作りながら食べる晩酌スタイルのよさ
番組の冒頭、ゆうさんは新しいマイクのハウリング調整に20〜30分かけたことを報告します。なぎさんが「よくイライラせずに」と驚くなか、ゆうさんはあれこれ試行錯誤する作業そのものが楽しかったと話しています。
この日は金曜日で帰りが遅くなったこともあり、二人は久しぶりにキッチンで向かい合い、料理を作りながら食べて飲むスタイルで収録しました。ホームパーティーのときも、なぎさんはカウンターで作りながら少しずつ出すやり方をよくとっているそうです。
(夕飯は)結構頑張って作っていただいてもですね、多分30分、40分かけてもさ、食べるの10分、15分の時とかあるじゃない。
私もなんかね、ちょっと一抹のこう、何て言うかな、あっけなさみたいなのがね。いつもあるよ。
ゆうさんは麺類だと特に食べるのが早く、なぎさんも「相当な量作ってるのに一瞬で食べ終わる」と笑います。手間をかけた料理ほどあっけなく終わってしまうからこそ、喋りながら長く楽しめる作りながら食べるスタイルは、二人ともおすすめだといいます。
30〜40分かけて作っても10〜15分で終わり、作り手はあっけなさを感じやすい
キッチンで向かい合い、作って食べて飲んでを繰り返すので長く楽しめる
電車で失くしたカメラは、なぜ戻ってきたのか
今回のテーマは「日本」。ゆうさんは、日本のいいところと「ちょっとな」と思うところの両方を話し合おうと切り出します。そのきっかけは、なぎさんが大事なカメラを電車で失くし、それが見つかった出来事でした。
なぎさんは酔った帰りの電車でカメラを触りながら、「絶対忘れないぞ」と自分に言い聞かせていたそうです。ところがうたた寝をしてしまい、目覚めて慌てて駅に降りた瞬間、手元にカメラがないことに気づきました。
なぎさんはすぐにJRへ問い合わせたものの、翌日も翌々日も「あいにく」で始まる返事ばかり。ショックで立ち直れず、以前から不満だった機能を補える新しいカメラを買ってしまいます。
警察はカメラの中身を確認し、たくさんの赤ちゃんの写真から大事なものだと判断してくれたそうです。個人情報の確認もほぼなく、持ち主だと確信してすぐ送ってくれたといいます。
私絶対盗まれたと思ったんだけど。さすがの日本でも、「ああ、さすがに盗むか」と思ったけども、やっぱり日本だった。
五十嵐家の家訓「ミスは100回許し合おう」
ゆうさんは、日本の良し悪しの議論はいったん置いて、夫婦にとってはトラブルが起きたときこそ姿勢が問われると話します。高いカメラを失くしたなぎさんを、ゆうさんは少しいじりはしたものの、基本的には責めなかったそうです。
なぎさんはそこで、ゆうさんの口癖であり五十嵐家の家訓ともいえる言葉を紹介します。それがミスは100回許し合おうというものです。
「俺は責めないぞ」って。「何度でも許すぞ。だから俺も許してね」って。
実際この日も、ゆうさんが保育園の帰りに子どもの靴を落としていました。最近靴や靴下をいじるのが好きな子どもが落としてしまったもので、ゆうさんは後から帰るなぎさんに「帰り道に靴見つけてきて」とメールしたそうです。
なぎさんはスマホのライトで暗い道を探しながら帰ったものの見つからず、明日出直そうとあきらめかけていました。すると、マンション1階のエレベーター前の消火器の隣に、小さな靴がそっと並べて置いてあったといいます。
「落としたままに放っておこう」じゃなくて、絶対明らかに並べてくれてる。消火器と共に。「日本人っぽいなあ」と思ったよね。
清潔と安全は日本の誇れる価値
なぎさんから日本のいいところと嫌なところを聞かれたゆうさんは、ポジティブな話から始めます。挙げたのは「清潔」と「安全」で、海外に行くたびにその価値の大きさを痛感するそうです。
ゆうさんは産業医として職場巡視をするなかで、現場の衛生レベルや清潔レベルを常に考えているといいます。そこで紹介したのが5S ── 職場環境を整えるための5つの基本で、製造業などで広く使われる考え方。整理・整頓・清掃・清潔・しつけの頭文字のSをとったものですです。
整理、整頓、清潔、清掃、しつけですよ。
ゆうさんによれば、殺菌・消毒を加えた7Sなどのバリエーションもあるそうです。そのうえで、日本人の衛生レベルはものすごく高いと話します。
ゆうさんは2月に学会でインドへ行く予定があり、衛生観念のレベルはまったく違うだろうと話しています。日本では4〜5歳くらいまでに挨拶や片付けを教わるため、そこで衛生観念が形づくられるのではないかと考えています。
