テンションを上げる「なんやねんそれ」探し
この回は、収録が夜10時ごろで、しもちゃんのテンションが低いという話から始まります。テンションを上げるために、何かをアンチできる対象があったほうが熱量が上がる、としもちゃんは切り出します。
これはアンチできるなと思ったこと、何かないですか?
いなけんは、批判や意見の対象があまりなく、たいていのことはどうでもいいと感じているため、なかなか出てこないと答えます。以前扱った「マンジャロ」のように、感情がそちらに振れる対象があると盛り上がる、という話になります。
自分の中の「なんやねんそれ」を探しがち。皆さんもちょっと胸に手を当てて考えてください。
「成長」の物差しは誰のもの?
しもちゃんが挙げたのは、東京でよく耳にする「成長、成長」という言葉への違和感です。二人の前職も、どちらかといえば成長を重んじる環境でした。
一口に成長って言っても、何を成長とするかって結構大事やなって最近思ってて。
しもちゃんは、できることが増えることを成長と捉える人もいるが、それはどうかと感じていると話します。いなけんは、サッカー選手を目指しているのに肩だけ強くなっても意味がない、という例で応じます。
さらにしもちゃんは、久々に会った友達から「変わったな」と言われる経験に触れます。それは自分自身が変わったのではなく、成長とは選択肢が増えているだけなのではないか、という見方を示します。
その子の前やったら取られへんかった選択肢を取れるようになるから、「変わったな」って言ってるだけで、自分は変わってない気がするんですよ。
しもちゃんは、恥ずかしさやプライド、「この人に聞くのは嫌だ」といった感情を手放した先に、結果的にできることが増えているように見えるのだと説明します。
成長って、何かをやるものじゃなくて、手放した時に勝手になってる状態なんじゃないかな。
変化と成長はイコールなのか
いなけんは、しもちゃんの話で変化と成長がイコールのように語られている点に疑問を投げかけます。変化はしていても、それがそのまま成長とは限らないのではないか、という論点です。
変化をしてることそのもの自体は、成長とはイコールじゃないかとも思うんだけど。
しもちゃんは、枠としては変化のほうが大きく、成長はその中に内包されると整理します。そのうえで、成長という物差しは観測者がいないと発生しないと述べます。
その成長っていう物差しは、観測してる観測者の物差しでしか測れないじゃないですか。
いなけんは反証として、成長期に身長が伸びたときのように、他者に認識されなくても自分で変化を捉えられる場合があるのではないか、と問い返します。
これに対してしもちゃんは、営業で「アポになりやすい気がする」と感じるようなことも、結局は誰かが作った「営業とは」「マーケティングとは」という物差しで測っているにすぎない、と応じます。
A地点からB地点へ動いている状態そのもの。しもちゃんはこちらを大きな枠と整理する
その変化を、観測者や自分がレベルアップと捉えたときに成り立つもの
最終的に二人は、身長を自分で自覚できることも認めつつ、変化も成長もほぼイコールだという地点に落ち着きます。しもちゃんは、そもそも成長を追い求める先行指標として考える必要がないのではないかと話します。
内定を辞退して前職に残った人の話
しもちゃんは、新卒の就活で使われる「成長環境」「成長できる」といった言葉に強い違和感を持っていると語り、知人の転職エピソードを紹介します。
その知人は、部署や業務が嫌で転職活動をし、ある会社に良いポジションで内定が決まっていました。しかし前職の上の人から引き留められ、内定を辞退して残る選択をしたと言います。
引き留められたんだな、わかりやすく言うと。
しもちゃんによれば、残ったあとも業務は何も変わっていません。CXO系のポジションを提示され、それを受け取った形ですが、そもそも転職を考えた不満は解消されていない状況です。
いなけんは、これは転職のアンチパターンだと指摘します。辞めると言った時点で元の環境には戻りにくく、ぶら下げられたニンジンが本物なら、そもそも外に出ようとすら思わないはずだ、という見方です。
