フェルメールの「青」を再現する動画、その舞台裏
冒頭で話題になったのは、大阪中之島美術館で開幕したフェルメール展にあわせて、動画チームが制作した動画コンテンツです。構想を含めると半年以上かけた企画でした。
この企画のきっかけは、西田さんの個人的なオンライン飲み会だったといいます。小学校・中学校時代の友人とのオンライン飲み会の場に、たまたま顔料トップメーカーであるDICの社員がいたことから話が動き出しました。
話の中心にあるのは、「真珠の耳飾りの少女」の青いターバンです。木下さんは、この青がラピスラズリという鉱石から作られていて、17世紀当時は非常に貴重な色だったと説明します。
DICには、当初は鉱物のラピスラズリを見せてもらうといった取材を持ちかけていました。ところが工程が固まっていくうちに、当時の製法でウルトラマリンを作るという話に発展したといいます。
DICの鹿島のラボでは、青い鉱石を砕いて顔料にする工程を撮影しました。作業を担当した寺島さんは、1週間ほどかけてすり鉢で石をすり続け、水中で青い塊を揉み続けて握力がなくなるほどだったといいます。
なぜ「純粋な青」は自然界から取り出せないのか
天然と人工の青の違いも話題になりました。人工の青が鮮やかなのに対し、天然の青はやや淡く、彩度が落ちているのに澄んで見えると西田さんは表現します。
彩度落ちてるのにちょっと澄んでいる。澄み渡った青みたいなのが非常に良いなと思う、あの微妙な色合いだなというふうに思っています。
西田さんが「目から鱗」だったと語るのが、青という色そのものの難しさです。空も海も水も青く見えるため身近に感じるのに、手に取れる純粋な青を天然で探すのは非常に難しいと、DICの大平さんから言われたといいます。
空は青いし、海は青いし、水は青いような気がするからねみたいな。でも実際、じゃあ手に取れる青って何なの?ってなった時に、天然で探すのすごい難しいですよって言われて。
木下さんは、花も紫がかっていることが多く、青が取れたとしても顔料として長く色落ちしないものにするのは難しいと補足します。だからこそ、石を砕くしかなかったのだろうと話します。
顔料の世界でも、青は今なお企業秘密の部分が多いといいます。DICの鹿島工場で赤や黄色の顔料を作る場面は見せてもらえたものの、青はトップシークレットで全く見せてもらえなかったと木下さんは振り返ります。
青は見てないよね、青は撮ってないよね、とかって言うぐらい、やっぱ青って秘密なんだなというふうに思います。
「青は絶対に負けない」、色にこだわった動画制作
動画では、青のありふれて見えるのに作れないという性質を映像でも表現しようとしています。空・海・花のカットを続けて見せることで、身近に見えるのに絵の具にはできないという対比を出しました。
使われた空のカットは木下さんの近所の公園、海のカットは家族で行った宮古島のものです。もっときれいな宮古島の映像もあったものの、妻子が写り込んでいて使えなかったといいます。
西田さんは、モニター環境による前提はあるとしつつ、公式のフェルメールの青にできるだけ近づけて制作したと強調します。フェルメールを扱うテレビ番組は多いなかで、色だけは負けないという気概で臨んだと語りました。
青を、青の秘密を解き明かすVTRなのに、青が青じゃなくてどうするんだっていう風な気概を持って青を作り出しているので、ぜひ。

W杯日本代表の公式動画が「新しい体験」だった理由
次の話題は「公式が出す動画」です。まず取り上げられたのは、サッカーワールドカップで日本サッカー協会が制作した日本代表の公式動画で、今回は全8本が公開されました。
木下さんは、これまで公式動画はSNSに練習風景を短く載せるか、大会後にまとまった映画にするかのどちらかだったと整理します。今回はその両取りができていた点が新しいと評価しました。
1本20分から30分ほどの動画が8本あり、おそらく一眼で撮られてボケ感がしっかりしている点、ジンバルも使われている点を二人は挙げます。選手のミーティングや個人トレーニングなど、公式でしか撮れない場面をきれいに収めていました。
西田さんによると、ワールドカップは映像面での革新が起きやすい大会です。2010年頃には視聴者が自分でカメラを切り替えられるサービスや、中継への一眼レフの運用が早くから取り入れられていたといいます。
