クビになった研究者が頼った一通の手紙
前回、研究所の閉鎖でカリコ先生は職を失いました。そこで彼女はアメリカへ渡ることを考え、旦那さんに相談したうえで、いろいろな研究者に「雇ってほしい」と連絡を取り始めたそうです。
最初に頭に浮かんだのが、アメリカのヌクレオシド類似体の研究者、ロバート・スハドルニク博士でした。
ヌクレオシド類似体は、DNAやRNAにとても似ていますが、化学的に少しだけ違います。その「似ているのに違う」性質が薬になります。
体を騙すってことですよね。
体を騙すって感じですね。例えばHIVウイルスは、感染すると体の中でRNAを使って増えていきます。
そこで、RNAによく似たヌクレオシド類似体を体内に入れておくと、ウイルスはそれを使ってコピーを作ろうとします。けれど類似体なのできちんと機能せず、結果としてウイルスが増えられなくなります。
がんでも同じ考え方が使われます。がん細胞が自分のDNAを複製するときに類似体を取り込ませると、うまく働かないDNAになり、がんが増えなくなるため、抗がん剤にも利用されているそうです。
カリコ先生は、こうした分野の第一人者であるスハドルニク博士に、雇ってほしいという手紙を書いてみたのです。
年俸17,000ドルのポスドクという出発点
カリコ先生は、2-5Aを合成して評価分析できることを証明した「これは私がやりました」という論文を博士に送りました。
その結果、年俸17,000ドルで1年間、ポスドクという立場で研究室で働けることになりました。
この待遇は当時としては良い方だったのでしょうか。
あきさんによると、ポスドクは研究者としての駆け出しの段階で、その中でもほんとうに駆け出しの給料だといいます。プロの研究者になっていく道のスタートに立った状態だったと話されています。
スタートってことですね。
ほんとスタートっていう感じですね。
雇ってくれる研究室のあるテンプル大学が保証してくれたおかげで、彼女はアメリカのJ1ビザを取得できました。
当初の計画は、1年間アメリカで働きながら学び、その後ハンガリーで職を見つけて帰る、というものだったそうです。
テディベアに隠した1200ドル
渡米にあたり、まずハンガリーで持っていた車を売って1200ドルを作りました。ところが、当時のハンガリーには外貨の持ち出し規制があり、持ち出せるのは50ドルだけだったのです。
50ドルって、すごい少ない。
これは、弱い国が外貨を多く持っておらず、自国民に外貨を渡すと貿易に使えなくなるためだと説明されています。加えてハンガリーでは、まとまったお金を持たせると亡命につながるため、亡命防止の意味もあったそうです。
あきさんは、自身の父親も大学生のころアメリカへ行こうとして、持ち出せる外貨が500ドルだったと聞いたエピソードを紹介しています。当時は1ドル360円の時代で、父親は日本円を服に縫い付けて向こうでドルに替えたそうです。
50ドルだけでは、家族3人が1日を過ごすこともできません。そこでカリコ先生は、娘スーザンが大好きなテディベアの背中の縫い目をほどき、その中に1200ドルを詰めて縫い直しました。
そして何も知らない娘にそのテディベアを持たせて出国したのです。
運び屋になってる。
運び屋ですね。
天国に思えたアパートと、ホタルの光
一家はフィラデルフィア空港に到着し、スハドルニク博士が出迎えてくれました。博士は住むアパートまで用意しておいてくれて、空港から車で連れて行ってくれたそうです。
ただ、アパートはハンガリーのものより不便で驚いたといいます。ハンガリーの部屋にはあった食洗機が、こちらにはなかったのです。
それでも、無事にたどり着けた彼女にとっては、そこは天国のように思えたそうです。何度も乗り換えて、疲れ切って着いたのでしょう。
リビングで夫婦そろって窓の外を眺めると、がらんとした土地に無数の黄色い点が点滅していました。ハンガリーにはホタルがいないため、これが初めて見るホタルだったそうです。
翌日からは、休みなしにさっそく働き始めました。ラボマネージャーのナンシーが家に迎えに来てくれて、実験室へ向かったといいます。
掃除から始まった研究生活と、謎のルール
研究室はとても小規模で、博士とラボマネージャーのナンシー、大学院生2人に、カリコ先生が加わる形でした。設備はハンガリーよりかなり貧相で、実験室自体も汚くほったらかしにされていたそうです。
RNAは唾や汗が混ざると速やかに分解されてしまうため、扱いには慎重さが求められます。汚い実験室では扱えないので、彼女はまず掃除から始めました。
もう初日、掃除から。
初日は掃除ですね。
もう一つ、おや?と思うことがありました。就業時間中に学術論文を読んではいけない、というルールがあったのです。
論文を調べるのも仕事じゃないの、と。自分の実験をより良くする方法を探しているのに、なんでこんなルールがあるんだろうと思ったらしいです。
これはハンガリーの研究のやり方とは違うルールでした。
