キング好きのリスナーへ、なぜ『ミザリー』ではなく『キャリー』なのか
第261夜となるこの回は、ペンネーム「いち」さんから届いたお便りの紹介で始まります。いちさんは、スティーヴン・キング原作の映画をきっかけに、キング作品をもう一度読みたくなったといいます。
59歳の男性です。昨日、スティーブン・キング原作の映画『サンキューチャック』を見ました。『スタンド・バイ・ミー』も好きですが、それ以上に心に刺さる作品でした。久しぶりにスティーブン・キングを手に取るのですが、お好きでしょうか?おすすめの作品があればぜひ教えていただけると嬉しいです。
いち さんから
バタやんさんはキングが好きだと答え、いちばん好きなキング作品は『ミザリー』だと明かします。最初は『ミザリー』を紹介するつもりで読み返していたそうです。
ところが読み返している途中で、Amazon Prime Videoでドラマ版『キャリー』の配信が始まりました。ドラマが面白かったことから、バタやんさんは『キャリー』の原作を手に取ります。
(『キャリー』は)超能力を持ったいじめられっ子の女の子の話という、まあざっくりストーリーは知ってたんですけど、原作を読んだことがなかったかもなと思って。
原作を読んでみると、非常に面白かったといいます。そこで今回は、キングのデビュー作にして名作の『キャリー』を「今夜の勝手に貸出カード」として取り上げることになりました。
血まみれのプロムの裏にある、女子高生のヒエラルキー
バタやんさんが手にしているのは、永井淳 ── 英米文学の翻訳家。スティーヴン・キングの初期作品をはじめ、多くの海外エンタメ小説を日本に紹介しました訳の新潮文庫版で、古本で買った少し日焼けした一冊です。
『キャリー』の主人公は高校生のキャリー・ホワイトです。キャリーは地味な見た目で、過干渉気味の母親に厳しく育てられたため世間知らずなところがあり、同級生からひどいいじめを受けています。
ある日キャリーは、自分にテレキネシス ── 念じるだけで物を動かしたり浮かせたりする超能力のこと。日本語では念動力と訳されますの能力があると気づきます。念じると物が動いたり浮き上がったりするのです。
やがてキャリーに転機が訪れます。学校でも有名なイケメンの同級生をパートナーに、卒業ダンスパーティーのプロム ── アメリカの高校で卒業前に開かれるフォーマルなダンスパーティー。ドレスアップしてパートナーと参加する、青春の一大イベントですに出ることになり、生まれて初めてドレスアップしてスポットライトを浴びます。そしてその先で、残酷で悲しい悲劇が起こります。
映画版の血まみれのプロムのシーンはあまりに有名で、『キャリー』を凄惨なパニックホラーだと思っている人も多いかもしれません。バタやんさん自身もそうした印象を持っていたといいます。
しかし小説を読み、ドラマを見直したバタやんさんは、『キャリー』を別の角度から捉えるようになります。舞台は、誰が誰より上か下かという力学が強く働く、女子高生の世界です。
彼氏がいるとかいないとか、誰が先に経験したとかしないとか、勉強ができるできない、スポーツができるできない、ダンスが上手いとか、本当にいろんなことで(上か下かが決まる)。
そうしたヒエラルキーの中で起こった悲劇として読むと、『キャリー』は非常に普遍的な、よくできた青春小説だったと、バタやんさんは改めて感じたそうです。
冒頭のシャワー室の数ページに、何が凝縮されているのか
『キャリー』はプロムのシーンだけでなく、冒頭のシーンも鮮烈です。物語は、体育の授業後の女子ロッカールームでのいじめから始まります。
女の子たちは石鹸を飛ばし合いながら、きゃあきゃあとシャワーを浴びています。その中でキャリーは身を硬くして立ちつくし、キングはその姿を「白鳥の群れの中のカエル」と表現しています。
そこでキャリーに生理が始まります。高校生にしては遅い初潮で、しかもキャリーは生理というものを知らず、自分から血が流れることにパニックを起こしてしまいます。
同級生たちはそんなキャリーをはやしたて、生理用品やタンポンを投げつけて騒ぎます。体育の女性教師が「何やってるんだ」と入ってくるところまでが、『キャリー』の幕開けです。
