きっかけは「整形は努力以上の狂気」というバズ投稿
この回のテーマは「整形って努力ですか?」です。きっかけは、しもちゃんがXで見かけた1つの投稿でした。
その投稿は「整形は努力じゃないけど、マジでこれだと思う」という文章に、あるYouTuberの発言を切り取った画像4枚が添えられたものでした。反応も大きく、いいねは6.4万、インプレッションは327万に達していたといいます。
「整形は努力じゃないよ。努力の範疇超えてるから。努力以上の何かだと思うんだよ。狂気に近いものだと思うんだよね」って、なんか一人語りしてるYouTuberのスクショが4枚添付されてる、そんなツイートを見たんですよ。
この投稿がポジティブなのかネガティブなのか、2人の受け取り方は最初から少し割れます。いなけんは、アスリートが努力を超えてストイックにやっている姿になぞらえて、前向きな意味で受け取ったと話します。
要は「努力の先の狂気」って、なんかポジティブに捉えてるなって俺は受け取ったんだけど。言葉尻だけを聞くと。
一方でしもちゃんは、ポジティブかネガティブかはあまり重要ではないと整理します。ポイントは「整形は努力とは別物の何かである」という点に、多くの人が共感していた構造にあると見ています。
「努力以上の何かである」っていう、そこには同意されてるから、一応共感を生んでるっていう構造になってると思うんですよ。
そもそも「整形」とは何を指すのか
高校の整形論争そのものより、しもちゃんは「整形を別のものに例えると何になるか」を話したいと提案します。ただ、その前に2人は「ここで言う整形の範囲」を先にすり合わせようとします。
いなけんは、整形といっても顔だけでなく豊胸などもあり、男性がする場合もあり、骨を切るのか少し縫うのかで度合いも大きく違うと指摘します。だからこそ、話の土台となる範囲を決めておきたいと考えました。
性別は問わない。肉体に直接働きかける、肉を追加する、もしくは取り除く行為。元々ある人間の本来持ってる骨であったり肉を、着脱可能な部位として見る施術そのもの全てを指す。
この定義に従うと、ボトックスや唇へのヒアルロン酸注入は「整形」から外れる、というのがしもちゃんの見立てです。筋肉を柔らかくしたり物質を足したりするのは、骨や脂肪を切って着脱するのとは別物だと考えているからです。
一般的な辞書上の整形は「形を整えること全般」で、通常は美容整形の略称として使われます。2人は、この回で扱うのはその中でも骨や脂肪を切るような外科的な施術だ、と認識を合わせて先へ進みます。
テニスに「3本目の腕」をつけたらどう感じるか
認識を合わせた2人は、整形を別ジャンルに置き換える「例え探し」を始めます。しもちゃんが最初に出したのは、パソコンやiPhoneのソフトウェアアップデートという例えでした。状態を意図的に変える、という点を捉えた発想です。
続いてスポーツに移し、テニスで例えるとどうなるかを考えます。しもちゃんは、神経の通った自分の意思で動く腕を、もう1本体につけて競技をするようなものだと表現しました。
これに対しいなけんは「努力じゃなさそう」「ズルしてる感じがする」と反応します。ただし、両手持ち前提で作られたラケットしかない以上、3本目の腕はむしろ不利になるかもしれない、とも付け加えました。
そこでしもちゃんは例えを差し替え、打ち返す力を上げるために牛や馬の筋肉を移植する、という方向に変えます。サーブが異常に強くなるようなイメージです。
近い将来、テクノロジーの発展でパラリンピックの選手の方が、普通のオリンピックの選手よりも記録超えるかもしれないみたいなの言われるじゃん。
いなけんは、この筋肉移植のような改造も、整形と方向性が近いと整理します。整形が「美しくなりたい」に向けて体を改造するように、スポーツの改造も「勝ちたい」に向けて体をいじっているからです。
ドーピングと「クリーンに戦う」という美学
筋肉を移植した選手がいたら公式大会には出られない、という話から、2人はドーピングへ話を広げます。いなけんは、かつて黙認されていた時代と比べ、今は基準が非常に厳しくなっていると語ります。
スポーツ選手って風邪薬飲めないって知ってる?風邪薬の成分が、ドーピングに違反する成分と近いのか。だから薬飲まずに自然治癒だけで治さないといけないらしい。
