新アシスタントを迎えて始まる第3回
この番組「生命科学の冒険者」は、生命科学のブレイクスルーを成し遂げた研究者の人生と、その背後にあるドラマを紹介する番組です。第3回からは新しいアシスタントを迎えてのスタートとなります。
これまでアシスタントを務めていた山崎愛子さんが多忙となり、志田美晴さんにバトンタッチすることになりました。あきさんは、この業界のことをある程度わかっている人でないと難しい面もあると考え、研究者である志田さんに依頼したと話しています。
私はですね、研究者であります。専門にしているのは生命科学で、再生医療とかそういったところが得意分野になります。
技術的なところはよく知ってるんですけれども、研究者たちがどういった人生を歩んできたのかとか、そういったところはやっぱり知らないところですので、この中でいろいろお話を聞けることを楽しみにしております。
3人目に選ばれたのはPCRの発明者
第3回で紹介するのは、PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)を発明した、アメリカ人科学者キャリー・マリス博士です。
PCRは、COVID-19の感染者を見つける検査で「PCR検査」という言葉が一般化したことで、多くの人に知られるようになりました。あきさんは、かつてPCRを販売する仕事に長く関わっていたため、この言葉がここまで一般化したことに驚いたと語ります。
キャリー・マリスは1993年、PCRの発明によりノーベル化学賞を受賞しました。狙った部分のDNA断片を、2倍、4倍、8倍と指数関数的に増やし、目に見える量まで増幅できる技術です。
まあもう本当、人生が面白いというかですね、めちゃめちゃチャラいんですよね。チャラい天才科学者というところで、このキャリー・マリスを取り上げたいと思います。
PCRとともに歩んだキャリアと初めて見たDNA
あきさんにとって、PCRは人生の大きな部分を占める技術です。最初のキャリアはテクニシャンとして研究を補助する仕事で、DNAの配列を読むサンガーシーケンサーを毎日動かしていました。
その作業では、PCRの機械(サーマルサイクラー)で調整した溶液を、60センチほどの長いアクリルアミドゲルに乗せて動かしていたといいます。キャリアの最初からPCRに触れ、その後はPCRを売る仕事へと続いていきました。
(PCRは)僕の人生の中でかなり大きな部分を占めてるものになりますね。なのでこのマリス博士をご紹介できるっていうのは、ちょっとやりたかったことなので、今回すごい楽しみにしてます。
あきさんは、学生時代にPCRの技術を知ったときの衝撃を今も覚えていると話します。こんなに簡単にDNAを一気に目に見える量まで増やせることに驚いたといいます。
さらに、電気泳動でDNAを蛍光染色し、UVの光を当てて一本のバンドとして見えた瞬間の感動も語られました。DNAがきれいに大きさで分けられることに感激したそうです。
(DNAが蛍光で)一本のバンドっていう形で目に見えるんですけど、それを見た時に、うわぁ、DNAって綺麗だなと思って。こんな綺麗にきちっと大きさ分けできるんだって、すごい感動したのを覚えてます。
親子鑑定と、そっくりな親子のエピソード
志田さんは、PCRの用途を整理します。COVID-19の検査ではバンドが出るか出ないかで判定しますが、社会的に先に実用化されたのは親子鑑定や犯罪捜査での個人同定でした。
(PCRは)本当にそういったことに使われて、世界でいろんなところで貢献しているPCRですけど、じゃあそれを開発したキャリー・マリスさんはどんな人生を送っていたのかっていうのは、本当にますます聞いてみたくなりました。
あきさんは、初めて入った会社が日本でPCRを広めた企業で、親子鑑定にも関わっていたと明かします。弁護士が同席する中、子供と父親それぞれのほおの内側の粘膜を綿棒で採取し、DNAを取ってPCRで鑑定していました。
