錬金術から始まった化学の歴史
発見の話に入る前に、あきさんはまずこの時代の化学を整理します。前提となるのは、無機化学、有機化学、結晶学の3つです。
パスツール以前のヨーロッパでは、金を作ろうとした錬金術金属を金に変えたり不老不死の薬を作ろうとした、化学の前身となる技術や思想。実際には金は作れませんでしたが、実験手法や物質の知見が蓄積されました。師たちの試みが、化学発展の基礎になっていたと話されています。
たとえば1669年、ドイツの錬金術師ヘニッヒ・ブラントは、黄金色の尿には金の秘密が隠れていると信じ、5000リットルもの尿を集めて煮詰めたそうです。
おしっこが黄金色だからってことね。
そういうことですね。それで、5000リットルものおしっこを集めてきて煮詰めると。
結局、金はできませんでした。しかし暗闇で怪しく光る新元素リンを発見することになったと紹介されます。
ニュートンの水銀中毒と、無機化学の進展
物理学の神様アイザック・ニュートンも、残した手記の大部分は錬金術の実験記録だったと話されています。
彼は部屋にこもって水銀や鉛を焼き続け、重度の水銀中毒になっていたそうです。1970年代に遺髪を調べたところ、大量の水銀が検出されました。
水銀は神経に作用します。50歳ごろから猜疑心の強い偏屈な人物になり、トラブルを起こしていた記録も、水銀中毒の裏づけになったと語られます。
水銀中毒って性格も変わっちゃうんですね。
神経に作用して脳に作用するんで、精神に来るっていう感じですね。
18世紀になると、硫酸や硝酸、塩酸、炭酸ナトリウムといった強酸やアルカリの製法が確立し、工業的にも作られ始めます。
さらに酸素や水素、二酸化炭素などの気体も作れるようになります。イギリスのハンフリー・デイビーは、1807年から1808年にかけてボルタ電池による電気分解に成功し、カリウムやナトリウム、カルシウムなどの金属単体を次々と取り出しました。
こうして無機化学が花開いていったと整理されます。
生命力の常識を崩した有機化学の誕生
続いて有機化学です。19世紀初頭まで、人々は砂糖やアルコール、体内の物質といった有機物は、生命力という特別な魔法によってのみ作られると信じていました。
科学的に合成できないってこと?
科学的に合成できるもんではないと。体の中に、生命の中にあるものは、生命力という魔法が宿ることによって、やっと作れるもんだと信じてたんですね。
その常識が崩れたのが1828年です。ドイツの若い科学者フリードリヒ・ヴェーラーが、無機物のシアン酸アンモニウムを加熱したところ、フラスコの底に尿に含まれる有機物、尿素の結晶が現れました。
彼は「生命の力を一切借りずに尿素を作り出してしまった」と興奮し、師匠に手紙を送ったそうです。これが有機化学の産声だと語られます。
その後、弟子のヘルマン・コルベが1845年、炭素と硫黄と塩素という純粋な無機物だけを出発点に、五段階の反応を経てお酢の成分である酢酸を合成することに成功します。
さらに1856年、イギリスの18歳の学生ウィリアム・パーキンが、偶然に美しい紫色の人工染料を作り出します。当時、紫の染料は王族しか買えないほど高価でした。
パーキンはこれを工場で大量生産して大富豪になり、世界中の化学者の目の色を変えます。有機合成を極めれば億万長者になれるという時代の到来です。
これはあれですね、有機化学界のゴールドラッシュ感がありますね。
そうですね、本当にゴールドラッシュがここで起こったっていう感じで、いろんな科学者がこぞって有機化学に行けっていう感じになったんですね。
結晶学の発展と、偏光が示した分子の形
3つ目の背景は結晶学です。始まりは17世紀、1669年のデンマークの学者ニコラウス・ステノでした。
彼は水晶を観察する中で、どんなに大きさや歪みが違っても、同じ種類の結晶なら面と面のなす角度は常に一致するという法則を発見します。石が数学的なルールに従っていることが初めて示されました。
18世紀末には、フランスの鉱物学者ルネ・ジュスト・アユイ{要確認: ルイ・ジュネスト・アウイ}が、カルサイトの結晶をうっかり床に落として割ってしまいます。
すると平行四辺形のような結晶の破片が、また同じ平行四辺形の形をしていました。ここから彼は、結晶は目に見えない小さな構造ユニットが積み木のように積み重なっているという理論を打ち立てます。
さらにアユイは、結晶の角がわずかに斜めに削れたように見える不完全な面、半面体があることにも気づきます。これが後のパスツールの発見につながります。
