ラジオDJに憧れた過去と、踊場cueとの縁
Minoriさんは会社員時代、毎日ラジオを聴きながら仕事をしていて、一時期は本気でラジオDJを目指していたと話します。
実際にFM局の募集要項を見て、番組を作って応募する企画まで考えていたそうです。
会社員をしてた時に毎日ラジオがかかってて、その時にはラジオDJになろうかなと思った時期があって。結構本気で募集要項を見てたんですよ。
そんなMinoriさんにとって、この収録はある種の念願だったといいます。
Minoriさんが率いる「Chace that Company」は、Graffyホールに何度も足を運んできた団体です。パンチさんは踊場cueを始めるとき、こういうダンサーに踊ってほしいと考えていた像にぴったりだったのがこのカンパニーだったと振り返ります。
5回目の公演で選んだ「次に渡す側」になる決断
今回のプロデュース公演は、Chace that Companyにとって舞台公演としては5回目にあたります。パンチさんは、関西でこれだけ継続してダンスの舞台公演を続ける団体は少ないと指摘します。
Minoriさんによると、Chaceは舞台のたびに新しいことに挑戦してきたそうです。1回目はやること自体が挑戦、2回目は内面を描くコンテ寄りの表現、3回目は全員キャストをシャッフルし、4回目は初のコメディに取り組みました。
コメディが予想以上に反響を得たことで、自分たちで踊りきったという感覚が生まれたといいます。
じゃあ5回目どうする?ってなった時に、自分たちでやるっていうのは一旦やりきったか。特に4回目のコメディが意外とはまったのもあって。
そこで浮かんだのが、舞台で育ててもらい、出会ってきた6人のメンバーの経験を、次の世代にパスしていくという発想でした。
後押しになったのは、別の現場でミュージカルの振り付けに入ったとき、公演本番前に子どもたちが目に見えて上達していく様子を目撃した経験だったと話します。
もう音聞こえるぐらい、こうメキメキ上達していくみたいなのが見えて。いいなこれ。これを自分らの手でやりたいなと思ったのもあって。
メンバー全員がすぐに賛成したわけではありませんでしたが、Minoriさんが強くやりたいと言い切ったことで、みんながやろうという気持ちになってくれたそうです。
新体操志望から、コンテストで受けた「雷」まで
Minoriさんは双子の姉妹で、相方のヒカリさんは2歳半年下です。もともと体を動かすのが好きで、体が柔らかかったことから、母は新体操を習わせたいと考えていたといいます。
しかし家の近くの新体操クラブはオリンピック選手を出すような本格的な教室で、入会は小学生からでした。そこで友達の母が見つけてくれたダンススタジオに入ったのが始まりです。
当時のスタジオは3歳児を受け入れていませんでしたが、体験レッスンで1時間集中して受け切り、小学生のクラスに混じって習うことになったと話します。
昼寝してて起こしてくれへんくて、レッスン行かれへんかったら怒ってたりとか。
ジャンルの区別が曖昧だった当時、最初の先生はジャズダンス出身で、次第にジャズ寄りのレッスンになっていったそうです。
転機は小学2年生で出た南港のコンテストでした。外の世界を見に行ったMinoriさんは、圧倒的な衝撃を受けたといいます。
Minoriさんは結果発表を聞かずに帰るほど打ちのめされたものの、そこで見たHIPHOPのチームに強く惹かれます。
なんかあまりに直線的やったんですよね、自分の踊りが。HIPHOPのチームを見て、あんなダンスやりたいってなって。
そこから約1年かけて各地のスタジオを回り、たどり着いたのが今の師匠のもとでした。小学3年生の終わり頃のことだといいます。
舞台との出会いと、「作り手になりたい」という思い
Minoriさんが初めて舞台に出たのは、DIOMの舞台で小学4年生のときでした。90分の舞台のなかで、キッズが踊るのはわずか1〜2分のワンシーンだったといいます。
たまたま地元の奈良公演だったこともあり、キッズオーディションを受けて出演が決まりました。そしてその一発目の舞台のときから、ある気持ちを抱いていたと話します。
