ダンス現場にすでにある不登校という現実
冒頭、MCの野村さんは前回までの幼児教育の話を受けて、今回は別の角度から教育を語る回だと切り出します。
テーマは「不登校の子どもが笑顔になれる場所、居場所となるダンススクール」。北島さんはこの話をダンス業界に向けて話せることを喜びます。
野村さんは、日本ダンススタジオ連盟のオーナーたちからも不登校の子が多いと聞くと言います。学校には行かないけれどダンススクールには通っている、という声はよく聞かれるそうです。
今、35万人の子どもたちが学校に行かないという選択をしています。
これは文科省のデータなので、実際もっと多いと思います。
北島さんは、保健室登校や休みがちの子はカウントされないため、実際は40万人ほどに達しているのではないかと話します。
息子の不登校と「たどり屋」の探求
この活動は、北島さん自身の息子が不登校になったことがきっかけで始まりました。3人兄弟の長男は幼稚園の頃から行きしぶりが強く、笑顔で通えたことが一度もなかったと言います。
年少のときは先生に言われるまま、嫌がる息子を担いでパジャマのまま連れて行ったこともありました。その最中に強い違和感を覚えたそうです。
その時にすごい違和感があったんですよ。私何してんねやろと思って。
ある日、幼稚園の先生から「家で喋ったり笑ったりするんですか」と聞かれます。家では歌ったりよく喋る子が、園では能面のような顔で過ごしていたのです。
周りを見ても幼稚園に行っていない子はいません。北島さんは、いつから3歳でどこかに所属していないと問題視されるようになったのかと考え始めます。
そこで彼女は、そもそも幼稚園という制度がいつからあるのかをたどっていきます。行き着いたのは戦後でした。
そう、私たどり屋さんなんですよ。
かつては家業があり、家の近くで複数の大人が働く中で子どもは育っていました。核家族化と生活様式の変化の中で、子どもを幼稚園に入れる流れが生まれたと北島さんは整理します。
たまたま入れた幼稚園は元気系で裸足保育の体育会系。息子には合いませんでした。
行かない選択と、多様な教育との出会い
どうしようかと悩む中で、北島さんは「行かない」という選択があることを学びの中で知ります。自分が変わったほうがいいと考え、乳飲み子を抱えながらオルタナティブ教育の勉強会に参加しました。
世界にはいろいろな教育があると知り、この子は病気でもおかしいわけでもないと思えたとき、「無理して行かんでいいよ」と一言伝えました。すると息子はその日からピタッと行かなくなったそうです。
その後、家族は奈良県生駒市に引っ越し、大自然の中でカリキュラムなく過ごす「森の幼稚園」に転園します。北島さんは、いかに邪魔せず、信じて見守り待つかを実践する人たちに感銘を受けたと語ります。
小学校もほとんど行かず、フリースクールに通う選択をしました。今も元気に通っているといいます。
当時は情報が少なく、学校に行かない子は大人になれないのではないかとまで不安になったと振り返ります。
この子の人生ってもう終わったんじゃないぐらいの、なんかお先真っ暗。
息子に明確な理由はなく、ただ「嫌だ」というだけだったそうです。この孤独と不安の経験が、後のつながりづくりの原点になります。
トウキョウコーヒーとスキマダンスクラブ
つながりを作ろうと考えた北島さんが関わったのが、トウキョウコーヒーという取り組みです。これは彼女が作ったものではなく、同じ街に住む教育者でアートスクールを営む吉田田隆さんの考えから広がったものです。
ポイントは、主体が大人であること。子どもに何かしてやろうとするのではなく、大人が好きなことをして楽しんでいれば、子どもは安心して意欲を取り戻すという考え方です。
大人が好きなことをして楽しんでいたら、子どもは勝手に安心して意欲を取り戻します。
北島さんは、40万人ほどの不登校は今の教育への問いかけであり、子どもを教室に押し返すのではなく大人が学ぶべきだという吉田田さんの姿勢に共感したと話します。
そのコミュニティの中で、北島さんはスキマダンスクラブというダンスの居場所を作りました。名前は、当時世の中の隙間にいるような孤独感を忘れないためにつけたそうです。