この真偽は本人も「本当か嘘かわからない」と断っています。ただ、そこまで気にするほどに、クリーンに自分の正当なフィジカルだけで戦うことが、一般通念上のアスリート像だと2人は確認します。
一方でしもちゃんは、アスリートはそもそも熾烈な競争を前提にした存在だと指摘します。そこで「競争がない世界での整形」を考えたいと、話の焦点をずらしにいきます。
ピラティスやヨガを例に出そうとしますが、ここで2人はある壁に突き当たります。誰にでも当てはまるものだと、話が薄くなってしまうのです。
ただただみんなに当てはまることしてもあんま意味ない。やっぱ競争じゃないと意味ないですわ、これ。
何を成果とおくか──「オーガニック陰茎」の例え
話を人間のリアルな行為に戻すため、いなけんはいったん整形の定義を「顔や体を改造して美しくすること」と雑に置き直します。そのうえで、メイクや髪型のような手段ではなく、外科的なハックで目的に近づくものは何かを問います。
この文脈でしもちゃんが挙げたのが、陰茎にシリコンボールを入れて感度を上げる施術です。胸に物を入れるのと同じ整形だ、というわけです。いなけんは当初「個人の自由じゃない?」と返します。
ここで論点が整理されます。問題は「自分が気持ちいいか」ではなく「相手にどう評価されるか」でした。相手にとって良い形に改造する、という前提が加わった瞬間、いなけんは「ちょっと違和感あるかも」と感じ方が変わります。
めちゃめちゃデフォルトのオーガニック陰茎でめっちゃ気持ちいいって評判の人と並んだ時に。
この違和感の正体を、しもちゃんは「競争の意識があるかどうか」に見出します。競争になった瞬間、フェアであること、自然体であることが前提条件になる、というのです。
競争ってなった瞬間に、フェアであることがまずそもそもの前提条件に入るじゃないですか。オーガニックであることが。自然体であることが。その中で勝っていくから、そこに美学が生まれるわけじゃないですか。
『HUNTER×HUNTER』の制約と誓約で捉え直す
この「フェアさと美学」の話から、いなけんは『HUNTER×HUNTER』の制約と誓約を持ち出します。制約や賭けるものがないと、勝って当たり前で、勝つ意味も薄れてしまう、という発想です。
いなけんは、これをハイリスク・ハイリターンの話として言い換えます。整形しない人はその問い自体が発生しませんが、整形した人は「勝ち取れるもの」と「失うリスク」を天秤にかけている、というのです。
さらに、整形で成功をつかめたとしても、自然な戦い方ではないぶん、メンテナンスなどの負荷を一生負い続ける制約が生まれる、とも指摘します。オーガニックとは違う戦い方を選んだがゆえの負荷です。
人工的な、人間に負荷がかかる行為を一生し続けなきゃいけないっていう制約を負うというか。
この議論を、しもちゃんは一言で受け止めます。結局は、どこの競争を選ぶかという話に収束していきました。
結論は「努力以上でも以下でもなく、努力の一種」
ここまでの対話を踏まえ、しもちゃんは最初のバズ投稿への答えを出します。整形は努力以上でも以下でもなく、努力の一種だ、という結論です。
その根拠として、まず努力を「何かの目的・目標に向かって取る行動」と定義します。すると、美しくなりたくてメイクを学ぶのも、体を変えてしまうのも、どちらも努力の枠に入ります。
努力以上ってことは、努力と同じベクトルにはあるけど、その努力のポイントではないってことじゃないですか。そうではなくて、大きい努力という枠の中の一つの選択肢が整形だと思うんですよ。
そのうえでしもちゃんは、メイクと整形の違いを競技のたとえで整理します。メイクや筋トレは同じ土俵で戦うための手段ですが、整形はそもそもレース自体が変わってしまう、というのです。
テニスの世界大会からボクシングへ移るような異種格闘技戦への参入。それが整形だ、としもちゃんは言います。そして一度そちらを選ぶと、元の競技には帰れません。
同じ競技(レース)の中で戦うための手段。土俵は変わらない。
レースそのものが変わる、異種格闘技戦への参入。元の競技には戻れない。
いなけんは、この結論を「言葉のあや」の話として補足します。投稿の「努力以上」とは、努力の競技そのものを変えてしまうこと自体を指していたのではないか、という仮説です。
なぜバズったのか──普通は取れない選択肢と狂気
では、なぜこの投稿は大きく拡散したのか。しもちゃんは、整形に一定の狂気性があると仮定したうえで、その出どころを考えます。人は生まれた時点で、大体戦う土俵が決まっている、という前提からです。