バタやんさんは、この冒頭の数ページに物語のテーマが凝縮されていると話します。キャリーを介抱した教師は「お母さんに教わらなかったの?」と疑問に思い、ここから母親の存在が浮かび上がります。
キャリーの母マーガレット・ホワイトは、処女性を崇めるような狂信的な宗教信仰を守っています。バタやんさんはマーガレットを「神の名を借りた毒親」と表現します。
マーガレットは、娘が社会や愛や性を知り、自立した女性になることを拒んでいます。キャリーの超能力というホラーの要素とは別に、このマーガレットの恐ろしさが、物語のもうひとつの恐怖として作品を力強くしています。
思春期の女の子ならではの残虐さも、冒頭シーンのリアルさを支えています。バタやんさん自身、小学6年生か中学生のころに、生理をネタに誰かをいじったり騒ぎ立てたりする場面を見た経験があるそうです。
だからまあリアルだなと思ったんですよ。でもキングはよくこんなシーンを鮮明に、鮮烈に、リアリティを持って書けてすごいなって。
ゴミ箱に捨てられた原稿を、誰が拾ったのか
キングが冒頭のシーンをリアルに書けた背景には、ある裏話があります。新潮文庫版のあとがきに少し書かれていて、キングの自伝的エッセイ『書くことについて』 ── スティーヴン・キングが自身の半生と小説作法を綴った本。日本では田村義進訳で小学館文庫から刊行されていますにはさらに詳しく書かれています。
作家を目指していたころのキングは、『キャリー』を途中まで書き、駄作だと思って原稿を丸めてゴミ箱に捨てました。シャワールームの場面のディテールを書き続けられそうにないと感じ、キャリーのことも好きになれなかったといいます。
帰宅した妻のタビサ、通称タビがその原稿を拾って読み、光るものがあると感じます。タビサは「女の視点とか学校のディテールを私が教えるから、ちゃんと書き上げた方がいい」とキングに強く勧めたそうです。
書きかけで断念
キングが途中まで書き、駄作だと思ってゴミ箱に捨てる
妻が拾い上げる
タビサが原稿を読み、これまでのボツ原稿とは違うと見抜く
ディテールを補う
女性の視点や学校の細部をタビサが教える
デビュー作に
高校教師だったキングの実感も加わり、作品が完成する
キングは作家になる前に高校教師をしていました。女子高生のヒエラルキーの残酷さや、プロムがどれほど大事なイベントかを、体感として知っていた部分もあったと考えられます。
『書くことについて』には、いじめの標的になりやすい子として、キャリーのモデルになった実在の人物が2人いたことも書かれているそうです。
(光るものを)見出したね、奥さんがすごい。タビがすごいですよね。
結末を先に知らされる、書簡体という仕掛け
バタやんさんが挙げる『キャリー』最大の特徴は、構成です。単純な三人称の客観的な語りではなく、書簡体 ── 手紙や日記、記録などの文書をつなぎ合わせて物語を進める形式。英語ではエピストラリー・スタイルと呼ばれますの形をとっています。
『キャリー』では、キャリー自身の語りの合間に、地元新聞の記事や、プロムで起きた事件についての調査委員会の記録などが挟まります。公文書のような資料がパッチワークのようにコラージュされて、話が進んでいきます。
この構成によって、読者は冒頭から結末を知らされます。キャリーが原因でプロムで大惨事が起き、チェンバレンの街全体で大量の死傷者が出たことを、あらかじめ知った状態で読み進めるのです。
何が起こるのか、結末を知らないまま読み進める
結末は最初に示され、どのようにして破局に至るのかを追体験する
一方で、このドキュメンタリーのようなスタイルは読みにくさも生んでいます。語りの間に記事の一部や住民の告白メモが挟まるため、すっと読み進めにくい面があるとバタやんさんは指摘します。
それでも書簡体の構成のおかげで、『キャリー』は超能力少女のオカルト話にとどまらず、本当にあった事件の記録のようなリアリティを帯びています。これがデビュー作だと思うと、キングの才能に驚かされるとバタやんさんは話します。
キャリーは本当に「醜い少女」だったのか?
