ネタバレを4段階に切り分ける、今回の楽しみ方
今回の特別編は、いつものゲーム中心の内容から離れて、劇場版まどか☆マギカ「ワルプルギスの廻天」を語る回です。2人とも普段はゲームを軸にしたトークをしていますが、どうしてもこの作品の話がしたくて収録に踏み切りました。
冒頭でパジマさんが説明したのは、この記事の一番大事な前提です。公式から「9月12日になるまではネタバレはご遠慮ください」「ネタバレがある場合は配慮できる状態にしてください」という指示が出ていました。
一応公式からのお願いで、9月の12日になるまではネタバレはちょっとご遠慮くださいと。必ずネタバレがある場合は配慮できる状態にしてくださいねというご指示が出ております。
そこで2人は、話を4段階に切り分けてチャプターも付ける方針を立てました。ネタバレを避けたい人が、好きなところで止められるようにするためです。
パジマさんによれば、いまは映画のように2時間拘束されるものを見るとき、外れを踏みたくない心理が特に若い世代に強いそうです。だからこそ「いいのかどうか」を知りたいニーズがあると話していました。
初心者ゆうと久々のパジマ、それぞれのまどマギ履歴書
2段階目は、2人がまどマギという作品にどれだけ触れてきたかの自己紹介です。この履歴の違いが、そのあとの感想の温度差につながっていきます。
ゆうさんは、まどマギに触れたのがほんの最近です。きっかけはGoogleのおすすめで映画の情報が流れてきたことでした。周りに「まどマギは面白い」と言う人がいたこともあり、せっかくなら劇場で見ようと決めたそうです。
ほんと私はここ一週間ぐらいで、一気にうわーってまどマギを浴びた感じですね。
マジで(見たことが)ない。そう、本当に何も知らなかったです。
一方パジマさんは、2011年放送のテレビシリーズをリアルタイムで全部見た世代です。ただし、それは15年前のこと。話題になった第3話や、大きく展開が動く第10話は覚えているものの、細かい部分は忘れていたと振り返ります。
今回に向けて、パジマさんは2013年公開の叛逆の物語 ── 劇場版まどか☆マギカの第3作。テレビシリーズの続編にあたり、「ワルプルギスの廻天」の直接の前作となる物語です。を前日に見直したうえで、この日「ワルプルギスの廻天」を鑑賞しました。作品としてはホットな状態で臨んだかたちです。
見た方がいい。でもキャラの行動原理はわかりづらい
3段階目は、ネタバレなしの要約と軽い感想です。行くか迷っている人に向けて、シンプルに「おすすめか否か」を話しました。
ゆうさんがまず挙げたのは映像の進化です。反逆の物語から13年ほど空いているため、色々変わっている印象を受けたと話します。同時に、反逆の物語も全然古くない、と2人の意見が一致しました。
ストーリー面では、ゆうさんは自分との相性に触れました。書いてあることや言ったことが全てだと感じるタイプにとって、まどマギの抽象的な表現は「これってこういう感情で動いてるってことで合ってる?」と迷う部分があったそうです。
私は性格的に書いてあることとか言ったことが全て、みたいなタイプなんですけど、まどマギはかなり抽象的な表現というか。
ただしゆうさんは、それを弱点として断じてはいません。逆に「これってそういうことなのかな」と考えるのが好きな人なら、すごく楽しめると付け加えています。
パジマさんも、キャラクターの行動原理はわかりづらいと同意します。根本的に何をしているのかが複雑だという指摘です。
そのうえでパジマさんは、まどマギを「難解な絵画を見たような感覚」だと表現しました。抽象派の絵の横にある注釈がほしくなるような、考察を誘う作りだと語ります。
(ゆうさんは)「月が綺麗」って言われたら、「ああ、月が綺麗ですね」って思うだけじゃないですか、ストレートに。けど、『「月が綺麗」ってどういうことなんだろう』と考える人に向けた、でも少し注釈が必要な物語ですよね。
結論として、パジマさんは「見た方がいい、面白かった」とはっきり言い切りました。テレビシリーズを15年放置していた自分でも、ある一点ですっごい良いなってなりましたと、終盤への期待をにおわせてこの段階を締めています。
【ネタバレ】ラスト15分の「さやかのブチギレ」が物語を動かす
ここからはネタバレありの感想戦です。パジマさんが最も評価したのは、物語の終盤、ラスト15分ほどの展開でした。
パジマさんの読み解きでは、まどマギは一貫して「少女への過度な期待や勝手な願望の話」としています。しかし、その檻から解放しようとする側もまた、「自分好みの檻」に入れているだけだという構造があると指摘します。