木下さんが特に良いと感じたのは、公式でしか撮れない場面です。遠藤航選手の離脱にともなうキャプテン交代、板倉選手の涙ながらの挨拶、長友選手が控え選手たちの支えを語る場面などが、コメント欄でも盛り上がったと紹介します。
その背景にどんなものがあったかっていうのをリアルタイムで更新していけるっていうのが、このチームカムの一つの魅力っていうふうにおっしゃってました。

「良いものしか伝わらない」公式映像への懸念
クオリティが高く良いことずくめに見える一方で、西田さんは一つの懸念を示します。それは、公式動画を見たらそれで済んでしまうという難しさです。
本来ならその場にいた人しか見れないもんなはずなんですよ。だからそれは、その人たちのセカンドキャリアの話の種になったはず。
さらに西田さんは、本来そうした場面には報道機関が間に入り、配慮しながら徐々に出したり速報で伝えたりするものだったのではないか、と自らの立場も踏まえて語ります。
「選手にレビューを回して、出したくない場面はカットしていると聞いた」と木下さんは補足しますが、選手も忙しく20分の動画をすべて見られてはいないだろうと二人は見ています。
西田さんは、過去の代表にも似た場面があったと例を挙げます。2006年ドイツ大会のアジア最終予選で緊急ミーティングがあり、当時サブ組の三浦淳宏選手が、「今のままじゃ(予選突破は)難しい。試合に出るんだったらしっかりやってくれ 、 みんな本当にW杯へ行きたいのか? おれは年齢的にも最後だから出たい! 」と重たい空気のチームに喝を入れた場面です。こうした厳しい場面は公式では見せられないだろうといいます。
おそらく良いもの(ポジティブなもの)しか伝えられ わらないよ。この手法をやっている限り。
この点は、板倉選手の涙の挨拶を出すかどうかでさえ議論があったという話ともつながります。プラスのイメージになると判断して出したものの、負けが続いた重苦しい場面まで公式が出せるかは難しい、と木下さんは指摘します。
公式が「良い映像」を出す時代に、メディアは何ができるか
西田さんは、殴り合いの喧嘩のような場面がSNSに出回る一方で、公式がそれを出さなければ「隠した」と言われる難しさに触れます。良い部分しか出ないこと自体をどう考えるかという問いです。そうすると、報道側は何を伝えればいいのか。
(良いものは)見たらわかるんだから、(報道は)違うものを書きたくなりますよね。なら隠してる部分を、それもどうなの?って話もあると。非常に難しいところだなと思います。
同時に西田さんは、応援したくなる、良いと思える部分がたくさんあることも認めます。そのうえで、国を挙げた壮大なネット教練を見せられているような感覚もあると表現しました。
木下さんは、公式がしっかりした映像を出せる時代に、メディアが何をできるかをコラムで問題提起したと語ります。悪いところを書くだけでなく、社会問題の提起や、テーマを持った密着、誰か一人に注目する切り口などが重要になると考えを述べました。
西田さんは、良い部分ばかりを見ようとするのが人間の性だとしたうえで、そうでない情報ばかりをメディアが追いかけると、メディアへの反発につながり、やがてまともな情報が入らなくなる懸念もあると語ります。
スポーツで勝利を喜び応援する空気は悪くないとしつつ、これが政治や軍事の話になると本当に良いのかという問いが残ると西田さんは指摘します。木下さんも、公式に追従すれば戦前のようだと言われ、反対すればスパイかと問われる、対立構造に囚われる難しさを挙げました。
イタリアでは「サッカー選手は神格化されない」
話は、西田さんが詳しいサッカー映画の文化へ移ります。日本人の感覚と大きく違う点があるといいます。
日本ではスポーツ選手、とりわけサッカー選手が目指す人にとって神のような存在になりがちだと西田さんは言います。一方でイタリアでは、バイクや自転車の選手は尊敬されても、サッカー選手はそこまで神格化されないというのです(ロベルト・バッジョのような特別な存在はいる)。
スーパースターとテレビタレントの間ぐらいの感じ。
トップ選手がオフシーズンにドッキリにかけられるような、良くも悪くも身近な存在だと西田さんは説明します。この感覚はヨーロッパ全体に近く、南米はやや異なるといいます。
その文化を象徴するのが、フィクションのサッカー映画に本人が本人役で登場する点です。西田さんは「GOAL!」三部作を例に、ジダンやベッカムが本人役で出てくることに、テンションが上がる一方でどこか軽さを感じると語ります。
野球の映画で大谷とか出てきたら、めっちゃアガりません?
