遠い出来事を自分の経験にできるのか
この回は、「人は歴史から学ぶことは可能なのか」という問いを考える2回目です。前回は、岡山さんがオイルショックが再び起きる可能性に触れたことをきっかけに、人間は同じ過ちを繰り返してしまうのかという話から始まりました。
田中さんは前回の話を振り返ります。歴史的な出来事を直接経験した人が少しずつ減っていくことで、出来事は歴史化 ── 生きた経験として語られていた出来事が、体験者がいなくなるにつれて、記録や知識としてのみ扱われるようになっていくことしていくという話が出ていました。
そのうえで前回は、自分から遠い出来事でも自分事として捉えられれば、歴史から学べるのではないかという話で終わりました。田中さんは、隣の国の戦争を「距離が遠いこと」で終わらせない姿勢を例に挙げています。
岡山さんは、前回の論点を「生きる死ぬに関わらないことを学んで行動に落とし込むのは無理なのではないか」という問いだったと整理します。それでも諦めたくないので、人が歴史から学んでよりよく生きていくにはどうすればいいかを探るのがこの回の狙いです。
(歴史から学ぶことを)じゃあどうやったらね、でも諦めたくないじゃない?みたいな。
平和は「歴史から学んだ結果」なのか
田中さんは、自分の生活にすぐ関わらない歴史を解像度高く知ろうとするのは難しいと話します。なぜ戦争が始まるのかも、突き詰めなければわかりません。
田中さんの見立てでは、歴史は興味を持つ一部の人たちがつないでくれているから継承されています。一方で、一般の人が歴史を知り、興味を持つのはやはり難しいのではないかと考えています。
これに対して岡山さんは、前回出た「世の中が平和だから歴史を学ばなくていい状態になっている」という話を逆から捉えます。そもそも平和なのは、歴史から学んで同じことが繰り返されないようになっているからだというのです。
本当に歴史から学んでないんだったら、今頃また人は殺し合ってるわけですよ。
世界のどこかで争いはあっても、それが全てではない状態は、争いを防ごうと努力してきた結果ではないか。岡山さんはそう考えています。
田中さんは日本の例として非核三原則 ── 核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする日本政府の方針。1960年代後半に表明され、国会決議でも確認されていますを挙げ、仕組みになっていることも「学ぶこと」の一つだと受け止めます。ただし、仕組みが変えられようとするときに声を上げるには実感も必要で、仕組みと感覚は両方必要だと話します。
岡山さんは、経験した人がいなくなっても価値が続くためには、仕組みにするほかないと応じます。毎回みんなが経験しないとわからない状態では、進歩がないからです。
仕組みじゃないと経験して、あ、これは良くないから変えようって言って変えていくっていうことがずっと起き続けてたとしたら、常にみんな経験しないとわかんないっていうことで、進歩がないんですよね。
岡山さんがよりわかりやすい例として挙げるのが、日本の戦国時代から江戸時代への流れです。大名同士が殺し合い、盗賊や野武士が略奪し、普通に暮らす人もいつ戦に駆り出されて命を落とすかわからない時代でした。
岡山さんによれば、織田信長の統一の試み、豊臣秀吉の刀狩り ── 1588年に豊臣秀吉が出した命令。農民などから刀や槍などの武器を取り上げ、武士と農民の身分を分ける兵農分離を進めたとされます、徳川家康による大名配置などは、自分の欲だけでなく、戦乱を終わらせ、自分の死後も平和を続けるための仕組みづくりでもありました。
江戸時代の戦乱のない状態に慣れたことや腐敗、外圧などから、やがて明治維新という変化が起きます。岡山さんは、一つの問題が解決されると人の目は別の問題に向き、それを変えるには何らかの痛みを伴うのかもしれないと話します。
学ばなくて済むことは、変化の成功の証か