当初はただ楽しいという思いが大きかったといいます。ただ年を追うごとに、一緒にレッスンを受けていたメンバーがバトルやコンテストで活躍していく一方で、自分たちは追いつけずコンプレックスを抱えるようになりました。
そんななか、舞台ではダンス以外の部分で評価してもらえることが多く、Minoriさんにとって舞台は少しずつ居場所のような存在になっていったと振り返ります。
最初は楽しいし、あれを作ってみたいっていう気持ちが、だんだん自分にはこれしかないぐらいの感じで、舞台っていうのは結構大きかったかなと。
Beatとしての活動と舞台は、師匠たちがもともと両方を並行していたため、Minoriさんの中では特別に区別する感覚はなかったといいます。
Chace that Companyの立ち上げと名前の由来
大学3回生のとき、Minoriさんはこのまま卒業してしまうことへの危機感を抱きます。まじめにストレート卒業を目指していたものの、サークルの多様な仲間たちから、それだけが全てではないという感覚をもらったといいます。
やりたい仕事もわからず、達成感もないまま卒業してはいけないと感じ、休学を決めました。
休学しよう、一回立ち止まろうってなった時に、やり残したことは絶対舞台やなって思って。
そこで加藤さんの舞台で長年一緒だったメンバーに声をかけ、企画書を作って募ったのがChace that Companyの始まりです。現在は4人のオリジナルメンバーと、後から加わった2人で活動しています。
団体名は、もともと師匠である加藤さんを追うという意味で「Chace the K」に近い案だったといいます。ただそれでは限定的すぎるため、いろいろなものを追うという意味で「Chace that」になりました。
Minoriさんには、演者だけでなく衣装や音楽、空間を作る人まで巻き込む劇団のような「カンパニー」への憧れがあったと語ります。
なお綴りは、本来「Chase」が正しいところを、場所の申請時にとっさに「Chace」に変えてしまい、そのまま団体名になったそうです。
なんか常に何かを追い続けたいみたいな気持ちでつけた名前です。
ストリートと舞台、同じHIPHOPで何が違うのか
番組のメインテーマは「ストリートと舞台。HIPHOPで異なるシーンで踊る意味」です。Beatの作品もChaceの舞台も、ベースはいずれもHIPHOPだといいます。
Minoriさんは、Beatの作品はいわゆるHIPHOPのど真ん中ではなく、かなり隅の方だと自認しています。それでもHIPHOPという表記にはこだわり続けているそうです。
舞台とコンテスト作品の感覚はそれほど変わらないものの、舞台には必ずストーリーがあり、より分かりやすく伝える必要があるため、別ジャンルの要素が多くなると話します。
体力面での違いは、短距離走と持久走に例えられました。3分で全力を出し切る踊り方では、90分の舞台はオープニングで終わってしまうからです。
90分踊り続ける。3分で全力出し切る踊り方でいったらオープニングで終わってまうから、ペース配分やエネルギーの出し方は変えてるとは思います。
では、MinoriさんがこだわるHIPHOPとは何なのか。それはコンテストで勝てなかった頃に自問自答した部分だといいます。
関西にはHIPHOPの先輩が多く、「これがHIPHOPだ」という硬さを感じる場面もあるそうです。カルチャーの経緯や成り立ちへのリスペクトは持つべきだとしつつ、同じことをするのがHIPHOPではないと考えていると話します。
Minoriさんは、性格まで変えないと上がっていけないと言われたこともあったといいます。ただ、それを曲げてしまえば自分のアイデンティティが崩れてしまうと考えました。
そこを曲げてまでやりたいことじゃない。でも私はこのダンスが好きやけど、そこまで合わせに行くっていうことがHIPHOPではないと思うっていうのは、ふつふつと持ってて。
パンチさんは、その考えがBeatの作風やChaceの舞台という表現の形に結びついているのではないかと解釈します。ストリートと舞台の違いは尺や手法にあるものの、根っこにある「私のHIPHOPはこれだ」という気持ちは同じだと整理しました。
3分ほどで全力を出し切る短距離走のイメージ。Chaceのコンテ作品は比較的舞台寄り。
