子供時代と「友達」という意思決定
対談の冒頭で、岡井さんが「どんな子供でしたか」と中路さんに尋ねます。七年一緒にいて、一度もこうした話をしたことがなかったといいます。
一人で友達がいるかと思って母が見に来たら、一人でずっと喋ってたらしくって。自分でストーリーを考えて、めちゃくちゃ喋ってると思って、友達と遊んでるんだろうと思って開けたら中一人みたいな。
中路さんは今もその頃と大きく変わっていないと話します。一方で岡井さんは、勉強熱心な両親のもとで、理由なく「やれ」と言われることに反抗してきた子供だったと振り返ります。
本当にお前は言うこと聞かないけど、友達だけは多いなみたいな。なんかそこが唯一いまだに親から褒められるポイントかなと思いますね。
岡井さんは、仲の良さは接触時間によるものだと考えているといいます。相手の強みも闇も知っていくと、絶対に相容れない人間はいないのではないか、と話します。
さらに岡井さんは、友達は自分の意志で選ぶものであり、人間らしい活動の一つだと語ります。褒め合うだけの関係も、厳しく言い合う関係も、意志で決められるといいます。
岡井さんは、中路さんとは七年一緒にいて、投資判断のときはフェアになるものの、日常は仕事の話も他社の話もするといいます。二人は自分とは真逆のタイプだと感じ合っていたと話します。
五人の親友と描いた「百年後の日本に必要なインフラ」
大学を卒業し、岡井さんはLuupを創業します。その原点は、大学一年からのサークル仲間である親友五人での構想でした。
何をしてもいいと言われたら何がしたいか。そう考えたとき、せっかくなら五人で仕事をしたいと思ったといいます。しかも、ただ楽しいことをやろうとはならなかったのが、この五人の特殊なところだと岡井さんは話します。
百年後の日本にむしろ今から作り始めないと、日本が困っちゃうよねっていうものを、なんかせっかくやるなら作りたいよねっていう思いで。
当時は一千万、二千万を集めてメディアをやるといった起業が周囲で盛んでした。岡井さんは、そうした原資でできる事業では、日本全体のためになるものは作れないと考えたといいます。
そこで五人はいったん社会人経験を積み、三十歳になったら再集結して起業しようと決めます。営業、金融、ファイナンス、コンサル、ソフトウェアと、それぞれが分担してスキルを身につけました。
ところが働くうちに、三十歳まで待つ必要があるのかという話になります。深夜に集まって事業を検討し、寝落ちしては朝また仕事へ向かう生活を続けた末に、卒業して二年ほどのタイミングで始めることを決めました。
ジャーナリスト志望からVCへ、中路隼輔の道のり
続いて岡井さんが、中路さんがなぜANRIに入ったのかを尋ねます。中路さんは二十代で四社を経験したジョブホッパー気味だと前置きします。
もともと大学入学時はジャーナリスト志望でした。しかしインターン先の記者から言われた言葉が、今も記憶に残っているといいます。
ジャーナリストは権力の監視者であって行使者ではないからねっていう。監視するだけで、何かしら社会を変えるとかっていうのは、主体にはちょっとなりづらいよねみたいな。
自分は行使もしたいと感じた中路さん。ちょうどiPhoneが登場し、アプリで起業する人が増えた時期に感化され、社会や未来を変えるのはスタートアップかもしれないと考え、VCに興味を持ちます。
就職活動でVCという職業を見つけたものの、当時はほぼ誰も新卒を採っていませんでした。中路さんはANRI創業者の佐俣氏のメンタリングデーにも学生時代に足を運んでいたといいます。
結局、スタートアップで一番の会社はGoogleかもしれないと考え、まずGoogleに就職します。無料のランチやお菓子まで含めて、社員同士の偶然の会話を生む合理的な経営に触れたことが良かったと振り返ります。
しかしGoogleは海外の子会社であり、起業やVCの道からは遠いと感じます。その後、インターン先だったルクサへ転職し、KDDIへの売却に伴うPMIを担当。四六時中働く時期を経て、DCMというVCに入ったのがVCの始まりでした。
ANRIへの転職と「一社も投資せず辞めるのはもったいない」
