蒸し暑い夏とスポーツの床、雑談から始まる形容詞回
Re:Normal Radioは、言語学研究者で大学教員のKeiさんと、元上場企業の管理職で車椅子ユーザーのシンペイさんが、世の中の「普通」を問い直す座談ラジオです。この回の収録時期はまだ夏で、二人はエアコンを使い続けている近況から話し始めます。
大雨のあとの蒸し暑さから、話題は屋内スポーツへ移ります。シンペイさんによると、湿度が高い日はバスケットボールのコートの床が結露し、まともにプレーできない試合を何度か経験したそうです。
もう床の結露がすごくて。危ないよね、普通に。みたいな日。
Keiさんも、バドミントンでは床が滑るだけでなく、湿気でシャトルの重さや打感まで変わると応じます。シンペイさんは、こうした日のプレーを「砂浜でサッカーをしている」「スケートリンクの上でやっている」ようなものだとたとえていました。
ポジティブな「渋い」とネガティブな「渋い」
今回の形容詞を選んだのはシンペイさんで、テーマは「渋い」です。Keiさんがまず柿を食べたときの味の話かと冗談めかすと、シンペイさんは味覚の話ではないと返します。
実はKeiさんは、味覚形容詞としての「渋い」を研究したことがあり、博士論文で扱っただけでなく、2022年ごろに海外の出版社から出た英語の論文集にも論文が収録されているそうです。
Keiさんは、「渋い」には「渋い男」のようなポジティブな使い方と、味とは関係ないネガティブな使い方の両方があると指摘します。たとえば「この湿度でバスケするのマジ渋いわ」のように、厳しい・つらいという意味でも使われます。
今日のなんかその湿度でバスケするのマジ渋いわみたいな。
シンペイさんは、今回はあくまでいい意味の「渋い」で話を進めたいと宣言します。そこからKeiさんが、シンペイさんの声も渋いと持ち上げ、声優の津田健次郎さんの声は「渋い」か「深い」かという話にも発展しました。
シンペイさんは、人の場合の渋さには色気に近い要素があると感じています。一方で、スポーツのプレーや店、物の渋さになると色気とは少し違い、そこにいる人の渋さと複合的に結びつくこともあると話していました。
渋い店と、ただ古いだけではない「趣」
最近の渋いものを聞かれたシンペイさんは、渋い店が好きだと答えます。戦後からずっと続いているような構えの居酒屋や町中華、純喫茶のような店が好みで、物理的に入れない店も多いため実際にはあまり行けないものの、調べるのが好きだそうです。
二人は、以前に小倉で一緒に行った居酒屋「武蔵」を、渋い店の例として思い出します。Keiさんは、うまくて安い店だったと振り返っていました。
シンペイさんは、検索窓に「渋い」と入れて店を探すといいます。Keiさんは「渋い店」で検索したことがなかったと驚き、シンペイさんは伊勢にある「一月家」と書く居酒屋(読み方は本人も不明)も、年季が入っていてとてもいい店だと紹介しました。
ただし、シンペイさんは古ければいいわけではないとも付け加えます。Keiさんはその違いを「趣があるということか」と言葉にし、シンペイさんもそういうことだろうと同意しました。
名バイプレイヤーと渋おじ、渋さは成熟したかっこよさ?
