軽い病気なのに、なぜ妊婦にとって危険なのか
このシリーズは、妊婦と子供の予防接種をテーマにしています。今回は、1歳になってから受けるワクチンの2回目、風疹がテーマです。
とみーさん自身、不妊治療のときに風疹ワクチン接種をすすめられ、妊婦検診でも風疹の抗体検査を受けたそうです。ただ、風疹がどんな病気なのかは詳しく説明されていなかったと話します。
妊娠出産育児で風疹ってすごい大事なんだな、とぼんやり思っているような状態です。
あきさんによると、風疹は大人も子供もかかった場合は症状が軽く、すぐに治まります。昔は「三日はしか」とも呼ばれ、軽視されてきた病気でした。
ところが、妊娠初期の女性が感染すると話は変わります。母体がウイルスに感染すると、胎盤を通じて胎児にウイルスが移行してしまうのです。
その結果、心疾患、白内障、難聴などを引き起こします。これが先天性風疹症候群(CRS)です。
さらに問題なのは、風疹ワクチンが妊娠中には打てないことです。
妊娠してからでは打てないワクチン
現在世界で認められている風疹ワクチンは、すべて生ワクチンです。生ワクチンは、毒性を弱めたウイルスそのものを使うため、胎児への影響を考慮して妊娠中の女性は接種できません。
つまり、妊娠が判明してから抗体を持っていないとわかっても、できることは風疹にかからないよう気をつけることだけになってしまいます。
日本じゃなくても、他の国でも生ワクチンしかないの?
あきさんによれば、世界的に見ても風疹ワクチンは生ワクチンしかありません。将来メッセンジャーRNAワクチンなどの新技術で開発されれば、妊婦でも接種できるようになる可能性はある、と話されています。
だからこそ、妊娠を希望する女性は、事前に抗体を調べ、免疫がなければワクチンを受けておくことが大切です。
さらに、パートナーが外から風疹を持ち帰ることもあり得ます。そのため、旦那さんなど周囲の人も免疫を確認し、必要ならワクチンを受けて、妊婦さんを守ることが求められます。
風疹は本当に別の病気なのか、という発見
ここからは風疹の歴史です。18世紀以前、風疹がどんな病気なのかはよくわかっていませんでした。
当時のヨーロッパでは、麻疹(はしか)や、今でいう溶連菌感染症とみられる「症候熱」と、風疹が明確に区別されていませんでした。どれも熱と発疹が出るため、見分けがつかなかったのです。
当時は発疹を「体内の毒を出す現象」と考えていたため、発疹が出る病気をあえて見分けようとしなかったのです。
17世紀後半、イギリスの医師トマス・シデナムは、体液説よりも病気の経過をありのままに観察することが大切だと説きました。
その考えに影響を受けたドイツの医師フリードリヒ・ホフマンは、学生を患者の枕元へ連れて行き、症状を経過観察させるベッドサイド教育を始めます。
集まった症例を分析する中で、麻疹に一度かかった人が、再び同じような症状にかかる例に着目しました。
一度かかれば免疫がつくはずという当時の考えと矛盾するため、風疹は麻疹や症候熱とは別の病気ではないか、と発表したのです。
ただし、この考えが学術的に定着するには、それから約100年もかかりました。ヒポクラテスの時代から続く体液説が、あまりに強い力を持っていたからだと考えられます。
第一病から第六病へ、発疹の病気の整理
最終的にロンドンの国際医学会で、風疹は別の病気として認められます。この時代は、発疹が出る病気を病名ごとではなく「第一病」「第二病」といった番号で分類していきました。
そのうち風疹には第三病が当てられました。
| 番号 | 病気 | 補足 |
|---|---|---|
| 第一病 | はしか(麻疹) | - |
| 第二病 | 症候熱 | 今は溶連菌感染症とみられる |
| 第三病 | 風疹 | - |
| 第四病 | デュークス病 | 実在しないとされ現在は消滅 |
| 第五病 | リンゴ病 | - |
| 第六病 | 突発性発疹 | - |
このように別の病気だとは認められたものの、19世紀まで、何が病気を起こすのかという病原体は見つかっていませんでした。
パスツールやコッホらが細菌を発見していく一方で、風疹はウイルスによる病気です。当時の顕微鏡ではウイルスが見えなかったため、病原体が見つからなかったのです。
見えない病原体「ウイルス」の正体に迫る
1914年、アルフレッド・ヘスが、風疹患者の血液を猿に接種して発症させることに成功します。
