踊り場cueとは何だったのか
番組名は「喋場cue」ですが、その由来は「踊り場cue」という舞台公演プロジェクトにあります。パンチしょーへーさんが運営するグラフィホールで、ダンスの舞台公演を後押しするために2023年から続けてきた取り組みです。
出発点は、ダンサーがダンスを見せることで食べていける世界を作りたいという思いにあると話されています。
ステージ、照明、音響を備え、200人以上入るホールを持つダンサーは全国でも少ないといい、その恵まれた環境を持つ者として舞台公演という形を残したいと語られています。
数字と勝利に傾くダンス市場への違和感
昨今、ダンス市場はかなり拡大しています。ただしその評価軸が「勝つこと」「集客力」「SNSでのバズ」「チケット売上」に寄りすぎているのではないか、という違和感が語られます。
バトル、コンテスト、発表会、ナンバーイベントといった市場はすでに出来上がっている一方で、その掛け算でイベントが成立する傾向が強まっていると話されています。
パンチしょーへーさん自身は、ダンスを神聖なもの、文化として捉える思いが強く、経営者でありながら数字の部分をうまく作れていない、という反省も率直に語られています。
報酬型公演システム「踊り場cue」の仕組み
そうした市場の対極として抽出したのが、踊り場cueの仕組みだと説明されます。柱は2つあります。
1つは報酬型の公演システムです。ダンサーの公演費用負担を軽くし、ギャランティを正式に支払う形をとっています。
現時点の内容では、1日2公演を行った場合、ダンサー団体に20万円の報酬を確約しているといいます。
もう1つは、舞台製作プロジェクトチームによる完全サポートです。音響、照明、舞台監督、広報、デザインなどのスタッフを踊り場cue側で手配し、その費用も負担していると話されています。
1日2公演で団体に20万円の報酬を確約し、公演費用の負担を軽減する
音響・照明・舞台監督・広報・デザインなどを手配し、費用も踊り場cue側が負担する
この結果、やる気と思いがあれば、赤字を原則なくして舞台公演の第一歩を踏み出せる仕組みになっていると語られています。
生産性では測れないダンスの豊かさ
不動産や銀行員の仕事は、土地や建物のように物質とコストがあり、需要と供給でお金に換わるものだといいます。ダンスはその真逆だと語られます。
すぐにお金になるわけでも、効率がいいわけでもなく、明確な成果物が出るわけでもない。それでも人は踊りたくて踊り、踊りがないと生きていけないという人もいる、と話されています。
ダンスの底には、人生、葛藤、衝動、記憶といった要素があるといいます。物々交換やお金に換えられないその抽象的な価値にこそ、人間的な豊かさがあると考えられています。
赤字と事業性という葛藤
一方で、非生産性の追求だけを続けると、結果として赤字になってしまうと率直に語られます。
踊り場cueは初年度で100万円近い赤字、2年目は40万円ほどの赤字、3年目もトントンと言いながら数十万円の赤字が出ていると明かされています。
非生産性的な価値を肯定し続けた結果、事業性を置き去りにしてしまっていた、という反省が語られます。事業性を損なえばホールや会社の維持ができず、スタッフへの報酬も払えなくなり、本末転倒になってしまうためです。
これもですね、本当にAIと対話してる中で、「それはダメだよね」ってことをAIから教えてもらいました
アートだから赤字で仕方ない、とは言い訳にせず逃げない、という姿勢が示されます。
「パトロン」ではなく「動線」へ
赤字になってでもダンスを支えるべきという考えの背景には、世界史好きだったパンチしょーへーさんが持つ「パトロン」への理解があります。
芸術は保護されなければお金が回らない、という価値観が強く、踊り場cueが知らぬ間にパトロン的な位置に立とうとしていたと振り返られます。
