「めんどくさい」から見えたポジショニングの話
この回は、しもちゃんが「めんどくさい」を連呼していたことをいなけんが拾うところから始まります。
いなけんは、「めんどくさい」という言葉が出るのは、しもちゃんの態度表明ではないかと分析します。表情で示すことも、思っても言わないこともできる中で、あえて言葉にした点に注目します。
要はしもちゃんは対等か自分がマウント取れるポジショニングしかしたくないんだな、っていうのを改めて感じました。
しもちゃんは、上下関係が絶対に嫌なわけではないと補足します。あくまで前職には適さなかっただけで、人の下につくこと自体を否定しているわけではないと話します。
その人の下って言っても、全員の下ではないし、あくまで前職には適さなかったってだけのことなんで。
いなけんはニュアンスを言い直します。問題は上司か部下かという肩書きではなく、しもちゃんが自分を対等だと思えているかどうかだという見立てです。
たとえ上司と部下っていう関係性であっても、しもちゃんは対等であるって自分の中で思えてるかどうかっていうのが大事なんだな、っていう話。
フリーランスの現在地は「毎日、明日に必死」
話題は、独立したしもちゃんの現在に移ります。いなけんが最近のフリーランス人生を尋ねると、しもちゃんは苦難の連続だと答えます。
まあ苦難の連続ですよ。毎日正直、もう明日に必死です。
それでも自分の望んだことだからポジティブに捉えているのか、といういなけんの問いに、しもちゃんはポジティブだと答えます。理由は、無駄なことを考えなくていいからだと話します。
なぜなら無駄なことを考えなくていいから。
いなけんは、フリーランスには究極的に上も下もなく、発注者と受け手という契約上のフラットな関係だと整理します。人の下につけないという話とも重なる構図です。
一社で勤め上げる働き方は、日本の伝統ではなかった
いなけんは、日本の働き方を調べていて気づいたことを話します。一社で勤め上げる働き方や低い雇用の流動性は、日本古来の伝統ではないという指摘です。
いなけんによれば、日本の終身雇用的な働き方は戦後に生まれたもので、それより前の時代にさかのぼると事情は違ったといいます。
もっと100年前とかから遡っていくと、全然日本人は職を転々としてたし、こっちの給料が比較していいのであればそっちに行くしみたいなスタイルで働いてました。
いなけんは、細部は端折っていると断りつつ、今の当たり前は昔からの当たり前ではなく、100年経たない前は海外ともそう変わらなかったのではないか、と話します。
その事実を踏まえ、いなけんは、一社で勤め上げるのと真逆の人生を歩むしもちゃんは、その場その場の最適解を判断する思考なのではないかと投げかけます。しもちゃんは、本当にそうだと同意します。
「やりたいこと」ではなく「やりたくないこと」を決める逆ゴール
しもちゃんは、フリーランスとしての動き方を、自身の状態をグラフに見立てて説明します。マイナスの時はしんどいものの、一定まで上がると、やりたいことが勝手に湧いてくるといいます。
限界値が100やとしたら、もう50ぐらい来たら勝手にやりたいこと出てくるんですよ、僕、無限に。
そこから、しもちゃんはコーチングで気づいたことを話します。コーチングの中心にあるゴールは、人に何を言われても達成したい目標を定め、自己暗示をかけて向かっていく考え方だと説明します。
しかし、しもちゃんは、やりたいことは一日ごとに変わるため、その方法は自分には無理だと感じたといいます。調子がいい時ほどやりたいことが無限に出てくるからです。
一方で、「やりたくない」「こうはなりたくない」という感覚は、あまり変わらないことに気づいたと話します。
自分が人に何て言われてもこうなりたくないは、あんまり変わらんかもなって気づいたんですよ、その時に。
そこでしもちゃんは、逆ゴールを設定するという発想にたどり着きます。やりたくないことを起点にしたところ、いい感じに進むようになったといいます。
人に何を言われても達成したい目標を定め、自己暗示をかけて向かう。だがやりたいことは日々変わり、しもちゃんには合わなかった
こうはなりたくないという、あまり変わらない感覚を起点にする。設定してから調子がよくなった
「やりたい」が描きにくいなら、削って残る場所を探す
いなけんは、やりたくないから発想するやり方は、キャリアの考え方でもよくあるのではないかと応じます。やりたいことを描くのは、特に日本人には難しいのではないかという見立てです。
