十分の一の狭き門を突破した大学受験
カリコ先生のセゲド大学受験の話から今回はスタートします。日本の大学受験のように大教室で筆記試験を受けるイメージですが、規模はかなり違ったようです。
筆記試験の会場には200人以上いたそうですが、受験生の総数ははっきりわからなかったといいます。この200人は1会場の人数で、複数の会場に分かれていた可能性もあると話されています。
筆記試験のあとには口頭試験があり、そこで三、四十人ほどに絞られます。最終的に合格するのは十五人から二十人ほどで、正確な合格人数が決まっているわけではなかったようです。
なるほど、十分の一だ。
優秀な学年なら合格者が多くなり、そうでなければ少なくなる仕組みだったと考えられます。いずれにしても、非常に狭き門でした。
見事に合格したカリコ先生は、その時に高校時代の出来事を思い出したそうです。
些細な嫌がらせで人生をダメにしようとする人もいる。合格したその時に、みんなが応援してくれるわけではないのだと感じたと書かれています。
あきさんも、みんなと仲良くできるわけではないと後の人生で気づいたと振り返ります。一方でカリコは、それを大学入学というかなり早い時期に悟っていました。
でも早いですよね。私は社会人になってそういうのを知ったので。
作った家を離れ、いよいよ始まる大学生活
ハンガリーの大学は五年制だったようです。最初は講義が多く、学年が進むにつれて研究室での実験が重要になっていく流れだと話されています。
五年の課程を修了すると、制度上「生物学者」という肩書きを得られます。カリコは生物学を専攻していました。
その先、五年後からは博士課程が始まります。1973年当時、それは登りきれない山のように長く先に感じられたものの、早くそこへ行きたいとも思っていたそうです。
セゲドは実家のあるキシュウーサーッラーシュから離れているため、住むために荷物をまとめて家を出ます。その時、子供の頃に父と一緒に泥をこねて何ヶ月もかけて作った家を離れることに、感慨深いものを感じたといいます。
なんかあれ第二回かぐらいの時に家作るんかと思って聞いてました。
手作業とはいえ、大学に上がるまでずっと住み続けられる頑丈な家を作った父のことを、二人はあらためて称えています。
兄弟姉妹のような寮生活と社会主義国の空気
1973年の秋、セゲド大学に入学します。生物学科は18人で、時間割はすべて共通でした。18人が同じ授業を受け、昼休みはみんなで食事をとります。
ほとんどの学生が同じ寮に住んでいたため、まるで兄弟姉妹のようにずっと一緒に生活していたそうです。
クラスには留学生もいました。ユーゴスラビアのハンガリー系の学生が二人、ベトナムからは女子が二人来ていたといいます。
学生の半分ほどは、名前の横に労働者階級の子であることを示すFの印がついていました。労働者階級の子でも成績が良ければ大学に入れる、平等な仕組みがあったことがうかがえます。
寮には全体でおよそ300人が生活していました。東側諸国なので西側文化とは無縁かと思いきや、学内ではビートルズやローリングストーンズが盛んに聴かれていたそうです。
国境の街セゲドとジーンズ、そして秘密警察
セゲドは、当時のユーゴスラビアまで16キロという国境の街でした。ユーゴスラビアはハンガリーよりも移動の制約が少なく、西側の商品が手に入りやすかったといいます。
カリコは、ユーゴスラビアに行く友達にジーンズを買ってきてと頼みました。当時ハンガリーにはまだジーンズがなく、それを履いて最先端のおしゃれをしている気分を味わったそうです。
そっか、ジーンズが最先端のおしゃれだったんだ。
国境の街ゆえに、ハンガリーから逃げたい亡命者が集まる街でもありました。国境を越えようとする人を取り締まるため、秘密警察も多かったといいます。
その秘密警察は角張ったヘアスタイルですぐにわかったそうで、二人は思わず笑います。
それって秘密じゃないよね。
学生仲間の中にも秘密警察へ情報提供しているのではと噂される人がいたようです。それでも子供の頃と比べれば、時代の空気はだんだん緩くなっていたと話されています。
ハンガリーの人々は、自国を共産圏で「最も幸せなバラック」だと自虐的に語っていたそうです。政治の話もある程度できました。一方、ベトナムからの留学生は政治の話を一切しなかったといいます。
天才たちに食らいつく、ストイックな努力の日々
授業が本格的になると、ハンガリー中から集まった天才たちはどんどん理解していきます。それまで常にトップだったカリコも、ついていくために必死に努力したそうです。
優秀だと言われる子が、すごい優秀な学校に行った後で落ちこぼれてダメになる話も聞きますが、彼女はそうならずに頑張ったみたいですね。
授業の一例として、分析化学の実験が紹介されます。教授が渡す透明な液体が何かを当てる課題です。