渋い人の例としてシンペイさんが挙げたのは、名バイプレイヤーと呼ばれる俳優たちです。寺島進さんの名前が出ると、Keiさんも同じ人を思い浮かべていたと笑い、顔つきも声も渋いと応じます。
Keiさんは主役級の例としてジェイソン・ステイサムを挙げ、シンペイさんはジョージ・クルーニーの名前も出します。二人は、いわゆる「渋おじ」とはどういうかっこよさなのかを探っていきます。
成熟したかっこよさみたいな感じじゃない?渋いって。
Keiさんはそれを「円熟味があるかっこよさ」と言い換え、シンペイさんは少しノスタルジーの感覚も含まれると話します。Keiさんは渋くなりたいけれど自分はかけ離れていると言い、ラジオを聴き直すうちに自分の子どもっぽさがはっきり見えてきたと明かしました。
ここから、「渋い」の反対語は「子どもっぽい」なのか「若い」なのかという問いが出てきます。シンペイさんは、若くて渋い人はあまりいないと考え、Keiさんは若くして老成している人なら渋いと言えるかもしれないと話していました。
ゆかりご飯の朝食と、英語に訳せない「渋い」
Keiさんはこの日、息子さんの朝食にゆかりをかけた白ご飯、ピーマンのきんぴら、ピーラーで薄く削いだきゅうりの漬物、ごま油で炒めて酢と醤油に漬けたシメジを用意したそうです。シンペイさんはそれを「渋い朝飯」と評しました。
シンペイさんは、この朝食の渋さを「昔ながら」や「フレッシュではない」、つまりアンチフレッシュのような性質ではないかと考えます。
言語学者のKeiさんによると、英語には日本語の「渋い」のように使われる語はあまりありません。味覚のastringent ── 渋みを表す英語の形容詞。口の中が引き締まるような感覚を指し、収れん性とも訳されます(書き起こしでは「adstringent」)は、日本語の「渋い」ほど意味が広がっていないといいます。
Bitterは「苦い」になってしまい、ポジティブな意味はBittersweetのようにSweetが補う形だとKeiさんは説明します。シンペイさんはClassicやオールドスクール、Keiさんは「ダンディ」も候補に挙げますが、ダンディは男性に寄った言葉だとも指摘しました。
これに対してシンペイさんは、夏木マリさんも渋いと思うと話します。さらに、祖父の代から使っているロレックスを持つ友人のように、ヴィンテージの意味での渋さもあるのではないかと続けました。
古いスピーカーとジャズ喫茶、渋さと寡黙さ
Keiさんの部屋には、秋葉原で音を聴かせてもらって中古で買った、YAMAHAの古いモニタースピーカー(型番はYS250)があるそうです。価格は2万円ほどで、アンプも同じ年代のYAMAHAの古いものを使っているといいます。
Keiさんは、自分にないものを追い求めているのかもしれないと話します。話しかけられれば乗れる性格でも、本来は一人で静かに過ごすのも好きで、皆が一人で音楽に浸るジャズ喫茶はとても楽な場所なのだそうです。
シンペイさんはここから、渋さには寡黙さも含まれるのではないかと考えます。Keiさんも、ずっとうるさい渋い人はいないと応じました。
高田純次氏はダンディではあるけど渋くはないもんね。
シンペイさんは、渋い人の代表として高倉健さんのような人物を挙げます。さらに長渕剛さんのアルバム『JEEP』に入っている、西新宿の居酒屋の親父を歌った曲を、情景と時代の空気が伝わってくる「めちゃくちゃ渋い」曲として紹介しました。
ミセスとKing Gnu、「枯れる」と「渋い」の分水嶺
Keiさんは、情景が伝わる曲としてハナレグミ(書き起こしでは「離れ組」)の『家族の風景』を挙げますが、シンペイさんは渋さは「まだない」と答えます。そこからKeiさんは、渋くなりそうなアーティストと一生渋くならなさそうなアーティストがいると話します。
