帰国と資金・場所探し
前回は、坂口先生がアメリカで奨学金を得て8年間研究を続けた時代の話でした。
その間に、モノクローナル抗体を使い、追い求めていた制御性T細胞をCD4陽性かつCD25陽性の領域まで絞り込みました。
ヘルパーT細胞として知られるCD4陽性細胞のうち、およそ10パーセントが探していた制御性T細胞だとわかってきたのです。
ただし、この成果はまだ論文になっておらず、世界には知られていませんでした。
奨学金の8年の期限が近づき、坂口先生は次のポジションを探すため日本へ戻ろうと考えます。
Tregを発表する前だったため、日本でも無名の研究者の一人という状態でした。
それでも研究を見ていた人はいて、なかでもノーベル生理学医学賞を受賞した利根川進先生が、ある助成金への応募を勧めてくれたそうです。
その助成金は、利根川先生が国に働きかけて始めようとしていた「さきがけ研究21」でした。
この助成金は1987年に作られたもので、坂口先生は見事に射止め、第一期生となることができました。
さきがけが画期的だった理由
この制度は、iPS細胞で有名な山中伸弥先生も無名時代に受けていたことで知られています。
当時の日本ではかなり画期的な仕組みで、利根川先生がアメリカで受けた影響が反映されていると考えられます。
一つ目の特徴は、個人に投資することです。
当時の研究資金は大学や組織に紐づいて配分されるのが普通でしたが、さきがけは個人の研究アイデアそのものにお金を入れる形でした。
二つ目の特徴は、合宿形式の交流です。異なる専門分野の研究者が寝食を共にして議論する合宿が義務づけられていました。
全然違う視点が入るのいいですよね。
あきさんは、アメリカのある研究所の例として、物理学者や化学者、生物学者が壁のない同じフロアに席を置いている話を紹介します。
近くにいると互いの研究が話題になりやすく、困りごとを共有してコラボレーションが生まれる環境も作りやすいと話されています。
同じ分野の人だけで固まりがちななか、全く違う分野の人が近くにいる環境をつくることが大事だと考えられます。
組織ではなく個人の研究アイデアそのものに資金を入れる
専門の異なる研究者が寝食を共にして議論し、視点を交換する
帰国後の研究環境と冬の時代
資金が認められた次に必要なのは、研究をする場所でした。
かつて愛知県立がんセンターで世話になった坂倉先生が理化学研究所の筑波に移っており、研究室の一部を提供してくれることになりました。
そこで坂口先生は、奥さんと数人の学生からなる小さなチームで、TregことCD25陽性細胞の研究を続けます。
帰国したのは1991年で、坂口先生は40歳になっていました。バブルが終わりかけ、トレンディードラマが流行った時代です。
次の目標は、CD25を論文にすることでした。しかし、これには非常に時間がかかったそうです。
投稿しても却下されてしまうことが続きました。背景には、すでに否定されていたサプレッサーT細胞の概念があります。
免疫を抑制するT細胞という考え自体がありえないという空気のなか、坂口先生は「まだそれをやっている人間」と見られてしまったそうです。
きちんとした実験結果が出ていても、なかなか認めてもらえなかったのです。
それでも坂口先生は研究テーマを変えることは考えませんでした。ただ、迷いがなかったわけではないようです。
俺はアホやから他人が言ってることを理解できてないんやないか。違って見えてるだけで、本当は世間がもっと深いことを考えてるんじゃないか。
そう自問自答することもあったそうです。ただ、楽天的な性格が幸いし、やはり自分が正しいと思い直せたと話されています。
Tregの研究成果が認められない冬の時代は、10年近く続きました。
サプレッサーT細胞が大嫌いなシェバック博士
当時のアメリカ免疫学会には、サプレッサーT細胞が大嫌いな大物研究者、イーサン・シェバック博士がいました。
サプレッサーT細胞が大嫌いなっていう枕詞が面白いですね。