火の中に一滴垂らしてオレンジ色ならナトリウム、青色なら銅、というように炎色反応やリトマス試験紙を使って正体を推測していきます。
この時カリコが心に思い浮かべていたのは刑事コロンボだったそうです。「あと一つだけ」と繰り返すように、液体の正体を追い詰めていきました。
最も苦労したのは英語でした。テキストは基本的に英語で書かれており、英語がわからないとどうにもなりません。
高校では英語の授業がなく、ロシア語の授業がありました。東側諸国らしい事情です。カリコはロシア語を完璧にマスターしていたため、大学ではロシア語の授業をパスできました。
その空いた時間をすべて英語に費やします。大学三年の夏休みは英語だけをやり続け、試験をパスしたそうです。
ハンガリーの文法の癖なのか、「He didn't jumped」のようにダブル過去形になってしまうことは、いまだによくやると本人が言っていました。
大学でも努力の人であり続けました。宿題は多く、やっていかないという選択は彼女にはありません。課題が難しくても毎日二時三時まで勉強していたそうです。
食事はいつもカフェテリアでとり、自炊はしませんでした。自炊の時間がもったいないほど勉強に打ち込みます。眠くならないように、窓を開けて寒くして勉強していたといいます。
風邪引いちゃうよ。すごいなぁ。ストイックですよね。本当に。
たまにディスコに出かけたり、民謡舞踊サークルの発表会を見に行ったり、バスケットボールをしたりもしました。それでもほとんどの時間は勉強だったと考えられます。
巻き込む力と探究心が光ったエピソード
大学に入っても、小中高の頃と同じように収穫作業を手伝わされることがありました。ただ一つ変わったのは、早く終わらせたチームに賞金が出たことです。
生物学科のチームは、賞金を取りたいカリコの説得でみんなが工夫して頑張り、一番になって賞金を獲得します。そのお金を旅行費用にして、週末にクラスメイトの家を訪ねていたそうです。
一応取るぞっていう。強い意志を感じる。
自分の実家にみんなを連れて行った時には、母が張り切って卵を30個も集めてオムレツを作り、父はマトンシチューやガチョウの足のケーキを振る舞ったといいます。娘のクラスメイトに初めて会えたことが、両親にはとても嬉しかったようです。
ベトナムからの留学生は実家に行けないため、ベトナム料理を作ってクラスメイトに振る舞ってくれたことも書かれていました。
1977年、ぶどう畑での収穫中に、同級生のヤーノシュがボイジャー計画について尋ねてきます。ヤーノシュはこの後もカリコに関わる人物です。
カリコがボイジャー計画を知らないと答えると、ヤーノシュはこう言って彼女を諭したそうです。
君は科学者になるんだろう。仲間の科学者たちがどんな仕事をしているかぐらいは知っておいて、自分の意見を持つべきだよ。
悔しかったカリコは図書館にこもり、ボイジャー計画について徹底的に調べました。感じたことをすぐに深掘りする探究心が、この頃からうかがえます。
いろんなことに本当に興味を持って、その時その時の場面で感じたことに対してどんどん深掘りしているというか。
奨学金の名簿から消えた名前をめぐる謎
熱心な勉強の甲斐あって、一年生と二年生で最高得点を取り、三年生の時にはハンガリー人民共和国奨学金に推薦されました。
教授たちが推薦した15名の名簿が国に提出されましたが、なぜか途中で彼女の名前が消えてしまいます。
カリコの推測では、父がハンガリー動乱の時に逮捕された履歴があったためではないかといいます。ただし理由は闇の中で、はっきりとはわかりません。
それでも大学側が抗議してくれたおかげで、カリコは実際に奨学金を受け取っていました。
この事実が判明したのは、ノーベル賞受賞後のことです。元共産国のハンガリーには多くの記録が残っており、マスコミが彼女の過去を調べました。
インタビューで奨学金で大学に行ったと答えたカリコに対し、名簿に名前が残っていないのに本当にもらっていたのかと問われます。本人も調べ直し、確かに名簿には載っていなかったと知ったそうです。
名前が消えた理由は謎のままですが、お金は実際にもらえていたと話されています。
そういったことがあるんだ。結局まだそこは謎というか。
まとめ
カリコの大学時代は、狭き門の突破から始まり、天才たちに食らいつく努力、探究心、そして周囲を巻き込む力に満ちていました。真面目一辺倒に見えて、ジーンズや秘密警察、実家での歓待など、人柄がにじむエピソードも数多く語られました。
- セゲド大学の入試は十分の一という狭き門で、カリコはそこを突破した。
- 18人が同じ時間割で学び、寮で兄弟姉妹のように過ごす大学生活だった。
- 英語習得のため夏休みを費やすなど、誰よりもストイックに勉強に打ち込んだ。
- ヤーノシュの一言をきっかけに、感じたことを深掘りする探究心を発揮した。
- 推薦名簿から名前が消える謎がありながらも、奨学金は実際に受け取っていた。