例えばだけど、Mrs. GREEN APPLEは渋いとはかけ離れてると思うんだ。
Keiさんは、同世代でもKing Gnuは渋い曲を歌いそうだと話し、シンペイさんは常田大希さんはすでに渋いと応じます。成熟したロックが渋さにつながるのかという話から、桑田佳祐さん、スティング、サンタナの名前も挙がりました。
Keiさんの父親は大のジャズ好きで、有名なサックス奏者やピアノ奏者のライブに出かけるそうです。ある日、感想を聞くと「枯れてた」と答え、あまりポジティブな意味ではなかったといいます。
多少のエナジーというか、活力みたいなものは多少は必要なのが渋いなのかもって思った。
シンペイさんは、果物でいえば「渋い」はまだ熟していない青い状態を指すのに、人間に対しては熟成した頃合いを指すのが面白いと指摘しました。熟しすぎて枯れると渋さではなくなる、という境界があるようです。
経験を重ねた円熟味がありつつ、活力も多少残っている
エネルギーがなくなり、良さが伝わってこない
30年後に渋くなるのはiPodか、経年変化という条件
シンペイさんは、自分たちが50代や60代になったときに何が渋くなっているのかを問いかけます。Keiさんは、喋る言葉や知性、所作など、自分の内側にあるものに表れると考えていました。
モノについては、祖父の代からのロレックスのように、30年後にApple Watchを持っていることが渋いのかという話になります。Keiさんがホイールで操作するiPodはどうかと聞くと、シンペイさんはすでに渋いと即答しました。
息子が20歳ぐらいになった時に(ホイールの)iPodで音楽聴いてたらやっぱ渋いよ。
MDウォークマンも渋いけれどMD自体がもう作られていない、レコードは渋くあり続けるかもしれない、と話は広がります。デジタルガジェットさえ渋くなる時代が来ることを、二人は不思議がっていました。
ここでKeiさんは革製品を挙げ、二人は渋さを「経年劣化」ではなく「経年変化」として整理します。革靴やヴィンテージデニムのように、時間を経て風合いが良くなったものが渋いという結論です。
経年変化の成れの果てで、風合いが良くなっているものごと、人、場所が渋いんじゃないですかね。
例外として、若くして渋い人や若くして渋い音楽を奏でる人は、すでに膨大なインプットをして円熟味を備えている場合に限られるのではないか、とKeiさんは付け加えました。
時間を経る
長く使われる、経験を重ねる
経年変化
劣化ではなく、質が良いものが変化していく
風合いが良くなる
円熟味が生まれ「渋い」と感じられる
縁の下のプレーと、役満を降りる雀士の渋さ
シンペイさんは60歳くらいで渋いおじさんになりたいと話し、Keiさんは渡辺謙さんの名前を挙げます。シンペイさんは、渋さにはワーキャーされる主役級ではなく、職人っぽさがあるイメージだと語りました。
そのわかる人にはわかる感ない?
シンペイさんによると、バスケットボールでも、目立たないけれどそれがなければ点を取られていたようなプレーを「渋いプレー」と呼ぶそうです。IQの高いプレーや博識さも、渋さに必要な要素かもしれないと話していました。
Keiさんは、声優もしている女性のプロ雀士の例を挙げます。役満をテンパイしているのに危険牌を押さずに降り、実際にその牌が当たり牌だったという場面です。
役満降りれんの?みたいな。そういうのってさ、普通飛びつきたくなるじゃん。
シンペイさんは、人の目や栄光よりも自分の軸に従うかっこよさだと受け止めます。二人は「いぶし銀」という言葉も渋さに近く、これもまた経年変化だと確認していました。
余裕と一人で完結する趣味、渋さは狙って出せない?
