「打っても意味あるの?」という素朴な疑問
このシリーズのテーマは予防接種です。特に子供に受けさせる予防接種について、あきさんは肯定的な見方も否定的な見方も紹介します。
子供を病気から守る、社会全体の感染を防ぐと肯定的に捉える人もいます。一方で、生後2ヶ月から毎月のように注射するのはかわいそう、一度に何種類も打って大丈夫かと不安に思う人もいます。
そこであきさんは、歴史も交えながら話を整理し、聴き手それぞれが自分の考えをまとめられるようにしたいと語ります。
シリーズを作るにあたり、あきさんはまずアシスタントのとみーさんに、ワクチンへの疑問を聞くところから始めました。
直近だとコロナワクチンだけど、最初は打ったらもうかからないみたいな感じで始まったはずなのに、気づいたら打つことで罹患しても軽症で済むよって言い換えられてたり。結局打っても、打ってない人と同じくらい症状が重い人もいたなって。
私は痛いのが嫌いで注射嫌いなんですけど、打つ意味があるんだったら打つけど、打っても病気にかかるんだったら打たなくてもいいじゃんって気持ちになってしまうので。
とみーさんは、ワクチンを打つ意義や、打てばもうその病気にかからないワクチンがあるのかを知りたいと話します。
これに対してあきさんは、病気もワクチンの種類も数多くあるため、一つずつ説明していく必要があると応じます。
ワク647って一言で言われちゃってるけれども、種類がまずいっぱいあるんで、それを一個一個やっぱり説明していかないといけないと思うので。
子供の予防接種と、SNSで振り回される不安
とみーさんは前回の不妊治療シリーズで、二人の間に子供を授かり、今お腹で育てていると話したことに触れます。
子供の予防接種には、言われた通りに全部打つ人、調べて納得して全部打つ人、打つものと打たないものを選ぶ人、全部打たない人と、いろいろなバリエーションがあると整理します。
私は特に子供の予防接種、産んでからのワクチンラッシュに向けて、判断基準をこのシリーズで得られたらいいなと思ってます。
あきさんはSNSを見て、よくわからない意見に振り回され、打つべきか打たないべきか本当に悩んでいる人が多いと感じたそうです。この記事がその手助けになればと語ります。
絶滅寸前の病気「ポリオ」とはどんな病気か
ここから歴史を踏まえるため、一つの病気としてポリオが取り上げられます。子供の予防接種にも含まれる病気です。
ポリオは現在、世界でアフガニスタンとパキスタンだけに存在し、ほぼ根絶されたと言われています。WHO世界保健機関。国連の専門機関で、国際的な健康問題に取り組む。かつて天然痘の根絶を宣言した。は天然痘に続く根絶宣言を目指しているところまで来ています。
おじいちゃんおばあちゃん世代は「小児麻痺」という言葉でポリオを知っているかもしれません。ポリオは小児麻痺の原因の一つだと、あきさんは説明します。
小児麻痺は聞いたことあるわ。それとポリオ一緒なんだね。
ポリオは汚染された水や食べ物から口に入って感染する、ウイルス性の感染症です。ポリオウイルスは小腸などで増殖します。
多くの場合は人間の免疫が勝って無症状で終わります。ただし増殖したウイルスが血液に乗って全身に回り、中枢神経に侵入すると重篤になります。
ウイルスが脊髄の前角細胞、つまり運動神経に到達すると神経細胞を破壊し、麻痺が起こります。麻痺が呼吸の筋肉に及ぶと、自力で息ができなくなります。
ルーズベルト大統領と十セント硬貨の草の根運動
ポリオのワクチン開発史は、アメリカ第32代大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトと深く関わります。
ルーズベルトは第二次世界大戦時にアメリカを指揮した大統領として有名ですが、39歳でポリオを発症し、その後は生涯車椅子で生活しました。歴史資料映像で議会演説をしている場面でも、実は車椅子に乗っています。
ポリオはお金持ちでも貧乏人でも関係なくやってくる病気でした。ルーズベルトはポリオの治療法を見つけ患者を支援するため、全米小児麻痺財団を設立します。
この財団では、当時人気のコメディアン、エディ・カンターが「マーチ・オブ・ダイムズ」という十セント硬貨の運動を始めます。マーチは行進、ダイムは十セントという意味です。
わずかなお金でもいいからポリオのために寄付しようという草の根運動でした。ホワイトハウスには何百万通もの手紙が届き、中には十セント硬貨が同封されていたそうです。
この資金が財団の活動資金となり、さまざまな研究者に研究費を配れるようになりました。
ウイルス培養の成功と、猛威をふるった1952年の大流行
研究費を使った一つ目の成功は1949年、研究者ジョン・エンダースがポリオウイルスを神経組織以外で培養することに成功したことでした。彼はこの業績で後にノーベル賞を受賞します。
それ以前、ポリオウイルスは神経細胞でしか増やせませんでした。研究にはマウスの脳など大量の生きた動物が必要でした。
後に生ワクチンを開発するアルバート・サビン博士は、安全性を確かめるため赤毛猿やカニクイザルを約1万頭、チンパンジーを160頭も使ったと言われるほど、当時は神経細胞が必要でした。
培養細胞でウイルスを増やせるようになったことは、後の研究を大きく前進させる成果となりました。
一方、1952年にはアメリカでポリオが過去最悪の流行を記録し、5万8千人がかかる状態になりました。
この時に活躍したのが鉄の肺です。感染すると横隔膜が動かなくなり、自力で呼吸できなくなるため、箱の中の気圧を高めたり薄めたりして肺を膨らませたりしぼませたりしました。
これってこの装置から出たらもう呼吸止まっちゃうってこと?