このとき、細菌も通らないフィルターで血液をろ過してから接種しても発症したため、細菌より小さく、細菌用のフィルターすら通り抜ける何かが病気をうつすとわかってきました。
この「ろ過性のもの」が、後にウイルスと呼ばれるようになります。
続く1938年、日本の廣芳美博士と田坂三治博士が、風疹患者の鼻腔洗浄液をろ過し、風疹にかかったことのない子供に接種して発症させました。
これにより、風疹がヒトからヒトへ感染することが証明されました。ただ、健康な子供に感染させる、かなり過激な実験だったとあきさんは指摘します。
病原体の存在はわかったものの、すぐ治る軽い病気とされていたため、医学的な関心はなお低いままでした。
一人の眼科医が見抜いた、風疹と赤ちゃんの障害
転機は1941年、オーストラリアのシドニーで訪れます。眼科医のノーマン・グレッグのもとに、生まれつき白内障の赤ちゃんが、いつもより多く連れてこられるようになりました。
先天性白内障は非常にまれな疾患です。しかしグレッグは、わずか数ヶ月で78例もの症例に直面しました。
調べていくと、これらの赤ちゃんは低体重で、心疾患の兆候もあることに気づきます。
さらに母親たちへの聞き取りで、多くが妊娠中に軽い発疹の出る病気にかかったと証言しました。
前年の1940年、オーストラリアでは風疹が大流行していました。その時期に妊娠初期だった母親の子供が、1941年に白内障を持って生まれてきていたのです。
この流行の背景には、大英帝国の一員として全国から徴兵された若者たちがいました。田舎育ちで風疹の免疫がない彼らが、軍事キャンプで集団生活を送り、爆発的に感染を広げたと考えられています。
1941年、グレッグは眼科学会誌に論文を発表します。妊娠初期に母親が風疹に感染すると、ウイルスが胎盤を通り、胎児の器官形成を壊して障害を引き起こすのではないか、という内容でした。
当時、胎盤はフィルターのようにウイルスなど有害なものを通さないと信じられていました。ウイルスが胎盤を越えて胎児を攻撃しうるという指摘は、医学界に衝撃を与えました。
また、生まれつきの白内障などは遺伝だと考えられていました。それが遺伝ではないと示された点も、大きな驚きだったといいます。
ウイルス分離の成功と、その直後の大流行
風疹を何とかするには、ウイルスの分離が必要でした。1962年、アメリカのボストンチームとベセスダチームが、同時に風疹ウイルスの分離に成功します。
ボストンチームはハーバード大学のトーマス・ウィラー博士とフランクリン・ネバ博士で、患者の喉からウイルスを採取しました。ベセスダチームはアメリカ陸軍研究所のポール・パークマン博士らで、陸軍の新兵から検体を採取しました。
風疹ウイルスは非常に厄介でした。通常ウイルスは細胞に感染し、増殖して飛び出すときに細胞を壊すため、細胞が壊れる様子から増殖を確認できます。ところが風疹ウイルスは細胞を壊さないため、増えているかどうかがわかりにくかったのです。
陸軍チームは、アフリカミドリザルの腎臓細胞に風疹ウイルスを感染させた後、必ず細胞を壊すエコーウイルスを追加しました。
すると本来なら壊れるはずの細胞が無事に残りました。先に入った風疹ウイルスが、他のウイルスの侵入を防いでいると考えられ、これが増殖の証明になりました。
ハーバードチームは、胎児を包む膜である人の羊膜細胞を使い、根気強く観察を続けました。風疹ウイルスが人の細胞をわずかに変化させ、成長を遅らせる特性を見つけ出したのです。
こうしてウイルスが分離できた矢先、また悲劇が起こります。1963年にヨーロッパで始まった風疹のパンデミックが、1964年から1965年にアメリカへ渡りました。
日本と沖縄、そしてアメリカを襲った悲劇
アメリカ本土では当時患者がほとんどおらず免疫のない人が多かったため、風疹が一気に広がりました。
この波は日本にもやってきます。本土は過去の流行で免疫を持つ人が多く大流行を免れましたが、風疹が上陸していなかった沖縄でパンデミックが起きました。
1965年、沖縄では408人ものCRSの赤ちゃんが誕生してしまいます。
このとき耳が聞こえない状態で生まれた子供たちが、後に高校生になって聾学校で野球部を作り、甲子園を目指しました。「はるかなる甲子園」という作品になっているそうです。
アメリカの被害はさらに深刻でした。総感染者数は1250万人、人口の約6%にのぼる大流行となりました。
軽い病気とされる風疹でも、これだけの人数が感染すれば重い脳炎も一定数発生します。さらに新生児で生まれてすぐ亡くなった例も2100人あったと語られています。
