娘ジェシーが金メダリストへ
前回、カタリンさんは大きな発見をしながらも評価されず、追い詰められそうなところで終わっていました。
一方この頃、娘のジェシーさんはすでに大学生になっていました。
職員の家族なら学費が安くなるということで、カタリンさんはペンシルベニア大学に彼女を入れたかったそうです。ジェシーさんも頑張って入学してくれたと話されています。
背の高い両親の遺伝子を継いで、ジェシーさんは背が高く、さまざまなスポーツをやったそうです。そのうち、ボート競技に打ち込むようになります。
ここで語られる「ボート」はスピードボートで、複数人で漕ぐ競技のことです。
そんな心配をよそに、ジェシーさんは背の高さを生かして頭角を現し、なんとオリンピック代表選手にまで上り詰めます。
2008年の北京オリンピック代表に選ばれ、カタリンさんも応援に行きました。
所属するアメリカチームは無敵だったそうで、決勝でも大差をつけてゴールし、金メダルを獲得します。
しばらく見ない間に、娘が金メダリストになるというですね。
さすがお母さんの背中を見て、諦めないとか、いろんなものを学んだんだと思いますけど。
大学が特許をよその会社に売った
話はペンシルベニア大学に戻ります。カタリンさんとドリューさんは自分たちの法人を立ち上げていました。
彼女たちは、自分たちが見つけた特許を自分たちの法人で使わせてほしいと、何度も大学と交渉していたそうです。
ところが大学は、カタリンさんが見つけた特許にもかかわらず、別の法人にその特許を売ってしまいます。
えー、ひどい。
助成金も取ってこられない研究者に使わせても意味がない、といった判断が働いたのか、理由ははっきりしないと話されています。
2010年、この特許を獲得したエピセンター、のちのセルスクリプト社に使わせることになります。修飾したmRNAを使い、幹細胞を作る用途などが想定されたと語られています。
この過程で三十万ドルが大学側に支払われたそうです。番組内では、日本円でおよそ三千万円程度ではないかと二人が計算しています。
大学は特許で潤ったように見えますが、カタリンさんには一ドルも研究費が下りなかったそうです。
しかも、修飾mRNAの特許はよその会社に渡ってしまったため、彼女はこれを使って実験するのに、その会社へライセンス料を払わなければならなくなりました。
自分が見つけたのに、そんな屈辱ってあります?
いや、屈辱ですよね、ほんとね。
時代がmRNAに追いつき始める
一方、周りの動きはどんどん進んでいきます。
ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学のチームがスタートアップを作ります。その会社が、のちにmRNAワクチンを作る一社となるモデルナです。
お、出た。
さらに四年が経ち、娘のスーザンさんが数々の故障にもかかわらず、再びオリンピック代表に選ばれます。
北京の次はロンドン五輪です。スーザンさんはここでも金メダルを獲得し、二連覇を果たします。カタリンさんは再び金メダリストの母となりました。
十七年目の実験室からの追放
そして2013年5月、大変なことが起こります。
出勤すると、カタリンさんの実験室のものが全部廊下に運び出されていたそうです。私物は実験助手の手でゴミ箱に投げ入れられていたと話されています。
助手が関わったってこと?
学科長のショーンさんがやってきて、こう告げたそうです。
君は十七年間、時間をあげたよ。だけど業績は出なかった。だから今日で終わりだ。
何とか頑張り続けてきた十七年でしたが、それも終わりだと告げられます。
共同研究者だったドリューさんはまだ在籍していましたが、カタリンさんはドリューさんに雇われているわけではなく、あくまで共同研究者という立場でした。そのため基盤そのものを失うことになります。
それでもカタリンさんは、ショーンさんに言い放ったそうです。
しかしショーンさんは顔色一つ変えず、そうなるかもしれないが今は方針に従って別の人に使わせる、と冷たく返したと語られています。
その頃、特許を得た会社から生まれたモデルナは三億ドルの資金調達に成功していました。まだ製品もないのに、です。
さらに2018年には新規株式公開を行い、二十億ドルもの資金を集めたと話されています。カタリンさんが基盤を失う一方で、時代はmRNAへと大きく動いていました。
ビオンテックからの誘い
時代が変わり、どの企業もmRNAが薬になるかもしれないと気づき始めます。その第一人者であるカタリンさんに、多くの企業が話を聞きたがりました。
自分より先にmRNAの可能性を理解している人たちに会うのは、彼女にとって初めての経験だったそうです。ペンシルベニアに席を失った彼女は、どこかで働かなければならない状況でもありました。
そんな中、彼女はビオンテックに入ることになります。
ドイツに拠点を置くビオンテックの創業者、ウールさんとエズレムさんは、ともにトルコ移民の子どもだったそうです。二人は医者となり、病院のがん病棟で出会いました。
二人は、がん患者に対して治療方針が限られることに疑問を持っていました。
