受賞は確実だと信じた前年、しかし届かなかった知らせ
前回、キャリーは日本国際賞を受賞し、皇后陛下に「スイーティー」と呼びかけるなど、相変わらずのいたずら心を発揮していました。
その後の1992年、キャリーは自分でも「今年は取れるだろう」と思っていたそうです。
理由は、ドイツのテレビ番組のホスト役から電話があったことでした。
今年のノーベル化学賞は君が取るよ。私は何年もかけて化学賞の予想を外したことがない。
その人物はわざわざアメリカまで来て、1週間かけて撮影を行っていったといいます。
キャリーは「全部予想しているというのは嘘だろう、ノーベル財団の誰かから情報をリークしてもらっているんだろう」と心の中で思いながら、それなら本当に受賞できると考えたそうです。
ところが、この年は受賞できませんでした。
恩師の忠告と、それでも隠さなかった素顔
がっかりしたキャリーに、大学時代の恩師が助言をしたそうです。
ノーベル財団は、この栄誉ある賞にふさわしい上品な人物を選ぶだろう。だから言動には気をつけた方がいい。
キャリーはPCRで注目されて以来、いろいろなメディアに出て、サーフィンが好きなこと、ガールフレンドが多いことを話していたそうです。
そのあたりは望ましくはなくても許容範囲だが、さらにLSDをよくやっているのはまずい、と恩師は指摘しました。
サーファーで女好きで、その上LSDまで好きだとなると、財団は眉をひそめるだろう、というアドバイスだったそうです。
それでもキャリーは、テレビなどに出るとき、そうしたことを隠しもせずに取材を受けていたと語られています。
早朝の電話を取り損ねた受賞連絡
そして1993年10月13日の朝6時15分、電話が鳴りました。
早朝でFAXかと思い無視していると、留守電にメッセージが入り、「ノーベル財団です」と告げられます。
キャリーは慌てて飛び起きて電話を取りましたが、残念ながら同時に切れてしまったそうです。
受賞連絡を取り損ねたと落胆したところで、もう一度電話がかかってきました。
おめでとうございます。キャリー・マリス博士、あなたがノーベル賞を受賞されたことをここにお知らせします。
キャリーは慌てて「もらうよ、もらう」と答えたそうです。
連絡してくれた相手は、最後にこう助言してくれました。
これからマスコミが殺到するでしょうから、それに向けて準備をしておいてください。
あきさんは、ノーベル財団側もそうやってアドバイスしてくれるのは心得たものだ、と話しています。
研究者の方は特に慣れていないので、ご家族が対応しないといけないケースもある。身構えておく必要があるんだろうなと。
話題は、受賞後に研究者が置かれる立場にも広がります。
山中先生もiPS細胞で受賞されてから、メディアの露出がすごく増えた。研究者というよりは広報担当になった、といい意味でも悪い意味でも言われることがあります。
研究からは遠ざかってしまうものの、科学技術を社会に広める活動に時間を移すことは、社会全体で見ればいいことかもしれない、と話されています。
研究は税金からもらってやっている部分も大きい。自分が発見したものは何かを広報して、税金をくれた国民に還元するのは非常に重要だと思う。
なぜ若さでの受賞は「異例」だったのか
とみーさんは、指導教官の先輩がいつもノーベル賞候補に挙がるので、選考にまつわる話を聞くことがあるといいます。
昔は、マスコミに受賞だと書かれると受賞できない、年齢が若いと受賞できない、といったことも言われていたそうです。
社会に還元されるまでの期間が昔は長かったので、ご存命のうちにと、ご高齢の方から順番になる。山中先生はまだお若すぎて受賞できないのではと、当時は言われていました。
そうした慣例のなかで、キャリー・マリスは非常に若くして受賞しました。
待たれていた多くの人を飛び越えての受賞であり、それだけ財団から見た偉業が大きかったのだろう、と語られています。
サーフィンから帰るとマスコミの海だった
マスコミが殺到すると聞いたキャリーは、まず母親に受賞を知らせようと受話器を上げます。
ところがその途端、AP通信から電話がかかってきました。
通話を終えて再びかけようとすると、今度はUPI通信から。その後もひっきりなしにマスコミから電話が続いたそうです。
対応しきれないと思っていたところに、サーフィン仲間が「サーフィンに行こう」と誘いに来ます。
マスコミから逃げるように出かけますが、友達は車のラジオですでに受賞を知っていました。
俺、ノーベル賞取っちゃったみたいなんだよ。
ああ、知ってるよ。
サーフィンを楽しんで海から上がると、今度はテレビ局のクルーが待ち構えていました。
家に行ってキャリーがいないとわかると、近所で聞き込みをして海岸まで来ていたのです。
取材陣は海から上がるサーファーに次々と声をかけていました。