止まっちゃう。はい。
とみーさんは写真を見ながら、体を動かせないこと自体の弊害を指摘します。寝たきりだと筋力は落ち、床ずれも心配になります。
排泄もこれどうやって排泄するんだろうっていう感じだし。
あきさんによると、排泄は横にある穴からでき、看護師が処理していました。装置に入ったまま老人になるまで生活した人もいたそうです。
ただし基本的には、ポリオにかかっている間だけこの装置に入り、回復後に神経が回復したり別のルートができたりして自発呼吸ができるようになることも多かったといいます。
ポリオは子供の病気だった
とみーさんは、ポリオが薬を使わなくても治る人がいるのか尋ねます。あきさんは、免疫で治ること自体はあると答えます。
ただし重篤になり神経細胞が壊れると、それは治りません。足に来れば一生車椅子や杖、手に来れば手が動かなくなり、呼吸器に来ればそのまま亡くなることもあります。
ポリオにかかるのは子供が多く、多くは軽症で済み、そのまま免疫を獲得していました。そのため大人はなかなかかかりません。
じゃあルーズベルトさんは39歳で罹患してるけど、それは多いケースではないんだ。
大人でもかかる人はいるんだけれども、多くはないですね。
当時は知らない間にポリオにかかって自然に免疫を獲得していた人が多かったのではないか、とあきさんは考えています。基本的には子供の病気でした。
財団は鉄の肺を開発するための資金や、病院に人工呼吸器を入れるための巨額の資金も投じました。かかっても息ができずに亡くなることを避けるためです。ただしこの段階ではまだワクチンはできていません。
ソーク博士の逆転の発想と不活化ワクチン
1953年、財団の資金提供を受けたジョナス・ソーク博士がワクチンの開発に成功します。
ジョナス・ソーク?
ジョナス・ソーク博士ですね。
ソーク博士は1930年代後半、ニューヨーク大学医学部在学中に、ウイルスを殺して不活性化しても、それを注射すれば免疫反応を引き起こせるのではないかと考えました。
当時の主流は「生きたウイルスでなければ免疫はつかない」という考え方でした。最初に開発された天然痘のワクチンも、よく似た牛痘を人間に感染させて軽くかからせるやり方でした。
病気に軽くかからせるのが主流だったため、完全に殺したウイルスはワクチンにならないと思われていました。ソーク博士の発想はこれに逆らうものでした。
1940年代前半、ソーク博士はミシガン大学でインフルエンザワクチンの開発に従事し、ホルマリンホルムアルデヒドの水溶液。消毒や防腐に使われ、ウイルスを不活性化する目的でも用いられる。でウイルスを不活性化する経験を積みます。この経験が後に生きてきます。
その後ソーク博士はピッツバーグ大学の医学部に研究室を設立し、全米小児麻痺財団の資金援助を受けてポリオ研究を始めます。
まずポリオウイルスの型分類プロジェクトに参加し、世界中の患者からサンプルを集めて分類しました。その結果、ポリオウイルスには1型、2型、3型の3つしか存在しないことがわかりました。
絶妙な「半殺し」ワクチンをつくる
3つの型に対してワクチンを作れば、すべてのポリオを抑えられることになります。ソーク博士はエンダースの培養技術を取り入れ、大量のウイルスを確保する体制を整えました。
ウイルスを不活化してワクチンを作るため、ウイルスは大量に必要です。まずそれを大量に培養できる体制を整えました。
続いて1950年から1951年にかけて、ホルマリンでウイルスを殺すプロトコルを作ります。難しいのは「ウイルスは殺しても、人間の免疫は反応する程度に殺す」という調整でした。
ホルマリンに長くつけすぎるとウイルスが分解され、免疫が反応しなくなります。逆に短すぎると感染性が残り、体内でウイルスが増えてしまいます。
ウイルスは死んでるんだけれども、人間の免疫細胞は反応してくれるっていう、その絶妙な頃合いが必要で。
ソーク博士は、ホルマリンにつける時間や濃度の絶妙な条件を突き止め、プロトコルを完成させました。
生きたウイルスでなければ免疫はつかない。病気に軽くかからせて免疫を作る。
ウイルスを殺して不活化しても、注射すれば免疫反応を引き起こせる。