がんと一言で言っても、遺伝子の異常で起こるため無数の種類があります。しかし、たとえば大腸がんと診断されると、遺伝子的な共通点が少なくても治療方針は同じになりがちです。
選択肢は、放射線治療、手術、化学療法などに限られ、どれも健康な細胞まで傷つけてしまいます。
ウールさんとエズレムさんは、この行き詰まりを打開する新しい手段として免疫療法に注目します。
患者のがんに合わせて免疫細胞を活性化し、がんを攻撃してもらう。その発動のきっかけとしてmRNAが良いのではないかと考え、カタリンさんをビオンテックに招きます。
ウールさんが用意したのは、副社長のポストでした。
いきなり副社長。
准教授にもなれず、クビになった研究者を副社長として迎え入れる、という破格の待遇でした。
ただ、カタリンさんは研究がしたかったのです。副社長という立場ではそこが変わってしまうのではと感じます。
そこでカタリンさんが「私は研究がしたいんだ」と伝えると、ウールさんはポストはこれだが研究をぜひしてほしいと言ってくれたそうです。
単身赴任と、それでも続く逆境
もう一つ問題がありました。ビオンテックはドイツの会社なので、働くにはドイツへ行かなければなりません。
カタリンさんは夫のベーラさんに相談します。ベーラさんは、君は行くべきだと背中を押しつつ、こう言ってくれたそうです。
もちろん君は行くべきだよ。ただ、家族の場所も必要だと思う。ドイツでうまくいかなかった時に、戻ってこれる場所がないとダメだよ。
だから自分はアメリカに残って家を守る、とベーラさんは言ってくれたそうです。こうしてカタリンさんは単身赴任でドイツへ向かいます。
彼女の目算は、修飾mRNAを使った薬が実用化され、最初の患者の治療が始まったら帰る、というものでした。数年のつもりが十七年になったハンガリー時代と重なる、と話されています。
ドイツに移った時、カタリンさんは五十八歳になっていました。マインツの質素なアパートに移り住み、毎朝5時に起きて出勤前にライン川をジョギングしていたそうです。
ビオンテックは国際色豊かで、65カ国から研究者が来ていました。カタリンさんはここで初めて、人を使って実験をできるようになります。
ここに来てやっと、指示することができるようになったんですね。
五十八歳まで自分でピペット操作などの細かな実験を続けていたことに、二人は驚いています。
ビオンテックでは、以前から取り組んでいたHIVワクチンの研究も支援を受けて続けられました。
さらに2018年には、大手ファイザー製薬とmRNAをベースにしたインフルエンザワクチンの共同開発もスタートします。思いつくプロジェクトが何でもできるようになった時期だったと語られています。
しかし、順風だけではありませんでした。2016年、カタリンさんは耳下腺がんになります。
娘のスーザンさんがカリフォルニアから看病に来てくれましたが、二人ともドイツ語がわからず、医者の説明を理解するのに苦労したそうです。何度か手術を受け、その後遺症で数か月間、片方の目が閉じられず顔の半分が麻痺したと話されています。
2018年には、お母さんが腎不全で89歳で亡くなります。34年前に亡くなったお父さんのお墓に、お母さんの遺灰を埋葬したそうです。
一方で、うれしい出来事もありました。2019年、引退したスーザンさんから「大事な人ができたの」と電話があり、恋人のライアンさんを連れてドイツにやってきます。
背が高く少年のようなライアンさんに、カタリンさんは両手を広げて抱きつき、こう声をかけたそうです。
イェガーマイスターを一杯どう?
イェガーマイスターは薬草酒で、番組では養命酒のようなものだと説明されています。お祝いの一杯だったようです。
そして2019年、いよいよコロナが騒がれ出す少し手前の年に、話は差しかかります。
1988年頃にアメリカに来てから、mRNA研究に取り組んできた年月は三十年から四十年近くにおよびます。
ずっと停滞した十七年間で、ここちょっとこの数年間で大手企業とタイアップして、ワクチンっていうところに。
停滞していた長い年月の後、この数年で大手企業と組み、ワクチン開発へと進み始めた矢先に、コロナがやってくることになります。
まとめ
Part.13では、大学を追われたカタリンさんが、ドイツのビオンテックで副社長として迎えられ、研究を続けながら再起していく過程が語られました。逆境と喪失が続く一方で、時代はmRNAへと確実に動き始めていました。
- 娘スーザンさんは五輪で金メダルを二連覇し、カタリンさんは二度金メダリストの母となった。
- 大学は特許をよその会社に売り、カタリンさんは自分の発見を使うのにライセンス料を払う立場に追い込まれた。
- 2013年、十七年在籍したペンシルベニア大学の実験室から、カタリンさんは追い出された。
- ビオンテックの創業者ウールさんとエズレムさんは、がん免疫療法の発動役としてmRNAに注目し、カタリンさんを副社長として迎えた。
- 五十八歳で単身赴任し、がんや母の死を経ながらも研究を続け、コロナ流行の直前まで来たところで今回は終了となる。