木下さんが面白がるのに対し、西田さんは安っぽく見えてしまう感覚を説明します。試合そのものの方がドラマティックだという実感が根底にあります。
いやもう試合見てる方がドラマティックやけどな、みたいなところが。サッカーはね、本当に「えっ!」ていうようなことがかなり起こるので。
西田さんは、サッカーがロースコアで長時間・広いピッチで行われ、イエローカードとレッドカードのペナルティーの差が大きいことから、しばしば人生に例えられると語ります。泥臭い一点も華麗な一点も同じ一点だという点も、その理由に挙げました。
現場が参考にした「オール・オア・ナッシング」というドキュメンタリー
一方で、試合そのもの以外の魅力を持つ作品として、西田さんはマンチェスター・シティを追った「オール・オア・ナッシング」を挙げます。
このチームは、かつてはオアシスがファンだと公言する程度で目立たなかったものの、ジョゼップ・グアルディオラ監督のもとで優勝常連の強豪へと変わっていきました。その舞台裏やロッカールームの様子を描いたドキュメンタリーが物議を醸しつつヒットしたといいます。
木下さんによると、日本代表の公式動画の制作陣はこの作品を参考にしていたそうです。海外クラブに所属する選手側が「映像をもっと良くしてほしい」と言い続け、今のクオリティになったといいます。
選手の側が海外のクラブとかにいるんで、映像をもっと良くしてくれっていうのをずっと言い続けて、今ぐらいのクオリティになってきたっていう風な話をしてたんですよ。
西田さんも、前職でDAZNのJリーグ中継に携わった際、円陣の様子だけ使えることがあり、当時のプロデューサーと「オール・オア・ナッシングのようにしたい」と何度も話したと振り返ります。
さらに西田さんは、アルゼンチンのハビエル・サネッティ選手のドキュメンタリーと、長友選手のドキュメンタリーを制作した経験も語りました。長友選手のドキュメンタリーでは、故郷の恩師や超一流の同僚選手にインタビューを行っています。
熊本地震の首相官邸動画は、なぜ批判されたのか
続いて、リスナーからのリクエストもあった首相官邸の動画が話題になります。熊本地震の際、高市首相が現地を視察する様子をまとめた1分ほどのショート動画です。
批判の一つはBGMがついていた点ですが、二人は、より問題が大きいのは首相ばかりにピントや注目が集まり、首相のPRになっているのではないかという点だと見ます。
なんか世間はBGMばっかり注目してるけど、そっちの方が大きいと思うけどね。
さらに動画が、被災者の「何から何までありがたかったです」という言葉で終わる点も問題視されました。復興が進んでいない状況で官邸側が引用する言葉としてきつい、と二人は語ります。
比較として挙がったのが、石破前首相が能登豪雨の際に能登を訪問した動画です。こちらもBGM付きでしたが、被災した街の風景を多く映し、全体にピントが合い、締めくくりも落ち着いていて印象が大きく違ったといいます。
被災地を映す動画で、復興がまだなされていない状況で、「うまくいったね」なんて、ありえないですから。
木下さんは、首相官邸のチャンネルを見続けてきた立場から、今回の動画は特別変なことをしたというより、今まで通りに作ってしまったことが問題だったと分析します。
うまくいってるよね、俺たち。SNS戦略イケるよねってなってて、じゃあこれ行ってみよう、あれ行ってみようみたいな感じでやっちゃったんでしょうね。

「よくできた動画」だからこそハマった落とし穴
西田さんは、この動画は「よくできた動画」だと語ります。ただしそれは称賛ではなく、括弧付きの表現です。
不自然な点がない、という不自然さがあるんです。
トーンや色、動きが統一され、イマジナリーラインを超えない基本もでき、サイズ感も分けられている。西田さんは、かなり良い制作会社が作ったような動画で、それが大きく裏目に出ていると指摘します。