あるケースでは、自分の子ではないと言い張る父親と子供が見た目でそっくりだったといいます。鑑定するまでもないと感じたエピソードとして語られました。
志田さんは、生まれたばかりの子供の顔は父親に似るといわれる説を紹介します。父親には自分の子かどうかわからないため、赤ちゃんが身を守るために父親側の顔に似るのではないか、という仮説です。
PCR検査が生んだ冤罪と、技術の改良
志田さんは、犯罪捜査で使われたPCR検査が、初期には冤罪を生んでしまったと指摘します。ただし現在のPCRの精度は大きく改善されており、誤判定の心配はないと補足しました。
あきさんは、その仕組みを説明します。DNAには個人ごとに繰り返し回数が異なる領域があり、その長さで個人を同定していました。
ただし繰り返し回数が近い場合、電気泳動で見ても長さの差が小さく、区別を誤ることがありました。それが過去の冤罪の一因になり得たといいます。
現代では、DNAの並び自体を文字として読めるDNA診断検査が安く簡単にできるようになり、こうした間違いは起こらなくなったと説明されました。
二人は、技術を社会で生かすうえで、初期の間違いが不信感につながる点を話し合います。あきさんは、コロナワクチンへの忌避感の背景にも、過去の薬害の記憶があるのではないかと語ります。
技術が最初に世に出てきた時っていうのは、何かしらやっぱり足りない部分があって、事故が起こったりとか、間違いが起こったりとかするもんなんだろうなと思うんですけど、それは最終的に解消していってですね、よりいいものができていく。
志田さんは、初期のiPhoneが画面が割れやすくバッテリーもすぐ切れた例を挙げ、技術は改良されていくものだと応じました。
1944年、家具販売員の父と自由奔放な母のもとに
ここからキャリー・マリスの生い立ちに入ります。1944年12月28日、アメリカ・ノースカロライナ州レノアで、家具販売員の父セシルと、母バーニスの間に生まれました。
母親は自由奔放で、自由な育て方をする面白い人物だったと紹介されます。両親はキャリーが大学生だった1960年代に離婚しました。
離婚後、母親は不動産ブローカーとして大成功し、単身でキャリーと兄弟たちを養育しました。話し上手で人に好かれる人物だったといいます。
志田さんは、アメリカで不動産ブローカーは高給取りのイメージがあり、成功するにはバイタリティが必要だと補足します。あきさんは、同じく不動産で成功した例としてトランプ大統領を挙げました。
生き物に夢中~毒蜘蛛とスズメバチを戦わせる少年
子供時代のキャリーは、いろいろなものに夢中になる少年でした。まず夢中になったのが生き物です。祖父が酪農をしており、乳搾りを手伝いながら生物観察をしていました。
いたずら好きでもあり、牛を電気柵に触れさせてからかう遊びを考えたり、弟とガラス瓶に違う種類の虫を入れて何が起こるかを観察したりしていました。
毒蜘蛛のブラックウィドウとスズメバチを瓶に入れると、一気に取っ組み合いが始まり、それが面白かったといいます。カマキリにハエを与えて食べる様子を観察することもありました。
さらに、赤アリのアリ塚の上に手を置き、アリがどうするかを実験しています。手を動かさなければアリは何もしませんが、動かした途端に一斉に噛みついてきたそうです。
少年キャリーはアリに手を噛まれまくり、パンパンに腫れることもありました。母親は虫に触ってはいけないと言っていましたが、ダメと言われるとやりたくなったのだろうと語られます。
スズメバチも刺されると結構腫れますし、やっぱりそういうものでも触ってみたいっていう好奇心がどちらかというと強かったっていうところなんでしょうね。
電気に夢中~6歳で作った磁石のオートロック部屋
次にキャリーが夢中になったのは電気です。6歳頃から電気に熱中し、最初は電池で豆電球を光らせていましたが、すぐに飽きて家のコンセントから直接電気を取るいたずらを始めます。