その後、中路さんはANRIに移ります。DCMは年に数社しか投資しないセレクティブなファンドで、中路さんはVCの難しさを痛感したといいます。
ベンチャーキャピタルってこんなに難しいんだと思って。やりたかった仕事なのに何もできないし、すごい難しい仕事だから辞めようと思って。
三ヶ月ほど図書館に通って本を読む生活を送っていたとき、佐俣氏から声をかけられます。
一社も投資せずに辞めるのもったいなくない?って言われて。それもそうだなみたいなことを思って。
ANRIは不確定性を楽しみ、若い企業も含めて未来を信じる力が強いと感じていた中路さん。ここでダメなら辞めようと入社し、なんとか続けられていると話します。
二人の出会いと、第一印象に残った「信用できそう感」
二人が出会ったのは、中路さんがANRIに入って四ヶ月ほど、三社目か四社目の投資検討のタイミングでした。きっかけは他のVCからの紹介で、それが岡井さんの前職の元上司だったという縁もあったといいます。
岡井さんは中路さんの第一印象を、一人で探求するのが好きそうで、しかもすごく信用できそうだと感じたと話します。その根拠として、ある出来事を挙げます。
この事業、うちのファンドふさわしくないよ、うちは入れたいけどねみたいなことを言いそうな人。出資したい場合は言わない方がいいじゃないですか。けどなんか言っちゃう。
岡井さんは、自分が損してでも正しい方へ世界は行くべきだと考える人だと受け取ったといいます。世の中は等価で、放出した分は必ず返ってくるという考えから、この人は損な生き方をしているのではないかと感じたそうです。
もう一つの理由は年齢の近さでした。最初に出資して伴走する人が、最も自分たちのチームを見届ける存在になると考えたといいます。
自分が生きてるうちはずっとこう仕事をする人としての人生が重なってる人の方がいいんだろうな。
一方の中路さんは、岡井さんの第一印象を「気が合うと思った」と話します。通常なら四十分ほどの面談が二時間に及び、事業だけでなく、どうなったら面白い世界かという構想まで自然に議論が広がったといいます。
土曜日に投資家を呼び出した、Dean & Delucaのプレゼン
最初の面談から数日後、中路さんのもとに突然メッセージが届きます。木曜に会い、土曜か日曜に大手町で会えないかと呼び出されたのです。
指定されたのは大手町のDean & Delucaでした。行ってみると、岡井さんは前回の面談で残った疑問に応えるプレゼン資料を用意していました。
ドコモチャリのユーザーとかをインタビューしてみましたとか、こういう機体だったら中国で作れそうですとかを調べてきたの見た。そこで僕、投資の意思決定はした感覚はいまだに覚えてる。
岡井さんは、前回の面談で「世界ではどうなっているのか」「なぜ今これなのか」といった論点が数多く出たと振り返ります。一つでも疑問が残れば出資したくないと考え、最大出力で潰す姿勢を見せなければと思ったといいます。
その背景には、Luupが目指す事業の性質がありました。もともとは介護など、日本で百年後に必要なインフラを検討していました。UberEatsのような配送を検討する中で、日本が徒歩と鉄道の文化であることに行き当たります。
道が狭く路駐もできない日本では、エッセンシャルワーカーの移動効率が悪い。人口は減り、高齢者比率は上がり、都市は過密になる。そこでソフトウェアとIoTを使い、小型の一人乗り電動モビリティをシェアリングする構想にたどり着きます。
重要だったのは需要と供給でした。ユーザーは本当に移動の課題を感じているのか。そして、先を見据えた大きいファンドから最初にお金を集められるのか、という点です。
岡井さんら五人は、株を何パーセント持ちたいという発想ではなく、いかに早く大きなものを作れるかを重視していました。だからこそ売上ゼロ、プロダクトもない段階で投資家のもとへ行こうと決めたといいます。
僕らが何を投資家に対して示すんだろうっていう問いは純粋に抱えながら。ので、せめてそこ以外は最大出力である必要があるな。