鍵になるのが「シネマティック」と「ジャーナリスティック」という対比です。西田さんによると、映画的な作りがシネマティック、報道的な作りがジャーナリスティックで、これはフィクションとノンフィクションの違いに重なります。
カメラ自体を動かすドリー、背景をぼかすボケ感を使う映画的な作り。フィクション寄りの印象を与える
カメラを振るパン、全体にピントを合わせるパンフォーカスを使う報道的な作り。ノンフィクション寄りの印象を与える
ノンフィクションにフィクションの要素を取り入れるのが今の流行だと西田さんは言います。ただし気をつけないと、本当に作り物に見えてしまう危うさがあると指摘します。
その例として西田さんが挙げるのが、動画内にあった切り返しです。別々の角度から撮った映像がつながっているのにカメラが映り込んでいないため、テイクを重ねたのではと感じさせてしまうといいます。
そこにね、カメラ映り込んでないんですよ。ならテイク重ねてるやんって話なんですよね。
西田さんは、自分たちのドキュメンタリーではカメラを3台ほど回し、互いが映り込む場面もあえて使うと説明します。リアルに撮っている証しであり、そうした要素が削ぎ落とされるほど作り物っぽく見えると語ります。
最も問題だと西田さんが指摘するのがピントです。背景や手前をぼかして被写体を際立たせる「ボケ感」を演出するあまり、首相にピントが合い、被災者や支援物資といった最も大事なものをぼかしてしまっている、と厳しく批判します。
一番大事なのかもしれない、その被災者の方であったり、その災害に遭われた方であったり、支援物資だったりっていうところをことごとくぼかしてるの。
「首相が主役」は的外れか、被災者への無神経さか
木下さんは、ピントの問題自体には違和感が少なく、むしろ「全部ありがたかったです」で終わる無神経さの方が問題だと考えを述べます。西田さんもその締め方を「0点中の0点」と評しました。
さらに木下さんは、首相官邸チャンネルである以上、首相が主役であること自体は悪くないと見ます。動画から飛べるホームページには支援状況の詳細も書かれており、ショート動画に全てを求めるのは無理筋だと指摘します。
首相を主役にしてる、みたいな批判っていうのは、意外とちょっと的外れなのかなとも思うんですよね。
一方で西田さんは、被災者は支援を受ける側であり、「ありがたい」という言葉は復興させようとする側が使ってはいけない言葉だと語ります。もっとできることを探しているという姿勢で臨むべきだといいます。
緊急時だからこそ首相官邸チャンネルを支援につながる情報提供に使うべきで、それが官邸のメディアチームの仕事ではないかと述べます。
さらに西田さんは、制作側から自発的に「今回はそうじゃない形でいきたい」と提案できなかったのかと問いかけます。首相を追うことで撮れた、支援が足りていない現地の様子を出す方向にできたのではないかというのです。
せっかくこれだけメディアパワーがこのチャンネル、このアカウントにあるんだから、今回ばかりは高市首相を追っていくことによって撮れる「現地のまだまだ支援が足りてない様子」みたいなものを出していきませんか?という形に、なれなかったのかなと。
木下さんは見る側の姿勢として、公式が出すものはどこまでいってもPRなのだと自覚的であるべきだと語ります。二人は、制作チームと官邸側のどちらがどこまでコントロールしているか分からないとしつつ、現場から二、三の提案があれば結果は変わったのではないかと締めくくりました。
ちいかわ映画に見る「子ども向け」の奥行き
以下に映画「ちいかわ」のネタバレがあります。
ここからは複数のネットニュースを駆け足で取り上げます。まずは話題になった、ちいかわの映画です。原作を読んでいる木下さんが劇場にも足を運びました。
今回映画化されたのは「島編」です。討伐の対象である「悪いやつ」が実は被害者で、しかしその「悪いやつ」も過失で島民を殺しかけている、という重い葛藤が終始描かれると木下さんは紹介します。