田中さんは、刀狩りのような物理的な仕組みに加えて、人々が何を良しとし、何を悪いと思うかという「思想」も、歴史から学ぶシステムの一つとして捉えられると話します。
田中さんによれば、歴史を知っているときに「これはまずいんじゃないか」と思う感覚が働けば、遠い出来事が自分の生存に関わる問題として自分事になります。知識以外の部分として、この思想的な感覚が重要だというのです。
岡山さんは、非核三原則は仕組みというより価値観に近いと応じます。実際に機能しているかどうかよりも、核を否定するのが日本のスタンスだと示すこと自体に意味があるという見方です。
核を否定するのがこの国のスタンスですよっていう価値観を示すために重要なのであって
岡山さんはさらに、価値観にしても仕組みにしても、変えるのは経験した当事者でありながら、その恩恵を受けるのは次の世代、さらに次の世代だと指摘します。
つまり、歴史から学んで世の中を変えた人たちの行いが、次の世代に「学ばなくていい環境」を作っています。岡山さんは、学ばなくて済んでいること自体が変化の成功の証でもあると考えています。
それでも同じことを繰り返すのは人間のしょうもなさだと認めつつ、岡山さんは別の角度の話を始めます。二人が話していることの大半は、中国の思想家の本などにすでに書いてあることと同じかもしれない、というものです。
でもなんかこうやって話してて、あ、こうなのかもって気づいたり、発見した気分になるのって楽しいじゃないですか。
それが結構大事ですよね、多分。
岡山さんによれば、人から「これは大事だ」と聞かされても情報として流れていくだけです。自分の経験から気づいたことだからこそ身になり、人に話したくなります。
そのため岡山さんは、歴史を学ぶこと自体より、学んだ内容をいかにその人固有の体験として「発見」に結びつけるかが、この問いへの答えではないかと話しています。
経験が先、知識は後、知恵はその先
田中さんは、固有の体験にするには、その事柄について考える「一歩踏み出す」行動が必要だと話します。ただし、それができる人は主体性が強く、もともと歴史から学ぶ意欲も高いのではないかとも考えています。
すべての事柄にそう向き合うのは難しいので、田中さんは「何々の日」のように、何かのタイミングで思い出したり考えたりする仕組みが解決策の一つかもしれないと提案します。
岡山さんも、記念日はきっかけになると応じます。終戦記念日に毎年『火垂るの墓』が放送されるのは、初詣に行くのと同じくらいの、一種のルーティンや祭事のようなものだと例えます。
一方で岡山さんは、経験を抽象化して知識や知恵に変えるのはレベルの高い話だとも指摘します。だからこそ、誰もがそれを知恵に変える必要はなく、「殴られたら痛いから喧嘩はやめておこう」程度の経験からの学びでいいと考えています。
経験が先、知識は後、知恵はその先って感じ。
経験
転ぶと痛い、お腹がすくと元気が出ないなど、身近な体験
知識
経験と結びついた出来事や事例を知る
知恵
抽象化して、ほかの物事にも当てはめられるようになる
岡山さんによれば、頭のいい人は学ぶ対象から抽象化して身近な物事に当てはめられますが、そうした思考ができる人は少数です。だから大事なのは、自分の経験と歴史を自然に結びつける「後出し」ができるかどうかだといいます。
岡山さんが挙げるのは鉄道の脱線事故の例です。転べば痛い、車に轢かれたら死ぬといった経験をベースにすれば、脱線事故がどうなるか、どう防ぐかと考えを広げられます。しかし、1800年代のイギリスの事故の話をいきなり聞かされても、昔の外国の話として流れてしまいます。
全然昔だし、海外、外国だし、どうでもええわみたいな話になるわけですよ。
田中さんは自分に置き換えて考えます。脱線事故を自分が経験しても、その時は目の前のことで精一杯で歴史は振り返りません。しかし数年後に本でイギリスの脱線事故を読んだとき、初めてその歴史が自分事になるだろうと話します。
そうそうそう、だからそういうことですよ。そういうこと。だから経験が先ってこと。
ワンピースと信長の野望が歴史への入口に?