不登校の子だけを対象にしたものではありません。関連する人、レッスンが楽しそうで来る人、学校に通う子どもがいる普通のお母さんなど、さまざまな人が集まります。
トウキョウコーヒーでは、農作業をしたり、空いている庭や昼間の塾を使ってご飯を作ったりと、大人がやってみたかったことをやります。昔の神社や寺のような、子どもがいていい場所を地域で取り戻す発想です。
「いていい」が合言葉になってるので、子どもに「あんた学校どうしたん」とか言う人は一人もいない。
子どもは無理に動かさなくても入ってくる
スキマダンスクラブは月に一度、平日昼間に開かれます。北島さんはレッスンではなくファシリテーターとして場を作ります。ダンス未経験の人も多く来るそうです。
小さな動きから少しずつダンスらしくしていく実践を4年続け、今年で5年目。生駒市からの助成金交付も決まったといいます。
子どもはやらされることが絶対にありません。やりたくなったら自分で入ってくる。ゲームや工作をしていてもよく、安全だけは見守られています。
お母さんたちが盛り上がって踊っていると、最後にはいつの間にか子どもたちが入ってくる。北島さんはこれをこれからの教育のポイントだと感じています。
多くの親は、自分がやりたかったことを子どもにやらせるのが習い事だと考えがちです。しかし、子どもはそのままでいい。やりたかったことは自分でやったほうがいい、と北島さんは言います。
特に女性は自分を後回しにしがちだと北島さんは指摘します。ダンスは自分を大切にする行為であり、月に一度でも表情が変わり、自分を少し好きになっていく人が多いそうです。
その変化は家庭にも及びます。学校に戻った子もいれば、引きこもり気味だった子がダンスのために福岡から出てきたこともあると言います。
全国の不登校コミュニティとつながっているため、ステージをやると子どもたちが集まり、大人も子どもも混ざった異年齢の創作が生まれます。年に一度は舞台にも乗せているそうです。
大人の生き方が子どもに映る
ここで野村さんが自身の原体験を語ります。幼少期、忙しい金融系営業マンの父と母が喧嘩をしていた家庭で、その光景が今も強く記憶に残っていると言います。
楽しい記憶より、そういう記憶の方がめちゃめちゃずっと刻み込まれてる。
野村さんは、学校に行きたくない理由が本人になくても、親の姿や家の空気が影響しているのかもしれないと振り返ります。
北島さんは、親がすべてを背負う必要はないと応じます。周りの大人の生きる姿を見て、子どもはこのまま行って自分は楽しそうか、素敵かを感じ取っているだけだと言います。
多くの場合、不登校の子に理由を聞いても「自分でもわからない」と答えます。ここにいても明るい気持ちになれない、いい未来が描けないという漠然とした不安があるのだと北島さんは捉えます。
「チャレンジしなさい」と言いながら親自身が保守的で、「私はいい、あんたは頑張り」となる。これを北島さんは教育の崩壊だと表現します。子どもは言ったようにではなく、やったようにやるからです。
お父さんが一生懸命自分を磨いていると、子どもも勝手に自分を磨きますよね。
だからこそ、教育者に委ねず、まず大人が「何のために教育を受けるのか」「そのゴールは何か」をみんなで考えようというのがトウキョウコーヒーの姿勢だと北島さんは語ります。
コミュニティダンスという発見
自分がやっていることは何なのかを問い続けていた北島さんは、助成金申請の過程で「コミュニティダンス」という概念に出会います。調べると、自分の実践がまさにそれだとわかったそうです。
コミュニティダンスはイギリスから入ってきたもので、当時のブレア政権がクリエイティビティ育成に投資し、家から30分ほどの場所で誰もがダンスを経験できる環境をつくろうとした流れの中で盛んになったといいます。
この取り組みは、障害者施設やパーキンソン病の患者にも効果があるとされ、イギリスでは薬の代わりにダンスが処方されることもあるといいます。
車椅子に乗ってきた人が、帰りに車椅子を押して帰ったりする。
北島さんは、ダンサーになることを目指すのではなく、ダンスという体験を提供する取り組みだと説明します。体がほとんど動かない人にも、その人にしかできない表現の美しさがあると言います。
習い事は「お買い物」でいいのか
