DNAの化学合成という地道な仕事
前回は鎌形赤血球症の診断法をめぐる戦略と、サザンブロッティング法について解説されました。今回はキャリー・マリスが入社後に取り組んだ、DNAの化学合成の日々からたどっていきます。
マリスは入社時、DNAの化学合成の経験がありませんでした。そこで文献を調べて学び、合成を始めます。ただ、すぐに習得すると、今度はルーチンワークの多さに飽きてしまいます。
DNAは、グアニン、シトシン、チミン、アデニンという4種類の核酸が順番につながった1本の長い鎖です。AはTに、GはCにという組み合わせで水素結合し、二重螺旋を描いています。
合成は配列の逆側から進めます。たとえばAGCTを作るなら、まずカラムにTがついたものを用意し、そこにCの溶液を流し込んで結合させます。
このとき、余計な塩基が二重につかないよう、片方の手には保護基というキャップがはめられています。片手だけをポケットに突っ込んだような状態を作るわけです。
反応しなかった塩基にはキャップをはめ、次に結合させたい塩基のキャップを外す。この作業を溶液を変えながら1塩基ごとに手で繰り返していきます。
キャリーが求められていたのは10〜20塩基ほどの長さで、場合によっては100塩基におよびました。手作業では20塩基ほどを作るのに1カ月ほどかかったといいます。
手作業でやる場合、大体20塩基ぐらい作るのに1カ月ぐらいはかかったそうですね。本当にプローブを作るのは大変でした。
シーケンスを省いた「手抜き」への批判
この地道な作業を、キャリーはなんとか楽にできないかと考えます。会社側も、プローブを作る効率や生産スピードを上げるよう要求していました。
キャリー自身も、自分が手を抜くための工夫や、新しいことへの取り組みが好きだったため、ここに力を入れます。ただ、そのやり方は他の研究者から批判を浴びるものでした。
当時、出来上がったDNAは配列通りにできているかシーケンスで品質確認するのが一般的でした。キャリーはこれを省き、自分の作ったものは正しいはずだと納品してしまったのです。
当時はPCRのような増幅手段がなく、シーケンスには貴重なオリゴを大量に消費します。せっかく作ったものを検査で減らしてしまう問題もありました。
検査を省かれた側の研究者は、実験に失敗するとマリスのDNAが悪いと責めます。マリスはマリスで相手の実験が悪いと罵り、関係は険悪になっていきました。
マリスはシーケンスの代わりに、独自の理論で品質を判断していました。研究室にあった温度調節機能つきのUV吸光度測定装置を使う方法です。
キュベットにDNA溶液を入れ、260ナノメートルの紫外線を当てて吸光度を測ります。1本鎖と2本鎖で吸光度が変わる性質を利用し、温度を変えながら配列を予測したのです。
しかしこれはキャリー独自の理論だったため、批判者が多く、実験失敗の原因を押しつける格好の的になっていました。
俺の作ったオリゴDNAはきちんとできてるはずだということで、他の研究室に納品をするということをします。
シーケンスに対する絶対的な信頼度がこの研究分野にはありますので、それ以外の方法を取ること自体が、それに近い扱いを受けたのは頷けますよね。
独自理論の正しさが証明される
興味深いのは、このキャリーの独自理論が、今ではきちんと確立された測定技術になっている点です。
それがDNAの融解曲線、メルティングカーブです。DNA溶液を加熱し、二重螺旋がほどけて1本鎖になるにつれ紫外線の吸光度が増える現象を測るものです。
つまりキャリーは、後に理論として確立される手法を、当時すでに独自に先取りしていたと考えられます。それでも当時は信じてもらえませんでした。
対立があまりに激しくなったため、キャリーをシータス社に誘ったトム・ホワイトが動きます。当時は地位も上がっており、実際にシーケンスで確かめるよう命じました。
いくつかのオリゴでメルティングカーブとシーケンスの結果を突き合わせたところ、キャリーの理論はかなり正しいと証明されてしまいます。
キャリーは単にシーケンスが面倒でしたくなかっただけでしたが、頭の良さから他の研究者に理解できない正しさにたどり着いていたわけです。この件は一応の決着を見て、トム・ホワイトからの信任も厚くなりました。
トムさんのこの理解があるというか、この英断というか。
全体的には嫌われるけれども、こいつはできるやつだから置いておく。その考えはなかなか面白いなと思いますね。
とみーさんは、組織では感情論で嫌われた人を追い出す発想になりがちだと指摘します。そのうえで、理論を証明させたトム・ホワイトの姿勢に研究者としての意地を感じ取ります。
技術は移り変わる――手抜きが生む発展
ここから話は、手抜きをよしとしない風潮へと広がります。とみーさんは、料理の時短が邪道とされるような空気を例に挙げます。
手をかけて正確にやることが大事だという文化が根付いてしまうと、もっと簡単な代替手段があっても、なかなかそちらへ移行できないというのです。
時代時代で技術は移り変わっていくものですよね。だから頭を固くするんじゃなくて、柔軟に考えないといけないんだなと、改めて思いました。
あきさんも、手抜きのおかげでいろいろ発展してきた面があると応じます。とみーさんが「PCRも手抜きで、というところですもんね」と受けたとおり、この視点は今回の核心につながっていきます。
DNA合成の自動化とコンピューターへの没頭
シーケンスを省く手抜き技術を確立した後、キャリーの人脈が次の展開を呼びます。大学時代の友人でペプチド合成の専門家、ロン・クックの登場です。