キャリーと友達が上がると、いたずら心のある友達は自分が本人だと名乗り出ます。
はい、私がキャリーです。
受賞の感想や今晩の過ごし方の質問に神妙に答えてから、隣のキャリーを指して成りすましだったと明かしたそうです。
家に帰ると周囲はマスコミで埋め尽くされ、もみくちゃになりながら取材を受けました。
翌日の新聞は、格好の見出しを掲げます。「サーファーがノーベル賞受賞」です。
早朝の電話
留守電に財団からの連絡が残り、慌てて折り返しを受ける
母への電話を試みる
受話器を上げた途端に通信社からの取材が始まる
サーフィンへ逃避
仲間の誘いで海へ出かけ、束の間マスコミから離れる
海岸で待ち伏せ
テレビ局が海岸に先回りし、友達が成りすます一幕も
新聞の見出し
サーファー姿の写真とともに大きく報じられる
ビーチでサーフィンをする姿の写真は今も有名で、キャリー・マリスを検索すると必ず出てくる一枚になっています。
科学者らしからぬ素顔と、代名詞になった「サーファー」
科学者がサーファーというつながりにくさが、面白おかしく見出しに使われたと考えられます。
研究者はどちらかというとインドア派で、あまりスポーツをたしなまれないイメージがある。そこからのギャップがキャッチーに映ったのでしょうね。
山中先生はもともとラグビーをしていたと話題に出つつも、サーファーというのはやはり珍しい、と語られます。
科学者は結構みんなオタッキータイプが多い気がするが、彼は女性に声をかけるのも大好きで、サーフィンも大好き。そういうところが魅力であり面白さだと思う。
受賞後は友達がシャンパンを手に集まり、母親に連絡が取れたのは午後になってからでした。
パーティーは二日間続き、近くのワイナリーでもワインをたらふく飲まされたそうです。
飲みすぎて、寝ている時に棺桶の中に横たわる夢を見たといいます。
同時受賞と、燕尾服とホワイトハウス
授賞式が行われるストックホルムへ、キャリーは二人の息子と、その母親である二番目の妻シンシアを連れて行きます。
さらに当時付き合い始めていたガールフレンドのアインホフと、自分の母親も同行しました。
この年の化学賞は同時受賞で、もう一人の受賞者マイケル・スミス博士もまた、元妻と子供たち、今のガールフレンドを連れてきていたそうです。
元カノと今カノと子供たちを連れた受賞者が二人そろうという、滅多にない偶然が起きたのです。
服装をめぐっても一騒動ありました。キャリーは「ホワイトタイ」という情報から、白の燕尾服に白のネクタイだと思い込み、イタリアンスーツ店で白の燕尾服を仕立ててもらっていました。
ところが出発1週間前、前年の受賞者の写真を見ると、全員が黒の燕尾服に白のタイだったのです。
春夏のパーティーは白の燕尾服、秋冬は黒の燕尾服にホワイトタイという慣習を知らなかったため、慌てて黒の燕尾服を発注し、スウェーデンへ直送してもらいました。
仕立てた白の燕尾服は、後にキャリーの3回目の結婚式で使われたそうです。ちなみにキャリーは生涯で4回結婚しています。
アメリカ人受賞者はスウェーデンに行く前にホワイトハウスに招かれ、クリントン大統領とヒラリー夫人に会えることになっていました。
大統領は忙しく、一人ずつ握手と写真を済ませてすぐ去っていったそうです。
あきさんは、一人ずつ握手をするということは、それだけアメリカから毎年複数の受賞者が出るということで、国力を思い知る、と話しています。
一方、ヒラリー夫人とは色々と話す機会がありました。当時医療制度改革を進めていた夫人を、キャリーは試そうといたずら心を働かせます。
外国の医療制度を知っているかと、オーストラリアやアイルランドの制度を尋ねると、すらすらと答えたそうです。
ヒラリー夫人ってすごく頭がいいし、いろんなことをちゃんと見据えて仕事もやっているんだなと、非常に見直したそうです。
そしていよいよ12月のスウェーデンに到着します。想像通りものすごく寒い、というところで今回は区切られました。
まとめ
今回は、受賞は確実だと信じた前年の落選から、早朝の連絡を取り損ねる一幕、サーフィンから帰ると待ち構えていたマスコミまで、キャリー・マリスの異例ずくめの授賞を追いました。奔放なライフスタイルと、若さでの受賞という珍しさが重なった回でした。
- 受賞前年、恩師からライフスタイルへの忠告を受けたが、キャリーは素顔を隠さなかった
- 早朝の受賞連絡を一度取り損ね、折り返しの電話でようやく受賞を知った
- マスコミから逃れてサーフィンに出かけ、「サーファーがノーベル賞」という有名な見出しが生まれた
- 当時としては異例の若さでの受賞であり、それだけ功績が大きく評価されたと語られた
- 化学賞は同時受賞で、二人とも家族構成の似た顔ぶれを連れてくるという偶然も起きた
