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「ソシュール知ったかぶり講座」のラストにあたる第3回。
ソシュールは「言葉の意味を積極的に定義することは不可能」という驚きの主張をしています。
そして、その主張を聞く僕らは赤ちゃんに戻りたくなります。どういうこと???
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ログインページへ目の前にペンがあったとして、それをペンと意味付けしているとおもってたんですが違うのですか?
AI回答(エピソードから回答を抽出)
私たちが普段感じる直感としては「目の前のものにペンと名前をつけている」と思いがちですが、ソシュールの言語学ではその見方を否定しています。 エピソード内では、以下のようなポイントで説明されています。 ・「名称目録的世界観」の否定 世の中に最初から独立した「ペン」という実体が存在していて、それに後からラベルを貼るように名前をつけているわけではない、とソシュールは考えました。 ・意味は「差異」によって決まる ソシュールによると、言葉の意味は「〜ではないもの」という消極的な違い(差異)によってしか決まりません。たとえば「鉛筆でも筆でもマジックでもないもの」というように、他の概念との境界線(プールの浮きのようなもの)によって切り分けられた結果として「ペン」という意味が成り立っています。 ・意味は「個別のモノ」ではなく「集合」 現代の意味論でも、言葉の意味を理解するとは「目の前にある特定の1本」を指すのではなく、「ペンの集合」を頭の中に持っていることだと説明されています。細かな違いがある無数の筆記用具を、人間の有限な脳がひとつのグループ(集合)にまとめて「ペン」と呼んでいるのです。 赤ちゃんのように言葉を知らない状態では、世界はすべて地続きにつながって見えています。あらかじめ世界に「ペン」という境界線があるのではなく、私たちが言語という枠組みを使って世界を切り分けた結果として、目の前のそれを「ペン」として認識できている、というのがソシュールの考え方です。
現代の考えはこれと同一ですか?
AI回答(エピソードから回答を抽出)
このエピソード内で語られた内容に基づくと、現代の考えとの関係は次のように説明されています。 言葉の意味についての現代の理解との関係 現代の哲学的な意味論では、「言葉の意味とは集合である」と考えられています(例:「猫」という意味を理解しているとは、猫の集合を理解しており、文脈に応じて具体例を取り出せる能力のこと)。 ソシュール自身が著作の中で直接「意味=集合」と詳しく定義したわけではありませんが、ソシュールが提唱した「ラング(言語の規則体系)」の前提から論理的に導き出すことができます。そのため、番組内では「ソシュールが言っていたことは現代の理解と一致している」とまとめられています。 言語学全体の現代の考え方 一方で、言語学の歴史全体で見ると、すべてがソシュールと同じ考えのままというわけではありません。 ソシュール以降にはチョムスキーのように言語を数学的・純粋に論理的に記述しようとするアプローチも登場しました。「人間特有の制約(記憶力の限界など)から言語を捉える派(ソシュール的アプローチ)」と「数学のように論理的に記述できる派」のせめぎ合いが現代に至るまで続いてきたと語られています。