時間が解決するなら誰でも渋くなれそうですが、Keiさんは、年を重ねても渋くない人はたくさんいると指摘します。何が渋さを分けるのかという問いに、Keiさんは「余裕」、シンペイさんは「余白」を挙げました。
ただし、多くを語らないだけでは渋くなれないとKeiさんは言います。シンペイさんは、Instagramで見たリリー・フランキーさんのインタビューを思い出します。一人で完結する趣味を持つ人は完成していると思う、という話だったそうです。
ボトルシップのような一人で完結する趣味を、シンペイさんは自分は持っていないかもしれないと話します。Keiさんが釣りはどうかと聞くと、シンペイさんは釣れなくても時間そのものを楽しむ人の釣りは渋いと答えました。
なんかこう渋さに憧れてる時点でまだ渋くないんだろうけど。
Keiさんも、渋い人は渋くなろうとしてなっているわけではなく、渋さは自ずと身につくものなのかもしれないと応じます。シンペイさんは役所広司さんのような雰囲気はどうしたら出るのかと考え込みます。
Keiさんは、シンペイさんが20代のころからリリー・フランキーさんに似ていると言われるのは、声と落ち着きのせいではないかと話します。シンペイさん自身は、それだけでは渋さは出ないとこの日の話でよくわかったと笑っていました。
モノでは渋くなれない、内側から溢れ出るもの
シンペイさんは、渋くないのに第一線で活躍するおじさんもいるのかと問いかけます。二人は、見た目がずっと若い福山雅治さんのような人を例に挙げました。
Keiさんは、渋い古着などを身につけても、それだけで人は渋くなれないと考えています。着こなしや、持っているアイテムの歴史を知っていることのように、内側にあるものが必要だという考えです。
あんまり物に、物で人は渋くなれないと思っちゃうんだよ。
シンペイさんは、いいものに触れ、いい経験をし、道徳的な善も悪も見てきた経験値が、出すつもりがなくても溢れ出てしまう人が渋いのだろうと話します。Keiさんはこれを「清濁併せ呑んできた人」と言い表しました。
経験に投資しようと思えるとシンペイさんが言うと、Keiさんはお金を使わなくても、自分の感受性をきちんと働かせることが一番の近道ではないかと付け加えました。
言語学者が見た「神聖」な90歳と、AIで薄れる渋い研究
大学教授には渋い人が多いのではと聞かれたKeiさんは、あまり思いつかないと答えます。ただ、昨年10月ごろ岡山で開かれた日本言語学会の基調講演に登壇した先生の印象を語りました。
その先生は90歳ぐらいで白髪、奥さんに車椅子を押されて登場し、話し始めると「これ面白いよね」と滔々と語り続けたそうです。Keiさんは、そこまでいくと渋いではなく神聖なものだと感じ、目の前を横切るときに頭を下げずにはいられなかったといいます。
Keiさんによると、池上嘉彦(書き起こしでは「池上義彦」)先生という、非常に有名な研究者だそうです。
一方でKeiさんは、渋い研究そのものは時代とともに減っていくと痛感したと話します。これまでは1万例もの文を集め、形容詞の意味を何週間も何か月もかけて人の手で分類していました。
その実直な作業を、AIに任せてみると10分ほどで何千例もきれいに分類してしまったそうです。Keiさんは、渋い研究が人のやらなくていい作業に変わり、時代の転換点が来ていると感じたといいます。
何週間・何か月もかけて大量の例文を手作業で分類する実直さが渋い
AIが作業を担い、どんな問いを立て、何に目をつけたかという着想が渋い
これからは、どんな疑問を立てるか、理論や言説をどう解釈して新しい問いにするかという部分に、研究者の渋さが見出されるのではないかとKeiさんは考えています。
そこに目をつけたの渋いねみたいなことになるってことか。
本読みの塾の先生と、読むべき本の多さに向き合うつらさ
シンペイさんが、渋さには博識さや知識量も必要ではと話すと、Keiさんは1人思い当たる人がいると答えます。浪人時代に通った塾を開いていた、おじさんの友人で、ことあるごとに相談に乗ってくれた大変な本読みの人だそうです。
Keiさんは、いいものを見たり身につけたりすることも趣味嗜好の表れとして一つの渋さだと認めつつ、自分の中では知性を磨き知識を蓄えることが一番渋さにつながると考えています。