なぎさんも、ふきんを欲しがって机を拭き、自分の口も自分で拭く1歳のわが子の様子を紹介しました。ゆうさんはインドには一度しか行ったことがないと断ったうえで、日本の衛生観念は本当に素晴らしいと話しています。
一方のなぎさんは、海外に行けば行くほど「解放された」と感じて帰ってくるタイプ。ゆうさんが料理のおいしさを挙げると、口に合うし料理のクオリティは高いと認めつつ、いいところはそれくらいで「悪いとこしか出てこないわ」と笑います。
他者を意識しすぎる日本人と、浮いてきた側の本音
なぎさんが気になる点として挙げたのは、日本人が良くも悪くも他者を意識しすぎることです。困っている人がいても本能的に助けるより、「他人だし、近づきすぎるのも迷惑かな」と遠慮してしまうといいます。
まあそれがこう、程よいというかね、その近すぎないって意味ではいいのかもしれないけど。
もうちょっとなんか海外みたいに私はフランクな方が楽だな、行きやすいなと思っちゃう。
ゆうさんも、なぎさんの感覚にかなり近いといいます。出る杭は打たれる風潮や、主張しない奥ゆかしさ、同調圧力や横並び意識は、個人的にはあまり好きではないそうです。
どっちかっていうと俺は浮いてきた側だし、なんかこう、いわゆる普通って何?みたいなやつ。
ゆうさんは浮いていたことで、いじめられたり干されたりした経験も何度かあるといいます。自分が悪いのか周りが悪いのかの判断は難しいとしつつ、目立つタイプだったと振り返っています。
居場所をくれたのも日本人だった
なぎさんは、それでも今のゆうさんには居場所があり、その居場所を作っているのもまた日本人だと指摘します。「それでいいよ」と言える価値観は、外国人と触れ合う経験から生まれるのか、親の影響なのかと問いかけました。
ゆうさんの見方では、日本社会でも全員が同調圧力を持っているわけではありません。大半の人はどちらにも転ぶほぼ無関心な層で、本当に関心を持つのは1〜2割ほどではないかといいます。
まあ1、2割がみんな別にいいんじゃない?って思ってくれる人が、なんか俺の周りには多かったって感じなんだと思うんだよね。
ゆうさんは、自分を育てた家族がまさにそういう人たちだったと話します。両親が集団から外れた特性を持っていたとは思わないものの、そのままでいいと受け止めてくれたのだろうといいます。
これを聞いたなぎさんは、必ずしも肯定する必要はなく、否定しないことが大事なのかもしれないと応じます。ゆうさんも、幼稚園や小学校のころから集団に溶け込めない部分はあったけれど、両親は「溶け込めよ」とは言わなかったのだろうと振り返っています。
学校に行かなかったワインバーのオーナーの話
なぎさんは最近、好きなワインバーで久しぶりにオーナーの女性とじっくり話したそうです。その女性は小学校高学年ごろから、ほとんど学校に行っていなかったといいます。
なぎさんが学校が嫌だった理由を尋ねると、わけもわからずみんなと同じことをさせられるのが意味がわからなかったという答えでした。並ぶこと、集まること、工作で同じものを作ること、そのどれにも理由が見えなかったそうです。
特に印象的なのは美術の授業の話です。オーナーの女性は絵や作ることが好きで、アートにも詳しかったのですが、先生が作家の作品をまねて作ろうと言ったときの説明は表面的で、なぜみんなでそれを作るのかが伝わらなかったといいます。
この人のこの作品のこれにすごく魅力を感じるからみんなで作ろうよとかって言われれば、まあわかったけどみたいな感じで、納得するんだけど
なぎさんによれば、集団に入れない自分はダメで劣っていると感じてしまう不登校の子も少なくないはずです。けれどこの女性は、学校に行かなくなっても苦痛はまったくなく、図書館などに入り浸って楽しくてしょうがなかったといいます。
親に戻れと言われなかったのかと尋ねると、本人がずっと楽しそうで苦悩している様子がなかったから、親もまあいいかと思っていたのだろう、という答えだったそうです。
だからなんか生きてられたみたいな。
なぎさんは、否定しないことの大切さに加えて、みんながやるからと押し付けられることが苦痛な人は一定数いるのだろうと感じたそうです。そして自分たち夫婦もきっとそちら側だと付け加えています。
校則と財布を届ける心は表裏一体?
