見たかった映像に、やっとたどり着けた
ノクターンをクリアした。やった、という気分だ。
見たかった映像も、ちゃんと見られた。あれは最高だった。
正直、ずっと「そういうルートにはたどり着けないんじゃないか」と思っていた。実家でやっていた頃も、そこまで行けなかったからだ。
やっている最中も、どこかでミスって別のルートに行ってしまっているんじゃないかと不安だった。
でも、普通に見られた。永遠に無理なんじゃないかと思っていたぶん、うれしかった。
やり通してみて、めっちゃ面白かった。それが素直な感想だ。
リメイク・リマスターを「クソ」と決めつける人たち
このリマスター、貶める理由がまったくないかというと、まあ、ないこともない。
でも、それは今となってはかなり些細なことだ。攻略本も電子版がちゃんと用意されているし、処理落ちの問題もかなり改善されている。
だから今も騒いでいるのは、従来からアトラスのリメイク・リマスターを「クソ」だと決めつけている、厄介な人たちだと思う。
今のアトラスマニアは、新規を取り込めないと自家中毒で死んでしまうんじゃないか、と本気で思う。
「こういうものしか許されない」というのがガチガチに固まりすぎて、それだけで窒息しそうになっている。
選べることが大事だ、という話
新しい人にもちゃんと受け入れられるように、という視点は当然持つべきだ。
そのための取り組みを積極的にやること自体は、私はいいと思っている。
「実はこういう要素があったんだよ」というのは、後から知っていけばいいだけの話じゃないだろうか。
アトラスのスタッフだって、ずっと言われてきたはずだ。「選べることが重要だ」と。
そして現に、リメイク・リマスターでも、選べる状態はそんなに奪われてはいないはずなんだ。
触れられる状態になった。その一点で、私はありがとう、と本当に思っている。
それでも「普通だ」と言うのなら、まあ、ずっとそのままでいればいい。……いや、これ以上は愚痴になってしまうな。
P5RとP4G、エンディングの組み方の違い
クリアして改めて思ったのは、この前にP5Rをやっていたことが大きかった、ということだ。
P5Rのエンディングの構造を攻略本で見たとき、あ、これはマニアクスの方に寄せているな、と感じた。
つい比べてしまうのだが、P5RとP4Gではエンディングの組み方がまるで違う。
P4Gは、基本的にエンディングが大きく増えるわけではない。1つ増えてはいるが、新しい価値観を提示するというより、バッドエンドの追加という感じだと思う。むしろP4Gで大きいのは、原作で描かれなかったところに追加エピソードができた、という方向だ。
一方でP5Rは、いわゆる3学期。攻略本ではよく「描かれなかった3学期」と言うが、じつは原作でも3学期は描かれている。ただプレイアブルではなかった、というだけだ。
そこをプレイアブルにするには、原作の流れの上でクリアするしかなく、そうなると原作と違う可能性は提示できない。だからマルチエンディングになるのは、最初から分かりきっていた。
つまりP5Rは、エンディングを追加すること自体がありきになっている。だからこそ、元々のいいエンディングとは別に「こういうのはどうでしょう」ともう1つ足す、というマニアクスっぽい作りになったんだと思う。スタッフが変わったのもあるんだろうけど。
まとめ
ノクターンをやっと最後まで見られて、私はただ「ありがとう」と思っている。触れられる状態にしてくれたこと自体が、私にとっては十分ありがたい。批判したくなる気持ちもわからなくはないが、選べることの価値を、もう少し大事にしてもいいんじゃないだろうか。
- 実家では行けなかった自由ルートの映像に、今回やっとたどり着けた
- 攻略本の電子版や処理落ちの改善で、リマスターの難点はかなり些細になっている
- 新規を受け入れる取り組みは、選べる状態を奪わない限り歓迎したい
- P4Gは追加エピソード型、P5Rはエンディング追加ありきの作りで、組み方がまるで違う