シンペイさんは最近、本を読むこと自体ではなく、書店に行くたびに読むべき本がまだこんなにあると気づくのがつらいと打ち明けます。Keiさんは15年ほど前に同じ経験をしたと応じました。
要はその取捨がちゃんとできるようになった時に、なんか1個皮剥けるんだろうなみたいな感じはあるんだ。
Keiさんは、次に来るのは「無理だ」という諦めだと言います。シンペイさんは、いい意味でいろいろなことを諦められている人は渋いと話し、花形のフォワードではなく縁の下の力持ちでいる選手の渋さを例に挙げました。
デレク・フィッシャー、プジョル、川相、数字に残らない仕事
渋いスポーツ選手を聞かれたシンペイさんは、NBAのポイントガード、デレク・フィッシャーを挙げます。スタッツに残らない優秀さが前に出る選手だという評価です。
サッカーならボランチやディフェンダーにそうした選手が多いという話になり、冨安健洋選手の名前も出ます。Keiさんが挙げたのは、FCバルセロナのカルレス・プジョルでした。
Keiさんは、練習で今日が一番頑張れたと話した息子さんに、プジョルの逸話を伝えたそうです。少年時代のプジョルは、父親から今日一番一生懸命練習しないと家に連れて帰らないと言われ、毎日全力を出し切ることを心がけたといいます。
浮かれてる味方とかの頭バシってひっぱたいてさ、お前ら何浮かれてんだみたいな。
シンペイさんは、プジョルも数字に残る仕事より、見ないとわからない仕事をする選手だと話します。さらに、バントの神様と呼ばれた巨人の川相昌弘選手(書き起こしでは「カワイ」)を挙げ、確実に二塁へ送る絶対的な信頼に渋さを見ていました。
長嶋茂雄監督が代打でバントのポーズをすると川相選手が出てくる、という場面を二人は懐かしそうに振り返ります。Keiさんは、熱く語り始めたシンペイさんに「おじさんだ」とツッコミを入れていました。
渋いと決めるのは下の世代、そして女性と「渋い」
Keiさんはすでに渋さがあるとシンペイさんに言いますが、シンペイさんもKeiさんの釣りや料理、博識さ、一人で音楽を聴く趣味は渋いと返します。シンペイさん自身は90年代のロックに縛られているといい、Keiさんは90年代はもう十分渋い年代だと応じました。
ここでKeiさんは、自分たちの渋さを判断するのは下の世代なのだろうと気づきます。自分たちも、渋いと感じる相手はずっと上の世代だったからです。
シンペイさんは、「かっこいい」より「あの人渋いっすよね」と言われるほうが嬉しいかもしれないと話します。ただし、渋いおじさんを目指しすぎると、うんちくを語る痛いおじさんになりかねないと二人は戒めていました。
Keiさんは言語学的な仮説として、40〜50代男性向けのファッション雑誌には「渋い」が目指すべきものとして出てきても、同世代の女性向け雑誌には出てこないのではないかと話します。この回が男性の話に偏りがちだったのも、メディアによる刷り込みの表れかもしれないと二人は振り返りました。
それでも、女性の渋さの例はあります。シンペイさんは『龍が如く』に登場する夏木マリさんをモデルにしたキャラクターを、Keiさんは東京・明大前駅にあったジャズ喫茶「マイルス」のママを挙げ、初めて店に入ったとき「あなたどこの子?」と聞かれた衝撃を語りました。
二人はリスナーに、渋いと思う人、店、行動や所作を教えてほしいと呼びかけます。最後はKeiさんの振りを受けて、シンペイさんがあいさつを「これが渋さです」と締めくくりました。
まとめ
この回の二人は、「渋い」を経年変化によって風合いが増すことと捉えたうえで、活力、余裕、目立たない仕事への誇り、内側に積み重ねた経験が欠かせないと語りました。渋さは狙って身につけるものではなく、溢れ出てしまうものだという見方が繰り返し確認されています。
- 「渋い」は経年劣化ではなく経年変化で、風合いが良くなった人・モノ・場所に使われる
- 活力を失って「枯れる」と渋さではなくなり、円熟味と余力のバランスが要る
- 数字に残らない縁の下の仕事や、栄光より自分の軸を選ぶ姿勢に渋さが宿る
- モノを身につけるだけでは渋くなれず、知性や経験など内在するものが必要
- 渋さを判断するのは下の世代であり、女性に使われにくいのはメディアの刷り込みかもしれない




