チャラくてアクティブ、キャリーの大学生活
今回のエピソードは、前回の化学合成の話に続き、キャリー・マリスの大学時代の個人的な側面から始まります。
ナレーターのあきさんによれば、キャリーは大学在学中に子供ができて結婚しますが、アルバイトの収入でやりくりできたそうです。
一方で、キャリー自身は人物としてかなりチャラく、いろいろな授業を覗きに行っては女の子をナンパするのを楽しんでいたと紹介されています。
へー、すごい。もう何でもアクティブですね。本当にバイタリティ溢れるというか。
結婚も複数回しているとされ、アシスタントのとみーさんも含めて、アクティブな人生を送った人物だという印象で語られます。
そのうえで、この回の本題は大学時代の薬物体験だと予告されます。あきさんは、これがキャリーの人生を語るうえで欠かせない部分であること、そして薬物を勧める意図はなく、時代背景を知ってもらうために事実を伝えるという立場を強調しています。
決して私が薬物をお勧めするとかそういうわけではないので、事実をお伝えするというところでご理解をいただければと思います。
子供に睡眠薬や覚醒剤?麻薬に寛容だった時代
話は、キャリーが子供の頃の社会背景に移ります。当時は日本も含めて世界が麻薬に対して非常に寛容で、副作用や依存症がよくわかっていなかったためだと説明されます。
日本の例として、あきさんは覚醒剤のヒロポン ── 覚醒剤メタンフェタミンの商品名。戦時中から戦後にかけて日本で市販・使用されたが、依存性が問題となり後に規制されたを挙げます。疲労がポンと取れるという名前で、戦時中に日本兵が行軍時に使い、戦後も広まったといいます。
アメリカでも、キャリーが子供の頃は薬が身近でした。恐怖で眠れない夜には、母親がフェノバルビタールという睡眠薬をくれたそうです。
風邪をひくと、覚醒剤の成分であるアンフェタミン ── 中枢神経を興奮させる覚醒剤の一種。当時は薬として使われたが、依存性のため現在は厳しく規制されているを吸引器で吸い、鼻水が治ってシャキッとしたと語られます。
下痢にはアルコールに10%の濃度のアヘンを溶かしたパラゴリック、咳止めにはアヘンの成分であるコデインが使われました。こうした薬は地元の薬局で普通に売られ、子供の体調を心配する母親としては当時ごく普通のことだったといいます。
恐怖で眠れないときに母親がくれた睡眠薬の一種
風邪のときに吸引器で吸った、覚醒剤の成分
下痢のときに飲んだ、アルコールにアヘンを溶かした薬
アヘンの成分を含む咳止め
薬ってやっぱり諸刃の刃って言われますけど、なんかやっぱりネガティブな部分って見えないっていうところもありますもんね。
あきさんは、当時はまず症状がシャキッと良くなる点が評価され、副作用は後からわかって禁止されたと補足します。パッと治るため、素晴らしい薬として一般化されていた時代だったといいます。
火傷で味わったモルヒネ、最初のハードドラッグ体験
話は大学時代に戻ります。大学1年生のとき、キャリーは友人のアルと薬品作りをしていて、ベンゼンを火にかけて温めていた際に燃え上がり、腕に火傷を負ってしまいます。
アルは病院までの30キロを車を飛ばして担ぎ込みますが、医者はなかなか現れず、ひたすら待たされたそうです。
ようやく現れた外科医がモルヒネを注射すると、火傷した部分は最初こそ灼熱感に襲われたものの、その後とてつもない心地よさに包まれたといいます。これがキャリーの最初のハードドラッグ体験だと説明されます。
続いてジョージア工科大学の学生の話になります。試験前に覚醒剤を使って一夜漬けするのが普通で、誰もそれを麻薬だとは思っていなかったそうです。あきさんは、今でいうコーヒー感覚だったのかもしれないと述べています。
入手先は寮母のおばさんでした。当時、覚醒剤はダイエット薬として処方箋があれば手に入り、太り気味だった彼女は処方箋をもらって薬を買い、試験前の学生に売っていたといいます。
学生たちは彼女をドラッグディーラーだとは考えず、親切なおばさんだと思っていたそうです。
なんかよかれとしてやったことがみたいなところなのかなという気もしますけど。
夢の薬LSDを求めてカリフォルニアへ
ジョージア工科大学在学中に娘ができて結婚したキャリーですが、当時流行していたヒッピー文化には共感できなかったと語られます。髪も短く、科学と物理と数学が好きで勉強に夢中でした。
ヒッピーが愛したマリファナにも興味がなく、雑誌や新聞でマリファナの害悪が報じられていたため、非常に悪いものだと考えていたそうです。
一方で、この時代に発見されたLSD ── 強い幻覚作用を持つ合成薬物。1960年代に注目されたが、その後多くの国で違法薬物として規制されたは、その効能から一大ブームになりました。脳の仕組みが解明できる、全人類がやれば平和になり第三次世界大戦は来ない、といったことまで言われたと紹介されます。
