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長崎と山梨の地方新聞を読みながら、勝手に日本の未来を考える「BMZの時々地方紙・ズームイン」。9月前半の第3回です。
今回は、新聞に掲載された記事ではなく、「新聞ができるまで」を考えます。
一つの記事が読者の手元に届くまでには、現場を歩く記者がいて、記事を取りまとめるデスクがいて、紙面の構成を考える編集者がいて、言葉や事実関係を確かめる校閲者がいます。
さらに印刷され、各地へ運ばれ、配達員の手によって毎朝届けられる。
新聞は、一人の発信者が画面の前で作るものではありません。たくさんの人の目と手と足を通過して、ようやく一枚の紙になります。
現場へ行かず、インターネット上の情報だけをまとめる「こたつ記事」とは違い、新聞記者は実際に人に会い、場所を訪れ、一次情報を持ち帰ります。
昼食を取る時間もないまま取材し、移動中や車の中で記事を書く。その姿からは、情報を体ごと取りに行く人たちの身体性が見えてきます。
読む側にも身体があります。
新聞をめくる音。指につくインク。ハサミで記事を切り抜き、糊でスクラップブックに貼る時間。紙面を広げると、関心のなかった記事も同時に目に入ってきます。
一つの記事だけが表示されるスマートフォンとは違い、新聞には、14歳の投稿、地域経済、野生動物、離島の暮らしが同じ紙面に並びます。
その偶然の出会いが、情報に奥行きを与えているのかもしれません。
電子書籍やタブレットが広がる一方で、学習や読書には紙の方が向いているという声もあります。
便利さや効率だけを追い求めた先で、私たちは何を失っているのでしょうか。
新聞も、お寺も、なくなれば困ると言われながら、少しずつ生活から遠ざかっています。
残していくためには、頭だけではなく、もう一度体を使う必要がある。
新聞の手触りから、情報と身体の関係を考えます。
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