野村さんは、不登校でもダンススクールには通う現象は、言葉にはなっていなくてもコミュニティダンスが各地で起きているのだろうと受け止めます。
家庭で憧れる大人像がなかった子が、キラキラしたダンスの先生に「こういう大人になりたい」と感じて通い続ける。それは今のダンサーやインストラクターの新しい役割だと二人は語ります。
北島さんは、子育ては父と母だけでするものではなく、地域のいろいろな大人が関わってやっと一人が健全に育つと考えています。昔いた「そこら辺のおじさん」のような存在も含めてです。
しかし今の習い事は、居場所というよりお金を払って能力を買いに行くお買い物の場所になっていると北島さんは指摘します。
いやなんかもう、ほんと資本主義極まれりって感じですよね。
北島さんは、安心できる大人がいる場所でしか意欲は伸びないと言います。どんなに優れた講師でも、ピリピリした大人に囲まれていれば才能は開花しないという考えです。
お金を払って能力を買いに行く場。偏差値や技術を効率よく身につける対象として捉える見方。
信頼できる大人がいて安心して過ごせる場。意欲や才能はこの安心の上にしか育たないという見方。
喧嘩も力加減も、触れ合いの中で
北島さんは、子どもの喧嘩やスコップの取り合いすらさせられないのは、大人同士の信頼関係がないからだと話します。
スコップの取り合いぐらいさせたらええやんと思うんですよ。
力加減を知ることは大事だと北島さんは言います。触れ合いが少なすぎると、加減がわからず取り返しのつかないことになりかねないという懸念です。
野村さんは、ぶつかり合わないと理由や事情までたどり着けないと応じます。喧嘩の後に「なんで怒っているのか」を知ることにも意味があります。
今は大人が先回りして揉め事を収めてしまい、子どもが経験できないと北島さんは指摘します。その背景には、自分がどう思われるかという親の都合があると言います。
滑り台を上から行くか下から行くかという場面も同じです。お母さん同士が仲良ければ「またやっとるわ」と見守れますが、信頼関係がないと即座に止めてしまうと北島さんは話します。
一生踊ろう。ダンスへの恩返しとして
北島さんは、大人が安心して本音で付き合える仲間を見つけることが大切だと語ります。きっかけはダンスでも何でもよく、共通点でつながった人たちと一緒に子育てをしていくイメージです。
スキマダンスクラブは、体を動かして楽しかった、ご飯がおいしかった、で終わる場です。体を動かした後だからこそ、食堂で子どもの話がポロッと出てくることもあると言います。
私らが楽しんでる姿が一番の子どもへのエール。
北島さんは、教育の原点は人がどう幸せに生きるかにあると考えています。子どもを賢く育てることではなく、みんなで繋がって教育とは何かを話せる場所を作ることが、あらゆる場でのやりたいことだと語ります。
野村さんは、教育を上から下への一方通行ではなく、子どもからも学ぶ双方向、さらに横のつながりも含めたものとして捉え直します。
自然にそうなっているダンススクールも多いと北島さんは言います。ただ、無自覚にやっていたことを言語化し定義づけると、さらに良くなったと感じたそうです。
これをやらないと死ねないわって思ってます。
番組の終わりに、北島さんは初めてのダンスをより優しいものにすること、そしてどんな形でも一生踊ろうと呼びかけます。それが自分なりのダンスへの恩返しだと語りました。
まとめ
自身の子の不登校を原体験に、北島翔子さんはダンスを通じて子どもと大人が安心できる居場所づくりを続けています。子どもを変えようとするのではなく、大人が楽しむ姿を見せることを軸に据えた実践が語られました。
- 不登校はダンス現場にもすでにあり、学校には行かなくてもダンススクールには通う子は少なくない
- トウキョウコーヒーは大人が主体。大人が楽しむことで子どもが安心し、意欲を取り戻すという考え方に立つ
- スキマダンスクラブは技術上達を目指さず、「いていい」を合言葉にした優しい居場所として運営されている
- 子どもは無理に動かさなくても、大人が踊っていると自分から入ってくる
- 北島さんの実践はコミュニティダンスと呼ばれる考え方に重なり、薬の代わりに処方される国もある