精神科医も患者に普通に処方していたそうで、とみーさんは驚きを口にします。
信じられないですね。
大麻には全く興味のなかったキャリーも、LSDには強い興味を示します。そして1966年、LSDを体験したいという思いから、その聖地であるカリフォルニアへ移ることを決めます。
愛車のインパラに家財道具と妻、娘を乗せて引っ越し、カリフォルニア州のバークレー校に入学します。ヒッピー文化の最先端地への期待は大きかったといいます。
しかし、生えている木々は全く違い、海はとても冷たく、期待していたビーチの裸の女性はどこにもいなかったと本には書かれていたそうです。
ちょっと期待外れだったんですね。せっかく引っ越してまで来たのに、っていうところですね。
まずマリファナ、そして初めてのLSD体験
移住して1週間目、キャリーはブラッドという友人と出会います。LSDを体験したいと話すと、まずマリファナを試してみろと言われます。
マリファナを常習性が高く危険だと認識していたキャリーは怖くて拒否しますが、一度吸ってみろと促され、こわごわ吸ってみます。すると楽しくなって笑い出したそうです。
ブラッドと数時間にわたって世の中の諸問題を語り合い、その後に妻を見ると、今までとはまるで違って魅力的に見えたと語られます。
あきさんはここでも、あくまでキャリーの体験を語っているのであってマリファナを勧めているわけではない、と改めて念を押します。
その量が多すぎてもかなり壮絶体験になりますので、そういう意味でもその友達がすごく良かったんでしょうね。
次にブラッドがLSDを持ってきてくれると伝えると、妻もノリノリで、それならご馳走を作ると応じたそうです。
ブラッドは次の回に最高級のLSDをわずか5ドルで購入してきてくれました。そのうえで、まもなくLSDは法律で規制されるだろう、楽しく体験できるのは今だけだと伝えたといいます。
初めてのLSD体験は非常に楽しいものでした。一晩トリップして、朝にふわりと現実世界へ戻ってきたころ、小さな娘が起きてきて、じゃれつきながら一緒に遊んだそうです。トリップが解けてもふわっとした感じのまま日常に入れた、素晴らしい体験だったと語られます。
本当にこれを体験したいがためにわざわざ引っ越しをしてきたわけなので、そういう意味では成功体験というところに彼の中ではなったのかなというところですよね。
LSD違法化の背景にあった政治とヒッピー文化
しかしブラッドの言った通り、LSDはすぐに非合法化されます。政治家や世論が取り締まりへと動いた背景の一つに、ヒッピー文化があったと説明されます。
若者がフリーセックスを言い出し、当時のベトナム戦争 ── 1960年代から70年代にかけて続いたアメリカが介入した戦争。徴兵制への反発から、若者を中心に大きな反戦運動が起きたの徴兵を拒否した時代でもありました。政治家たちは、若者がそうなった原因はLSDだと理解したといいます。
あきさんは、この時代のカリフォルニアの空気は映画「フォレスト・ガンプ」にも出てくるので参考になると紹介します。
法的に規制されている理由が、その副作用的な部分だったり悪い影響というところなのかと思ったら、そうじゃなくて、政治的な問題で非合法化されたということだったんですね。
あきさんは、これはキャリーの視点からの書き方でもあると補足します。もちろん副作用の面からも規制されたはずだとしつつ、徴兵拒否は第二次世界大戦を体験した世代からすると考えられないことで、その原因をLSDに求める流れがあったのかもしれない、と語ります。
合法な化合物で自らを実験台にする
LSDは違法薬物となりますが、類似する化学物質は次々に発明されていったそうです。科学者・化学者だったキャリーたちは、そうしたものを実験室で合成することもできました。
当時、政府は学生の違法行為に神経を尖らせており、ある時、化学科の学生が逮捕される事件が起きます。
研究室の教授は学生たちにその新聞記事を見せ、捜査の手が近くまで迫っている、冷蔵庫にあってはいけないものがあるなら今のうちに掃除しておいた方がいい、と忠告したそうです。
やっぱり逮捕されてしまうと、人生棒に振るといいますか、そこは自分たちで何とかするようにということだったんでしょうね。
キャリー自身は慎重な性格で、逮捕は絶対に避けたいと考えていたと語られます。そこで彼は、法の網にかかっていない合法な化合物だけを合成し、自らを実験台にして作用を試すことを繰り返しました。
人体実験を自分でやってみるっていうことですね。
通常の10倍、命がけの過剰摂取