ロン・クックはバイオリサーチ社で自動のDNA合成機を開発しており、その原型機をキャリーのラボに持ち込みました。手作業だった仕事が自動化できることにキャリーは夢中になります。
1カ月かかっていた仕事が1日で終わる。キャリーは商品化に向けたプログラミングを積極的に提案し、装置はすぐに彼のラボに設置されました。
その結果、シータス社はバイオ業界に先駆けてDNA合成を自動化できる研究室になりました。合成技術は急速に発展し、皮肉にもキャリー本来の仕事はほとんどなくなります。
空いた時間で、キャリーはコンピューターをいじり回す日々を送ります。研究室の仕事の管理を単純化するプログラムを考案し、最終的には自宅の端末から研究室の様子を見られるようにしてしまいました。
じゃあもうリモートで仕事ができちゃうってことですね。
出社もしなくていいようなぐらいにしてしまったみたいで。この時代にそんなことができたのかなという感じで不思議なんです。
2人はこれが40〜50年ほど前の出来事だと確認し合います。インターネットもSkypeもなく、電話回線で文字を送って楽しむ程度の時代でした。
当時できたことは限られていたはずですが、それでもキャリーは何でも自宅で見られるようにしてしまいます。あきさんはこれを「怠け者の極み」と表現しました。
何でもかんでも自動化して、自分が関わるところはなるべく少なくしていく。まさにこれがPCRを発明するヒントになったのかなと思うんです。
ドライブ中に訪れたPCRの着想
コンピューターに触れた経験は、キャリーに2つのヒントを与えたと考えられます。1つはループする作業がコンピューターの得意分野だという気づきです。
DNAの化学合成も、キャップをはめたり外したり、次の塩基を流し込んだりを繰り返す作業でした。もう1つは、メルティングカーブで見た1本鎖と2本鎖の吸光度の違いです。
そして1983年5月、金曜の夜のことです。キャリーは山荘での週末に向け、恋人で同僚のジェニファーを助手席に乗せ、ホンダのシビックで田舎道を何時間もドライブしていました。
ジェニファーが眠るなか、キャリーは鎌形赤血球症を起こす点変異を、サザンブロッティングを使わずに簡単に検出できないかと考え続けていました。
以下は、資料の食い違いをふまえてあきさんが再構成した思考の流れです。まずベータグロブリン遺伝子をサンガーシーケンスで直接読む案を試しますが、感度が低く点変異を正確に見るのは無理だと諦めます。
次に、配列を上端側と下端側の2つのプローブから読んで感度を2倍にする案も考えます。しかし元の感度が低すぎて、2倍でも足りないと退けました。
さらに、点変異を挟む上端と下端にプローブをデザインし、ポリメラーゼで伸長させる案へと進みます。ここで話にDNAポリメラーゼが登場します。
プローブを起点にDNAポリメラーゼで伸長させると、2本鎖が1本鎖になり、そこにプローブが貼り付いて再び2本鎖になります。キャリーはここで、DNAの量が倍に増えていることに気づきました。
あれ、これもしかしたら、もう一回繰り返したらさらに倍になるんじゃない?と思って。ここで非常に興奮します。
指数関数的な増幅と、原理の完成
興奮したキャリーは、すぐに車を道の脇に停めます。そして車内にあったレシートに計算を書き込んでいきました。
元のDNAを1000個とすると、1回で2000個、次に4000個、8000個と倍々に増えます。10回繰り返せば100万個、20回繰り返せばとんでもない数になると気づいたのです。
ここで新たな課題が浮かびます。ただ量を増やすだけでなく、電気泳動で検出するには同じ長さの産物だけができる必要がありました。
そこでキャリーは、以前考えていた上端と下端の2つのプローブで挟み撃ちする案を思い出します。片方だけでなく2つのプライマーを使って伸長させたらどうなるかを、図解で考えました。
すると、繰り返すうちに産物のほとんどが、2つのプライマーに挟まれた間の配列だけになると気づきます。長さのそろった産物だけが指数関数的に増える仕組みです。
山荘に着いてからも、キャリーは紙という紙をひっくり返して何度も図解を書き、頭の中でブラッシュアップを重ねました。
この過程で、当初の目的だったベータグロブリンの検出はもはや忘れられていきます。DNAを指数関数的に増やし、しかも電気泳動で検出できるという発見そのものに、彼は興奮していました。
この週末、アイデアを理解してくれそうな相手は恋人のジェニファーだけでした。しかし彼女は「うまくいきそうね」と言うだけで、湖畔での日光浴に夢中だったといいます。
話し相手がいただけ良かったかなというところですかね。
あきさんは、PCRの原理は言葉だけで説明するのが難しいと断ります。動画などの図解を見ながら解説を聞いてほしいと補足したうえで、今回はここまでとなります。
まとめ
地道なDNA合成を嫌ったキャリー・マリスの「手抜き」への執着が、シーケンスを省く独自理論、合成の自動化、そして1983年のドライブ中の着想へとつながっていきました。
- マリスは手作業のDNA合成を嫌い、UV吸光度による独自の品質判定で批判を浴びたが、後にその理論は正しいと証明された
- トム・ホワイトは感情ではなく理論の証明を求め、マリスの正しさを認めて信任を厚くした
- DNA合成の自動化で生まれた時間がコンピューターへの没頭を生み、ループ作業への理解がPCRの伏線となった
- 1983年5月、ドライブ中にDNAが倍々に増える仕組みをひらめき、2つのプライマーで挟むことで指数関数的な増幅の原理に到達した