過度な期待をかけている人もまた期待をかけてるんだよね。それを解放したいと思う人もまた制約をかけてるんですよ。
終盤、ほむらは自分もまた同じだったと気づいてしまいます。まどかを救おうと世界線を繰り返してきたのに、結局は自分の檻に入れていただけだった、という絶望です。概念になったまどかが、みんなの呪いを一人で背負おうとする流れに向かいます。
その流れを止めるのがさやかでした。「それでもお前がダメだって言わなきゃダメなんだろ」と、ほむらの背中を押す展開です。まどかが一人で全部背負うのは違う、とほむらがもう一度思い出すための物語だと、パジマさんは解釈しました。
それをお前がやりたかったんだろうっていう、「これはお前が始めた物語だろ!」っていう。
この場面でパジマさんは、「なんならウルっときた」と明かしています。そこまでは「どこを受け止めると面白くなるのか」を一生懸命考えていたそうですが、さやかの一言で腑に落ちたと語りました。
いま若者が浴びる、パジマにとってのエヴァ体験
パジマさんは、この作品を自分のエヴァンゲリオン体験と重ねて語りました。テレビシリーズ放映当時、主人公シンジと同世代だった世代として、思春期に強烈な作品を浴びた記憶があるからです。
僕はコミュニケーションのOS(考え方)はかなりエヴァで書き換えられてるところあると思うんですよね。
この日の劇場には、幼い女の子を連れた家族がいました。パジマさんは最初「これを見せるのか」と驚いたと言います。まどマギの繰り広げる世界観は、絵画のように圧倒的で、それでいて意味を取りづらいからです。
パジマさんは、スペインで実物を見たゲルニカ ── スペインの画家ピカソが描いた大作。戦争の惨禍を抽象的な構図で表現した絵画で、横幅は7〜8メートルほどあります。を引き合いに出しました。訳のわからなさと衝撃という点で、まどマギはそれをさらに難解にしたようだと表現します。
そのうえでパジマさんは、考え直します。この子たちにとってのまどマギは、自分にとってのエヴァと同じ効果なのかもしれない、と。
これは今見ている若者たちにとっては、僕にとってのエヴァと同じ体験なのかもってすごい思っちゃいましたね。
思春期周辺の年齢で見ると焦げついてしまう強烈な何か。まどマギはそういうカルト的とも言える強さを持っている、というのがパジマさんの見立てです。
共感できるキャラがいない。それでも面白い理由
ゆうさんの視点は、パジマさんとは少し違いました。まどマギのキャラクターに、共感できる人が一人もいなかったと率直に語ります。
たとえばほむらは、まどかと出会った頃からやり直したいと願い、時間を巻き戻す能力を手に入れます。一人の人にそこまでできるのはすごいと感じつつ、ゆうさん自身は共感しきれなかったそうです。
一人の人に、そこまでできるのすごいな、みたいな。私はまどマギのキャラクターの中で共感できる人は一人もいなくて。
ゆうさんはさらに、キャラクターに生活感がないと指摘します。まどかの家すら生活感がなく、そこが逆にすごいと感じたそうです。だから共感や応援というより、別の楽しみ方になると言います。
これはパジマさんにも言いましたけど、やっぱ関係性に燃えるオタクからしたらもうたまらんだろうなみたいな。
この「関係性で楽しむ」という視点を、パジマさんも否定できないと受け止めました。共感型と考察型、2人のまどマギの入り口の違いが、そのまま感想の違いに表れています。
抽象的な設定やメタファーを考察し、自分のエヴァ体験と重ねて読み解く
キャラに共感はしないが、関係性と映像の強さを楽しみ「これってそういうことかな」と考える
名前をつけると呪いになり、魔女化する
パジマさんが「おもろい概念」として強く反応したのが、名前をつけると呪いになるという設計です。"名塚底根"という場所や、マルグリートという存在をめぐる読み解きです。
パジマさんの解釈では、マルグリートは実質的に最初の理を作った人物です。生きづらい少女たちの状態や人格に名前をつけてあげることで、彼女たちを落ち着かせる場所を作りました。
ただし、それは救いであると同時に、解放にはなっていません。名前をつけられた少女たちは魔女になってしまうからです。パジマさんは、これを現代的な病や、キリスト教的なメタファーにも通じる話だと読みました。
それを嫉妬って呼ぶのか、関係性から来る愛情みたいなものと呼ぶのか、何でもいいけど、それを名前を付けて価値として保存してしまうと、魔女になってしまうっていう。