いなけんは飛躍を断りつつ、宗教を信じる人が「天職」と呼ぶような、この道は与えられたものだと信じられる作用を例に挙げます。日本人にはその感覚が薄いのではないかと話します。
子どもの頃は「お花屋さんになりたい」などやりたいことが次々出てくるのに、現実を知ると「本当にやりたいのかな」とノイズが入ってくる、といういなけんの指摘です。
その代わりに、やりたくないことははっきりしているといいます。いなけんは、怒鳴る人が多い職場にはいたくない、といった例を挙げます。
いなけんは、いたくない環境を削っていくと、心地よい、あるいはフラットでいられるゾーンが残ると整理します。しもちゃんの逆ゴールと近い考え方だと話します。
明日の自分と1年後の自分、リアルなのはどっちか
いなけんは、コーチングの話から少し離れ、自分が最近考えたことを話します。ダイエットを例に、明日の自分と1年後の自分では、明日の自分のほうがはるかにリアルに想像できると指摘します。
1年後の自分が「これぐらい痩せたい」と思っても、今日明日の誘惑が勝ってしまう、といういなけんの説明です。目の前のカロリー摂取が1年後の自分に影響することが、うまくリンクしないためだといいます。
究極の未来の解像度をどう上げるかを努力すると、今の一歩一歩の軸足の踏み込み方が変わるんかなって思って。
そこでいなけんは、未来の解像度を上げる試みを紹介します。しもちゃんが以前話していた占星術に関連して、算命学で自分の時系列を出してみたといいます。
AIに「35歳・50歳・80歳の自分」を描かせてみた
いなけんは、算命学で出した時系列をもとに、その時々の自分がどんな日記やエッセイを残すかをAIに書かせてみたと話します。
さらに、35歳、50歳、80歳といった年齢の自分がどんな風貌になっているかの未来予想図も、AIに絵として作ってもらったといいます。似ているかどうかはさておき、輪郭の解像度を上げてみたと話します。
具体的には2つのことを試したといいます。1つは、自分や幼少期の自分、親、祖父母の写真をAIに読み込ませ、この年齢ではこうなっているのではという将来の姿を描かせたことです。
もう1つは、占い的に出てきた変化の時期を重ね、その時の自分の心情として、未来の自分が残した日記をAIに書かせたことです。
50歳の俺、こんなこと思ってるみたいな。で、それが実際起こるか起こんないかは、ただのifでしかないけど。
いなけんは、AIが示したルートに行きたいと確実に思うわけではないと断ります。それでも、一本芯が通ることで自分の中の感覚が変わったといいます。しもちゃんは面白い遊びだと反応します。
マジでAIをおもちゃにしてるやん。
いなけんは、過去は変えられないからこそ、未来の自分が何をしたいのかを問い、今の自分と対話するためにやっていると話します。自己内省の延長だといいます。
義務感でやることは、捨てていいのか
いなけんは、この試みを通じて、義務感でやっていることは割合を削っていったほうがいいと感じたと話します。取捨選択の一助になるという整理です。
これにしもちゃんは強く反応します。義務感でやっていることを捨てたいと繰り返します。
義務感でやってること捨てたいよな、マジで。マジで捨てたいねんな。
いなけんは、人は関係性の中で生きていると応じます。群れを成し、周りにいいことをしようとする作用で人類は繁栄してきたため、おせっかいも含めて、やりたくないけれど生じる場面はあると話します。
一方でしもちゃんは、切るチャンスは常にあると言います。手放せる瞬間が来たら手放さないと、おかしくなってしまうという考えです。
いなけんは、義務感で駆動するものが全部悪とも限らないと反論します。以前話したコンフォートゾーンの話を持ち出し、やりたいことだけを取っていると、その外に出られないのではないかと投げかけます。
義務は、やりたい・やりたくないとは別の軸だった
しもちゃんは、そもそも義務感というものはないのではないかと考え直します。義務感でやることは、基本的にできることのほうが多いはずだと指摘します。
いなけんは、架空のペルソナで義務感がありそうな例を考えてほしいと促します。しもちゃんは、社内の稟議上げを誰かの代わりにやる、役割が定義されていないのに自分がやる役回りになっている、といった例を挙げます。
いなけんは、職業人においてそれを手放すと、仕事をしていない判定になることもあると応じます。義務感を仕事の外でも連想したいと話し、親の介護を例に出します。
いなけんは、肉親だから自分がやらなきゃとなるが、外部リソースを使う選択肢もあると指摘します。それを取らずに自分でやることに、義務感を連想すると話します。
