冷戦とスプートニクが変えたアメリカの科学教育
今回のエピソードは、PCRを発明したキャリー・マリスの少年時代を追う続編です。前回は、電気をショートさせたり化学物質で爆薬を作ったりする、度が過ぎた遊びに夢中だった幼少期が紹介されました。
キャリーが育った時代の背景として、あきさんはまず冷戦時代の緊張を挙げます。当時はソビエト連邦とアメリカ合衆国が、宇宙開発と核兵器開発を盛んに競っていた時期でした。
アメリカの子供たちは、ソビエトの脅威から核戦争が起こる可能性を、強い危機意識として持っていたといいます。小学校では、敵機が上空から核兵器を投下した場合の対処法を教える訓練まで行われていました。
具体的には、机の下に隠れる、道路を歩いているときは側溝に身を伏せる、といった身の守り方が教えられていたそうです。日本の避難訓練に近いものが、核を想定して行われていたことになります。
この危機意識を決定づけたのが、1957年の出来事です。ソビエトが人類初の人工衛星スプートニクを地球周回軌道に打ち上げることに成功しました。
直径60センチほどの小さな人工衛星ですが、その意味は平和的なものではありませんでした。ソ連がロケットで宇宙まで核兵器を届けられることを暗示していたためです。
宇宙まで届けた核兵器は大気圏に再突入し、アメリカ大陸まで届けられる。つまりソビエトがアメリカの各都市を核兵器で攻撃できるようになるかもしれない、という将来像に、アメリカ政府と国民は非常に慌てたといいます。
それまで宇宙開発にあまり力を入れていなかったアメリカは、脅威に気づいて教育システムの見直しから始めます。科学者を育てるため、科学教育を重視する政策に予算をつけたのです。
聞き手のとみーさんは、ソビエト崩壊も知らない世代だと話しつつ、核の脅威の大きさは理解できると応じます。教育を見直さざるをえなかった流れには納得できる、という反応でした。
でもそれがキャリーにとっては、すごい環境が整うというか、絶好のチャンスだったっていうところですよね。
ロケット燃料は「混ぜるな危険」の一行から
1959年、15歳になったキャリーは友人たちとロケット実験に夢中になります。最初の課題は、どんな燃料を作ればいいのかという点でした。
ヒントになったのは、友達が持ってきたロケットづくりの手引書でした。ただし、その本のほとんどは安全性に気を使いすぎて、役に立たない記述ばかりだったといいます。
そんな中で、たった一行がヒントになります。「過塩素酸カリウムと砂糖を決して混ぜて加熱しないこと」という注意書きでした。
これをやればいいんだ、やればとてつもない爆発力を得られるぞ、というふうにキャリーは考えます。
やるなって言われてもやりますからね。むしろやるなって言われたからやりたいみたいなところですよね。
キャリーは近くの薬局で過塩素酸カリウムを探しますが、店にはなく、代わりに硝酸カリウムがあると言われます。似たような物質だしなんとかなるだろうと考え、それを買うことにしました。
もう一つの材料の砂糖はスーパーで手に入ります。硝酸カリウムと砂糖の混合比を、いろいろな割合で混ぜて燃やしながら探っていきました。
その結果、一番よく燃焼して燃えカスが出ないのは、体積比で1対1に混ぜたときだと分かります。次は、これをいかに効率よくロケットに詰めて燃焼させるかという実験に進みました。
「目を吹っ飛ばされないでね」母の緩すぎる注意
1対1で混ぜても、粉の状態では砂糖の多い場所と硝酸カリウムの多い場所ができ、ムラが残ります。ムラがあると綺麗に爆発せず、燃えカスが残ってしまうのが問題でした。
そこでキャリーは、テニスボールの缶に2つの材料を1対1で入れ、バーベキューグリルの炭火で熱して砂糖を溶かし、硝酸カリウムと均一に混ぜ合わせる方法をとります。
混ぜるときに激しく動かすと爆発してしまうため、温度が上がりすぎないように調整しながら、ゆっくり混ぜるのがコツでした。中に赤い点々が見えたら爆発反応が始まる合図で、その場合はすぐに置いて逃げたといいます。
この危険な作業を、キャリーの母親は家の窓越しに見ていました。そして、あまりにも軽い調子で注意の声をかけたそうです。
それぐらいの目が吹っ飛ぶほどの爆発だったし、中を見ないといけないから覗き込んでるからっていうことですよね。
キャリー自身も爆発の前兆が分かっていたため、「ママわかってるよ」とだけ答えて実験を続けたといいます。あきさんによれば、実際に事故は結構起こっていたものの、本人たちが怪我をすることはなかったそうです。