それを事実を知っているのはちいかわだけなんですけど、ちいかわがその事実を告発するべきかどうかって迷ったりとか、その悪い大型モンスターを倒すべきかどうか迷ったりとか。
子ども向けとは思えない葛藤が描かれることについて、西田さんは一周回って子ども向けだと感じると語ります。排除されそうになる側の人が、かわいいキャラクターとして描かれる点に教育的な意味を見出します。
可愛い世界だけれども、そういう人たちはいるよねっていう、なんかそういうふうなところも含めて、なんか教育的コンテンツであるような気もするんですよね。
木下さんも、全体はかわいらしいのに垣間見える不憫さやいたたまれなさこそが魅力だと語ります。ちいかわには、「直接怖い描写はないのに、よく考えると怖い」というメッセージが多いと指摘しました。

「Tシャツが乾くまで」に激ハマりする木下さん
続いての話題は、TBS系ドラマ「Tシャツが乾くまで」です。木下さんが今一番楽しみにしているといい、話題が盛り上がりました。
物語は、バス事故で配偶者を亡くした男女が惹かれ合っていくというものです。ところが、亡くなったはずの蒼井優さん演じる主人公の夫が生きていて、なぜか帰ってこない、という展開だといいます。
個人的には、もう帰ってこんで欲しかったなっていうか。
木下さんは、スピッツの主題歌「見知らぬ糸」が終盤の良い場面にかかってくる点も絶賛します。惹かれ合ってはいけない二人の状況に歌詞がはまってくると熱弁しました。
あの、激推ししすぎてちょっとだけ気持ち悪いよ。

学歴系YouTuber「wakatte.TV」炎上問題
次に西田さんが注目した話題として、学歴系YouTuberのチャンネル「wakatte.TV」の炎上問題を取り上げました。
西田さんによると、このチャンネルは大学や街でインタビューを行い、相手の最終学歴を聞いてエピソードを引き出すものです。ただし、赤い方の高田ふーみんさんが相手の学歴を強く揶揄する点が特徴だといいます。
一方で受験生の間では有名で、併願や滑り止めに関する役立ち情報も入っていると西田さんは補足します。YouTubeがメディアと認識される前から、人が聞きにくいことを聞く目線で続けてきたチャンネルでもあります。
西田さんは、高田さんは京都大学に入学したものの卒業しておらず、最終学歴は高卒になると説明します。他人を馬鹿にしつつ自分も大学を出ていないという悲哀が、初期にはにじんでいたといいます。
さらに西田さんは、高田さんが他のYouTuberからプライベートでの他人の学歴揶揄を目撃するというのドッキリをかけられた際、本人がひどく怒った点を挙げます。本当は学歴を揶揄したい人ではなく、キャラとしてやっているのだろうと見ています。
炎上の発端は、九州大学の教授による批判でした。別の教授までがYouTube上で論説を行い、批判が広がっていったといいます。西田さんは、過去に別のYouTuberが炎上したときの話を踏まえて「エンターテインメントだから」と言い訳するのが一番ダサい、と語ります。
もうYouTubeってメディアなんですよ。だからテレビだからダメだけどYouTubeだからOK、みたいなものはないって。
西田さんは、当事者間で了解があっても、今のメディアは第三者がどう思うかが重視されると指摘します。過激な演出が減ったのは自制だけでなく視聴者が好まなくなったからだ、という木下さんの見方とも重なります。
「VIVANT」続編の視聴率と、AI演出への違和感
次の話題は「VIVANT」続編の視聴率についてです。木下さんによると、初回18.8%から徐々に下がっていますが、他ドラマと比べれば依然高い水準にあります。
西田さんは、前作が社会現象になった上での続編なので初回の期待度が高いのは当然で、視聴率はすり鉢状になり最後は上がるのではないかと見ます。二人ともTVerで見ているため、リアルタイム視聴率には貢献していないと苦笑します。