その熱量が、土日のプレゼンとして形になりました。中路さんは、周囲から難しいと言われる中でも、彼とこのチームならと投資を決めたと話します。
アメリカ視察と、電動小型一人乗りへの確信
出資が決まった直後、岡井さんと中路さんはアメリカへ渡ります。需要が実現している世界を見て検証するためでした。当時はまだ創業から数ヶ月ほど。電動キックボードのシェアリングが立ち上がり、ユニコーンになるかどうかという時期でした。
中路さんが同行した理由を、岡井さんは三つ挙げます。人手が一.五倍になること、旅費が自社負担で済むこと、そしてGoogle出身で英語が話せることでした。
これでダメならうちだって投資してほしくないし、その実態見てもらった方が多分早いであろう。
サンタモニカとワシントンDCで、二人は走行中や停車中のユーザーに次々と声をかけ、二、三百人規模でインタビューを行いました。年収や勤務先、なぜ乗っているのかまで根掘り葉掘り聞いたといいます。
コツは自己紹介でした。日本から来た何歳だと伝えると、多くの人が何でも教えてくれたといいます。
視察を通じて分かったのは、密度の重要性でした。道端に高密度で車両を置き、好きな場所で拾って返せることが大事だと実感します。また、なぜ電動なのかと聞くと、電動でないとだるくて乗らないと多くの人に言われたそうです。
こうして、街中に高密度で置く「小型」、幅広い年齢が乗れる「電動」、人口減少に合う「一人乗り」という方向性が、視察の後に固まっていきました。
中路さんが特に覚えているのは、乗る理由の答えでした。
大抵の人がit is funみたいな。楽しいから乗ってるよみたいなのがすごい覚えてて。便利だよとかだったら便利なもの代替されるけど、なんか楽しいとか、その人間らしいものは、なんかすごい僕の中で響いた。
GMBのシェアオフィスと、隠せない「健康状態」
事業が始まり、Luupは何度かの移転を経て、ANRIがビル一棟を借り切っていた渋谷のシェアオフィス「GMB(グッドモーニングビルディング)」に入居します。一階がカフェ、二階がANRIの執務室、上階にスタートアップが入る構造でした。
岡井さんにとって、それまで自宅が猫のいるオフィスだった状態からの移転でした。地下のカフェで会話し、エンジェル投資家を見つけては相談に乗ってもらうこともあったといいます。
岡井さんは、このシェアオフィスの温度感を印象的に語ります。楽しく仕事をしつつ、みんな利益の出ていない会社ばかりでピリついていたといいます。
もうなんか落ちながら飛行機を作っている状態の人たちが集まってるんで、呑気にサンドイッチ食ってる場合じゃないんですよ、下で。けど、ちょっとだけ休憩さすがにしないときついみたいな人たちが一瞬下に来て集まってる。
近くにいたことで、中路さんはLuupの社員全員の顔がわかったといいます。イベントを一緒にやり、仕事終わりに温泉へ行くこともありました。雑談の中で相談事が決まっていくコミュニケーションは、今の関係にもつながっていると話します。
岡井さんは、近くにいることで事業の健康状態が伝わったことが大きかったと語ります。社長と投資家がアポで会えば順調な顔で会えるが、一階下にいるインターンの学生のテンションで会社の状態がバレてしまうといいます。
勝手にそれがバレてる状態っていうのは僕らとしてもすごく良かったですね。まだだってこの時、売上ゼロなんですよ、うち。
サービス開始は「次の試練の門が開いた」感覚
道路交通法が改正・施行された頃、宮下パークで渋谷区や渋谷警察と安全啓発イベントを行いました。多数の車両を並べたその日を、岡井さんは大変だった記憶として思い出します。
一方で中路さんは、その日を見に行き、街の景色が変わったことに感動したといいます。
街の景色が変わるものってそんなにないなっていうのは、なんかちょっといまだに記憶に。あの時描いてたものがだんだん始まってきてるなみたいなことは、ある種の日の出感みたいなところはちょっと感じた。
しかし岡井さんは、まだ日の出ではないと語ります。真っ暗ではないが、本が読めるほど明るくもない、少し明るくなりつつあるぐらいの体感だといいます。
中路さんが、最初に自転車が走るのを見たときの思いを尋ねると、二人ともエモくなる瞬間があまりなかったと振り返ります。