シェバック博士がそこまで嫌ったのは、サプレッサーT細胞が非常に曖昧な概念だったからです。
はっきりした証拠がなく、特定の条件のときに何かいる気がする、という曖昧な論文が多く出ていたため、認められなかったのです。
シェバック博士は素晴らしい成果を出していただけでなく、アメリカ免疫学会の学術誌「The Journal of Immunology」の編集長も務めていました。
権威ある雑誌のため、サプレッサーT細胞の論文も投稿されてきましたが、ことごとく却下していたそうです。
そのシェバック博士自身も、当時ある不思議な現象を研究していました。
骨髄移植の患者に投与するシクロスポリンAという免疫抑制剤を、途中で中断すると、なぜか自己免疫疾患が起こるという現象です。
免疫を抑える薬を使った結果、逆に免疫の暴走が起こるのは理解不能で、シェバック博士は何が起きているのか調べていたのです。
同じテーマが結んだ縁と1992年の論文
この研究に坂口先生も興味を持ちます。免疫抑制剤のシクロスポリンAを生まれたばかりのマウスに投与すると、自己免疫疾患が起こるのではないかと考えたのです。
胸腺を取り除くのと同じ効果が出ないか、という発想でした。
そこで生後0日から数日の新生児マウスに薬を投与し、その後中止して経過を観察します。
すると狙い通り、甲状腺や精巣など全身の臓器で自分の体を攻撃する自己免疫疾患が発症しました。
愛知がんセンター時代の研究から、赤ちゃんマウスの胸腺を取り除くと自己免疫疾患が起こることはすでに知られていました。今回もそれと同じことが起きていると考えられます。
薬を大量に打つとTregも一緒に死んでしまい、免疫の暴走を抑える細胞がいなくなります。その状態で薬をやめると、自分を攻撃するT細胞まで復活し、体を攻撃し始めるのです。
つまり、胸腺を取り除くのとこの薬を使うのが同じ効果を生むことを、坂口先生は示しました。
この結果を、坂口先生は1992年に論文として投稿します。
すると、自分が使っていたシクロスポリンAを他の研究者が使っていることから、シェバック博士がこの論文に気づきます。
追試が生んだ確信と1995年の伝説の論文
またサプレッサーT細胞のような話をする研究者がいる、しかも大嫌いなテーマだということで、シェバック博士は本当かどうか確かめるため実験を追試します。
追試っていうのは。
論文に書かれた実験と同じ工程を経て、同じ結果が得られるかを確かめることです。
ところが、シェバック博士の思いとは裏腹に、坂口先生の論文はきちんと再現できてしまいました。
多分この時に、坂口先生というのがシェバックの頭の中で点灯したような感じですね。
マークされたんですね。
その後シェバック博士は、坂口先生の愛知がんセンター時代の実験も次々と追試します。
赤ちゃんマウスから胸腺を取り除く実験や、CD4陽性でCD5陽性の細胞を取り除いてヌードマウスに入れる実験などです。
そして、坂口が言っていることは本当らしい、という思いが芽生えてきます。
そんな折の1995年、坂口先生はついにCD25がTregの目印になることを発表します。
運命的なことに、このとき使ったCD25を認識するモノクローナル抗体は、回り回って手に入れたシェバック博士の研究室で作られたものでした。
これも本当だとシェバック博士は確かめ、密かにCD25に注目してさまざまな実験を始めていきます。
さらにこの1995年の論文は、シェバック博士がかつて編集長を務めていた「The Journal of Immunology」に掲載されました。
もし当時もシェバック博士が編集長だったら、またTregと言う奴がいると一刀両断に却下されていたかもしれません。
でもその何年か前からシェバック博士は坂口先生を注目してたから、その時編集長でも載ってたかもしれない。
時間の差で載り、それがシェバック博士の目に留まったところに、あきさんは運命めいたものを感じると話されています。
シェバックの援護射撃と伝説の論文の中身
1995年の論文は、発表当時はそれほど注目されなかったそうですが、今では伝説の論文と呼ばれています。