ゆうさんは、日本の学校教育は基本的に軍隊っぽいと話します。子育てではしつけも必要だけれど、枠に閉じ込めすぎてもいけないし、お辞儀ができないからダメというものでもないと考えています。
例として挙げたのが、授業中に水を飲んではいけない、スポーツドリンクはダメでお茶ならいいといった学校のルールです。理由を聞いても「そうなってますから」と返される、とゆうさんは話します。
よく言うように日本人ってルール、ルールに抗わないんだよね。
スカートの丈やピアス、髪染めのような、勉学と関係のない校則も、ゆうさんには理不尽で非合理的に見えるそうです。一方で、信号を守る、拾った財布を届ける、ゴミをゴミ箱に捨てるといった規範には、「お天道様が見ている」というある種の美しさがあるといいます。
授業中の水分補給や髪・ピアス・スカート丈など、理由のない校則にも「そうなってますから」と従う
信号を守る、財布を届ける、ゴミを捨てないといった行動が、清潔さや安全を支える
なぎさんは、生活の規範そのものはいいと思うとしたうえで、人に迷惑をかけない範囲の選択にまで規範が持ち込まれると、窮屈で息苦しく感じると話しています。
「迷惑」のラインは国でも職場でも違う
ゆうさんは、人に迷惑をかけるかどうかの感覚そのものが海外とは違うと指摘します。授業を中断したり延ばしたりしてでも自分の意見を言うことは、海外では迷惑と見なされないといいます。
他人の時間奪ってまで私なんか発言していいのかしら?みたいな奥ゆかしさあるじゃん。
ゆうさん自身、臨床医をしていた頃は滅私奉公 ── 自分の利益や都合を後回しにして、組織や公のために尽くすこと。日本の働き方を語るときによく使われる言葉ですの感覚がとても強かったそうです。夜中の当直で呼ばれたら行くのが当たり前という空気がありました。
ところが会社で働くようになると、「なんで呼ばれなきゃいけないの?」と感じるようになり、すごく解放されたといいます。
臨床医時代は滅私奉公が強く、夜中の当直で呼ばれたら行くのが当たり前
会社員になり、お金が発生すべき、休む権利があるという感覚に気づいて解放された
主張とは言わないけど、そこにはお金を発生すべきとか、休む権利があるよねとか、それはなんかめっちゃ発生するけど。
削ぎ落とされた日本のデザインの魅力
最後になぎさんは、日本のいいところとしてデザインを挙げます。歴史的な建物も新しい建物も、シンプルで洗練されていると感じるそうです。
なぎさんによれば、海外のデザインは色が多く派手なものが多い一方、日本は削って削って、シンプルな色だけで空間を作っています。宿泊先や歴史的建造物でも、空間が主張せず、人がそこにいて一体化するような感覚があるといいます。
やっぱり海外の建築にはない、ないのかわかんないけど、まあ日本ならではだなって思う。シンプルで、なんか静寂で、直接的に語りかけてこない感じ。
なぎさんは、ここで育ったからこそ好きなのだろうと話しつつ、海外の建築も好きだと添えています。デザインや空間の話はまた別の回でじっくりしたいとして、リスナーにも日本の好きなところ、ちょっと苦手なところを教えてほしいと呼びかけて締めくくりました。
まとめ
落としたカメラや子どもの靴が戻ってきた体験から始まった今回の晩酌トークでは、日本の清潔さや安全さを支える規範意識が、同時に同調圧力や息苦しさの源にもなっていることが語られました。そのなかで、居場所をくれたのも「否定しない」日本人だったという視点が印象的な回です。
- 落としたカメラは警察経由で戻り、子どもの靴は誰かがマンションの消火器の横に並べてくれていた
- 夫婦の家訓は「ミスは100回許し合おう」。同じミスはいつか自分にも返ってくる
- 清潔さや安全さを守る規範と、理由のない校則に従う息苦しさは表裏一体
- 集団になじめない人を救うのは、必ずしも肯定ではなく「否定しない」姿勢
- 日本のデザインは、削ぎ落とされて空間が主張しないところに魅力がある