マルグリートがシスターとして描かれる点も、キリスト教を匂わせる要素です。ただしパジマさんは、これは宗教批判ではなく「そういう世界の話をしている」のだと補足しました。
新しく登場する3人の魔法少女のうち、"紫丁花"には呪いの理由が描かれます。父を祝おうとしたケーキと、窓から落ちてくるトマトのメタファーで、彼女に何があったかが匂わされる回想です。
一方で"セルマ"には、明確な呪いの説明がありません。「愛されたかった」というセリフはあるものの、なぜ描かれなかったのかは2人にとって謎のまま残りました。
なぜ少女なのか。ハードボイルドとの裏返し
パジマさんは、なぜ主人公が少女なのかというテーマにも踏み込みました。かつて聞いた「魔法少女やアイドルを主人公に据えないとできない話がある」という考え方が下敷きです。
その考え方によれば、この物語の性別を反転させるとハードボイルド映画になります。男同士のメンツの張り合いや、殴り合い、撃ち合いの話になっていたかもしれない、というわけです。
例えば、この作品の登場人物たちの性別を変えると、ハードボイルド映画になるよねっていう考え方があると。
そのうえで、少女の方が観客を呼べるという身も蓋もない事情もあると2人は話します。魔法少女や女の子が右往左往して苦しむフォーマットの中に、本当に言いたいことが仕込まれている、という構造への面白さです。
この視点は、ゆうさんが感じた「共感できないのに面白い」という感覚とも噛み合います。キャラそのものより、その奥にあるテーマを楽しむ作品だという理解です。
まどかとは何か。
感想戦の中心テーマになったのが「まどかとは何か」という問いです。まどかを中心に、妬み、羨み、愛するという感情が動いていくのに、まどか自身の輪郭がつかめないからです。
ゆうさんは、他のキャラとの違いを整理します。さやか、ほむら、杏子、マミは、自分の願い事を叶えたいという欲が起点にあり、そこで人となりが見えます。しかしまどかは、そもそもどう魔法少女になったのかが思い出せないほど、みんなのためという方向に振れていると指摘しました。
一番まどかの底が見えなくて、ちょっと怖いなとは思いましたけど、人間味がないなって。自我を感じないみたいなのは思いましたね。
ゆうさんは、まどマギを見始めた頃に感じた面白さも語ります。ヒーローものが世界平和を動機にしがちなのに対し、まどマギの少女たちは自分の願いを叶えた結果、仕方なく魔法少女になる。その構造が新鮮だったそうです。
その視点で見ると、まどかだけは当初ゆうさんが想像していた「主人公的な思想」で動いている存在でした。だからこそ、一番底が見えず、怖いとも感じたわけです。
リスナーコメントが照らす「タチの悪い願い」
番組にはまどマギ関連のコメントが多数寄せられ、2人はいくつか読み上げました。まず、キュゥべえへの憤りに共感するコメントです。
だけどあいつ感情がないから何を言っても響かないというね。そこがさらに腹立たしいと。
続いて紹介されたコメントは、まどかとは何かという議論を深めました。魔法少女たちの願いは、世界平和のような大きなものではなく、身近な人の幸せを願うものばかりで、余計にタチが悪いという指摘です。
この「タチが悪い」は、批判ではなく「だからこそ難しい」という意味だとパジマさんは受け取りました。友達の怪我を癒したい、親に話を聞いてほしいといった小さな願いが、蓋をした感情とつながって手がつけられなくなる怖さです。
その感情をキュゥべえが奪っていくと考えるとひでえやつですよ!というね。
ゆうさんも、さやかや杏子の願いを具体的に思い出しながら、身近な人の幸せが全世界の幸せにはつながらない難しさに触れます。とくにほむらの願いは、まどか一人のためであるだけに、全員を幸せにはしないと語りました。
狭い世界の話。でもそれが少女の全て
パジマさんは、この作品への一番意地悪な見方も正直に口にしました。ミクロな悩みから巨大な何かへ話が広がる一方で、舞台となる街の規模感がつかめないという違和感です。
劇中には、街の隅に壁があり、その向こうが砂漠になっているようなシーンもありました。世界の広がりが見えないため、パジマさんはこの作品を進撃の巨人にたとえます。
すっげえ狭いとこのすっげえ人間関係だけで、世界が右往左往する、すっげえ狭い話してるなぁ、とも思っちゃうんですよね。
この見方に、ゆうさんが別の角度を返します。少女の世界とは、それくらい狭いものなのかもしれない、と。