その後、CD25に着目していたシェバック博士は、3年後の1998年にTregに関する論文を発表し、盛んに宣伝してくれるようになります。
サプレッサーT細胞に強硬に反対していた有名研究者が、免疫を抑制するT細胞は存在すると言い出したのです。
これで世間の風向きが変わり、シェバックが言うなら本当かもしれない、と考える研究者が多数出てきました。
さらに2000年、シェバック博士は「制御性T細胞 再生復活、名誉挽回」というタイトルの総論を発表し、この分野の復活を高らかに宣言します。
この援護射撃で坂口先生の研究は大きな注目を集め、同時に多くのライバルも生まれることになりました。
ここで、伝説となった1995年の論文の中身を整理しておきます。
マウスのCD4陽性T細胞、いまのヘルパーT細胞のなかから、CD25を持つ細胞だけを取り除きます。これは全体の約10パーセントの少ない細胞です。
CD25すなわちTregを取り除いた細胞を、免疫のないヌードマウスに戻すと、胃炎や甲状腺炎、インスリン依存性の糖尿病などの激しい自己免疫疾患が起こります。
次に、免疫細胞を入れて軽く自己免疫疾患が起きている状態のマウスに、CD25陽性細胞を再び戻します。
すると自己免疫疾患が止まりました。これはCD25陽性細胞が免疫の暴走を抑える細胞であることの証明といえます。
Tregを除く
CD4陽性細胞からCD25陽性細胞を取り除きヌードマウスに戻す
病気が起こる
胃炎・甲状腺炎・糖尿病などの激しい自己免疫疾患が発症
Tregを戻す
発症しかけたマウスにCD25陽性細胞を再び入れる
病気が止まる
自己免疫疾患が抑えられ、Tregが暴走を抑える主役だと示される
こうして、CD4陽性かつCD25陽性のT細胞こそが免疫の暴走を抑える主役のTregだとわかりました。
私たちの体で基本的に自己免疫疾患が起こらないのは、このTregが常に監視して抑えてくれているからだということも示されたのです。
コツコツ続けた先に見えたもの
最後に、二人は坂口先生の歩みを振り返ります。とみーさんは、アメリカ時代にコンスタントに論文を出していたことに注目します。
決定打だけじゃなくて経過をずっと出していくことで、時系列で他の研究者が追っていける。個人で勝つというより、学問分野全体で研究を押し上げていくような感じがしていいなと思いました。
あきさんも、コツコツ続けたことが実を結んだと話します。年に一本ほど論文を出していたことで注目され、見てくれた人がいたおかげでさきがけ研究にも採用されたのです。
さきがけの面接官のなかにも、坂口先生の論文に注目して追試を行っていた先生がいたそうです。
誰も見てないようでも、ちゃんと見てくれてる人もいるんだな。それはすごい励みになった。
とみーさんは、シェバック博士の援護射撃でライバルが増えた話にも触れます。テーマを研究する人が増えるほど、研究は加速するというのです。
あきさんも、ここが学問のすごいところだと語ります。面白いとなると一気に人が参入し、その分だけ研究が進むからです。
いまや花形となったTregですが、それを支えたのは、多くの研究者が一気に参入してくれたことだったと考えられます。
まとめ
無名時代の坂口先生を認めさせたのは、大声の主張ではなく、何度追試しても崩れない再現性でした。コツコツ積み上げた論文と、それを見ていた人たちの存在が、10年の冬を越える力になったといえます。
- CD4陽性かつCD25陽性のT細胞が免疫の暴走を抑える主役のTregだと、1995年の論文で示された
- サプレッサーT細胞を嫌ったシェバック博士は、坂口先生の実験を追試して再現性を確かめ、確信を深めた
- 1998年以降のシェバック博士の援護射撃で世間の風向きが変わり、Treg研究に多くの研究者が参入した
- さきがけ研究21は個人のアイデアに投資し、異分野合宿で視点を交わす画期的な制度だった
- 見ていないようで見てくれる人がいることが、坂口先生の孤独な研究を支える励みになった