しもちゃんは、それはやりたいからやっているとも言えると返します。選択肢を不等号で比較し、一番やりやすいものを選んでいるだけではないか、という見立てです。
いや、今考えたんですけど、やっぱ義務感ってない気がするな。
しもちゃんは義務の意味を確認します。それぞれの立場や職分に応じて、道徳上や法律上当然しなければならない務めや拘束のことだといいます。そのうえで、義務は「やりたい・やりたくない」とは干渉しない軸だと整理します。
役割を剥がせば、義務も外れる
しもちゃんは、どんな役割を選択するかという話と、その役割に付随する義務の話は別物だと整理します。自分は捨てた役割がある、という話をしていたのだと明かします。
僕は捨てた役割があるって話をしてただけですね。
いなけんはここで理解が追いつきます。役割自体が自分にピタッと来ていないなら、それに応じた義務が自分にまとわりつく、という因果です。
つまり、役割自体を剥がせば、その義務も取っ払えるという結論です。役割を得れば、相手との関係性の中で「ここがボーダー」という義務ラインが生じる、という見方です。
役割を得る
相手との関係性の中で、ここまではやるべきという義務ラインが生じる
義務がまとわりつく
選んだ役割がピタッと来ていないと、やりたくない義務も付随してくる
役割を剥がす
役割自体を外すことで、その役割に付随する義務も取っ払える
一方でしもちゃんは、本当に捨てたい役割が今もあると打ち明けます。捨てたいと口では言っているのに、まだ叶っていないといいます。
もうマジで捨てたいって。しかも捨てたいって言ってるけど叶ってないから。
しもちゃんは、独立という実を取っても全てが自由になるわけではないと話します。ただ、責任が全部自分に降りてくることでシャキッとする、と語ります。
シャキッと感の正体は「自分で選択できていること」
いなけんは、シャキッと感をもう少し分類するとどういう状態かと尋ねます。しもちゃんは、それを仕事の帰り道に考えていたと答えます。
しもちゃんは、なぜ独立したのかを振り返り、その時に一番しっくり来ていたのは「好きなもののために働くため」というニュアンスだったといいます。ただ今はしっくり来ていないとも付け加えます。
いなけんは、サラリーマンとしてポジションが下であるほど、やれることが自分発信でない可能性が高いと指摘します。裏を返せば、シャキッとする瞬間が相対的に少なかったのではないか、という見立てです。
この整理に、しもちゃんは同意します。自分で選択的に何かをできていることが、シャキッとしている状態の条件の一つだと確認します。
自分を「定義する」ことのナンセンスさ
しもちゃんは、頭に見えている選択肢の上で今が最適だと思っているだけで、数年後には変わるかもしれないと話します。だからこそ、定義するのは苦手だといいます。
いなけんが、定義とは楽しいことをこうだと決めて言語化することかと尋ねると、しもちゃんは、それにはあまり意味がないと答えます。
しもちゃんは、その理由を掘り下げます。昨日の自分といっても、その時の脳のホルモンバランスや筋肉の疲労度は違うといいます。前提が違う状態を、ひとくくりに「自分」とまとめて定義すること自体がナンセンスだという考えです。
ひとくくりに自分っていう風にまとめられる存在の状態を定義するっていうこと自体がなんかナンセンスというか、なぜ同じだと思ってるんだっていう。
しもちゃんは、定義したい人はすればいいが、そのぶん常にブラッシュアップし続けなければならず、あまり有効だとは思えないと話します。
最後に、しもちゃんは今日の本質をいなけんにまとめてほしいと振ります。いなけんは、昨日の自分と未来の自分は別人だ、と答えます。ただ、それは最後の話だけを触ったまとめだと、しもちゃんに突っ込まれて回は締めくくられます。
まとめ
この回は、フリーランスの現在地から始まり、やりたくないことを軸にする逆ゴール、未来の解像度を上げるAIの使い方、そして役割と義務の関係へと展開しました。「なりたくない自分」や「捨てたい役割」を起点にすると、次に動くべき場所が見えてくる、という話です。
- 「めんどくさい」の裏には、対等でいたいというポジショニングの欲求がある
- 一社で勤め上げる働き方は日本の伝統ではなく、戦後に生まれたもの
- やりたいことは変わるが「なりたくない」は変わりにくい。逆ゴールを起点にする
- 義務は「やりたい・やりたくない」とは別の軸で、役割を剥がせば付随する義務も外れる
- シャキッと感の正体は、自分で選択できているという感覚にある