しかしストリートダンスの本質はカウンターカルチャーであり、支配的な体制や主流の価値観に対抗する動きだといいます。その精神とパトロンという発想は合わないのではないか、と気づいたと語られています。
そこで行き着いたのが、踊り場cueは「場所」であり、ダンサーとファンや支援者が出会う「動線」だという捉え方です。
ゴッホと弟テオが教えてくれたこと
この発想に至ったきっかけが、ポッドキャストで聞いたゴッホの話だと語られます。
ゴッホは今でこそ世界的に有名ですが、生きている間はほぼ認められず、食べるのに苦しみ、絶望のうちに亡くなったといいます。
それでも作品を描き続けられたのは、弟テオの存在があったからだと話されます。テオはゴッホに仕送りをし続け、精神的な支えにもなり、ゴッホからの手紙を残していました。
ゴッホの死後、そのテオの妻ヨーが強烈なプロモーターとなり、手紙を整理して作品とともに整え、背景や文脈を説明することで、世界の芸術家に理解され評価されていったといいます。
素晴らしい画家であっても、支える人や説明する人がいたからこそ文化として残った。この学びが、パンチしょーへーさんの取り組みと重なったと語られます。
ポッドキャストと投げ銭が担う役割
この気づきから、ポッドキャストと新たに始めたオンライン投げ銭の意味が結び直されます。
ダンスは映像だけでは、そのダンサーがなぜ踊るのか、何に人生を注いできたのかが伝わりきらないといいます。その背景と文脈を届ける補足説明として、このポッドキャストが必要だと考えられています。
投げ銭については、20万円の保証がパトロン的な保護の側面を持つのに対し、お金というより「この表現を続けてほしい」という意思表示だと語られます。
投げ銭サイトは開設から1週間ほどで総勢10万円近くが集まったといい、コメントを添えられる仕組みを重視していると話されています。
順位をつけないイベント「TEN」
今回の一連の気づきを与えてくれたのが、TENというイベントだと語られます。MIKIHOさんとの共同プロジェクトで、昨年11月30日にスタートしました。
TENは設計段階から「順位をつけない」ことにこだわったといいます。アワードとして賞はあるものの、10分間に一人ひとりが人生と身体と思想を預け、次につなげる登竜門的なイベントにしたい、という思いが語られます。
10分間、一人で舞台に立ち、100人以上の中で注目を浴び続けることへのリスペクトが強く語られています。前回のTENでは、出演者の魂の作品を通して新しい出会いや価値観を受け取れたと話されています。
売上責任から逃げず、感覚的な魅力も届ける
目指すのは、いいダンスがちゃんと売れる世界の始まりです。売上を作る責任から逃げず、しかし売上だけで評価もしない、という矛盾を引き受ける姿勢が示されます。
数字を作る責任を負いつつ、数字では測れない感覚的な魅力も届けて後押しする。その両立を踊り場cueと喋場cueで担っていきたいと語られています。
TENは第2回が7月5日に関西で、10月には横浜で開催予定です。ソロやデュオの枠は早々に埋まったといい、今回からは7日間アーカイブのオンライン配信も始めると案内されています。
まとめ
この回は、赤字と向き合う支配人が、ゴッホと弟テオの逸話を手がかりに、踊り場cueの役割を「パトロン」から「ダンサーと支援者をつなぐ動線」へと捉え直す過程を語ったものでした。
- 踊り場cueは報酬型公演システムと製作チームの完全サポートで、赤字を原則なくして舞台公演の第一歩を後押しする仕組み
- 非生産性的な価値を肯定するだけでは赤字になり、事業性を置き去りにできないという反省が率直に語られた
- ストリートダンスのカウンターカルチャー性はパトロンと合わず、踊り場cueは価値が伝わる状態をデザインする「場所」だと捉え直された
- ゴッホを支えた弟テオと妻ヨーのように、背景と文脈を届ける役割をポッドキャストと投げ銭が担う
- TENは順位をつけず10分間に人生を預ける場として、いいダンスを文脈ごと社会に届ける試みとして位置づけられている
