極寒のスウェーデンと風邪、そして受賞前の講演漬け
キャリー・マリスがノーベル化学賞を受賞し、いよいよ授賞式のためスウェーデンを訪れます。
12月の北欧はあまりにも寒く、しかも北の地ゆえに太陽がほとんど昇らず、冬は一日中暗いといいます。
キャリーは到着していきなり風邪を引いてしまったそうです。
授賞式までの日々はスケジュールがほぼ決まっていました。大学教授たちとの昼食会があり、その後講演会があり、ホテルで正装に着替えて夜の公式行事へ、という流れだったそうです。
あきさんは、ガードナー賞を受賞した知り合いの研究者からも似た話を聞いたと語ります。
受賞式までの間にいろいろなところを連れ回されて、講演会があるらしいんですね。
講演を何回か繰り返すことで、喋る内容にもだんだん慣れていって、受賞式では立派な講演ができるように、というスケジュールが考えられているのかなと思います。
レーザーポインターで始まった、逮捕寸前のいたずら
日常をこなす中で、キャリーは講演用にレーザーポインターを与えられます。
当時レーザーポインターは大変珍しく、まるで自分の手が伸びたようだと面白がったキャリーは、さっそくいたずらを思いつきます。
ホテルの窓際から、外で新聞を読む人の紙面に赤い丸を書いたり、歩道を歩く人の足元を道案内するようにポイントしたりしたそうです。
ある朝には、車外でタバコを吸うタクシー運転手の胸にポインターを当てました。運転手は慌てて車内に逃げ込みますが、それが面白くなって、フロントガラス越しにさらにポイントを続けます。
ところが、なんと部屋に警察がやってきました。
キャリーは、レーザーポインターがライフルの狙撃用照準として使われることを知りませんでした。
さらに悪いことに、その前年スウェーデンではレーザーで狙いを定めて人を撃つ事件が起きており、市民はレーザーの光に非常に敏感になっていたのです。
タクシー運転手は模倣犯かと思い、警察に通報しました。
ただ、通報を受けた警察は困惑したといいます。光が発せられた先が、ノーベル賞を受賞する科学者の泊まる部屋だったからです。
キャリー・マリス博士と。つかぬことを聞きますが、あなたは部屋から何か赤い光を発しましたでしょうか、という形ですね。
キャリーははいと答えてレーザーポインターを見せ、警察はライフルに装着されたものではないと確認して帰っていきました。お小言は言われたものの、さすがに懲りていたずらをやめたそうです。
とみーさんは、遠い海外の事件を知らなかったのは無理もないと指摘します。
今みたいにインターネットがない時代ですから、その当時何があったかを、新聞や他の方法で入手するしかなかったわけなので。
一方であきさんは、タイミングが悪かったと振り返ります。もし逮捕されていたら、ノーベル賞はどうなっていたのだろう、とも話されています。
話は国ごとの文化や法律の違いにも広がりました。肌の露出が罪になる国もあるように、行った先の文化は最低限尊重して行動すべきだと語られます。
それができないのがキャリー博士というところですね。
国王への素っ頓狂な提案と、晩餐会の一幕
いよいよノーベル賞授賞式です。キャリーは受賞スピーチをしてメダルを受け取り、その後スウェーデンのグスタフ国王夫妻が開く晩餐会に招待されます。
晩餐会では受賞者と王族が互い違いに座る配置になっており、キャリーはグスタフ国王の隣という席次でした。
国王がPCRに興味を示すとは思わなかったキャリーは、何を話そうか考えるうち、またいたずら心がむくむくと湧いてきます。
当時、国王には16歳の娘ビクトリア嬢がいて、ちょっとしたゴシップで話題になっていました。キャリーはその娘を自分の息子と結婚させてはどうか、と国王に提案したそうです。
しかも交換条件として、こんな冗談を口にしました。
代わりに息子をあなたの娘さんにあげられるので、その代わりにあなたの国土の3分の1を私にください、というようなことを言ったそうです。
国王はあまりの提案に困惑した顔をしつつも、上品にこう返したといいます。
それは面白い提案ですね、考えておきましょう、という風にだけ返してくれたそうですね。
さすが国王ですね。
とみーさんは、何事もなかったように場を過ごせるのもキャリーの人柄なのかもしれないと話します。
なお、ビクトリア嬢はその後、ジムのトレーナーと恋に落ちて結婚を望みますが、平民との結婚に国王が反対し、一時仲がこじれたそうです。結果的には認められ、その相手と結婚することになったといいます。
PCR特許400億円超での売却と、シータス社の消滅
ここから、キャリーが去った後のシータス社の話に移ります。
ノーベル賞受賞は1993年ですが、それより前、キャリーが辞めてすぐの1991年に、シータス社はPCR技術の特許を売却します。
売却先はスイスの製薬大手ホフマン・ロシュで、売却額は3億ドル。当時の日本円で400億円以上という巨額の資金でした。
シータス社はこの資金を、主力事業と位置づけていたインターロイキン2の医薬品化に充てようとします。
ところが特許売却の数か月後、シータス社はカイロン社と合併します。
主力にしようとしたIL-2はFDAの承認がなかなか下りず、400億円でも足りずに財政難に陥っていたためです。安定した収益を上げるカイロン社との合併で、シータス社は息をつなぎます。
しかし合併後はカイロン社がメインとなり、PCRという偉大な特許を生んだシータス社というブランドは、ここで消滅しました。