警察官が咎めるどころかアドバイス
均一に溶けた燃料は、ロケット本体になるパイプに詰められます。詰めた後、テストで打ち上げるのが実験の流れでした。
初めてのテスト打ち上げのとき、事件が起こります。鉄パイプに詰めたロケットが自分の敷地に落ちてきたら困ると考えた近所の人が、警察に通報したのです。
キャリーは警察官に気づいてテストを止めようとしましたが、友達は気づかず導火線に火をつけて打ち上げてしまいます。ところが、駆けつけた警察官の反応は意外なものでした。
もう怒るより先に、なんかアドバイスをくれたみたいで、「君たちの中に運転免許証と車を持ってる者はいるか」って聞いてくれたみたいなんですね。
警察官は、少し離れたところに大きな空き地があるから、そこでやるといいとアドバイスします。当時はのんびりした時代で、特に咎められることはなかったといいます。
とみーさんは、通報が出るということはやはり自分の家の庭ではロケット実験には狭かったのだろう、と受け止めます。場所の広さが、こうした実験の前提になっていたわけです。
ステンレスの羽と溶接、少年たちの本格ロケット
ロケットは、羽であるフィンがついていないと、筒状のまま空中で回転してしまいます。弓矢の矢に羽がついているのと同じ理屈です。
そこでキャリーたちは、ステンレスの板を三角形に切り出し、本体のパイプに取り付けました。あきさんは、板を切る工具や溶接のような作業ができる道具が家に揃っていること自体が、いかにもアメリカ的だと話します。
15歳16歳の少年たちが、こんなことを普通にできる道具が揃ってるっていうのが、なかなかアメリカ的というか、面白いなと思いますね。
燃焼のさせ方にも工夫がありました。パイプに燃料を詰めるとき、真ん中に棒を突っ込んでおき、燃料が固まってからゆっくり引き抜きます。すると真ん中に穴が空き、ちくわのような状態ができました。
その穴に金物屋で買った導火線を下から上まで通すと、下から上へ均一に燃焼が起こることが、経験からわかったといいます。さらに燃焼部分には、漏斗のような円錐形のノズルを取り付け、パワーが本体に綺麗に伝わるようにしました。
こうして、そこそこのレベルの固体燃料ロケットが少年たちの手で完成していきます。材料の調達から加工まですべて自分たちで行った点に、とみーさんは強い熱意を感じると話しました。
やっぱり興味を持つっていうことと、そこにのめり込むっていう力が、やっぱり何か成功につながっているのかなっていう気がしますね。
カエルを宇宙へ、切り離しとパラシュートの発明
キャリーはロケットで何かを成し遂げたいと考え、目標を立てます。カエルを宇宙に打ち上げて、無事に帰還させるというものでした。実際には宇宙までは届きませんが、カエルを乗せることを構想します。
仕組みはこうです。捕まえてきたカエルを金属製のフィルムケースに入れ、その部分が熱くならないように周りを石綿で覆います。
燃料が最後まで燃えるとそこで爆発が起こり、カエルのいる上部がバコーンと切り離される。そして赤いパラシュートが開いて、ゆっくり帰還するという設計でした。
あきさんは、これが実際のロケットで燃料タンクを段ごとに爆発で切り離していく仕組みとよく似ていると指摘します。同じような仕組みをこの少年が自分で作ってしまったことに驚きを見せました。
なんかそれがもう自分で作ってるって考えてやってるっていうのが、もう発明ですもんね。
どこからそのアイデアを得たのかは、はっきりわからないといいます。もし自分で思いついていたのなら本当に天才だ、とあきさんは話しました。
大爆発と成功、分度器で測った到達高度
いよいよカエルの打ち上げ実験が始まります。ロケットは実験のたびに大きくなり、大きさは1.2メートルにまでなりました。
ところが最初の打ち上げでは、空中でロケットが大爆発を起こし、捕まえてきたカエルは亡くなってしまいます。大爆発したロケットは大木のてっぺんに墜落し、その木を1本燃やしてしまったといいます。
大木が燃えただけで済んでよかったと考えるべきかっていうところではありますけど、まあすごい大実験であることには間違いないですね。
キャリーたちはあきらめず、再びロケットを組み上げて飛ばします。今度は成功し、カエルを2.1キロメートルの高高度まで打ち上げ、パラシュートで無事に地上まで帰還させることができました。