そこからやっぱ逸脱するを目指すっていうのは、やっぱ狂気じみたものがないと難しいと思うんすよ。
決められた土俵から抜け出そうとする、その狂気じみた選択に共感する人が多かったからバズったのではないか、というのがしもちゃんの見立てです。普通の人が取れない選択肢を、整形した人は取っている、という感覚です。
ただし、話はきれいには終わりません。しもちゃんはスポーツの例えに引き戻され、もともとのポテンシャルの差は後天的にはゼロにできない、という現実に触れます。東洋人が筋肉を外付けしても、体格に恵まれた相手との差は埋めきれない、というのです。
だから、ハックしても、そもそも到達点の最大値のキャップが違うから。あんま勝負になってないというか。
結局、自分がオーガニックで上位まで行けるところを見定めてやっていくしかない。しもちゃんはそう話しつつ、この話が妙に自分に刺さっていることを認めます。
鈴木彩艶とフランス代表──どこを尖らせるか
スポーツの話題として、いなけんはワールドカップで活躍したキーパーの鈴木彩艶を挙げます。ガーナ出身の父と日本人の母を持ち、アメリカで生まれた選手で、骨格や筋肉量が違う、と評します。
さらにいなけんは、優勝候補として勝ち上がるフランス代表に話を移します。フランス人と聞いて連想するイメージと、実際のサッカーフランス代表のスタメンは大きく違う、という指摘です。
11人スタメンが並んでる写真、ほぼほぼ全員黒人なわけよ。要はフィジカルギフテッド的なやつらが集まってるっていう話なんだけど。
フランスにルーツを持つ「上澄みの上澄み」を選び抜けるフランスと、オーガニックな遺伝子で戦う日本。だからこそ、どこを尖らせて勝ちにいくかが問われる、といなけんは考えます。フィジカルで勝てないなら、別の軸を探すしかない、というわけです。
この問いにしもちゃんは明確な正解を出さず、「難しい問題」と受け止めます。そのうえで、ここでもクラピカを引き合いに、制約が強いほど燃えると付け加えました。
制約が強ければ強いほど結構まあ燃えはしますけどね。そっちの方が勝てなくても「ああ、無理やったか」っていう気持ちが出るかもしれないじゃないですか。
気持ちよく負けるために──制約と誓約の気づき
いなけんは、この「負け方」の話に共感します。人生は勝つ回数より負ける回数のほうが多いのだから、負けた時に気持ちよく負けられるかが大事だ、というのです。
この一言が、しもちゃんに個人的な気づきをもたらします。自分は制約をかけきれていない、と自覚したのです。仕事を分散させることは、リスク分散である一方で、制約をかけていないことにもなっていた、と振り返ります。
リスクの分散とちょっと表裏一体やから。ここぞっていう時はやっぱ集中させた方がいい気がするから。
そのうえで、制約かければかけるほど、一事象に対しての感情の起伏度が上がっていく、だからそのほうが楽しい、としもちゃんはこの回の本質としてまとめます。リスクがあるからヒリヒリする、という感覚です。
いなけんは、整形もまた1つの制約のかけ方だと接続します。各々が、それぞれのフィールドで自分の制約のかけ方を選んでいる、というわけです。
最後にしもちゃんは、制約と「せいやく」を、制限する側の制約だけでなく、何を誓うかという誓約として捉え直します。同じ音でも、漢字によって意味が変わるという気づきです。
何を成果と置くかは定義した上で制約をかけることがすごい大事やなと思います。
まとめ
バズった1つの投稿から始まった雑談は、整形とは何かという定義の確認を経て、競争・フェアさ・制約という角度へ広がりました。最後は「整形は努力の一種」という結論と、「何を成果とおいて、どこに制約をかけるか」という問いに落ち着きます。
- 「整形は努力以上の何か」への違和感が、整形とは何を指すのかの定義から掘り下げられた
- 競争の場ではフェアさ・自然体が前提になり、そこに美学が生まれるという整理がなされた
- 整形はメイクや筋トレと違い、レースそのものが変わる異種格闘技戦への参入だと捉えられた
- 結論は、整形は努力以上でも以下でもなく、努力の枠の中の1つの選択肢という位置づけ
- 制約をかけるほど感情の起伏が増して熱中でき、気持ちよく負けられる。何を成果とおくかを定義したうえで制約をかけることが大事だと締めくくられた