戦時下でも進む医学と、ワクチンの検証
とみーさんは、この研究が第二次世界大戦の真っただ中に行われていたことに驚きます。
私たちは日本で生まれ育ってるから、1930年代後半から1945年までって、戦争以外のニュースをあんまり習ってないじゃない。だけどアメリカでは、戦争をやりながらこうやって科学を深めていくことが同時進行で起きてたんだなって。
このアメリカの底力っていうのをなんか感じますね。
旗振り役のルーズベルト大統領自身が第二次世界大戦の指揮を執りながら、ポリオ根絶の活動もしていました。なお、大統領は戦争中に亡くなり、アメリカの勝利を見ることはありませんでした。
その功績から、現在の十セント硬貨に描かれているのはルーズベルト大統領です。
ワクチンの検証で、ソーク博士はまずすでにポリオにかかって回復した子供たちを対象にしました。彼らはすでに免疫を持つため、不活化が不完全でも安全だと考えられたからです。
このワクチンを打つと抗体、つまり免疫の力の上昇が確認され、十分にワクチンとして使えることがわかりました。
同時期にアメリカでは過去最多のポリオ患者が発生しており、ワクチン開発への社会的な圧力が最高潮に達していました。
ソーク博士は、自分と妻、そして3人の息子に注射し、安全性を自ら証明します。ワクチンの研究者として、間違ってウイルスを家に持ち帰り子供が小児麻痺になることを最も恐れていたためでもありました。
これ結構センセーショナルじゃない?
史上最大規模の臨床試験と、劇的な患者減少
1954年、全米で180万人以上の児童を対象にした、史上最大規模の臨床試験が行われます。この試験を組織したのは全米小児麻痺財団、マーチ・オブ・ダイムズでした。
客観性を担保するため、効果の測定は別のトーマス・フランシス・ジュニア博士が担当し、ポリオワクチン評価センターの責任者としてデータの収集と分析を指導しました。
試験は正確性を期すため、2つの手法を並行して実施しました。
小学1〜3年生を対象に、ランダムに本物のワクチンとプラセボ(食塩水)を注射。医師も看護師も子供も保護者も、どちらを接種したか知らされない。
小学2年生にワクチンを接種し、接種を受けない1年生と3年生を比較対象として自然な発症率の差を比べる。プラセボは使わない。
これ今もよく使いますね。比較試験でダブルブラインドテスト。
人数はワクチン接種群が62万人、プラセボが20万人、接種を受けない観察対象群が100万人以上でした。接種群もプラセボ群も3回注射され、血液サンプルから抗体価の推移が観察されました。
1955年、1年かけた調査でワクチンの安全性が確認されました。ワクチンを受けたことで病気にかかった人はおらず、ポリオから来る麻痺を防ぐ効果は80〜90パーセントとされました。
1955年4月12日にソークの不活化ワクチンの有効性と安全性が公表され、全米で接種が始まります。
半減してますね。
1961年には2万8千人が1,300人まで減り、患者がほとんどいなくなりました。アメリカ大陸ではポリオが撲滅されつつあります。あきさんは、これはワクチンが大成功した例だと語ります。
次回は、この話を踏まえて日本の話をしていく予定だと予告し、今回は締めくくられました。
まとめ
今回は「打っても意味があるのか」という素朴な疑問を入り口に、かつて子供たちを苦しめたポリオが、寄付運動と研究、そして逆転の発想から生まれた不活化ワクチンによってアメリカでほぼ撲滅されていった歴史をたどりました。
- ポリオは口から感染し、重篤化すると運動神経を破壊して麻痺や呼吸困難を引き起こす病気で、かつては鉄の肺で命をつないでいた
- ルーズベルト大統領を旗振り役とした十セント硬貨の草の根運動が、ワクチン研究の資金基盤を作った
- ソーク博士は「殺したウイルスでも免疫は引き起こせる」という当時の主流に逆らう発想で不活化ワクチンを開発した
- 180万人規模の臨床試験で安全性と有効性が確認され、アメリカのポリオ患者は数年で劇的に減少した
- 予防接種の意義を考えるうえで、ポリオはワクチンの底力を示す代表的な成功例となっている