少女の世界ってそれぐらい狭いことなのかもしれない。けど、彼女たちにとっては世界を動かす何かなのかもしれない。
この一言に、パジマさんは深く納得します。狭い世界であっても、その人にとってはそれが全てだという理解です。年頃の女の子が親と見に来て面白いと感じるなら、そこには確かに何かがある、と受け止めました。
結末は委ねられた。
物語のラストについて、2人の解釈は割れたままです。まどかが円環の理になったのかどうか、パジマさんも明確な結論は出していません。着地させる気がないほど、観客に委ねられていると感じたそうです。
ラストでは、まどかが「あなた方のそばにいるよ」と語りながら、電話が鳴り続けます。どこかでまた魔法少女候補生が悩んでいるのかもしれない、と2人は想像します。だとすれば、結果的に何も変わっていないのかもしれない、という余韻です。
テレビシリーズ版の舞台は普通の街でしたが、反逆の物語ではところどころ壊れており、ワルプルギスの廻天の世界がどの世界なのかもつかみきれないと2人は語ります。捉えどころのない作品だ、という点で意見が一致しました。
いやでも、考える行為そのものが好きな人はすごい楽しいだろうなと思います。「これってああだったのかも...」って。
委ねてくる作りそのものを、ゆうさんは好意的に受け止めています。人によって感想が全然違うだろうから、見た人の意見を聞きたいと締めくくりました。
こじらせると魔女化する。だから話し合え
この作品からパジマさんが持ち帰ったメッセージは、意外なほどシンプルでした。こじらせると魔女化してしまう、というものです。
もうこじらせると魔女化しちゃうんだから。もっと話して助け合えや!みたいなことなんじゃないかなと思うんですよね。
誰にも言わず自分だけで何とかしようとするから、感情がねじれていく。だから、難しいことばかり言わずにちゃんと話し合いなさい、というのがパジマさんの読み取ったメッセージです。
だからこそ、終盤のさやかの言葉はロジックではなく感情なのだと2人は評価します。正しいかどうかではなく「やりたいと思ったことをやれ」「お前だけはそれをずっとやってきたんだろう」という後押しです。
それが正しいとかどうこうとかじゃなくて。(やりたいと思ったことを)やれよっていう。
そのさやかの場面では、初めてポジティブな曲が流れました。反逆の物語を通してずっと暗く、じっとりした雰囲気だっただけに、そこで一気に陽のパワーが出てくる。2人にとっての「グッときた瞬間」です。
背脂こってり豚骨ラーメンのような作品
最後にパジマさんは、この作品全体を食べ物にたとえました。背脂こってりギトギトの豚骨ラーメンのようだ、というものです。
大人視点で見ると、油ギトギトのラーメンは次第に食べづらくなる。けれど、青春真っ盛りの少年少女にとっては、そのギトギトこそが青春になる。まどマギはそこにタッチしている、というのがパジマさんの見立てです。
青春真っ盛りからしたら、そのギトギトこそが青春になるわけじゃないですか。
映像面では、2人とも高く評価しています。魔女シーンの色味や、ギョロっとした目、赤く回る室外機のファンなど、生理的な嫌悪感に訴えかけてくる表現が素晴らしかったと語りました。
そういう人間の「うわぁ」みたいな生理的な嫌悪感に、ちょっと訴えかけてくるような映像でしたよ。素晴らしかった、あれは。
締めくくりとして2人が確認したのは、少女たちの小さな悩みをなめてはいけない、という一点でした。その人にとってはそれが全てなのだ、と。ただし、呪いに名前をつけると魔女になってしまうから気をつけて、というオチも忘れずに添えています。
まとめ
初心者のゆうさんと久々の視聴者パジマさん、視点の違う2人が段階的に語り合うことで、「ワルプルギスの廻天」の魅力とわかりづらさの両方が見えてくる回でした。共感型と考察型、どちらの入り口でも楽しめる作品だと2人は結論づけています。
- 公式の要請で、ネタバレを4段階に切り分けて構成した特別編
- キャラの行動原理は抽象的でわかりづらいが、映像とテーマの強さで2人とも「見た方がいい」と評価
- パジマさんの読みでは、名前をつけて呪いを保存すると魔女化する、という設計が作品の核
- ラスト15分、さやかがほむらを後押しする場面が最大の見どころで、2人の心を動かした
- 狭い世界の話に見えても、少女にとってはそれが全て。こじらせず話し合え、というシンプルなメッセージが持ち帰りになった