この設定としては自転車出て嬉しいとか、そういうのを何も話したことない。いやまだまだっしょみたいな。新しい道が始まっちゃったみたいな。
岡井さんは、ローソンやファミリーマートに車両を置けた瞬間についても、やってやったという感覚とは異なると話します。
次の試練の門が開いた感じなので、この門のこちら側いる人はその門が開いたということをいいこととして定義するんですけど、僕らとしては結構なんかすごい圧が門の向こうから。
売上がゼロから実数になれば、次は収益性やそれをどこまで保てるかが問われる。Luupは祝勝会を一度もやったことがなく、まだ何もできていないというマインドが根底にあると岡井さんは語ります。安全性や利便性への声も含め、真摯に受け止めるべき声がまだ多くあるといいます。
描く未来と、変化を生むために存在する
これからの未来について、岡井さんはまず現状を説明します。東京、大阪、京都などの政令指定都市に展開できるようになり、ハードとソフトの維持コストが効率化したといいます。
その効率化を活かし、離島や過疎地、観光客だけが季節的に増える街など、バスやタクシーを増やせない地域向けに「Luup for Community」というモデルを展開しています。運営を地元企業や自治体などに委託する形です。
政令指定都市を中心に一定台数を展開し、通勤通学や日常の買い物のインフラとして利用が広がる
離島や過疎地、観光地など公共交通が乏しい地域に、地元運営の委託と地元に任せた価格設定で展開する
エリア数でいえば、大都市より地方への展開の方が多くなってきたといいます。バスは一台走らせるだけで数千万かかるが、Luupは桁違いに安く公共交通を作れると岡井さんは話します。
利用の八割から九割が通勤通学や買い物で、二十代から四十代後半のインフラになってきたといいます。ただ、Luupのミッションは街中の駅前化です。
街中の駅前化をちゃんとできたね、ループがあるからこの街住むようになったよっていう人を増やしていくっていうのが僕らの将来像かなと思いますね。
中路さんは、渋谷の寿司屋で二人がよく交わした「宇宙から見てインパクトを出したい」という創業初期からの言葉を挙げます。岡井さんは、宇宙人が見ても暮らしが変わったとわかるほどの変化を作りたいと語ります。鉄道企業が数十年前に残した功績はそれに当たる、と例を挙げます。
中路さんは、その会話が自分の未来観にも影響していると話します。自らを「変化主義」と呼び、VCは変化を生み出す存在でなければならないと考えているといいます。
岡井さんが、今後どんな起業家に投資したいかを尋ねると、中路さんは、企業は起業家の器以上には広がらないと答えます。
自分の想像の限界を超えた人じゃないと、変化って生まれない。
岡井さんも、創業メンバーの生き方がプロダクトに出ると最近強く感じるといいます。部下がついてきたいと思うような、いい人であれという先輩経営者の助言に触れ、もっと頑張らなければと語ります。
最後に二人は、七年前にはこうして二人で話すことは想像もできなかったと振り返ります。カメラを向けられているからこそできた会話だと笑い合い、対談を締めくくりました。
まとめ
Luupの岡井大輝さんとANRIの中路隼輔さんの対談は、二人の子供時代から創業、アメリカ視察、シェアオフィスでの日々、そしてこれからの未来まで、七年間の伴走を振り返る内容でした。売上ゼロから始まった挑戦と、変化を生むために存在するという二人の価値観が語られました。
- Luupは「百年後の日本に必要なインフラ」を作りたいという五人の親友の構想から始まった
- 中路さんは、岡井さんの「損してでも正しい方へ」という姿勢と土日プレゼンの熱量に投資を決めた
- アメリカ視察で「楽しい」という利用理由と密度の重要性に触れ、電動・小型・一人乗りの方向性が固まった
- GMBのシェアオフィスでは、近くにいることで事業の健康状態が自然に伝わり、今の関係につながった
- 二人はサービス開始を「次の試練の門」と捉え、街中の駅前化という未来へ向けて変化を生み続けようとしている