コンセントをショートさせると大きな火花が散り、それが楽しくて、銅線を突っ込んでショートさせる遊びを繰り返しました。どのコンセントをショートさせるとどのブレーカーが落ちるかを完全に覚えてしまったといいます。
母親は、ブレーカーを落とすたびに注意はしましたが、それ以上怒ることはなかったため、キャリーはショート遊びを繰り返しました。
自分の子供部屋では、スチームヒーターの電球部分から電力を取り出せるよう改造し、ドアには電磁石で作動するロックを取り付けました。手持ちの磁石で外から動かして開け閉めする仕組みです。
これをわずか6歳で作り上げ、親ですら入れない完全なプライベート空間を実現しました。6歳で磁石式のオートロック部屋を自作したという逸話です。
遠隔で開け閉めするドアにしてしまおうっていう、その発想もなかなかこの年で浮かぶっていうのはすごいですよね。
さらに、壊れた洗濯機を分解して仕組みを調べ、水を貯めたり排水したりするソレノイド(電磁石で開閉する弁)を取り外しました。これを地下室のドアに取り付け、自分の部屋から遠隔操作できるようにします。
両親は毎晩そこに犬を閉じ込めていましたが、キャリーは自室からバルブを操作してドアを開け、犬を逃がすいたずらをしていました。
化学に夢中~7歳の化学実験セットと爆発への熱中
もう一つ夢中になったのが化学です。7歳の11月、母親が通販カタログを見せてクリスマスプレゼントを選ばせたところ、キャリーはギルバートの化学実験セットを選びました。
不思議な名前の薬品が入った小瓶や試験管に魅了されたためで、そのセットには56種類の化学物質が入っていました。中には過マンガン酸カリウムや、爆弾製造に使われる硝酸アンモニウム、毒物まで含まれていたといいます。
当時のサウスカロライナ州コロンビアは寛容で、子供でも金物屋で導火線を買え、薬局で危険な薬品を個別に購入できました。
キャリーは、セットに入っていたアルミの粉と硝酸アンモニウムを試験管で混ぜ、アルコールランプで温めるという非常に危険な実験をします。火から下ろしても反応は止まらず、試験管が割れて大音響とともに爆発しました。
意味もわからず火薬を調合していたわけですが、この爆発遊びに夢中になっていきます。
ハマっちゃったわけですね。
ギルバートのシリーズには、ガラス製造セットや鉛鋳造セット、さらには放射線物質を扱う原子力エネルギーセットまであったといいます。当時は子供の事故も頻出したと紹介されました。
止めない母~規格外の少年を育てた原点
これらのいたずらや遊びは度が過ぎていましたが、母親はいつも禁止せず、爆発遊びに対しても家に火災報知器をつけただけで終わったといいます。
危ないのでやめてほしいっていう気持ちになるんじゃないかなと思うと、止めないっていうのはすごい寛大だなって思っちゃいますね。
あきさんは、ここでダメと言って何もやらせなければ、その後のキャリーの人生はなかったかもしれないと語ります。この母にしてこの子ありだと感じたそうです。
これが彼の原点になっているっていうところ。その元気を作ったお母さんっていうところですね。
まとめ
第3回は、PCRの発明者キャリー・マリスの少年時代を取り上げました。生き物・電気・化学に危険を顧みず夢中になった規格外の幼少期と、それを止めずに見守った母親の存在が、後の天才科学者の原点として描かれています。
- キャリー・マリスは1993年にPCRの発明でノーベル化学賞を受賞した
- PCRはコロナ検査だけでなく、親子鑑定や犯罪捜査での個人同定にも使われてきた
- 少年キャリーは毒蜘蛛とスズメバチを戦わせるなど、生き物への好奇心が強かった
- 6歳で磁石式のオートロック部屋を自作するなど、電気への理解が突出していた
- いたずらを禁止せず見守った自由奔放な母親が、彼の原点になったと語られている



