレゴブロックにたとえます。ブロックがそろっていれば、「ゾウを作って」と言われたときに、85番と20番と40番を組み合わせればゾウっぽくなる、という感覚だそうです。
熱中しきれない人は、ずっと「冷めながら旅している」?
安斎さんは、渡邉さんの熱中しきれないという感覚が気になったといいます。谷川さんの回でも、渡邉さんは衝動を見つけられないと話していました。
それ(熱中しきれない話)なんか俺が見てるこうたろうはそんなこと全然ないんだけどね。多分見てるレイヤーが違うんだろうね。
荒木さんの目には、渡邉さんは最近写真にハマっているように見え、服へのこだわりや美的センスのレイヤーでは没入感があり筋が通っているように映るそうです。渡邉さんも、写真は人生で初めて具体的なものにハマって続いている感覚があるほど珍しいと認めています。
渡邉さんは、安斎さんがVoicyの過去回を番号で参照できる話から、バッハの作品に振られた通し番号を連想したと話します。バッハ作品目録番号 ── ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作品に付けられた整理番号で、BWV番号とも呼ばれます。無伴奏チェロ組曲にもそれぞれ番号がありますのように、自分が作ったものの断片すべてに番号が振られ、すぐに参照できる状態はとても良さそうだと感じたそうです。
安斎さんは、話しながら過去回を思い出すということは、逆に言えば過去に話しきれていないテーマがあるということだと語ります。まだ飽きていないテーマは心に残り、煮えたまま火が止まっていない状態で、それが収録の原動力にもなっているそうです。
過去のネタが新しいネタを生むこともあれば、話していて過去のネタと結びつくこともあると安斎さんは言います。外部記憶装置としての放送はまだ200本ほどなので、記憶の範囲でなんとかなっているのかもしれないとも付け加えています。
渡邉さんから次の展開を問われた安斎さんは、衝動的である必要はあるのだろうか、という問いを挙げます。安斎さんから見ると、渡邉さんは常に飽きているようにも、冷めているようにも見えるといいます。
はいはいはいはいはい。おもろい。おもろいね。
安斎さんは、渡邉さんのように「冷めながら旅している」姿には、衝動的でない別のモードがあるのではないかと感じています。この問いを次回深掘りすることになり、初回は『裸眼思考』と『問いのデザイン』が話題に出た本として紹介されて締めくくられました。
まとめ
初回では、組織論の本を書き上げて組織論に飽きた安斎勇樹さんの告白を起点に、3人それぞれの「飽き」の姿が見えてきました。飽きは単なる欠点ではなく、見るレイヤーや記録の仕方によって創造の源泉にもなりうることが語られています。
- 安斎さんは『冒険する組織のつくりかた』を書き終え、組織論に飽きた自分に気づいたことからテーマを「飽き」に変えた
- 荒木さんは、具体のレイヤーでは飽きっぽいが、知的探求という抽象のレイヤーでは飽きていないと自己分析した
- 本は考え抜いた時期と出版時期にずれがあり、出版後の対談で新しい気づきと後悔が生まれると語られた
- 安斎さんにとってVoicyの毎日配信は、消えていくマイブームのネタを残す外部記憶装置になっている
- 熱中しきれない渡邉さんの「冷めながら旅する」姿に、衝動とは別のモードがあるのではという問いが次回へ持ち越された