田中さんは、岡山さんの話に出た「興味」が大きなポイントだと感じます。経験がフックになってアンテナが張られるなら、経験そのものがなくても、アンテナさえあれば歴史を自分事にできるのではないかという考えです。
田中さんが例に挙げるのは、二人とも読んでいる漫画『ワンピース』です。作中の出来事が歴史とつながっているという話には興味を持つので、きっかけが漫画でも、歴史を自分の興味や記憶の中に入れることになります。
岡山さんはこれを受けて、経験には「受動的な経験」と「能動的な経験」があると整理します。好奇心の話は、能動的に得た経験にあたります。
災害に巻き込まれたことで、その後災害に関することを身近に感じるようになる
野球、ワンピース、ちいかわなど、好きなものを自分から取りに行って得た体験
田中さんは、歴史を教訓にして自分の思考に反映させるのは「応用編」かもしれないとしつつ、能動・受動の経験を歴史と結びつける実践が「基礎編」として問いへの答えになると話します。
岡山さんは、歴史そのものに興味がある人にも、興味を持つに至った経験があるはずだと続けます。岡山さん自身が日本史を好きになった一番のきっかけは、小学生の頃に遊んだゲーム『信長の野望』でした。
小学校の時に信長の野望っていうゲームやってて、それでその武将の名前とか覚えた故に日本の歴史に興味を持つ。
ゲームなんや。
岡山さんは、中国の思想家がすでに書いていたことでも自分で発見したと思えるほうが楽しいのと同じで、楽しいという感覚がなければ自分の身にならないと話します。田中さんも「めっちゃそう思います」と強く同意します。
そこから岡山さんは、歴史から学ぶことを目的にしてはいけないという考えにたどり着きます。歴史を学ぼうとラジオを聞くのではなく、好きなものを掘っていたら歴史にたどり着いた、という形でなければ本質的には学べないというのです。
記憶のシナプスがつながる「一般化」
田中さんは、歴史から学ぶための要素を「経験の相互的な一般化」と表現します。歴史上の出来事が一般化されて自分につながる方向と、日常の経験が歴史につながっていく方向の、両方の矢印があるという考えです。
記憶のシナプスがビビビビビっていろいろつながっていくような状態が、相互的な矢印として学ぶ状態としてあるんやろうなというのを思いましたね。
岡山さんは、シナプスがつながるには、その部分が活性化していなければならないと応じます。道端に昔のお金が落ちていても、価値を知る人は驚き、知らない人はゴミだと思って通り過ぎる、という例えです。
岡山さんによれば、好奇心が反応するように訓練することはできます。歴史から学ぼうとするより、歴史につながる可能性のあるアンテナをどれだけ増やしておくかが大事だという考えです。
そのために岡山さんが挙げるのは、いろいろな経験をすることと、日々感じたことを忘れないように言葉にして記録しておくことです。具体的な方法として、ジャーナリング ── 頭に浮かんだ考えや感情をそのまま紙などに書き出す習慣。日記に近く、自己理解や思考の整理に役立つとされますを勧めています。
田中さんも、日記を書くことは「歴史から学ぶ実践」をごく気軽にできる方法なのかもしれないと同意します。
実は二人は最近、ジャーナリングの本を作ったばかりです。岡山さんは、その経験があったからこそこの結論に行き着いたのかもしれず、別のことをしていたら別の結論になっていたかもしれないと振り返ります。この展開自体が、経験が思考を方向づけるという話の実例になっています。
真っ青なチラシが教えてくれたこと
最後に田中さんは、その日の朝の出来事を話します。新聞に、普段なら目に留めないような真っ青なデザインのチラシが入っていたといいます。
そのチラシは、麦の古代遺跡や戦国時代に関する発表会の案内でした。なぜ青いのか、なぜ面白い写真が入っているのかと興味を引かれ、田中さんは聞きに行きたいと思ったそうです。
どこに何のアンテナを人間が張ってるかって本当にわかんないなと思って。
主催者は、色が真っ青だったから興味を持たれたとは思わないだろう、と田中さんは笑います。そこから、歴史を伝えたい側も、人の興味は歴史以外のところから起こる可能性が高いと知っておくと面白い、という教訓を得たといいます。
田中さん自身も、いろいろなことを残したい側として、この気づきを大切にしたいと語り、2回にわたる対話を締めくくりました。
まとめ
人が歴史から学ぶには、平和を支える仕組みや価値観に加えて、遠い出来事を自分事にする経験や興味が欠かせない、というのが二人の対話の着地点です。歴史そのものを目的にするより、好奇心のアンテナを増やし、経験を言葉にしておくことが入口になると考えられます。
- 平和は歴史から学んだ人々が作った仕組みと価値観の結果で、次の世代が「学ばなくて済む」こと自体が変化の成功の証でもある
- 経験が先、知識は後、知恵はその先。自分の経験と歴史を後から自然に結びつけることが大切
- 経験には受動的なものと能動的なものがあり、ワンピースや信長の野望のような好きなものも歴史への入口になる
- 歴史から学ぶことを目的にせず、アンテナを増やし、日々の気づきをジャーナリングなどで記録しておくことが実践になる
- 伝える側にとっても、人の興味は歴史以外のところから生まれるという視点が役に立つ