シータス社が開発していたIL-2製剤は、その後プロロイキンという名前でがん治療薬として承認されました。
カイロン社も成長を続けましたが、2006年に製薬大手ノバルティス社に買収され、こちらもなくなります。
PCRの技術はロシュに売られ、そこからライセンスアウトを受けたABIが事業として成功しました。こうして、今の簡単にPCRができる世の中が実現しているのかもしれません。
会社は消えても技術は残る、名機ライトサイクラーの記憶
とみーさんは、会社は一つの箱のようなもので、吸収合併で名前がなくなることはあっても、技術自体は変遷の中で継承されていくのだと語ります。
あきさんは、外資系メーカーで働く立場から、吸収合併や分裂が日常的に起きるアメリカのダイナミックさを実感していると話します。
同僚だった人が違う会社に行っちゃったよみたいなことも経験しますし、逆に自分の会社が嫌で辞めていった人が、行った先の会社がまた元の会社に買われて戻ってきた、なんてこともあって。
一方で、ライセンスアウトされた先で技術がそのまま消えてしまうこともあり、大事に使っていた技術がなくなるのは悲しいとも語られます。
その具体例として、とみーさんが大学院時代にお世話になったロシュのリアルタイムPCR機、ライトサイクラーの話が挙がりました。
ライトサイクラーは、溶液を入れる部分がガラス製のキャピラリー(細い管)になっているのが特徴でした。長さは数センチ、太さは1ミリにも満たないほどです。
ガラスは検出感度が高く、他社のプラスチック製に比べて微妙なものを捉えやすいため、重宝したといいます。しかし販売終了と聞き、とみーさんはショックを受けたそうです。
大学院時代にすごくお世話になったので、その終了のお知らせを聞いた時はすごいショックでしたね。
あきさんも、ライトサイクラーは周りにない特殊な仕組みの名機だったと振り返ります。
一般的なリアルタイムPCRは、アルミブロックの穴にチューブを差し込み、ブロックの温度を上げ下げして反応溶液に熱を伝えます。
これに対しライトサイクラーは、ガラスキャピラリーを空気の温度が変わる小さな箱に入れます。空気は熱伝導性が低いため、キャピラリーを高速で回転させる設計で、1秒間に10度ほどのスピードで温度を変えられたそうです。
アルミブロックだと1秒間に2度ほどとゆっくりですが、空気式なら一気に上げ下げできるため、実験自体が早く終わったといいます。
スループットとポータブル、PCR機に求められるもの
一方で、ライトサイクラーには弱点もありました。1回の解析でサンプルを32までしか入れられなかったのです。
あきさんは当時、より多くのサンプルを扱える側の陣営にいたため、この点を弱みとして商談していたと明かします。
製薬メーカーの現場では、384ウェルのプレートに384サンプルを入れ、それを10枚、20枚と回すこともあります。
一万サンプルぐらいを一日に解析するなんていうのは当たり前の世界なので、その中で32というのは今の時代にはちょっと受け入れられないんだろうなと思います。
ガラスキャピラリーは感度で優れる一方、コストパフォーマンスや処理数ではプラスチックに勝てず、ニーズが下がっていったと整理されます。
検出感度が高く、空気式で温度変化が高速。ただしサンプル数は32程度と少なく、コスト面で不利
大量のサンプルを一度に処理でき、コストパフォーマンスに優れる。温度変化はゆっくり
あきさんは、ライトサイクラーの後継のようなコンセプトで、プラスチックチューブを回転させる小型のリアルタイムPCR機が別メーカーから出ていると紹介します。ピコのような名前だったと記憶しているそうです。
こうした小型機は安価で、サンプル数を多く扱わない小さな研究室には十分だといいます。持ち運びに適したサイズであることも利点です。
たとえば感染症が起きた現場で、原因となる病原体を至急調べる必要があるとき、パッと現地に持っていける点が便利だと語られます。
とみーさんは、PCRは複数の候補から迅速に見分けられる強みがあり、菌を培養して調べると2〜3日かかるのに比べて速いと補足します。
さらに、環境DNAを調べるフィールドワークや考古学の分野でも、ポータブルなPCR機のニーズは高まっていると話されます。
DNA取れる場所は取れるところでやられ尽くしているので、かなり僻地まで持っていけないとダメというレベルになってくると思うので、ポータブルな機械があってもいいのかなという気がしますね。
まとめ
ノーベル賞の華やかな舞台でレーザーポインターの騒動を起こし、国王に素っ頓狂な提案までしたキャリー・マリス。その一方で、PCRを生んだシータス社は特許売却と合併を経て消え、技術だけが会社の変遷を越えて受け継がれていきました。
- キャリーはレーザーポインターでいたずらし、前年のレーザー狙撃事件の余波で警察沙汰寸前になった。
- 晩餐会でグスタフ国王に「娘さんと息子を結婚させ、代わりに国土の3分の1を」と冗談を持ちかけた。
- シータス社は1991年にPCR特許を約3億ドル(当時400億円超)でホフマン・ロシュに売却した。
- IL-2の承認が下りず財政難だったシータス社はカイロン社と合併し、ブランドは消滅した。
- 名機ライトサイクラーは感度で優れたが、処理数とコスト面でプラスチック方式に押され、技術は会社を越えて継承されていった。