全米の産婦人科や小児科の病棟はこうした赤ちゃんで埋め尽くされ、専用病棟を作らねばならないほどだったそうです。
この事態はアメリカ社会に強いインパクトを与えました。妊娠中に風疹にかかった女性が中絶の権利を求める運動が起こる一方、障害を持って生まれた子供を施設ではなく自分たちの手で育てるという運動も起こったといいます。
ここで、なぜ大規模な悲劇になったのかをとみーさんが整理します。
ワクチンがなかったから、本当にその感染に頼って免疫を獲得するしかなかったっていうこと。
何年か空いちゃって、大きい流行が起きたから、まとめてこう同時多発的に障害が起きてしまったみたいな。
副反応を乗り越えた世界標準ワクチンへ
大流行の後、1969年に初期のワクチンが登場します。アメリカ国立衛生研究所のマイヤー博士とパークマン博士が、ウイルス株を猿の腎臓細胞に77回植え替えて弱毒化しました。同時期にベルギーのチームもウサギの細胞で弱毒株を作ります。
ところが、これらのワクチンは副反応が激しいものでした。特に成人女性で強い関節痛や関節炎が出たり、免疫がうまくつかず本物のウイルスにかかったときにかえって感染が広がる例もあったといいます。
この課題を解決したのが、フィラデルフィアのウイスター研究所のスタンリー・プロトキン博士です。人間の細胞を使い、通常の37度ではなく30度という低温で繰り返し培養しました。
こうして生まれた弱毒株は副反応が少なく、免疫もしっかりつきました。10年間の追跡で、関節痛が出にくく、免疫が長持ちすることも確認されます。
特に、鼻や喉の粘膜で免疫が強固に持続する点が重要でした。風疹は空気感染で入ってくるため、鼻や喉での防御が強いことが効いてくるのです。この株は世界標準となりました。
日本は日本で独自に株を開発しています。武田薬品や北里研究所が、日本の患者から取れたウイルスを弱毒化し、安全性の高い株を作り上げました。
赤ちゃんも「社会を守る一員」という視点
最後に、あきさんととみーさんが今回の要点を確認します。大人がかかっても多くは発疹を伴う厄介な風邪程度で済みますが、妊娠初期の妊婦さんがかかると胎児に重篤な影響が出ます。
だからこそ、妊娠前にワクチンで免疫を獲得しておくか、妊娠初期にかからない努力が必要になります。
さらに大事なのが、社会全体で守るという発想です。万が一免疫がないまま妊娠しても、社会の中に風疹がなければうつることはありません。
風疹の場合はえーと、確か八十五パーセントだったかな、人間が免疫を持っていると、基本的に社会の中で広がらない。八十五パーセント以上の人が免疫を持ってくれることで妊婦さんは守られる。
では、なぜ1歳から接種するのでしょうか。とみーさんの質問にあきさんが答えます。
まず0歳から1歳までは、母親からもらった抗体があるため、ワクチンを打っても定着しにくいという問題があります。だからその時期を過ぎてから接種します。
1歳で打つ理由は、本人がまれに脳炎などを起こすリスクを避ける意味もあります。しかしそれ以上に、周囲の大人へ風疹をうつさないという意味が強いのです。
1歳ごろから保育園で集団生活を始める子もいます。子育て世帯には、次の子を望んでいる妊娠可能な親御さんも多いと考えられます。
そこで赤ちゃんが知らずに感染源になってしまうことを防ぐのが重要になります。赤ちゃんといえども社会の一員だ、というのがあきさんの考えです。
とみーさんは、予防接種には本人の重症化を防ぐものと、免疫を持つことで社会のためになるものの両方があると気づいたと話します。あきさんは、麻疹と同じく風疹も集団免疫がとても重要な病気だと締めくくりました。
まとめ
風疹は軽く見られがちですが、妊娠初期の感染は胎児に難聴や白内障、心疾患などの重い障害を残す病気です。妊娠してからは生ワクチンを打てないため、事前の免疫獲得と、社会全体で妊婦を守る集団免疫が鍵になります。
- 風疹は多くの人には軽症だが、妊娠初期の感染は先天性風疹症候群(CRS)につながる。
- 風疹ワクチンは生ワクチンのみで、妊娠中は接種できないため事前の対策が必要。
- 妊娠を希望する女性だけでなく、パートナーや周囲の人の免疫確認も妊婦を守る。
- 歴史的に大流行が同時多発的なCRSを生み、副反応を克服した世界標準ワクチンが生まれた。
- 1歳からの接種は、本人の重症化予防に加え、赤ちゃんが感染源になるのを防ぐ意味が大きい。