ニンジンぶら下げられて、それがもはやニンジンですらなかったってオチじゃん。
しもちゃんは、成長という漠然としたものをぶら下げて見せる側にも、それにこねくり回される側にも違和感があると話します。
よく使われてる「成長」って言葉が、ほんまに何なんかは、自分の頭で一回考えてほしいな。
球拾いからホームランを狙う——成長の定義
いなけんは、自分が今の会社に入るときの意思決定を振り返ります。最終的に「成長できるか」という観点があったと認めつつ、「成長できるとは何か」を自分で定義していたと反論します。
その定義は、今の自分には到底できないと思えること、そして振れ幅の大きさでした。いなけんは野球にたとえ、四番として迎えられるより、球拾いからホームランを狙うほうが難易度が高いと考えたと言います。
雑用係からホームランを目指しに行くのが、一番難易度が高いわけじゃん。
当時いなけんは2社で迷っていました。一方はすぐリーダーポジションを約束する会社、もう一方は「来たければ来れば」という今の会社でした。振れ幅の大きい後者を「成長できる」と定義して選んだと語ります。
しもちゃんは、成長そのものは否定しないとしつつ、どこに向かって何をしたいのかが気になると応じます。ゴールは一秒後にでもなれるもので、成長という考え方は修行思想に近いと述べます。
ゴールの先にまたゴールがある
しもちゃんは、恋愛で結婚をゴールと考える人がいるように、成長の先に水平線が広がっていると思いがちだが、実際はずっと階段を登り続けるだけではないか、と語ります。
何かの階段を登る、階段を選ぶっていうだけに過ぎない。
いなけんは、ゴールだと思った場所が「ステージ1クリア、ステージ2のスタート地点」だったという感覚に重ね、漫画『HUNTER×HUNTER』のハンター試験を例に挙げます。
二人は、ゴールがわからないまま走り続ける状況を確認し合い、結局は走ること自体に夢中になるしかない、という話に落ち着きます。
300メートル歩いて戻った献血の話
続いてしもちゃんは、転職の話にも通じるものとして「タイミングの大切さ」を今日痛感したと切り出します。
この日、東京から帰る途中で予定が流れ、時間ができたしもちゃんは、駅で献血の呼び込みに声をかけられます。時間はあったものの、いったんは断って歩き出しました。
ところが献血のことが頭から離れず、キャリーを引いて300メートルほど歩いた末に「やっぱり行こう」と決心します。社会に何も還元していない自分が恥ずかしいと感じたためでした。
しかし、決心して元の場所に戻ると、呼び込みをしていたお姉さんはもういませんでした。ポジションは一人しか入れない枠で、誰かが先に行ったのだろう、としもちゃんは言います。
この体験は、内定を辞退した知人の話とも重なります。いなけんは、一度手放したチャンスに「やっぱりやめた」ともう一度戻ることはできない、と整理します。
タイミングに乗れる自分を準備しておくことって、すごく重要。
コーチングと「時間は未来から流れる」
しもちゃんは、電車で見たという苫米地英人のコーチングに関する動画の話を持ち出します。過去の失敗にくよくよする人への視点として紹介されます。
しもちゃんによれば、コーチングでは時間は未来から現在、そして過去へと流れると考え、過去は関係ないとされます。過去にどんな失敗があっても、一秒後の未来は確定していないという発想です。
話の途中、いなけんは北海道の殺人事件の報道に触れ、「悪いやつは死んでしかるべき」といった勧善懲悪的な反応への違和感を口にします。しもちゃんは、コーチングの発想はそれとは対照的だと応じます。
失敗しても切り替えて、次のタイミングの波に乗れる状態を維持するのが、誠実な自分の使い方なんじゃないかな。
しもちゃんは、内定を辞退して残った知人にも「選ぶと決めたなら、くよくよせず頑張れ」と伝えたいと話します。いなけんも、続けると決めたなら、次に本当にチャンスが来たときのために準備しておくべきだと同意します。