90分を踊り続ける持久走のイメージ。ストーリーを分かりやすく伝えるため別ジャンルの要素が多くなる。
全部を同時進行で作る舞台の大変さと、音へのこだわり
舞台づくりの大変さについて、Minoriさんはまず「自分が動いた分しか進まない」ことを挙げます。
脚本、コンセプト、ストーリー展開を同時に考える必要があり、しかもワンシーンから膨らませても90分の尺にはなかなか届かないといいます。
Chaceは上下関係を作らずフラットに進めるのがコンセプトのため、Minoriさんが説明しても、メンバーから疑問や反論が返ってくることが多いそうです。
なんだから説得ではなくて議論ですね。それが面白くもあるんですけど、ほんまにらち明かへん時も結構あって。
音響、照明、効果音、舞台セット、美術、衣装まで、すべてを同時進行で進めるのが大変な部分だと話します。それでも楽しいからやっているといいます。
パンチさんは、Chaceの作品の音や曲編集がいつもすごいと感じていたと切り出します。環境音を取り入れたり、知っている曲でも新鮮さが出るように編集されている点が気になっていたそうです。
Minoriさんは小学6年の頃から曲編集を教わり、夏休みの工作としてCDを作って学校で発表したこともあると明かします。舞台と並ぶもう1つの居場所が曲だったといいます。
Chaceの選曲はメンバーが担当し、編曲はMinoriさんが8割ほど手がけているそうです。効果音は無料の音源を組み合わせるほか、環境音は自分で録りに行くこともあると話します。
旅行でとか、山の方歩いてった時に鳥の声聞いて「あ、これ録っとこう」で録ったやつ使ったりとか、学校のチャイムの音を録ったりとかはしてました。
挑戦したい人に開かれた11月のプロデュース公演
プロデュース公演は2026年11月28日・29日の2日間で開催されます。出演者はこれからオーディションで選ばれます。
どんな人に舞台のオーディションに来てほしいですか?
現在のダンスのスキルや経験は問わず、みんなと協力して1つのものを作りたい気持ちがある人、ダンスを使って何かを表現したい人、表現の幅を広げたい人などに挑戦してほしいと話されています。
オーディションは5月31日に予定されています。その前には、舞台用語のレクチャーや空間把握のワークなどを行う事前ワークショップが複数回組まれているそうです。
4月29日の回は本番と同じGraffyホールを使うため、かなり貴重な機会になるといいます。オーディション後は6月2週目ごろからリハーサルを始める予定です。
ワークショップには小学3年生から24〜25歳くらいまで幅広い年齢が集まっており、みんなが同じものに同じように取り組んでいる点がいいとMinoriさんは話します。
私たちも舞台で出会って、すごい濃い関係性になってるんで、そういう出会いも絶対あると思う。より深くダンスも人も深く関わりたい人にはぜひチャレンジしてもらいたい。
パンチさんは、Minoriさん自身が幼い頃の舞台をきっかけに価値観まで変わってきたことに触れ、Graffyとしてもレッスンや発表会以外のアウトプットを提供したいと語ります。
11月の本番前、10月ごろに再びMinoriさんと収録し、制作真っただ中のリアルな状況を届けたいと2人は話しました。公演後には出演した子の声も聞いてみたいといいます。
まとめ
キッズ時代にコンテストで受けた衝撃と、舞台という居場所との出会いが、Minoriさんの「形にとらわれないHIPHOP」という考えを育てました。ストリートと舞台を並走させる姿勢は、次の世代へパスするプロデュース公演へとつながっています。
- Chace that Companyは舞台公演のたびに新しい挑戦を重ね、5回目で「次に渡す側」になることを選んだ
- 小学2年のコンテストで受けた衝撃と、小学4年で出会った舞台が、Minoriさんの原点になっている
- Minoriさんが考えるHIPHOPは、形の再現ではなく、今の自分たちを表現し新しいものを生み出すこと
- 舞台は脚本から音・照明・美術・衣装まで同時進行で作り、フラットな議論を重ねて仕上げていく
- 2026年11月28・29日のプロデュース公演は、スキルや経験を問わず挑戦したい人に開かれている