同じ頃、物理学では光の研究が急速に進みます。1815年頃、フランスの物理学者ジャン・バティスト・ビオが、特定の結晶や液体に偏光光の振動方向を一つの面にそろえた光。物質を通ると振動面が回転することがあり、この性質を分子構造の手がかりに使えます。を通すと、光の振動面が回転する現象を発見しました。
水晶は結晶の形のときだけ光を曲げ、溶かして液体にすると曲げなくなります。一方、ワインの樽の底にできる酒石酸は、水に溶けた液体でも光を曲げ続けました。
ここからビオは、酒石酸が光を曲げるのは並び方ではなく、分子そのものがネジのようにひねくれた形だからだと推測します。当時は分子の形を見られなかったため、あくまで推測でした。
科学界を混乱させたミッチェルリヒの謎
そしてパスツールにつながる話です。ドイツの科学者ミッチェルリヒは、化学組成が異なると結晶の形も違うという常識に反し、組成が違っても同じ形の結晶を作る例があることを見つけていました。同形律と呼ばれます。
さらに1844年、彼がフランス科学アカデミーに提出した短い報告が科学界を大混乱に陥れます。
酒石酸塩とラセミ酸塩は、化学組成も原子の数も比重も屈折率も結晶の形も面の角度まで完全に同じなのに、酒石酸は光を右に曲げ、ラセミ酸は全く曲げないというのです。
同一のはずの物質を、光を曲げるか否かだけで分けなければならない。これがミッチェルリヒの謎と呼ばれる、当時の有機化学の難問でした。
顕微鏡とピンセットで見分けた右手と左手
この謎にパスツールが挑みます。彼は数式の暗記は苦手でしたが、顕微鏡を覗いて角度を測り、立体を頭に描いてスケッチする結晶学が大好きで、微細な違いを見分ける目を持っていました。
まずパスツールは、ミッチェルリヒの報告が間違いで、結晶の形が本当は違うのではないかと疑います。
そして砂粒ほど、1ミリあるかないかの結晶を顕微鏡で観察し、あることに気づきます。結晶の欠けている部分が、左側のものと右側のものに分かれていたのです。
それはちょうど左手と右手の関係でした。鏡に映した像のように、上下や左右を変えても重ならない関係です。
パスツールは自作の精密なピンセットで、これは左手、これは右手と一粒ずつより分けていきます。そしてそれぞれを水に溶かし、偏光計で計測しました。
すると片方は光を右に、もう片方は左に曲げました。ラセミ酸は左右が半々に混ざり、右と左に曲げる性質が打ち消し合って、光がまっすぐ進んでいたのだと証明されます。
右手型の結晶だけで、光を一方向に曲げる
右手型と左手型が半々に混ざり、曲がりが打ち消し合って光がまっすぐ進む
偏光の神様ビオを涙させた再現実験
パスツールはこの発見を師匠のバラールに大喜びで報告し、バラールもあちこちで話題にしてくれました。しかし学会の重鎮たちは、若造の発見などあるわけがないと信じませんでした。
ただ一人、偏光の性質を発見したビオだけは確かめようとします。70歳のビオはパスツールを研究室に呼び、自分のラセミ酸を渡し、目の前で一から証明してみろと求めました。
パスツールはビオの前で顕微鏡とピンセットで結晶を左手と右手に分け、水に溶かして偏光計にセットします。ビオが覗き込むと、光はそれぞれ完全に右と左に曲がりました。
若きルイの手を強く握りしめて、涙を浮かべながら、青年よと。私は生涯をかけてこの学問を愛してきた。今の君の発見は、私の心を深く揺さぶったと、非常に感動してくれたみたいなんですね。
偏光の神様ビオが公式に認めたことで、25歳のパスツールの偉業は一気に世界に証明され、科学界のスターダムに名乗りを上げます。以後、ビオは良きアドバイザーとして彼を気にかけたそうです。
まとめ
無名の24歳が、顕微鏡と自作のピンセットだけで、分子に右手と左手があることを人類で初めて見抜きました。錬金術から続く化学の歴史の積み重ねの先に、パスツールの発見が置かれていたことが伝わる回です。
- 当時の化学は無機化学、有機化学、結晶学の3つの流れの上に成り立っていた。
- ミッチェルリヒの謎は、同一に見える酒石酸とラセミ酸が光の曲げ方だけ違うという難問だった。
- パスツールは結晶の左右の違いに気づき、一粒ずつより分けて光の性質の差を証明した。
- 偏光の神様ビオの立会い実験で発見が公認され、25歳で科学界のスターとなった。
- 次回は二月革命に沸くパスツールと、熱烈な片思いからの電撃結婚が語られる。