一方で、生活は少しずつ回り始めます。旦那さんのベーラは何でも修理できる人で、誰もがお手上げの故障車も直せたため、ハンガリー出身の自動車整備士の仕事を手伝うようになりました。
娘のスーザンは保育園に通い始め、まだ小さかったため、あっという間に英語を覚えたそうです。
金網越しのプールと、押し付けられるヒエラルキー
アパートの近くには住民が使える共用プールがありましたが、入るには年会費が必要でした。
年俸17,000ドルは、感覚として当時の年収170万円ほど。3人の生活がやっとで、年会費は出せなかったようです。
そのため夏には、プールに入る人たちを、娘と一緒に金網越しに汗をかきながら眺めていたといいます。
アメリカに来れば光り輝く生活があると思っていた彼女は、そこにもレベルの差があり、自分たちはプールに入れないのだと思い知りました。差別ではなく、経済的な格差を痛感したのだと話されています。
格差は研究室の中にも強く表れていました。研究主催者のスハドルニク博士は、研究チームを管理監督し資金を調達するボスで、その下に研究員や大学院生、ラボマネージャーがいるヒエラルキーは絶対だったそうです。
ハンガリーの研究室が緩やかなチームだったのに対し、博士は自分を「ボス」と呼ばせ、上下関係をいい加減にすることは決して許しませんでした。ときには研究室に飛び込んできて、メンバーを怒鳴り散らすこともあったといいます。
カリコ先生自身は優秀だったからか、よく褒められ、怒鳴られることはありませんでした。それでも、みんなを怒鳴るやり方は理解できず、これがアメリカのやり方なのかと疑問を持ったそうです。
三本同時掲載の快挙と、レーガン時代の不機嫌なボス
一方で、カリコ先生の研究はとても順調でした。有名な科学雑誌Biochemistryの同じ号に、同時に3本の論文が掲載されるという快挙も達成しています。
特にうまくいったのが、二本鎖RNA(dsRNA)の研究でした。
ウイルスのRNAも二本鎖であることから、人工的に合成した二本鎖RNAを注入するとインターフェロン反応が起こり、ウイルスを退治する仕組みが発動します。これを応用してHIVの治療も試みましたが、残念ながら効果はなかったそうです。
それでも、dsRNAが免疫応答を引き起こすトリガーになるという発見は、当時としてとても大きなものでした。
ボスは相変わらず癇癪持ちで、研究室で誰かを罵っていました。その原因の一つが、当時のロナルド・レーガン大統領が科学分野への資金を絞っていったことだと説明されています。
科学者にとって不遇の時代で、ボスの不機嫌はそこから来ていたようです。1987年の大統領選では、レーガンに対抗する民主党の有力候補ゲイリー・ハートが期待されていましたが、女性問題が発覚して崩れてしまいました。
変わらないな。
もう今も昔も、なんか変わんないですね、ほんと。
このニュースに激怒したボスは、研究室でも当たり散らして怒鳴りまくっていたそうです。
ただ、カリコ先生はここで大事なことに気づき始めます。すべてのアメリカ人のボスがこうではなく、この研究室がおかしいのだ、と分かり始めたのです。
頼りがいのある夫と、困ったちゃんのボス
この回のまとめとして、二人は印象に残った点を振り返っています。まず、テディベアに1200ドルを忍ばせて、一家が無事アメリカに渡れたこと。
そして、雪かき器具から電線の配線、ボイラーの修理まで何でも直せる旦那さんのベーラの頼もしさです。カリコ先生は実験器具が壊れたときも装置を家に持ち帰り、ベーラが原因を突き止めて直してくれたそうです。
頼りがいあるなぁ。
頼りがいありますね。ほんと、こんな男になりたいなと思いますよね。
一方でボスは、アパートを用意し、雇い、ビザ申請にも協力してくれるなど最初は優しくしてくれた人でした。それでも、だいぶ変わった人だったと二人は話しています。
まとめ
Part.8では、職を失ったカタリン・カリコが家族とアメリカへ渡り、限られた資金と不慣れな環境の中で研究を再開する姿が描かれました。テディベアに隠した1200ドル、掃除から始まった研究生活、金網越しのプール、そして順調な研究成果と癇癪持ちのボスが、この時期の彼女の出発点を形づくっています。
- 研究所閉鎖で職を失ったカリコは、ヌクレオシド類似体研究者スハドルニク博士に手紙を書き、年俸17,000ドルのポスドクとして渡米した
- 外貨持ち出し規制により、車を売って作った1200ドルを娘のテディベアに縫い込んで持ち出した
- アメリカの研究室はハンガリーより設備が貧相で汚く、就業時間中の論文閲覧を禁じる謎のルールや強いヒエラルキーがあった
- dsRNAがインターフェロン分泌を引き起こす発見など、研究は順調で、Biochemistry誌に同号3本掲載の快挙も達成した
- 彼女はやがて、怒鳴り散らすボスの姿は「アメリカ全体のやり方」ではなく、この研究室特有のものだと気づき始めた