番組恒例の「神フレーズ」は、今回は『キャリー』ではなく『書くことについて』から選ばれました。『書くことについて』はキングの自作解説であると同時に小説の書き方の指南書でもあり、文章やドラマの脚本に興味がある人にもすすめられる一冊だといいます。
バタやんさんが読み上げたのは、登場人物の外見描写についての一節です。キングは「私は登場人物の身体的特徴や服装を事細かに説明するのをあまり好まない」と書き、「服の説明を読みたければ、J・クルー ── アメリカのアパレルブランド。カタログ通販でも知られていますのカタログを開けば済むことだ」と続けます。
キャリーについては「キャリー・ホワイトはクラスののけ者で顔色が悪く、身なりもパッとしないとそれだけ言えば、あとは読者が全部考えてくれる」と書かれています。細かく書き込むと「そこに読者が入り込む余地はなくなり、両者の相互理解の絆は失われる」というのがキングの考えです。
バタやんさんがこの一節にはっとしたのには理由があります。ドラマ版でキャリーを演じるサマー・H・ハウエルさんはとてもキュートなルックスで、3作目の映画でキャリーを演じたクロエ・モレッツさんにも「ルックスが良すぎる」という批判がありました。
バタやんさんも、原作のキャリーはもっと醜いはずだと思っていたといいます。ところが読み返してみると、キャリーが不細工だという描写は事細かには書かれていませんでした。
いじめられるのだから、太っていて野暮ったく吹き出物だらけのはずだと思い込んでいた
原作には醜さを細かく描く記述はなく、それは自分のバイアスだったと気づいた
それは私のバイアス、私の思い込みで、そこに一番ぎょっとしたっていうね。
バタやんさんは、『キャリー』をプロムの夜の破滅へと向かうカウントダウンの物語だと捉えています。読者はそのカウントダウンを、いじめっ子側の一人として、あるいは偽善者ぶった傍観者として見守るしかない立場に置かれてしまうといいます。
ドラマ版『キャリー』は、SNSを絡めるなどいじめの描き方が現代的にアップデートされていて、見応えがあったそうです。母親役や、いじめる側のクリスという少女も怖さと魅力を兼ね備えていて、原作とドラマのどちらから入ってもよいとバタやんさんはいちさんにすすめます。
20万ドルで妻に買ったのは、なぜドライヤーだったのか
最後に紹介されたのは、心がほっこりする後日談です。『キャリー』が出版社に買われて売れ、キングは出版権を渡した際に最初の20万ドルを手にしました。金額についてバタやんさんは「だったかな」と記憶をたどりながら話しています。
キングは妻のタビサに何かプレゼントを買わなければと考えます。けれどもそのとき街で開いていたのはドラッグストアくらいで、キングはドライヤーを買って帰ったそうです。
キングはその後も名作を書き続け、恐怖小説のジャンルでは誰にも抜けないほどの累計部数を生み出しているのではないか、とバタやんさんは話します。その原点がデビュー作の『キャリー』です。
まとめ
スティーヴン・キングの『キャリー』は、血まみれのプロムで知られるホラーであると同時に、女子高生のヒエラルキーと毒親を描いた普遍的な青春小説です。妻タビサが拾い上げた原稿から生まれ、結末を先に見せる書簡体の構成と、読者の想像に委ねる描写によって、読む人自身の立ち位置まで問いかけてきます。
- 冒頭のシャワー室の場面に、いじめの残酷さと母マーガレットの狂信というテーマが凝縮されている
- ゴミ箱に捨てられた原稿を妻タビサが拾い、女性の視点や学校の細部を補ったことでデビュー作が完成した
- 新聞記事や調査記録をつなぐ書簡体によって、「何が起こるか」ではなく「どう破局に至るか」を追体験する構成になっている
- キャリーの外見はほとんど描かれておらず、醜いはずだという印象は読者の思い込みかもしれない
- ドラマ版はSNSを絡めた現代的ないじめの描き方で、原作と合わせて楽しめる