扉が開いた瞬間に駆け込めるか
しもちゃんは、知人が「役割」を提示されて揺らいだ点をダサいと感じたと言います。役割ではなく、実際にやっていることで評価されるはずだ、という考えです。
いなけんは、やりたいことに対して「今、扉が開いてますよ」と誰かが教えてくれるわけではないと話します。だからこそ、常にスタートを切れる状態でいることが大事だと続けます。
スタートポジションを切れてる状態のやつは、扉が開いてたら駆け込めるじゃん。
準備ができていないと、扉が開いていることに気づけなかったり、気づいても目の前で閉まってしまったりします。しもちゃんは、まさにそれが自分の献血の話だと重ね、次に見かけたら必ず行くと決意します。
なぜ献血にそこまで執着したのか
いなけんは、なぜ献血にそこまで執着できたのかと問いかけます。声をかけられたのに一度無視した引っかかりや、社会貢献をしなかったことへの気持ち悪さがあるのではないか、という見立てです。
しもちゃんは、まず気持ち悪さが出てきたと認めたうえで、最近読んでいる唯識の考え方が背景にあると語ります。
しもちゃんによれば、意識は八階層ほどに分けられ、その根っこにある阿頼耶識が善悪の根本になります。良い行いをすれば世界の見え方も浄化されていくという考え方です。
献血をすることと、しないって選択だったら、献血をすることの方が絶対いい選択だと思うんですよ。
しもちゃんは、頭で学んだことを、選択肢として目の前に出ているのに実践しないのは気持ち悪いと感じたと話します。注射が苦手なため、針の太さなどを調べて不安を手放し、ようやく「行こう」と決めたのだと振り返ります。
献血と都市伝説、そして「自分の目で世界を見る」
いなけんは、献血が良いことだと多くの人が言う一方で、中学生のころにハマったフリーメイソンやイルミナティの都市伝説を持ち出します。なぜ見返りのお菓子まで用意して血を集めるのか、という疑問です。
その血を、イルミナティが血を飲んでるからっていう。
しもちゃんは、そうした都市伝説に対して、自分の目で世界を見たいと考えたことも献血に向かった理由だと応じます。実際に献血所の人に「普段どれくらい来るのか」と聞いてみようと思っていた、と話します。
変なロジックが自分の中でできちゃうから、ちゃんと自分の目で世界を見たいと思った。
さらにしもちゃんは、駅から続く商店街で化粧品店や服屋を見ながら、みんな自分のために買い物をしているのだと感じ、自分ばかりのための行動にも違和感が湧いてきたと語ります。
こんな年になって自分のためばっかりに行動するのも、ちょっともうええかなと思ってきて。
しもちゃんは、昔手術をした際に血を使ったかもしれないことにも触れ、いつ自分が困る側になるかわからないからこそ、できるうちにしておきたいと話します。結局この日は行けませんでしたが、次は必ず行くと繰り返します。
情けは人のためならず——循環をつくる
いなけんは「情けは人のためならず」ということわざを引き、血を分け与えれば、巡り巡って何かが返ってくることもある、と語ります。
循環を作るためには、まず一回自分から何かを出す、アウトプットするのが大事なんだろうな。
しもちゃんは、席を譲った後のようなスカッとした気持ちよさが献血にもあるのではないか、と期待を語ります。ここから話は電車で席を譲るかどうかの掛け合いに移ります。
いなけんは、年齢だけで席を譲られることに納得できず、あえて譲らないこともあると冗談まじりに話します。しもちゃんは、災害時に人を助けるために筋トレをしていると語っていたいなけんに、電車の席くらい譲れと突っ込みます。
なんで、じゃあ電車の席は譲らへんねん。譲れよ、それぐらい。
一方でいなけんは、明らかに高齢の人がいても、みんな寝たふりをして譲らない東京の光景には、しもちゃんの言う「冷たい街」という感覚がわかると認めます。
しもちゃんも、残業や高い家賃、人の多さといったストレスの中では、生存のために自分中心にならざるを得ない気持ちはわかると応じます。
明日、誰かのために何をする?