なぜ2.1キロと推定できたのかというと、三脚の上に分度器を取り付けておき、赤いパラシュートが開いた位置を測って三角測量したためです。到達高度を測る準備までしていたことになります。
この実験には、いかにもアメリカらしいエピソードもあります。実験仲間のお父さんが、近くの飛行場から自家用のセスナで飛び上がったところだったのです。
その飛行機は、少年たちの実験を知らずに空き地の上空を通りかかります。ちょうどそのとき打ち上げられたロケットが、飛行機のすぐ横をものすごい勢いで飛び上がっていったといいます。
そんなのね、人生最初で最後じゃないかっていうぐらいね、ことだと思いますね。
このロケットの打ち上げは地元の新聞にも取り上げられたそうです。あきさんは、キャリー本人がこの頃の話をTEDで面白おかしく語っており、YouTubeで見られると紹介しました。
高校の化学教室と、事故で終わったサイエンスショー
ロケット実験に夢中なまま、キャリーは中学、高校時代を過ごします。進学したのはドレア高校で、そこには化学教室があったといいます。あきさんは、これも科学教育に予算をつけたアメリカ政府の政策の影響ではないかと推測します。
ただ、化学はほとんどの高校生にとって楽しい分野ではなかったようです。化学教室に入ったのは、キャリーと、一緒にロケット遊びをしていた友人のアル・モンゴメリぐらいでした。
先生は、放課後に化学教室へ自由に出入りして遊ぶことを許してくれたといいます。危険な薬品が並ぶ中でも自由に遊ばせてくれた、まだ寛容な1960年代でした。
何かもしかすると先生も才能を感じたのかもしれないですね。
キャリーは「青年エンジニアリング技術協会」という勝手な組織を立ち上げ、自ら代表になります。そしてアルと2人で小学校を回り、サイエンスショーを行いました。
ショーでは必ず、最初に目を引くキャッチーな実験をするようにしていました。アルコールランプでヨウ素と過塩素酸カリウムを入れた陶器の皿を熱し、フラッシュのような強い光を出す実験です。小学生たちはこれに釘付けになったといいます。
ところが自宅近くの小学校でのショーで、試薬の調合量を間違えてしまいます。舞台の上で大爆発が起こり、反応液や皿の破片が辺り一面に飛び散りました。
最前列の生徒の1人が、飛び散った皿の破片でおそらく怪我をし、教師に舞台裏へ連れて行かれます。床には、その生徒が流した赤い血の跡が点々とついていたといいます。
あっけにとられた小学生たちを前に、キャリーはどうすることもできず、しかたなく舞台に戻ってアイザック・ニュートンの話などをしてごまかしたそうです。
ショーを普通だったら終了させるよなって思うんですけれども。
ショーの後、舞台裏で怪我をした少年と出会います。おでこには血の痕があり、飛び散った破片がまだ張り付いていました。それでも少年は怪我を気にするどころか、むしろ誇らしげだったといいます。
キャリーは破片を取りながら「このことは内緒にしといてね」と伝えます。少年もそのことを両親に黙っていてくれたようで、その後この件が問題になることはありませんでした。
その誇らしげに思ったっていうとこもね、なかなか面白いなと思いますけど、やっぱり最前列で聞いてくれるぐらいですから、科学が好きな少年だったのかもしれないですね。
あきさんは、破片がおでこで済んで目に入らなくてよかったと振り返ります。今なら間違いなく大問題になる出来事だと、2人は口をそろえました。エピソードは、この続きを次回に送るとして締めくくられます。
まとめ
今回は、冷戦とスプートニク・ショックで科学教育が重視された時代を背景に、キャリー・マリスが爆薬づくりから自作ロケット、カエルの打ち上げ、サイエンスショーへと突き進んだ少年時代がたどられました。危険と隣り合わせの遊びを支えたのは、並外れた好奇心と、それを許容した当時の緩やかな環境でした。
- 1957年のスプートニク打ち上げがアメリカに衝撃を与え、科学教育重視の政策が科学好きの子供たちに追い風となった
- キャリーは「混ぜるな危険」の一行をヒントに燃料の混合比を探り、羽やノズル、切り離し機構まで備えた固体燃料ロケットを自作した
- 最初はカエルを失い大木を燃やしたが、再挑戦で2.1キロの高高度からカエルをパラシュートで無事帰還させた
- 高校の化学教室を拠点にサイエンスショーを行うなど、興味にのめり込む姿勢が後の発明につながる原点として描かれた
- 爆発事故で生徒が怪我をしても問題にならなかったエピソードには、寛容だった1960年代の時代性がにじむ


