登庁してから、別れを意識させられる展開が続いた
朝の収録は7時58分に一時停止した。空いた時間で続きを撮れるかと思ったけど、結局撮れなかった。
普通に仕事をして、家に帰って、クリーニング屋に行って、おつまみを買って食べていた。気づけば22時37分だ。
その日は登庁してから、けっこういろいろあった。俺に何かあったわけじゃないんだけど、なんというか、別れというものをすごく意識させられる展開が続いたんだ。
言うか迷ったけど、言ってしまおう。同じ部署の、直接の上司ではない上司の方が、亡くなられた。
接点が少なくても、考えてしまう
直接の上司ではないから、深い接点があったわけじゃない。ただ、俺は回覧や決裁の文書を回す役をやっているので、その人の席には当然行く。
弁当の注文の精算なんかでも顔を合わせていた。接点ゼロではなかった訳だ。
最低限とはいえ関わりのあった人に何かあったとなると、やっぱり考えてしまう。
その人との思い出は、言葉を交わしたこと。本当にそれだけ、それしかない。でも、それが一番でかい。
毎週見ていたビデオエッセイが終わる
その日の別れは、それだけじゃなかった。俺は毎週日曜日の夜、ある人のビデオエッセイをずっと見ていた。
そのコタさんが、次の定期更新を最後にすると発表した。心が折れてしまったのかもしれない。
すげえ悔しかった。本人のコメントを読んでも、これは絶対満足して終わってねえわ、という書き方なんだ。我慢の限界に来てしまったみたいだった。
もちろん、これを別れと言っていいのかはわからない。本人は亡くなったわけじゃないし、更新が止まってもずっと生き続けるんだけど。
それでも、今まで続いていたことが突然スッとなくなるのは、ある意味で別れではあると思う。
「悲しい」の前に、俺はちゃんとできていたか
これも別れと言っていいのかわからないけど、ゲームのサービス終了のニュースもある。自分が少しでも遊んだタイトルがそこに当たると、また考えてしまう。
ちょうど『トロとパズル~どこでもいっしょ~』のサービス終了の知らせを見たとき、ブックマークにこう書いた。「悲しい」と簡単に言えてしまうからこそ、その言葉の重みは無視したくない、と。
別れに出くわしたとき、ただ悲しいと言うことは基本誰にでもできる。でも多分、もう1つ考えなきゃいけないことがある。
そういう状態になる前に、俺は何かできなかったか。別れを切り出してきた相手に対して、俺はちゃんと何かできていたかということだ。
たとえば、俺はトロとパズルをちゃんと遊んでいたか。コタさんのビデオエッセイに、ちゃんとレスポンスしていたか。
亡くなった上司については、俺の立場ではどうすることもできない。どうにもできないこともある。
けれど、何かできるとなったときに、じゃあ実際に何かしたのか。それを考えると、途端につらくなるんだよな。
今日はそういう一日だった。まさか登庁前に「雪少ねぇ」とか言っていた日に、こんな話になるとは思わなかった。登庁の前後で急展開だった、という話。
まとめ
立て続けに別れに出くわした日、俺は悲しむだけでなく、それ以前に相手とちゃんと向き合えていたかを考えずにいられなかった。答えは出ないけど、その問いから目をそらしたくはない。
- 同じ部署の上司の訃報。接点は言葉を交わしたことだけだが、それが一番でかい
- 毎週見ていたビデオエッセイの定期更新終了は、満足ではなく我慢の限界での終わりに見えて悔しかった
- 「悲しい」は誰にでも言える。だからこそ、別れの前に自分は何かできたかを考えたい
- どうにもできない別れもあるが、できたはずのことを考えると途端につらくなる