一方で、視聴率以外の問題も話題になりました。一つ目は「AIが安っぽすぎる問題」です。別班の司令部にいるAIの演出が戦隊もののようで、前作の壮大さと比べて安く感じるといいます。
西田さんは、AIに触れずに生きている人には違和感がないのかもしれないと指摘します。木下さんも、AIが流行りだから取り入れた結果、従来のスパイ映画的な演出と被って目新しさがないと語ります。
二つ目は「実在する要素を出しちゃっていいの問題」です。エルサレムでの会談場面で、背景の夜景にガザの空爆のような映像が見え、実在の紛争をフィクションで扱う是非が問われました。
木下さんは、この演出を不謹慎とする声がある一方で、現実に興味を持つ入り口になるならいいのではないかと考えを述べます。ただし実在する国を敵役にする点には賛否があると付け加えました。
西田さんは、同じ演出でもアニメなら「深い演出だ」と受け取られただろうと指摘します。リアルとアニメの間に挟まるフィルターの枚数で人の感じ方が変わる、と気づいたといいます。
リアルとアニメの(間の)、フィルターが何枚かその間に挟まっているところで、人の感じ方って変わるんだなっていうのが。
「ラヴ上等」続編、更生と共感のあいだ
最後の話題は、ヤンキーを集めた恋愛リアリティショー「ラヴ上等」の続編です。出演者が過去を振り返る場面で、人に火をつけて捕まったことがあるという趣旨の発言が出て炎上気味になりました。
さらに法務省とのコラボで「更生上等」というポスターが作られていたことから、本当に更生しているのかという批判も起きました。総合プロデューサーのMEGUMIさんに対し、YouTuberのヒカルが強く批判した経緯もあります。
西田さんは、制作側からすると過去の悪事を伝えないと恋愛リアリティショーとして成り立たない難しさがあると指摘します。格闘技のブレイキングダウンと違い、恋愛では相手の過去が重要になるためです。
木下さんは、ネット上の考察として興味深い指摘を紹介します。ヤンキーコンテンツの魅力は喧嘩っ早いが人情に厚い、というギャップへの共感にあるものの、そこに被害者が見えた瞬間に共感できなくなるというのです。
そこってヤンキーに共感できるっていうところだと思うんですよ。でも人に火つけたら共感できないんですよ。
西田さんも、被害者が出てきた瞬間に一線を引いてしまうと同意します。ヤンキーコンテンツを扱う以上、番組側がどこまで見せるかをコントロールし、共感を生まない場面はカットするしかない、と二人は結論づけました。

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シリーズ「木下君あの動画見た?」は、朝日新聞ポッドキャストで毎月配信しています。以下よりご確認ください。

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まとめ
本エピソードでは、フェルメールの青を再現する動画から、サッカー日本代表の公式動画、首相官邸の熊本視察動画までを通して、公式が出す「よくできた映像」の魅力と落とし穴が、映像制作の現場感覚から語られました。良い映像だからこそ生まれる危うさと、その時代にメディアや作り手が何を選ぶべきかが問われる回でした。
- 公式動画は良い場面ばかりが残りやすく、厳しい場面や背景が見えにくくなる懸念がある
- 首相官邸の熊本視察動画は、映画的な作り込みがかえって作り物っぽさや被災者への無神経さを生んだと指摘された
- 映像はシネマティックかジャーナリスティックかで印象が変わり、題材に挑戦が適切かをまず考える必要がある
- YouTubeもメディアであり、「エンターテインメントだから」という言い訳は通用しなくなっている
- ヤンキーや炎上を扱うコンテンツは、被害者が見えた瞬間に共感が失われるため、見せ方のコントロールが問われる






