原理を思いついた後の不安と、周囲の冷たい反応
山荘での週末を終え、キャリー・マリスはシータス社に戻ります。
ここで彼は不安に駆られます。これほど単純な方法を、なぜ今まで誰も思いつかなかったのか、という不安です。
当時はインターネットがありません。マリスはシータス社の図書館の司書に頼み、PCRのような論文が過去にないか探してもらいました。
しかし、そのような論文は見つかりませんでした。社内の研究者やテクニシャンに聞きまくっても、同じことを知っている人はいませんでした。
先行技術はなさそうだとわかり、マリスは有頂天になります。そして鍵となるDNAポリメラーゼについて深く調べ始めますが、やはり先行研究はほとんどありませんでした。
ところがマリスは、このあと数ヶ月間、PCRについて特に何もせずに過ごしたようです。仕事が忙しかったことに加え、山荘に同行していた恋人ジェニファーとの関係が終わりかけ、情動的にも大変だったと話されています。
さらに、思いついたアイデアを周囲にはしゃいで話したものの、他の研究者の反応は否定的で、やる気をなくしてしまったこともあったようです。
思いついたところから何か一つものにしていくとなった時に、少なくとも一人の理解者がいて、手伝ってくれる環境がないと、なかなか進めていくのは難しいのかなと、研究をやっていて感じます。
否定派が多いのは全然問題ないというか、新しい技術だとよくあることなんですけど、やっぱり一人の理解者という存在は大きいのかなという気はしています。
最初のPCR実験、狙いすぎた設計と失敗
マリスはこのアイデアを、シータス社が半年に一度開く定期セミナーで発表します。
少数のテクニシャンは面白そうだと言ってくれましたが、ほとんどの人は否定的でした。話が終わる前に部屋を出て行く人もいたそうです。マリスは普段からおかしなアイデアを披露していたため、また何か言っている、という受け止め方だったようです。
当時のシータス社は、ある製品の販売開始に向けて追い込まれており、社内に余裕がなかった事情もありました。うまくいくなら早く結果を見せてほしい、という空気もあったと話されています。
ようやく重い腰を上げたマリスは、1983年9月から12月にかけて実証実験に取り組み始めます。
最初のターゲットに選んだのは、ヒトのゲノムDNAでした。ジェネティック社が塩基配列を発表したばかりの、ヒト神経成長因子の400ベースペアの遺伝子を狙います。
現在のPCRでは、酵素が働きやすいpHや塩濃度に整えたバッファーに、鋳型DNA、両端を指定するフォワードとリバースのプライマー、DNAポリメラーゼ鋳型を元に相補的なDNA鎖を合成する酵素。プライマーがついた位置を起点に、材料の塩基をつなげて新しい鎖を伸ばします。、材料となるdNTPを入れます。
そのチューブを、温度を自動で上げ下げするサーマルサイクラーにセットして増幅します。ただしマリスの最初の実験は、ここまでエレガントなものではありませんでした。
マリスはまず、水とバッファー、鋳型のヒトゲノムDNA、フォワードとリバースのプライマー、材料のdNTPを入れます。当時使えたのは、大腸菌由来のクレノフラグメントというDNAポリメラーゼでした。
まず熱をかけて二本鎖DNAを一本鎖に剥がし、温度を冷ましてからクレノを加え、一晩放置します。プライマーが張り付き、そこを起点に伸長反応が起こることを期待したわけです。
翌日、再加熱して一本鎖に戻しますが、クレノは熱で死んでしまうため、再びクレノを加えます。検出用に、放射線を発するdCTPも加えました。
増えたDNAが放射性dCTPを取り込んでいれば、検出できて成功とみなせる仕組みです。マリスはこれをたった2サイクルしか行いませんでした。
増えたはずのDNAを電気泳動し、ブロッティングでメンブレンに移し、X線フィルムを当てて確認します。しかし結果は、フィルム上に黒いシミを作っただけで終わってしまいました。
結構手の込んだやり方になってしまうので、どこかのところでうまく噛み合っていないと、どうしてもうまくいかないというところなのかなと思いますね。
実験の初心者がよくやってしまいがちなんですけれど、何でも盛り盛りにしてしまうと、結局どこが悪かったのかわからないんですよね。
卵料理を作るなら、まずは目玉焼きを作って、何度くらいがいいかなと見てみる。そうやって一つずつ条件を決めていくのが一番早い気はします。
試行錯誤の末、「うっすらと見えたバンド」
マリスは2回目の実験を行います。手順は同じですが、加熱してクレノを加える工程を今度は10回ほど繰り返しました。
しかし、電気泳動もX線フィルムでの検出も、結果は同じでした。
その後2ヶ月間、酵素の反応温度やプライマーの量など、様々なパラメータをいじりましたが、成功の可能性は全く見えませんでした。
そこでマリスは、ようやくモデル系をもっと単純にすることを考えます。
今の時代とは違うので、うまくいかなかった時に、この工程まででうまくいっているか確かめる、といったことがなかなかできなかったのかなと思います。だからこそシンプルな系にするのが唯一の解決策だったのかなと思いますね。
マリスが有機化学者であり、バイオ系の人間ではなかったことも背景にあると話されています。実験の進め方に、いまいち踏み込めなかったのかもしれません。
新しい標的として、大腸菌が持つ小さな輪っか状のDNAであるプラスミド大腸菌などが持つ、染色体とは別の小さな環状DNA。研究で扱いやすく改変され、当時から広く実験に使われていました。、PBR322を選びます。