ある時、キャリーは自分で合成したジエチルトリプタミン ── 幻覚作用を持つトリプタミン系の化合物。既知のジメチルトリプタミンと化学構造が近いを、友人のエリックと試そうとします。すでに知られていたジメチルトリプタミンと構造が近いため、似た作用を期待していました。
初めての薬物だったので、キャリーは先に自分が飲み、効果が出る30分は様子を見て、大丈夫そうならお前も飲めとエリックに指示します。ところが数分も経たないうちに、ただならぬ状態に襲われます。
どうやらキャリーは飲む量を計算し間違え、通常より10倍も多く飲んでしまったようだと説明されます。
10倍はヤバいですね。薬を10錠飲むことないですからね。
暖炉から炎が荒れ狂って噴き出すような幻覚に襲われ、エリックに病院へ担ぎ込まれます。自分が地球にいる気がせず、どこかにいるのに帰る方法もわからない状態になったといいます。
日が変わっても幻覚は続き、気づくと一人で机の下にうずくまっていました。付き添う妻が「あなたの妻よ」と告げても、誰だか全く認識できず、すべての記憶がなくなっていたそうです。
2日経ってようやく記憶が戻り始め、何日かして元の自分に戻りました。あきさんは、薬の濃度が体内で薄まっていったのだろうと推測しています。
この体験を通じて、キャリーは精神病患者の頭の中で何が起きているのかを理解できるようになった、そして自分を失うことがどれだけ恐ろしいかを知った、と語られます。
さらにLSDは楽しいだけではなかったといいます。ほどなく妻と離婚し、妻と娘が出て行った悲しい時期にLSDを摂取すると、悲しさや寂しさが増幅され、自分が世界一愚かな人間だと落ち込んだこともあったそうです。
似た物質は全部規制、AIが変える薬のデザイン
現代では、ジエチルトリプタミンとジメチルトリプタミンのようにわずかな差の化合物も、似ているものごとまとめて法律で縛る形になっている、ととみーさんが指摘します。
あきさんは、何年か前にマリファナの成分THC ── 大麻に含まれる主要な精神作用成分。テトラヒドロカンナビノールの略の化学構造を少しだけ変えて合法とうたう物質が出回り、その後「似たものはすべてダメ」という形に法律が変わった記憶があると振り返ります。キャリーの時代は、少し変えれば法の網から逃れられたため、周辺物質が使われ出す走りだったのではないかと語ります。
とみーさんは、どこまで変えれば作用がなくなるのかが、薬の開発技術の発展とともにわかるようになってきたと説明します。今はAIを使い、この範囲なら同じ作用を示すという予測ができるため、法の網をくぐる行為はしにくくなっているといいます。
話題は薬のデザインに使われるAIへと広がります。あきさんは、タンパク質の立体構造をAIで予測するアルファフォールド ── タンパク質の立体構造をAIで予測する技術。その開発は2024年のノーベル化学賞の対象となったがノーベル賞を取ったことに触れ、薬のデザインにも使われているのかと尋ねます。
そうですね。もう本当に最前線というところで使われています。
とみーさんによれば、薬は体内のタンパク質にくっついて、その働きを止めたり高めたりします。だからどこにくっつきそうか、他のタンパク質にもくっついてしまわないかをシミュレーションできることが重要だといいます。
さらに、タンパク質はずっと同じ形ではなく、くるくる動いていると説明されます。とみーさんは、腕がずっと上を向いた太陽の塔ではなく、腕が可動式でくるくる回るイメージだとたとえます。脇にはめたくても回っていてははまらないため、どれくらい回りやすいかまでわかるようになったのは大きな進歩だと語ります。
酵素とかだと、開いたり閉じたりして、基質と言われる分解される方がはまったり出ていったりしてます。
あきさんは、タンパク質が可動することに驚きつつ、話が深くて面白いと応じます。そして、科学者の立場から合間に解説を挟んでほしいと述べ、この回を締めくくります。
まとめ
麻薬に寛容だった時代のアメリカを背景に、科学者キャリー・マリスが火傷でのモルヒネ、LSDを求めた移住、命がけの過剰摂取までを体験した経緯が、あくまで事実として語られた回です。あわせて、薬の作用と規制、そしてAIによる薬のデザインという現代の話題にもつながりました。
- キャリーの子供時代は、睡眠薬や覚醒剤の成分すら家庭で使われるほど薬に寛容な時代だった
- 火傷で打たれたモルヒネがキャリー最初のハードドラッグ体験で、LSDを求めてカリフォルニアへ移住した
- LSD違法化の背景には、ヒッピー文化やベトナム戦争の徴兵拒否を問題視する政治的な動きがあった
- 自ら合成した薬物を通常の10倍飲み、記憶を失い机の下でうずくまるほどの過剰摂取に陥った
- 現代では似た構造の化合物もまとめて規制され、AIによるタンパク質構造予測が薬のデザインの最前線で使われている



