そもそも原宿には何があったのか
原宿という住所は、今はもうありません。東京都なんとか原宿、という住所はないんですね。
今みたいに人が行き交うようになったのは戦後のことです。今のNHKや代々木公園のあたりに、アメリカの軍人が住む『ワシントンハイツ』があって、そこから外国人向けの商店が増えていった。それが今の原宿の始まりなんです。
表参道の『キデイランド』も、もともとは外国人向けのお店でした。
さらに遡ると、大正9年に明治神宮ができて、同時に表参道もできました。明治の末、明治39年には原宿駅ができています。
原宿の名前の由来は、江戸時代の宿場町です。原っぱの「原」と宿場町の「宿」で原宿になったんですね。
なぜ僕が原宿を調べているのか
なぜ今、原宿の話をするかというと、何度も話している僕のひいひいおじいちゃん、高祖父の『吉田多喜雄』の戸籍に、原宿の住所があったからなんです。
多喜雄は人生で本籍を3回移しています。本籍って、正直あんまり変えないですよね。僕自身も実家から変えたことがあるかどうか、というくらいなんですけど。
その2回目が、この原宿だったんですね。この2回目の原宿のことが、ずっと気になっていて、今も調べ続けています。
住所でいうと、明治35年あたりに、多喜雄が千駄ヶ谷村大字原宿170番地に本籍を移しているんです。
170番地を、地図から突き止める
ただ、この170番地というのがけっこう広いんですね。当時多喜雄が住んでいた場所を見つけるのは難しいだろうなと思っていました。
それで本当にいろんな昔の地図を探しました。でも、地番が載っているものがなかなかなくて。
やっと明治44年や大正5年、明治40年頃の東京市の地図で、地番が載っているものを見つけたんです。
見てみると、やっぱり170番地が広いんですよ。今でいう表参道ヒルズのあたりから、外苑前の方まで、170番地がいくつもあるんですね。
これは探すのは難しいなと思っていたんですけど、明治40年の地図に「170番地はここだよ」というのが1つあったんです。
そこから道や地形をもとに今の住所を割り出して、渋谷区に旧土地台帳を取り寄せました。
土地の所有者は、最後の大名だった
そうしたら、その土地の所有者が『浅野長勲』という人だったんですね。
浅野長勲は、広島藩の12代藩主。最後の藩主と言われている人です。昭和12年、94歳まで生きていて、最後の大名と言われている人なんですね。
周辺の旧土地台帳も取り寄せていたんですけど、見てみるとほとんどが浅野家の土地でした。息子さんの長行さん、その後の長武さんと遍歴を追っていくと、浅野家は今も17代目まで続いているんですね。
江戸時代、表参道ヒルズから外苑前のワタリウムのあたりまで、浅野家の下屋敷があったそうです。全部で6000坪だったかな。かなり広大な土地だったんですね。
史跡跡のようなものはもう残っていないと思うんですけど、Googleマップでは表参道ヒルズが浅野家の屋敷の跡と書いてあります。
もちろん多喜雄と浅野家に接点はないんですけど、その土地の上に建っていた建物のどこかに、高祖父が住んでいたんじゃないかなと思うんです。
誰を頼って、原宿に住んでいたのか
この170番地のあたりに、どんな人が住んでいたのかも調べてみました。交流関係をたどれるかなと思ったんですね。
陸軍中将の長岡外史、貴族院の倉地鉄吉、法学者の篠田治作、それにFAXを発明した『丹羽保次郎』。身分の高い人が多く住んでいたんです。
近くにあった『同潤会アパート』も、もともとは政治家や先生といった人たちが住んでいたと言われています。この土地は、浅野長勲から買って作られたアパートなんですね。
じゃあ、なぜそこに多喜雄たちが住んでいたのか。おそらく誰かを頼っていたんだと思うんです。
吉田家は鹿児島出身で、多喜雄は鹿児島から出てきて最初に択捉島に移り、そこからここに移っています。結婚前の20代前半に、この原宿にいたんですね。
考えられるのが、多喜雄の弟の鴻治です。鴻治は『秋山好古』の騎兵隊にいたと思われていて、平時は近衛師団にいたらしいんです。
今の国立競技場のあたりに、陸軍の近衛師団の練兵場があったんですね。170番地から徒歩10分ほどで、先日実際に歩いてみたら本当に10分くらいで行けました。だから多喜雄と鴻治が一緒に住んでいた可能性は高いと思っています。
さらに国会図書館のデジタルライブラリーで調べていたら、『吉田スカ』という人物が出てきたんです。スカはカタカナで、多喜雄と鴻治のおばあちゃん、僕の6代前にあたる人ですね。
弟の鴻治は日露戦争で亡くなっていて、勲章とともに天皇陛下からお金を賜っているんです。今の価値で200万くらいのお金を、吉田スカさんが原宿の住所で受け取っている、という記述があったんですね。
吉田スカは天保7年生まれで、当時70歳くらい。旦那さんの吉田嘉兵衛も亡くなっていたので、多喜雄と鴻治の親代わりになっていたのかなと思っています。
だから、おそらく3人で東京にいた。東京の実家、という感じだったのかもしれません。
最後に1つ気になったのが、多喜雄はずっと鹿児島士族を名乗っていたのに、弟の鴻治は東京士族を名乗っていたんですね。同じ兄弟なのに、なぜ違うのか。今の価値からはちょっと想像できなくて、わからないんですけど、そこが妙に引っかかりました。
ということで、今回は原宿のことを書いてみました。読んでくれてありがとうございました。
まとめ
高祖父・吉田多喜雄が本籍を置いた原宿170番地を、古地図と旧土地台帳から突き止めたら、そこは最後の大名・浅野長勲の土地でした。おばあちゃんの吉田スカや弟の鴻治と、3人で暮らしていた可能性が見えてきたんです。
- 原宿170番地は広く、地番の載った古地図から場所を絞り込んだ
- 土地の所有者は広島藩最後の藩主・浅野長勲だった
- 弟の鴻治や6代前のおばあちゃん吉田スカと3人で暮らしていた可能性が高い
- 多喜雄は鹿児島士族、弟の鴻治は東京士族を名乗っていたのが謎として残った