プライマーはフォワード側11ベースペア、リバース側13ベースペアと短く、間の長さは25塩基でした。プライマーを含めても50塩基対に満たない、ごく小さな部分を増幅させる設計です。
鋳型のプラスミドは従来のゲノムより多く、酵素は少なめ、反応温度は37度から32度ほどに下げ、反応回数は10回としました。
電気泳動してX線フィルムで見ると、マリス曰く、すごくうっすらとバンドがあるように見えたのです。ついに成功のきっかけをつかみました。
おー、なんかもうゼロイチというか、というところの感触ですね。
感度が足りないと感傷に耐えられないと考え、最後に加える放射性dCTPの量を増やして再挑戦します。すると、うっすら見えたバンドが少し濃く見えたそうです。
大興奮したマリスは実験室を飛び出し、近くにいた特許弁護士のアル・ハルイン{要確認: アル・ハルイン}を暗室に連れ込み、フィルムのバンドを見せました。アルは「おめでとう」と言ってくれたそうです。
標的を変え続けたスランプと、成功への手応え
ところがマリスは、これが本当に増えたDNAなのかを確かめる追試をせず、今度はラムダファージのDNAへと標的を変えます。
プラスミドが約4300ベースペアだったのに対し、ラムダファージは5万ベースペアと、10倍以上大きなDNAでした。案の定、また全然うまくいかなくなります。
何がダメだったのかわからず、スランプということですね。
せっかく道筋が見えたと思っても、またわからなくなる。ここでかなり絶望して諦める方もいるんですけど、キャリーはそこは諦めずに、ですね。
マリスはラムダファージから、さらに標的を単純な系に戻します。今度はプラスミドより短い、自分で合成した100ベースペアのオリゴDNAを鋳型にしました。
しかし、プラスミドではうまくいったような実験だったのに、なぜか今回はうまくいきませんでした。
原理を思いついてから約1年後、マリスは標的をヒトゲノムに戻し、社内で開発されていた鎌状赤血球の遺伝子診断に関わる、βグロブリン遺伝子の点変異を含む58塩基を狙います。
いろいろやっているうちに、徐々にPCRが成功するようになってきたそうです。ただし、これはあくまでマリス本人の言い分だと話されています。
PCRって、同じ人がやっても出なかったり、ちょっとしたことでうまくいかない実験、というイメージは私自身は持っていますね。
粗くやるとやっぱりダメなんだろうなと思いますし、なぜかあの人がやるとちゃんと出るよね、というのもありますし。バイオの実験って、どこが原因かわからないけど、あの人がやればうまくいく、というのが結構よくありますよね。
様々なパラメータを試すうちに、マリスの中にも、こうすれば成功するのではないかという勘が溜まっていったのだろうと考えられます。
痴話げんかと執行猶予、それでも続く挑戦
1984年6月、社内で最初にPCRのアイデアを話してから10ヶ月後、シータス社内の研究集会が開かれました。
マリスはこれまでのPCR研究をポスターにまとめて発表します。βグロブリン遺伝子の58塩基のPCRに成功した、という内容でした。
ところがこの時、マリスは別の問題を起こしていました。社内恋愛の末に、派手な痴話げんかを社内で繰り広げ、多くの人間を敵に回していたのです。
技術云々以前に、キャリー自身の人となりのところで、感情的なものがちょっと会社の中に広まっていたということですね。
結局、うまくいっているというPCRの発表は見向きもされませんでした。イライラを募らせたマリスは、発表会後のパーティーで他の研究者と小突き合い、怒鳴り合うという醜態をさらしてしまいます。
それはもう事件のレベルですね。
この事件で、キャリーをクビにしろという社内圧力が高まります。判断は、彼を会社に呼び寄せたトム・ホワイトと、経営者の一人ジェフ・プライスに委ねられました。
トム・ホワイトはPCRがものになるかもしれないと考えており、なんとかクビにしない方向で話し合います。ただ、他の社員からの圧力も強く、何らかの罰は避けられませんでした。
マリスはDNA合成グループのリーダーから外され、PCR研究について半年に一度のレポート提出を義務づけられます。成果を出す期限は1年間とされました。
一年って結構短いですよね。研究テーマとして考えたら、短くても二年とかのイメージなので、キャリーだからこそできるんじゃないかという期待もあっての一年なのかなという気もしますね。
トム・ホワイトは、マリスがあくまで有機化学合成の専門家であり、生化学や分子生物学の知識はないと考え、それをサポートしていくことにします。
まとめ
PCRの原理を思いついてから最初の成功まで、キャリー・マリスは失敗と試行錯誤を重ね続けました。標的を狙いすぎた最初の実験、標的を変えては失敗を繰り返す姿、そして周囲との衝突。それでも諦めなかったことが、次への一歩につながっていきます。
- 最初のPCR実験は、標的も工程も複雑すぎて失敗に終わった
- モデル系を単純化したことで、初めて「うっすらとしたバンド」が見えた
- 標的を変え続けてスランプに陥りつつも、パラメータ調整の勘が蓄積されていった
- 痴話げんか事件でクビの危機に陥るが、トム・ホワイトの支援で一年の執行猶予を得た
- 一人の理解者の存在と、条件を一つずつ確かめる地道さが、発見を前に進める鍵だった