いなけんは「明日、誰かのために何をしますか」と問いかけ、宣言して一日を迎えるのは幸せそうだと言います。しかし、しもちゃんはそれを「ダサい」と切り返します。
「これをしよう」ってないですね。その場で判断して「しようかな」って思いはありますけど。
しもちゃんは、ゴミが落ちていたら拾う、席が必要な人がいたら譲る、といった行動を挙げつつ、そのときの自分の状態によってできるかどうかは変わると話します。だからこそ、その場で判断できるように瞑想をしたいと言います。
いなけんは、何かを決めることは、それ以外をやらないと選ぶことにもつながると受け止めます。特定の行動を決めるより、他者に貢献したいと思えるように心のマインドセットを整えておくことが大事だ、という方向へ話が進みます。
他者に貢献したいっていうモチベーションになるように、心を整えとくのが大事な気がしてて。
健康であることが社会とつながる
献血の話をきっかけに、しもちゃんは健康の重要性に気づいたと語ります。献血は健康でないと断られることがあるため、自分の体を健康に保つこと自体が社会とつながっている、という発想です。
自分の体を健康に保つことって、社会とつながってることにもなると思うんすよ。
いなけんも、健康で元気でいれば、それだけ社会に出せるアウトカムの可能性が増えると同意します。逆に、ひきこもってジャンクフードばかり食べていると、社会と隔絶され、アウトカムを生み出しにくくなる、という対比です。
献血に行こうとする
社会に何かを還元したいという思いが生まれる
健康が条件だと気づく
献血は健康でないと断られる場合がある
健康を保つ意味
自分の体を保つことが、社会とつながる行為になる
アウトカムが増える
健康で元気なほど、社会に出せるものの可能性が広がる
しもちゃんは、献血に行った後の自分は想像できないからこそ、そういう未知の姿にチャレンジすることが大事だと締めくくります。
定義した瞬間に否定できる——本質ラジオの難しさ
いなけんは「健康が第一」という言葉を本質として持ち出し、しもちゃんは「バリ浅い」と返します。しかしいなけんは、その土台がないと何もできないと補足します。
しもちゃんは、本質ラジオの難しさとして、言葉は定義した瞬間に否定できてしまう点を挙げます。「こうでない」とは言えても、「こうである」とは言い切れない、という感覚です。
こうでないとは言えると思うんですよ。でも、こうであるとは言えない気がしてて。
しもちゃんは、物事の定義は観測する人の前提によって変わると語ります。マーケティングも、定義が先行すれば否定できるが、聞き手の疑問に応じてなら適切に説明できる、という考えです。
だからこそ、この番組は誰かからの疑問でしか成り立たないとして、二人はリスナーへのお便りを呼びかけます。誹謗中傷でもいいからお便りが欲しい、といういなけんに、しもちゃんは優しくしてほしいと返しつつ、回を締めくくります。
まとめ
「成長」という言葉への違和感から始まったこの回は、変化とタイミング、そして他者貢献と健康へと話題を広げ、成長は追いかけるものではなく、手放した後に見えてくるものではないか、という視点にたどり着きます。
- 成長は「できることが増える」ことより、恥ずかしさやプライドを手放した先に選択肢が増えた状態だと、しもちゃんは捉えている
- 内定辞退や献血の話を通じて、一度手放したチャンスには戻れないため、タイミングに乗れる自分を準備しておくことが重要だと語られる
- コーチングの「時間は未来から流れる」という発想から、過去の失敗を反芻せず切り替えることが誠実な自分の使い方だとされる
- 献血をきっかけに、自分の体を健康に保つことが社会とつながる行為であり、健康であるほど社会に出せるものが増えるという話に至る
- 言葉は定義した瞬間に否定できてしまうため、本質は観測する人の前提や疑問に応じて語られるべきだとして、リスナーへのお便りが呼びかけられる




